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異世界転移バーテンダーの『カクテルポーション』  作者: score
第三章 幕間

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【カミカゼ】(2)

 ──────



 ぼんやりと、薄く白濁した液体に浮かぶのは、鮮やかな緑の半月。

 カムイの目から見ても、その一杯の美しさは、自身が心を込めたガラス工芸のそれと似通って見えた。


(だからこそ、グラスが浮く、か?)


 そして、その心をしかと受け止めているグラスへと目を落とす。

 悪い仕事をしているわけではない。当たり前の、グラスとしての仕事をこなしている。

 良くも悪くもない。型にはまった形式だけの関係だ。


(俺なら、もっと魅せてやれる。更に、美しく高めてやれる……って、おいおい)


 そこまで考えて、カムイは飲んでもいないのにやや前向きになっている自分に、心の中で苦笑した。

 グラスに対する感想はそこそこにして、カムイはカクテルを口元へと近づける。

 それだけで、ライムの弾けるような香りが鼻をくすぐった。

 もともと、柑橘が嫌いなわけではない。その香りは、迸る酸味をイメージさせ、飲む前から舌を湿らせる。

 そして、その勢いのままに、カムイはグラスを傾けた。


(……切り込まれた)


 口当たりは、予想に反して滑らかだった。

 焼酎と比較しても大分飲みやすい。辛めという注文だったはずだが、柑橘らしい酸味と程よいアルコール感が、口の中にするりと滑り込む。

 しかし、楽観的でいられたのはそこまでだ。

 舌にまで到達した液体は、そこで味という刃を存分に振るった。


 酸味に後押しされた爽やかで強烈なアルコール感が、舌へとその存在を主張する。しかもその味は、ただ鋭いだけではない。

 液体が踏み込み、切り開いた味蕾に、じんわりと仄かな甘苦い風味。

 呑み下してなお、ライムの酸味や、皮の苦さを感じさせぬように、その風味がふわりと口内に広がって行く。


 辛口ではある。口に入れた瞬間から喉を通るその時まで、この一杯は鋭い刀のように、鮮やかに存在を刻みながら抜けて行った。

 だが、それだけでは決して無い。往々にして、そういった鋭い辛さは、喉元を過ぎればなんとやら、になりがちだ。

 それなのに、この一杯は通り過ぎた後にも口と心に、その存在を刻み付けている。


 たかが一口二口の間だ。精々が、一秒未満の刹那の邂逅だ。

 それなのに、その一杯はカムイの口から入り、心にまで深く切り込んで来た。

 目の前に立つ一人の男の信念を、全力で運んで来たのだ。


 カムイはさらに一口を含んでから、隣で同じようにグラスを傾けているメグリを見やった。

 彼女の、ほわっとした表情に、苦笑いを漏らす。

 そして、目の前の『バーテンダー』に、尋ねた。


「それじゃ、説明してもらおうか。お前さんが、どんな信念を込めたのか」


 カムイの問いかけに、青年は穏やかに笑みを浮かべていた。



 ──────



 どんな信念、か。

 それをする為には【カミカゼ】が、『何』から取られた名前なのかを説明する必要があるだろう。

 それは必然、俺の素性の説明をすることにもなった。


「まず、先に謝らせてください、メグリさん」

「へ、私ですか?」

「はい。実は僕はジャポンの生まれではないんです」


 そして、俺は語った。

 自分が本当はこの世界とは全く違う異世界から、何かの手違いでこの世界に召喚されてしまったということ。

 カクテルは、本来はその世界で作られた酒だということ。

 そして、俺の作った【カミカゼ】もまた、その世界に存在するスタンダードなレシピの一つであるということ。


「……にわかには信じられんが、話は分かった。つまり、こいつの説明のためには、その情報が必要だってことだな」


 カムイさんが、グラスを揺らす。

 中の氷がカランと音を立て、先を促した。


「そして、そのカクテルの由来は、僕が住んでいた国の、戦争の話に繋がるんです」

「……戦争」


 カムイさんだけではない。メグリさんやスイも、その単語には息を呑んだ。

 俺が今まで調べたところでは、この国には直近で大きな戦争は起こっていない。だが、三桁も年を遡ればその限りではないし、隣国との関係も手放しの友好状態ではない。

 ジャポンについては詳しくは知らないが、日本と同じであれば島内の争いが無い事はないだろう。


「僕が居た国は、数十年前にとある大国と正面からぶつかりました。あまり勝てる見込みのない戦争でした。早期の講和条約を結べなかった時点で、行く末は見えるような、苦しい戦いだったそうです」


