カクテルグラス(2)
「さ、さすがに、もう」
「ん? 良いのか」
「……うん」
言いながら、スイは繋いでいた手を離した。人通りが多い場所になってきているので、ずっと手を繋いでいるのは恥ずかしいのだろう。
俺はそこに、名残惜しいような気持ちも感じつつ、特に何かを言うことはない。
現在地は、この街にある市場の入り口。どうやら、その和装の女性はここで日用品や食材などを買って行くらしい。
「さて、聞いた話では昼前くらいに来るらしいから、今の時間で丁度だと思うんだけど」
「じゃあ、手分けして探そう」
「分かった」
俺はスイの提案に乗って、このだだっ広い市場を二手に分かれて探すことにする。
「見つかっても、見つからなくても、三十分後にまたこの入り口で」
俺の言葉にスイはコクリと頷き、そして俺は右に、スイは左に、碁盤の目のようになっている市場へ足を踏み入れた。
「改めて見ても、たいした大きさだよなぁ」
俺は月に何度も利用する市場に、改めて感想を漏らした。
何より感心するのはその規模の大きさだ。東京ドーム何個分とかの比喩には縁がない俺ではあるが、それでも一個分以上の広さはあるだろうと思う。
以前は並んでいる生鮮食品の鮮度などが気になっていた。聞いたところでは、どうやら商人が運ぶ荷物に、そのための魔法をかける魔術師がいるらしい。
腐敗防止の魔法とか、冷凍の魔法とか、手法は様々なようだ。
それを聞けば、この海の見当たらない街にも海産物が並ぶのも、まぁ頷けるという話だ。
「とはいっても、そこまで珍しいものが並んでいるってわけでもないけど」
輸送の際の鮮度の問題はそこまで大きくないと理解はした。
だが、それであっても長距離輸送のコストがかかることに違いはない。
それこそ、この世界の輸送手段を考えれば、何日もかけて遠方から特産を運んでくるのはリスクが高い。魔物や盗賊といった存在は、決して無視できない。
だからこの市場には、南国のフルーツだったり、寒冷地の特産品だったり、遠方からの作物が並ぶことはあまりない。
そう、あまりないのだが。
「お、これは……!」
俺は人探しの最中だというのに、その一点に目を止めた。目の前に見知った食品が並んでいたのだ。
「お、兄ちゃん。お目が高いねぇ。こいつが分かるのか?」
やや頭髪の薄い、気のいい中年店主は、俺が気になっていた瓶詰を手に取った。
瓶に詰められているのは、しわしわの小さい果実。
その実は赤紫蘇によって着色され、目に眩しい真っ赤な色合いになっている。
「ええ。これは、梅干しですよね?」
「そうそう! こっから遠く離れたジャポンって国の特産でね。ちょいと縁があるお嬢ちゃんが好きそうだから、仕入れてみたんだよ」
「そうなんですか?」
「ん? 噂をすれば」
今まで気付いていなかった日本的な要素に感心していると、店主は俺の更に後方へと視線をずらした。
釣られて俺も振り返ると、そこには浅葱色の着物を着込んだ若い女性の姿があった。
女性は俺の視線に気がつくと、ペコリと頭を下げる。
その所作に、なんとなくだけど懐かしいものを感じた気がしたのだった。
「すみません。重い荷物を持って頂いて」
俺達を先導していた女性が、いかにもすまなそうな声で言った。
俺はいえいえ、と軽く返してから、手に持った荷物を軽く持ち上げてみせた。
その中には、彼女が購入した卵や加工肉、それに調味料などが入れられている。
「こういうのは男の仕事ですから。それにメグリさんには案内をして貰っているわけですし、そのお礼ですよ」
「そう言っていただけると、少し気が楽ですね」
ふふ、と柔らかい笑みを浮かべて、和装の女性は笑った。
その無邪気な笑顔は、俺はもちろん、同性であるスイすらも虜にするような、ほんわかとしたものであった。
「しかし、この街で同郷の者に会えるとは思っていませんでした」
街から外れた道を歩きながら、和装の女性は本当に嬉しそうな声をあげる。
俺はそこに、やや後ろめたい思いを感じつつ、それほど間違っているわけではないと自分を慰める。
俺の隣を歩いているスイは、そんな俺の心中を知ってか、やや鋭い目で俺を見つめてくるのであった。
出会った露店の前で事情を話すと、女性はすんなりと職人のもとへと案内を買って出てくれた。
スイとの待ち合わせまではやや時間があったので、俺は彼女の買い物を手伝うことにして、ついでに色々と話を進めておいたのだ。
