ギヌラとコーヒー(3)
「私としては、むしろ総さんがそこまで悩んでいることのほうが驚きですけれど」
俺に対して笑みを浮かべたまま、サリーはやや上から目線で俺の反応を待つ。
そのいささか偉そうな態度に、フィルが口を挟む。
「サリー。珍しく総さんより優位に立ったからって……」
「うるさいわよフィル」
フィルの呆れ声につんと言い返したあと、サリーは俺の方を見た。
「それでどういたします? 総さんがどうしてもと言うのでしたら、力になってあげても良いですけれど?」
「…………」
俺は少し悩んだあとに、フィルに尋ねた。
「じゃあフィル。お前達に見えている答えってのはなにか教えてくれ」
「え? ああ。簡単ですよ。コーヒーのブレンドとカクテルは、考え方が同じだってことです」
「ちょっと!」
視界の隅のほうでサリーが何やら喚いているが気にしない。
というか、バーテンダーモードでもないのに、なんで俺がわざわざ『どうしても』と頼み事をしないといけないんだ。普通に嫌だろ。
だったらフィルに聞くよ。
「それで、考え方が同じだってのは?」
「総さんは、コーヒーの個性を難しく考えすぎているんです。以前総さんが言っていた『美味しいカクテル』に必要な要素と同じです。コーヒーの個性を見て、バランスを整えることが重要なんです」
フィルに言われて、俺は自分が前に二人へ教えた、とあることを思い出す。
これは俺がオーナーに直接教わったことでもあるのだが、カクテルを作るときには意識すべき三つの要素がある。
それは『甘味』『酸味』そして『アルコール度数』の三つだ。
甘味が強いカクテルは、まろやかで飲みやすい。しかし、甘いだけではくどくなるし、それだけを飲み続けるのが嫌な人も多い。男性の方が、その傾向はやや強い。
次に酸味が強いカクテルは、すっとした切れ味が特徴だ。とはいえ、酸っぱいだけではとても飲めたものにはならない。甘味とは別の理由で飲み続けることは困難だ。
そしてアルコール度数だが、これは本当に人によるだろうか。強ければ強いほど、ガツンとした重みが増し『酒感』とでも言うべき存在感が増す。
もっとも人を選ぶ要素でもあるし、強いのと弱いのではどちらが良いなどと、絶対に決めることはできない。
そしてカクテルを作る際に重要なのは、この三つをいかに組み合わせて、最終型の味を作るかである。
たとえば【ダイキリ】を考えてみる。
【ダイキリ】は『ラム45ml』『ライム15ml』『シロップ1tsp』とシンプルな構成だ。
先程の三つの要素を当てはめれば『酸味と度数が高めで、甘味が控えめのカクテル』という説明ができるだろうか。
強めの酸味がすっとした口当たりを作り、その後にガツンとしたアルコールの重さが来る。しかしそれだけで終わらずに、加えたスプーン一杯分のシロップが、酸味と度数を穏やかに包むのだ。
味の終着点ははっきりとしていて、そのための要素が過不足なく揃っている。
より切れ味を求めるのならばシロップを抜くのも良いし、反対にシロップの他にシナモンなどを加えてまろやかさを足すというのも良い。
実にバランスが良く、アレンジも可能な味なのだ。
このように、カクテルには味のバランスが重要だ。
各要素を頂点とした味の三角形を意識し、グニャグニャの『何か』にしないようにすることを、カクテルを作る上では忘れてはいけない。
また、先程の三つの要素はあくまで主要素であり、そこに『苦み』『塩分』など、様々な要素を組み合わせることもできる。
そうやって整った一杯が『美味しいカクテル』になるのである。
「しかし、コーヒーとカクテルは違うだろ。砂糖とレモンを混ぜ合わせるのとは勝手が違う。全く別々のものを混ぜ合わせるのが『カクテル』なら、『似たもの同士』を組み合わせるのがブレンドなんじゃないのか?」
そう。とはいってもカクテルのそれは、バラバラの材料を混ぜ合わせる考えだ。
コーヒーであれば、基本はあくまで『コーヒー』であり、カクテルとは勝手が違うのではないだろうか。
しかしフィルは、はっきりと首を横に振った。
「違いませんよ。総さんはコーヒーそれぞれに『個性』があると言いましたよね? その『個性』が似通っている品種もあれば、全く異なる品種もあったはずです」
「それは、まぁ」
「では、当然酸味が強い豆もあれば、コクが深い豆もある。香り高いものもあれば、苦みが濃いものもあります。コーヒーのブレンドは、それらを組み合わせてより自分の好みに合う味を作り出すことでしょう。個性をバランス良く配置するという考え方は、カクテルのそれとどう違うんですか?」
「……あ」
