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異世界転移バーテンダーの『カクテルポーション』  作者: score
第三章 幕間

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変な夢(2)

 ──────



 梅雨が明けるか否かという季節になっていた。

 気温は上昇を続けていて、大学の構内にも薄着の人間が目立ち始める。

 ある場所ではそれが顕著だ。例えば、限られた枚数であれば、裏側が広告であることを条件に無料でコピーができる、生協のコピー機の前。

 機械から出る熱気も相まって、夏並みの気温になっているそこには薄着の人間が集まる。


 俺は人が群れている所には近づくのすら嫌なので、大学からやや離れたところにあるコンビニに陣取って、ノートのコピーをとっていた。

 少しだけ枚数が多いので、誰の目にも憚られず時間が取れる場所が良かったというのもある。何よりも涼しいのが一番良い。

 コンビニの自動ドアが開き、電子的な音とともに熱気と人が店の中へと入ってくる。


「おや、夕霧くんじゃないかい」


 その新しい客は、俺にふと目を留めてそう零した。

 俺はその黒髪の女性が、以前図書室で会話をした女だと思い出した。


「……えっと、名前……」

「おい」

「ああ、鳥須だったっけ」

「まぁ、よろしい」


 俺が名前を思い出すと、鳥須は満足げに頷いた。

 そしてつかつかと俺に近寄ってくると、俺の手元を覗き込む。


「なにコピーしてんの?」

「……ノート」


 俺は彼女の方にはほとんど目をくれず、ぼそっと答えを返す。

 しかし、彼女はその答えが気に食わない様子で、さらに俺に顔を近づける。


「いや、それは見て分かるから、なんの講義のさ?」

「……アルゴリズム序論のノート。友達が寝坊したから、今日の分」

「あー」


 そこまで説明すると、鳥須は訳知り顔でうんうんと頷く。

 ガシャコガシャコと動くコピー機のリズムと合っていて、少しだけおかしかった。


「分かるわ。一限の講義なのに必修っていう、凶悪な組合せなんだよねぇ。かくいう私も思いっきり寝坊ですよ」


 たはは、と笑みを浮かべる鳥須。

 彼女も今日の一限にある講義は取っている筈だから、そういうことだろう。

 しかし、今の時間にコンビニに来る女が、一限に出るつもりがあるとも思えなかった。


「寝坊って、もう昼だぞ。二限も終わってる」

「大学生が昼まで寝てちゃいけない?」

「別に」


 まぁ、俺には関係ない。

 話は終わったと鳥須から目を離し、動きを止めたコピー機から紙の束をつかみ取る。

 そして、それを一揃え、鳥須に向かって差し出した。


「ん? なんぞこれ?」

「今日の分のノート。寝坊だったんだろ。やるよ」

「へ?」


 俺のノートのコピーを戸惑いながら受け取る鳥須。

 彼女は目をパチクリとさせて、俺の行動の真意を問うように見つめてくる。

 俺は説明をするのが恥ずかしくて、ぶっきらぼうに答えた。


「この前の礼」

「この前って?」

「だから、図書館で指摘されたこと。結構、良い評価貰ったから、その礼」

「……ははぁ」


 俺の意図を知ると、途端に鳥須はニヤニヤと面白そうな笑みを浮かべた。

 その表情が少し気に食わなくて、俺は彼女を睨む。


「なんだよ?」

「べっつにー。夕霧くんって、結構可愛いところもあるのねぇ」

「うぜえよ」

「ははは、照れるなってこの」


 鳥須が調子に乗って、つんつんと俺の肩に指を付けてくる。

 人に触られるのは嫌いだ。

 俺は大袈裟に避けるように嫌がりながら、尚も彼女を睨んだ。

 だが、彼女はくくく、と俺の視線を受け流すように喉を鳴らす。


「しかし残念だったね。これではこの前のお礼をしたとは言えないよ」