 俺は決して戦争に詳しいわけではないし、その善悪を述べるつもりもない。

 必要なのは、このカクテルを説明するだけの、情報だ。


「そしてその戦争の末期に、そのカクテルの由来とも言われている『神風特攻隊』という部隊が編成されたそうです」

「そいつは、どういう、部隊なんだ?」

「簡単に言えば、相手の懐に飛び込んで自爆する。そういった部隊です」


 この世界で航空機の話などは聞いたことがない。だが、こういう言い方をすれば分からないことはない筈だ。

 カムイさんの表情に、苦みが走った。

 聞いていて気持ちの良い話ではない。分かっている。


「それで、どうなったんだ?」

「彼らの行動は、最後まで相手国を苦しめたそうです。言い方は悪いですが、その時の作戦の中では効果的であったと言われています」

「……そうか」


 俺の言葉に、カムイさんも言外の意味を感じただろう。

 言わなくても、分かったはずだ。最後まで苦しめたという言葉は、それが決め手にはならなかったという意味も持つ。

 カムイさんは、手に持ったグラスを呷り、その後に俺をじっと見つめた。


「夕霧。お前は、俺の身の上を、どう思ってるんだ?」


 お前さん、でも、あんちゃん、でもない。

 俺の名前をはっきりと尋ねての質問だった。


 カムイさんも、思っただろう。なぜ、その説明をするのかと。

 これまでの【カミカゼ】の説明は、追いつめられた人間が最後に取った道が、正解に繋がらなかったというものなのだ。

 俺は、俺の想像した、カムイさんとメグリさんの身の上を、述べた。


「お二人は、駆け落ちをしてこの国に来たのではないでしょうか?」


 その場の重苦しい空気を感じていたスイが、俺にハッとした目を向けた。

 仮に思っていたとして、それを言ってしまうのかと。

 だが、俺の歯に衣着せぬ言い方は、逆にカムイさんの気に入るところだったようだ。


「はっきり言うな。なんでそう思う?」

「お二人が身一つでこの国に乗り込んで来た理由が、見当たらなかったんです」

「……ふっ。だろうな」


 もちろん、職人の武者修行に理由を求めるのは野暮かもしれない。

 だが、俺は彼が修行の為だけにこの国に来たとは思えなかった。


 仲睦まじい間柄に見えて、姓の違う二人。

 鬼であるカムイさんと、人間であるメグリさん。

 そして、カムイさんの目的。

 名を上げるため。誰からも認められる、職人になるため。

 その目標とはつまり、認められなければいけない、何かがあるということでは。


 それらを考えたとき、俺の頭に浮かんで来たのは、その結論だった。

 二人の、いや、カムイさんの目的は、誰からも認められる職人となって、メグリさんの実家から結婚を認めて貰うこと。

 そしてその後ろ盾を国内で得るのは難しいから、海を渡ってきたのではないかと。


「……ジャポンの三大名花ってのを、知ってるか?」

「……いいえ」


 俺は素直に首を振った。

 カムイさんは怒る様子もなく、呆れる様子も見せず、淡々と教えてくれた。


「天下を治めるシャクヤク、知識を司るボタン、武道を極めるユリ。この三つだ。そしてメグリの実家、シラユリ家はそのユリ一族の一つってこったな」

「……それじゃ、メグリさんは貴族の……」


 俺の呟きに、メグリさんは疲れたような笑みを浮かべて手を振った。


「……私は、武芸の才能はほとんどなかった落ちこぼれですよ。投擲だけは人並み程度にはできましたが」


 この世界のジャポンの実情は、詳しく知らない。

 だが、自分で落ちこぼれと言おうと、貴族の生まれの人間が自由意志を持って、単身国を抜け出すのは容易ではあるまい。

 俺の想像を補強するように、カムイさんは言葉を続けた。


「かたや俺は、大昔に人間に敗れたっつう少数種族の鬼だ。身分的には平民と変わらないが、仮にも相手は貴族様だからな、そう簡単に俺たちの関係を認めてくれるわけがねぇ。お前さんの想像は当たらずとも遠からずってわけだ」