フィルに嗜められて、俺は自分が酷い先入観に陥っていたのを自覚した。
俺は『カクテル』という区分を狭く捉えていた。甘い飲み物と、酸っぱい飲み物と酒を組み合わせるのが基本。その程度の思考で止まっていた。
違うのだ。混ぜ合わせるのは『飲み物』ではなく『飲み物の個性』なのだ。
そう考えれば、コーヒーのブレンドは『カクテル』の考え方とも相似する。
ようは、それぞれの『個性』のバランスを考え、しっかりとした完成系を描いてから、それに必要なものを組み合わせればいいということだ。
「お分かりになりましたか?」
俺とフィルとの会話を静かに聞いていた店主が、少し嬉しそうな顔で俺に尋ねる。
俺はやや照れくさい気持ちでフィルを一瞥したあとに、頷いた。
「……ええ、はい。恥ずかしいことに、弟子に教えられてしまいましたが」
「何を恥ずかしがることがありますか。あなたはお弟子さんに、しっかりと知識を与えていた。そして彼らは『コーヒー』に関してはあなたよりも詳しかった。その二つが合わさって、あなたよりもほんの少し『知恵』が働いたということです。あなたがしかと教育できていなければ、そうはなりませんとも。ご自身を恥じる前に、まずはお弟子さんの成長を喜んであげなされ」
「……仰る通りです」
俺はやや恐縮しながらその言葉を受け取り、その後に素直にフィルに向き直った。
「いや、本当に凄いなフィル。俺はどうにも『カクテル』先行型の考えで、思考の中心がそこになっちまう。フィルは俺よりもずっと、周りが見えるようになるな」
「い、いえ! 総さんがいつも丁寧に教えてくれるからですよ!」
俺が送った賞賛に、フィルは嬉しそうにはにかむ。そう言って貰えると、少しはこちらの気も紛れるというものだ。
しかしそのあと、フィルはやや言いにくそうにすっと視線を横に流した。
そちらには、存在を途中から無視されて、明らかに不貞腐れているサリーがいた。
テーブルに乗っているカップの一つに口をつけながら、頬杖をついて分りやすく唇を尖らせている。
………………。
「それとサリーも、すごいな。お前にもこれから先、教わることの方が多そうだ」
「……ふん。別に。私じゃなくてフィルに教われば良いんじゃないかしら?」
と、俺が何かを言っても、サリーは完全に拗ねていて手がつけられない。
フィルは困った表情を浮かべたまま、更に俺に視線を送ってくる。分かってるって。
しかし俺も、バーテンダーとして意識を切り替えないと、このレベルは上手く対応ができそうにない。
「ふむ。ところでお嬢さん。そちらはお気に召しましたかな?」
と、俺が意識を切り替える前に、店主は静かな声でサリーに問いかけた。
サリーは機嫌を崩してはいるが、俺に腹を立てているだけなので、店主の言葉には素直に答える。
「ええ。『メウカ』のハイロースト(中煎りの区分の一つ)なんて、飲み飽きたつもりで居ましたけれど。この華やかな香り立ちと、鮮やかな酸味はお見事ですわ」
「どうもありがとうございます。できれば、他のご感想もお聞かせ願えますかね?」
言いつつ、店主はテーブルに並んでいるカップに目を移す。
サリーは店主の目線を追いながら、一つ一つの感想を答える。
『ガトメラ』は酸味と香りが適度に立っていて、上品で柔らかいとか。
『ベルメンテ』は全ての味が高いバランスでまとまっていて、風味が良いとか。
『ハウィカウナ』は酸味が強めで、そのすっきりとした香りと相性がとか。
一つ一つのコーヒーに、俺が言葉を考えるよりも的確に、感想を述べていく。
そういえば、と俺はサリーと初めて会ったときを思い出した。彼女はオヤジさんのトマトスープを少し飲んだだけで、その隠し味まで探り当てて賞賛を送った。
そう。それまでの生活の影響があるのだろう。サリーは大雑把な性格と違って味覚は大変に鋭いのだ。
「いやぁ。お嬢さんは実に詳しい。私のほうが勉強させていただくことしきりですな」
「そ、そうかしら。ふふ、ま、まぁ私もコーヒーは『大人』の嗜みとしてある程度は」
店主に手放しに賞賛され、サリーは少し気分良さそうに答える。
ちらりと、店主の目だけが俺の方に向いたのが見えた。
その店主の、先程までの気遣いが分からないほどには、鈍くはないつもりだ。
「そんなサリーに頼む。力を貸してくれ」
俺は少し大袈裟にサリーに向かって頭を下げる。
突然の声にサリーはやや面食らった。その後に、俺に対して拗ねていたことを思い出したのか、唇をすぼめて言う。
「な、なんですの。だからフィルにでも頼んだらどうかしら」
「いや。フィルには悪いが、多分俺達の中で、コーヒーの味が一番分かるのはお前だ。だからブレンドを作るには、お前の舌が絶対に必要なんだ」