女性の名前は『メグリ・シラユリ』と言った。
その名前を聞いた直後に、俺は思わず『漢字では、どう書くんですか?』と尋ねていた。
その質問を受け、メグリさんは驚いた顔をしながらも、教えてくれた。
『白百合 巡』だと。
そこまで聞いてから、俺は自分の名前、『夕霧 総』を名乗った。
当然のごとく、彼女は俺の出自を勘違いした。
実は全然別の世界から来たのだと弁解する時間は、与えられなかった。まぁ、話のとっかかりにもなるし、丁度良いだろう。
それからスイと合流し、俺達は彼女の案内に従って、だんだんと街の中央から離れて行っているのである。
「しかし、旦那様にご用事とは、珍しいですね」
スイを交えての簡単な自己紹介が終われば、和装の女性は困惑気味の表情を浮かべる。
「そうなんですか? この街でガラス職人となると、希少な存在だと思いますが」
「ええ。そうなんです。ですから、この街ではガラス工芸の評価が低くて。満足に依頼が来ない、と旦那様はいつも嘆いておりますから」
「ああ、そういうことですか」
確かに、この世界でガラス工芸はそれほど一般的には見えない。
文化自体は確かに存在するのだが、まだまだガラスの有用性に目を付けた用品(例えば窓ガラスなど)が、一般庶民の求めるガラスに思える。
安価なガラスの成型法が確立され、それによって瓶やグラスなどが普及した程度の文明では、まだまだガラス工芸は高価な趣味なのだろう。
それこそ、新技法が開発され、芸術として庶民に親しまれる時代になるには、もうしばらく待つ必要があるかもしれない。
もしかしたら、その辺は魔法で一足飛びに発展するかもしれないが、俺は専門家ではないので考察する頭がない。
「でも、俺達が作って欲しいものも、芸術といえばそうかもなんですが、日用品寄りになってしまいますね」
「はぁ。なんでしたっけ? 『カクテルグラス』?」
最初に案内してもらうまでに、軽く伝えたことだ。
俺がどういう職業に就いていて、どういうグラスを求めているのか。
だがメグリさんは、あまりツッコミはせずに、すんなりと笑顔で案内を買って出てくれたのだった。
「はい。俺が作る『カクテル』という飲み物に最も合うグラスを、作って欲しいんです。大丈夫でしょうか?」
それなので、少し確認の意味も込めて俺は尋ねていた。
工芸品ではなく、日用品を依頼するつもりだが、大丈夫なのかと。
改めて言われると、メグリさんは口に手を当てて考える仕草をする。
「……確かに、少し面倒なことになるかもしれませんね」
その深刻そうな声音に、俺は恐る恐る続けて尋ねる。
「やっぱり、日用品を作るのはプライドが許さないとかですか?」
「いえいえ、むしろウチの家計は火の車なので、そんなふざけたことは絶対に言わせませんよ。問題は別のところです」
「別のところ?」
さらっと、工房内ヒエラルキーの一端が垣間見えた気がしたが、それを置いておいて俺は追求する。
メグリさんは、まっすぐに俺を見つめて、さらりと言った。
「旦那様好みの依頼なので、素直に言う事を聞かずに、とんでもない暴走をしてしまう恐れがあります」
「……えっと?」
「へんなことを言い出すかもしれません。きっぱり『ノー』と言って上げてくださいね」
つまり、相手の意見を無視して全力で我を通せということか。
職人相手にそんなことをして大丈夫なのかと一抹の不安を覚えるが、俺は素直に頷いておくことにした。
まだ見ぬ職人へ様々な思いを募らせていると、俺の隣から控えめな声がした。
「少し気になる、んですけど」
「はい?」
基本的に会話に入っていなかったスイが、意を決した様子でメグリさんへと声をかけていた。
突然の行動に、俺は動かず彼女の様子見に徹する。
スイは少しだけ緊張した様子で、聞きにくそうにしながらも、それを言った。
「その、メグリさんは、いったいいくつなの?」
「……あら」
少し開いた口を手で隠すようにしながら、メグリさんは声を漏らした。
だが、確かにそれは俺も少し聞いてみたかったところだった。
この世界、特にこの街では、アジア系の顔は少しだけ目立つ。とはいえ、獣人が居たり、髪の毛がカラフルだったりする世界なので、顔の造形も単一ではない。
少し珍しい顔立ち、程度の認識だろうか。
そして現代でも言えることなのだが、女性は顔だけで年齢の判断は難しい。
それこそ、このメグリさんは、顔だけを見れば十代にも、雰囲気を加味すれば二十代にも見える。