「は?」

「なぜなら、私は二年目ですからね。この講義のノートはもう完成してるんだよなぁ、これが」


 ひらひらと俺が渡したコピーを振る鳥須。

 俺は自分の行った慣れない思いやりの行動が、途端に恥ずかしくなった。


「っ、なら返せよ」

「嫌だよー。せっかくだから貰ってあげる」

「ふざけんな。必要ないなら良いだろ、コピー代だってただじゃないんだぞ」


 渡したコピーに手を伸ばすが、鳥須はふふっとした笑みを浮かべたまま、ひらひらとその手を躱す。

 そんな行動を繰り返していると、店員の目がだんだんと険しくなる。

 ずっとコピー機の前に陣取っている俺を、さすがにそろそろ疎ましく思っているのかもしれない。


「まぁまぁ、じゃあこうしよう。夕霧くん、今日の放課後は空いてる?」

「今は関係ないだろ」

「良いから答える」


 放課後。

 今日は三限で終わりになってそのあとは、普通に家に帰る予定だった。


「家に帰って、ゲームをやる予定になってる。だから空いてない」

「それを空いてるって言うんじゃない?」


 どうやら鳥須は、ゲームをやる時間を予定と認める気は無い様子だった。

 彼女は、びしっと数字の四を手で作り、俺の目の前に突き出す。


「じゃあ、今日の四時に、生協前に集合ね」

「なんで」

「お礼をしてくれるんでしょう? 一緒に行きたいお店があるんです」

「……なんで俺だよ面倒くさい。別の奴誘えよ。俺は金持ってないぞ」


 なんの思惑があるのか知らないが、面倒なので俺は断ろうとする。

 鳥須は断られると思っていなかったのか、ちょっと動揺していた。


「こ、こんな美人のお姉さんの誘いを断るって、おかしいと思わない?」

「自分で美人とか言う、自意識過剰女の誘いなら断る奴だっているだろ」

「ふ、ふぅん? い、言うねぇ?」


 俺が心底嫌そうな顔で言ってやると、鳥須は納得したように少し頷いた。

 だが、俺の異論は一切認めないといった風に、振り返って俺に背を向ける。

 そして黒い髪をなびかせて、顔だけを俺の方に向け、半眼になって言った。


「来てくれないと、友達に言いふらしちゃおうかな? 夕霧くんは、ノートのコピーを使って女の子をナンパしてくるから気をつけろって」

「なっ! ふ、ふざけんなよ!」

「はははー! 待ってるぞい!」


 そして鳥須は、そのままその場を去──らずに、飲み物のコーナーへと向かった。

 少し悩んだあとに、ミネラルウォーターを購入して、ようやくコンビニに用はなくなった様子だ。

 その間、俺はずっとコピー機の前で、友達の分のコピーを取っていた。

 となると、店を出て行こうと思えば、もう一度俺と接近せざるを得ないということ。


「あ、あのさ。その、さっきの捨て台詞的に、あんまり見られてると格好がつかないんだけどなー」


 鳥須は羞恥で真っ赤になった顔で、俺を少し睨みながら言った。

 俺はさっきの意趣返しも兼ねて、ふん、と鼻で笑ったあとに言ってやった。


「別に。鳥須さんは、コンビニでミネラルウォーターを買うのに、いちいち男を恐喝するんだなーって思ってただけだ」

「くっ! 四時になったら覚えてろよ!」


 鳥須は今度こそ、コンビニをダッシュで抜け出していった。

 俺は一度携帯を開いて時間を確認する。今は十二時二十分。本当に午後四時、この場合は十六時に生協の前に行かないといけないんだろうか。


 頭の中の疑問に答えるものは居ない。

 俺に向けられるのは、店員のさっきよりも鋭い視線と、音を止めたコピー機の画面だけだった。



 ──────



「なんか最近、変な夢を見てる気がするんだ」

「変な夢?」


 俺の隣を歩いていたスイに、ふと俺はそんなことを言っていた。

 今日は日曜日。噂に聞いていたガラス職人の縁者が街に来ている噂の曜日だ。