「そうだよサリー。僕はあんまりコーヒーが得意じゃないから。総さんにはサリーが必要なんだよ」
言葉を合わせたフィルの声もあって、サリーがやや機嫌を上向かせたのは分かった。
ここで駄目押しとばかりに、店主が言った。
「そうですよお嬢さん。あなたはここの誰よりも『カクテルとコーヒー』を分かっていますとも。あなたの助けが、彼には必要なのではないでしょうか?」
「ふ、ふーん」
その一言を最後に、サリーは頬を喜色で歪めた。
そして、俺達を軽く見渡した後に、ふふん、と鼻を鳴らしてから言った。
「まぁ、仕方ありませんわね。私が動かないといけない状況みたいですし、協力して差し上げるのも、やぶさかではありませんわ」
そのやや上から目線の言葉に、今回は特に反論をすることもしない。
「流石サリーだ!」
「サリーありがとう!」
「ほほ。落着ですな」
三者三様に褒めて見せると、サリーは明らかに機嫌を良くした。
一人の少女を、初老の男性と、二十代の青年と、十代後半の少年が褒め称える。
そんな異常な雰囲気の中、来客を告げる鐘が、りんとなった。
「どうも──うわっ! ま、まだ居たのかお前達!?」
店に入って開口一番、その金髪の男は嫌そうな顔で言った。
「いらっしゃいませギヌラさん。夕霧さんたちとは知り合いでしたか」
店主は先程までの雰囲気をやや引き締め、ギヌラに向かっても丁寧に言う。
それにギヌラは、眉をひそめたあとに、尊大に答える。
「知り合いなどと……まぁ良いか。僕としては不本意だが、特別にお前達を知り合いと認定してやってもいい。感謝しろよ」
「いえ、知らない人です」
「知らない人というより、知らない物ですわ。気安く話しかけないでくださる?」
「き、貴様らぁ!?」
ギヌラの大仰な知り合い認定にイラッときた俺と、恐らく先程の一件でギヌラへの好感度が地に落ちているサリーが、発言する。
「ふ、二人とも!」
フィルは慌ててその場の空気を取りなそうとするのだが、ギヌラの耳にはフィルのフォローは入らなかったようだ。
「この僕がせっかく譲歩してやったというのに、これだから貧乏人は!」
「まあまあギヌラさん、こちらでも飲んで落ち着いてくださいな」
ふたたび激昂しかけたギヌラに、店主が一杯のコーヒーを差し出した。
先程サリーに感想を言って貰う際に入れ直した一杯だ。
「う、うん。流石気が利くね。丁度外を歩いていて喉が乾いていたんだ」
「いえいえ。いつもご贔屓にしていただいておりますから」
店主が人の出来た笑みで対応している。ギヌラ相手にはあまりしたくないが、俺も今後の接客の参考にさせて貰おう。
そう思っていると、ギヌラは一口含み、満足げに呟いた。
「ふむ。この味は『ベルメンテ』だね。そう、最高級品と名高く、まさに僕のためにあるような一杯だ。良い仕事をしているよ」
次の瞬間、店の雰囲気が一瞬で凍った。
その理由は、ギヌラの一言と、そのカップの中身にあった。
それはサリーが先程まで飲んでいた一杯であり、この場にいる誰もがその品種を知っている一杯でもあった。
発言をしてはならないという雰囲気が、店に満ちていた。
「あんたそれ。『ベルメンテ』じゃなくて『クリストメンテ』よ」
そして、そんな雰囲気で、発言を我慢できない子が一人いた。
サリーは、かなり白けた目でギヌラを見つめている。
「へ?」
ギヌラの情けない声が居たたまれず、俺は彼を直視することができなくなった。
フィルも同様である。店主に至ってすら、やや笑みがぎこちなくなっている。
しかし、それでへこたれるようなギヌラではなかった。
「い、いやぁ! 分かっていたけれどね! 本当は分かっていたが、お前達が間違いに気付くか試してやったんだよ! ま、まぁ、一人は気付いたみたいだから及第点だな!」
誰に対しての問題だったんだよ。
とツッコミたい衝動をかき立てられるが、たぶんそれを言ったら負けだ。
というか、この場に居る誰もが、これ以上ギヌラをつっつくのは可哀想だと理解していた。
「……ほっほ。さて、一件落着ですな」
「そ、そうですね!」
「それよりもはやくブレンドしましょう!」
「待ちきれませんわ!」
店主の場を収めようとする一言に、とりあえず俺と双子は全力で乗っかるのだった。
「ブレンド? はっ、まったく君達はまた何をしようとしているのか?」
一人ギヌラだけが、事態に付いてきていないが、どうでもいい。
というか、置いて行かれてるからって話に入ってこなくていい。
とりあえず、お気に入りの豆でも買って早く帰れよ……。
※1225 誤字修正しました。
※1227 誤字修正しました。