 はは、と疲れたように笑うカムイさんは、手に持っていたグラスを静かに下ろした。

 既に中身はなくなっていて、氷とライムだけが、寂しげに佇んでいる。


「だが、まぁ、確かに俺も思っちゃいたさ。単身で名を上げて、華々しく凱旋なんてそう上手く行かないってな」


 カムイさんは、そのまま消沈したように目を伏せた。

 メグリさんが、すかさず肩を支えるようにして、二人は塞ぎ込む。

 俺は、そこで、叫んだ。


「違います! 俺は、そんな思いでこの【カミカゼ】を作ったんじゃありません!」


 俺の突然の剣幕に、カムイさんが問う。


「なんでだ? さっきの説明じゃ、あれだろ。追いつめられた最後の行動も、結局無駄だったっていう、そんな境遇を俺達と──」

「そうじゃありません! 話には続きがあるんです!」


 俺は、大声でカムイさんの言葉を否定した。

 戦争で見れば、結局『カミカゼ』は戦局を変えることができなかった。それは確かだ。

 だが、本当にそれだけなら……全てが無駄だったとしたら。

 このカクテルが生まれることは、決してなかった。


「諸説はありますが【カミカゼ】が生まれたのは、僕の国ではありません。僕の国と戦った、相手国で生まれたんです」


 そう。【カミカゼ】の有名な逸話として、このカクテルは実はアメリカで生まれたというものがある。

 このカクテルの、切れ味の鋭いドライな味わいが、太平洋戦争の最中、信念を持って散って行った『神風特攻隊』を彷彿とさせたからだとか。

 そして、それこそが、俺がカムイさんに宛てたかった、本当の意味だ。


「確かに、戦争だけで見ればその行為は無駄だったかもしれません。ですが、彼らの信念は、彼らの思いは、彼らの『名前』は決して色あせることなく、相手国の中で息づいていたんです。忘れられることなく、刻まれていたんです」


 もちろん、これはただの俺の思い込みだ。

 このカクテルを作った人は、なんとなくで名付けただけかもしれない。

 それでも、確かに刻まれた名前だ。

 バーテンダーという些細な存在の俺ですら、このカクテルと一緒に、その逸話を思い出せる。ただ、覚えていることが、重要なんだ。


「だからカムイさんに【カミカゼ】を作りました。その信念の切っ先が、必ず相手の心に突き刺さるように。そう願いを込めて」


 俺の言葉を、カムイさんはどう受け取ったのだろうか。

 しばらく目を閉じていた後に、ゆったりと、穏やかに言った。


「【カミカゼ】か……なるほど、良い名だな。そうだ、それにしよう」

「……何を、ですか?」


 唐突な展開に、俺は少し理解が追いつかない。

 カムイさんは、そんな俺に説明するように、にっとした笑みを浮かべていた。

 失望も諦めもない、そんな気持ちの良い笑顔だった。


「俺が作るグラスの銘だ。『カミカゼ』のカクテルグラスは一級品、なんて呼ばれる未来が少し見えて来た気がするのさ」

「……それじゃ……!」


 途端、俺の未来にも明るい筋が通った。

 その想像を肯定するように、カムイさんはぐっと拳を突き出した。


「カクテルグラスの作製依頼、是非とも俺に受けさせてくれ」

「よ、よろしくお願いします!」


 俺は、突き出されたカムイさんの拳に、軽く自分の右拳を打つ。

 その後に、俺とカムイさんは二人で、笑い合った。



 カムイさんの置いたグラスの中で、氷が溶けてカランと音を立てた。

 その動きに合わせて、半月の緑の刃が、静かに空を切ったのだった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


投稿が少し遅くなってすみません。

作中の説明は、今までの比では無いほどに作者の主観に寄っています。

ですので、説明というよりは、願望程度に思っていてくださると幸いです。


カクテルグラスの話はあと一話で終わりです。

想像の五倍くらいの長さになっていますが、ええ、あくまで短編でした……


※1217 誤字修正しました。

※0721 誤字修正しました。

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