「なんだか寝覚めが悪いというか、夢を見てる筈なのに内容はまったく覚えてないんだ。そんでちょっとだけ頭痛がするみたいな?」


 恐らく、何かの夢を見ている。それは確信している。

 だが、その内容が思い出せない。まるで心の中に穴が開いていて、その内容がするするとその穴に呑み込まれているようだった。


「ま、覚えてないってことは大した内容でもないと思うけど」

「…………」

「スイ?」


 俺が軽く冗談めかして笑ってみせるが、スイは途端に真剣な表情で押し黙った。

 そして、いきなり俺のおでこに手を当ててきた。


「な、なんだよ?」

「……うん。熱は無いみたい」

「それくらい分かるって」

「……でも、心配。この世界の病とか、どうなるか分からないから」

「スイ……」


 スイが心配してくれていることに、俺はやや感動の声を漏らした。

 スイは俺のおでこから手を離すと、ふむ、と少し思案顔になる。


「ちょっと失礼」


 そして、その後に俺の肩や胸、腰や腹、足といった隅々に手を伸ばして来た。


「な、なんだよ!」

「ちょっと触診。この際だから、魔力の異常とかが体に現れてないか、見てみる」

「……それは、触らないとダメなのか?」

「その方が確実だと思うけど」


 俺は魔力だの魔法だのに関してはさっぱりだが、スイが言うのならそうなのだろう。

 スイが触れてくる箇所にこそばゆいものを感じながら、俺はしばらく棒立ちしていた。


「総は体に触られるのが嫌いなの?」

「嫌いっていうか、なんか恥ずかしいんだよ。こそばゆいし」

「ふーん」


 スイは少し頷いたあと、俺の体に触るのをやめ、じっと俺の目を見つめた。


「じゃあ、例えばだけど、私が手を繋いで欲しいとか言ったら、嫌?」

「……ん?」


 どういう意図の発言だろうか。

 俺は彼女が何を言いたいのか、少しだけ考えた。

 この場合は、俺と手を繋ぎたいという意味で良いのだろう。

 だが、なぜ?


 そこまで思って、俺はふと彼女の家族構成を思い出した。

 確かスイは、幼い頃に母親を亡くしている。

 そして残されたのは、厳格な父親と、もっと幼い妹。

 この歳になるまで、そうやって生きてきたのだ。


 ははーん。なるほどな。


「そういうことなら喜んで。スイお嬢様」

「わっ」


 俺は恭しく彼女の手を取り、そのまま歩き出した。

 スイは少し顔を赤くしつつ、なされるがまま俺に手を引かれる。


「総、なんで急に? お、おかしいでしょ」

「おかしくないさ。こんな美少女の願いを断るほうがおかしいだろ」

「び、美少女って、もう!」


 俺は、はは、と笑いながらスイの手を優しく引いた。

 そう。おそらく彼女は、母親の愛情に飢えているのだろう。

 恐らく、幼いころから今まで、彼女は頼れる存在に優しく手を引いてもらうという状況がなかった。オヤジさんにそんな気遣いが出来るとは、あまり思えない。

 だからこそ、こういう機会に少し憧れているのだ。


 そんな彼女の願いを、俺が汲んであげようじゃないか。

 母親の代わりになるには力不足だろうが、それでも気持ちくらいは味わって貰えたらいい。

 別に、スイが目的もなく俺と手を繋いでみたいとか、思ったわけじゃないだろうし。


「……悔しいけど、ちょっと嬉しい」


 スイは顔を赤くして俯きつつ、そうぼそりと漏らした。


「はは、こんなことで良かったら、いつでも言ってくれって」

「でも、ちょっとむかつく」

「…………」



 スイは言葉ではそう言うが、やっぱりどこか照れくさそうで、嬉しそうだった。

 俺が何か間違えていたとしても、それが彼女のためになっているならそれでもいい。



 この世界に来てからずっと世話になりっぱなしの少女に向けて、そう思った。


※1209 誤字修正しました。

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