同じアジア系(アジアがあるかは知らない)の俺ですらこうなのだから、スイには彼女の年齢がまったく分からないことだろう。
もしかして、会話に入ってこなかったのは、どういった口調で接するべきかを掴みかねていたからなのかもしれない。
「いくつに見えます?」
メグリさんは、俺とスイを試すように、そう尋ねて来た。
そして、薄く目を細めて、俺達の言葉を待つ。
「夕霧さんは、どう思いますか?」
さらに俺狙いで追撃までかけてきやがったか。
いわゆる厄介な質問というやつである。
だが、俺は迷わない。こうなった時にどう答えるのかは、俺の中では決まっている。
「ずばり二十歳ですね」
「あら? どうして?」
さぁ、来たぞ。
大丈夫だ。こういう時にこそ、今まで培って来た口先が試されるのだ。
「メグリさんはとても若々しくて可愛らしいので、うっかり十代と答えそうになります。ですが、纏う雰囲気が大人っぽくて魅力的ですので、そんなに若いとも思えない。なので間を取って、二十歳くらいかなと」
「ふふ、嬉しいですね。そんなに若く見えますか?」
俺の答えに、メグリさんは目を細めて笑った。
よし、乗り切ったぞ。
大丈夫、俺の今までの経験では、二十歳と言われて怒る女性は少数派だ。
二十歳未満の女性だとしたら、大人っぽいと言われることで気分を良くすることが多い。この年代は意外と背伸びしたがりなので、それでいい。まぁ、バーに来る女性客に二十歳未満は基本的に居ないのだが。
丁度くらいの女性は、素直に当てられたと驚き、嬉しがる。私のことを良く見てくれていると、結構普通に喜んでくれる。
二十歳を少し過ぎたくらいの女性ならば、まだそんなに若く見えるのだと、気を良くしてくれる。ただし、褒める言葉を間違えると、手痛い失敗になるので注意。
明らかに二十歳に見えない女性なら、冗談だと分かりつつも、乗ってくれる。大人の女性の懐の広さに甘える形を取るわけだ。
結論。
女性の年齢を聞かれたら、二十歳と答えるのがだいたい正解。
「それで、ヴェルムットさんは?」
内心でガッツポーズを取っている俺の隣に目を向け、メグリさんが言った。
スイは、じっとメグリさんを見つめ、控えめに告げた。
「二十八くらい」
「あら、どうして?」
「……なんとなく?」
スイは特に無根拠でそんなことを言っていた。
俺はスイに、おいおいと突っ込みを入れる。
「スイ。いくらなんでも、この人が二十八には見えないだろう」
「……そう?」
しかし、スイは自分の発言に、特におかしいと思うところはないようだった。
確かに女性の年齢は分からないというのはある。しかし、流石にこの外見でその年齢は……。
「正解はスイさん。私は今年で二十八になりましたので」
「……へ?」
「……うん」
その答え合わせで、俺は困惑の声を出し、スイは俺に対して少しドヤ顔を見せていた。
俺は一度、スイとメグリさんの顔を交互に見比べてみる。
何故だ。この二人が並んでいても同年代か、一つ違いくらいにしか思えないのに。
「夕霧さんの答えは、とても嬉しかったですけれど。なんでしょうね。少し下心を感じてしまいますね。『ここは少しでも気に入られておきたい』みたいな」
「……精進します」
「でも、嬉しかったのは本当ですよ。ふふ、二十歳と言われるのは、悪い気はしません」
メグリさんに笑顔で嗜められ、俺は少し頭を下げた。
やはり、女性とは俺には理解しきれないものである。
「総、私の勝ちだから、しばらく店で手当たり次第に二十歳って言うの禁止」
「な、なんででしょうか、オーナー」
「君の成長を思ってだよ、バーテンダーくん」
そう言って、スイはやや上機嫌で歩き出す。
確かに、思考停止でその質問を流すことは、俺の成長の妨げになっているかもしれない。
とはいえ、そんなに嬉しそうにすることだろうか。そうやって女性客の機嫌を取ることに、何か不満でもあるのだろうか。
やはり、女性というのは、良く分からないものである。
俺には恐らく、一生理解することはできまい。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
少し遅くなってしまいました。
ガラスについては、少し調べた『にわか知識』しかないので、間違っている点など指摘して頂けると幸いです。
なかなか、調べようと思うとクリティカルな情報が見つからないものですね……




