変な夢(1)
前回までのあらすじ
ひょんなことから異世界でバーテンダーを続けることになった主人公、夕霧総。
この世界で四大蒸留酒の替わりとなる『ポーション』の研修に、懇意になったポーション屋『ホワイトオーク』へ行くことご希望していた彼だが、問題は自分が居なくなるとバーが回らなくなることであった。
そんなとき、ボロボロの双子が店にやってきて、ここで働かせてくれと頼まれる。総はその二人、フィルとサリーを弟子に取ることになる。
その二人が抱えていた問題もあったが、【ギムレット】でなんとか解決した。
あとは二人が店を回せるようになるのを待つだけ。研修は間近に迫っていた。
今章の注意事項
※この章では、基本的に短編が続きます。一話一話が少し長めです。
※メインストーリーはそれほど進みません。
※主人公の過去を匂わせる話(『変な夢』という副題。つまり今回の話)が入ります。主人公のキャラが大分違いますので、イメージが壊れる恐れがあります。
※タル熟成に取り憑かれている方は、もう少々お待ちいただけると幸いです。
以上が大丈夫でしたら、お付き合いいただけると嬉しいです。
──────
しとしとと、梅雨の雲が大粒の雨を降らせていた。
そんな様子を、窓にちらりと目をやって確認したあと、自分の前に開いているノートパソコンへと視線を向ける。
一年間慣れ親しんだ関数と数字の列が、つらつらと並んでいた。
「随分とつまらなそうな顔だね、君」
そんな声が聞こえたのは、図書館の机で、課題のコードを組んでいる時だった。
だけど、俺はその声に聞き覚えがない。
ということは、俺以外の誰かに話しかけたのか、あるいは人違いだろう。
反応をした場合、前者なら俺が恥ずかしいし、後者なら相手が恥ずかしい。
その後に発生するやり取りも面倒臭いので、ここは無視で良い。
頭の中でそう結論を付け、意図的に反応をせずにいると、
「だから、君だってば」
その女は、ずいと顔を俺の視界に押し込んできた。
ずいぶんと美人だが、やはり俺の知り合いではなさそうだった。
「……人違いですよ」
「いやいや、こんな間近で喋っているのに人違いなわけないでしょ」
「…………そうですか」
女のニヤニヤとした面が少しだけ癇に障るが、それだけだ。
俺はノートパソコンを少しずらして、女を視界から外し、課題の続きに取り組んだ。
「ちょっと、君はなんで私を無視しようとするのかな」
だと言うのに、女はさらに体を伸ばして俺に話しかける。
静かな図書館で、調べ物をしながら授業で出されたプログラムを組みたかったのに、なぜこんな女に絡まれないといけないんだ。
俺はその段に至って、ようやく視線を女へと向け、はっきりと言った。
「さっきからなんなんだよ。俺は課題で忙しいんだ。サークルの勧誘なら俺は二年だから筋違いだ。どっか行けよ」
俺がジロリと女を睨むと、彼女は少しきょとんとした。
そのあとに、やや不機嫌そうに唇を尖らせ、俺に言い返す。
「もしかしてさ、私のこと、覚えてないわけ?」
「……もしかしても何も、初対面だろ?」
「いやいや、私も同じ学科だから。情報工、二年」
言われて、今度は俺の方が少しだけ面食らう。
え、こんな女、居たか?
しかし、少し考えてみても俺の記憶には居ない。いくら人付き合いが少ない方だからって、流石に一年も同じ学科に在籍していれば、顔くらいは見覚えがあるはずだ。
それがないってことは、この女は、何か怪しい勧誘でもする気なのだろう。
「嘘吐くなよ。俺が友達少なそうだからって選んだのかもしれないけど、流石に一年も同じだったら気付く。勧誘ならよそを当たれ」
「……あー。そういう感じね」
はっきりと言うと、女は少しだけ訳知り顔で頷き、その後にぼそりと言った。
「私、あれさ、去年も二年だったんだ」
「ん?」
「留年したの。だから、君とは今年から一緒ってことだよ」
なるほど、そういうことなら、俺の記憶にあまり残っていないのも説明が付く。
とはいえ、あっさりと信じられるわけでも──
「というか、この前の学科飲みで自己紹介したじゃん。私、いきなり友達居ない状態になったからめっちゃ頑張ってたじゃん。覚えてない? 夕霧総くん」
学科飲み。
同じ学科といっても、高校までとは違って大学はクラス単位で動くことはない。当然、高校に比べれば横の広がりは薄いものになりがちだ。
だが、どこにでも顔の広い奴の一人や二人は居る。俺の代にもそういう奴がいて、たまに学科飲みと称して、招集をかけられることがあるのだ。
俺自身は、大して興味はない。しかし、そいつから過去問を貰ったりする手前、あまり無下にもできず、親しい友人を巻き込みつつ参加はしている。
去年までは浪人したりして、成人しているやつらの独壇場だったが、今年からは誕生日が早い奴らも混じって、騒いでいる。
俺も、成人を迎えた一人ではあった。
といっても、あまり楽しいと思えるものでもない。
俺には、酒というものの良さがあまり分からない。
いや、酔っぱらうことの気持ち良さみたいなものは、分からなくはない。
だけど、それだけだ。
あんな無駄に高い飲み物を、美味い美味いとありがたがる気持ちが、いまいち理解できない。
そんな気分で参加しているものだから、ずっと愛想笑いを浮かべているだけで、何か記憶に残っていた試しがないのだ。
「……悪いけど、覚えてない」
「ああ、もう良いよ。分かったよ。君、確かにずっとつまらなそうだったもんね」
「見てたのか?」
「まぁ、というか、逆かな?」
逆?
俺の疑問顔に、女はやや自慢げに宣言した。
「ほら、私って美人だから見られるのが当たり前じゃない? 君は、全く私の方を見なかったから、逆に気になってねぇ」
「…………」
そのしてやったりの顔に、腹が立つ。
確かに美人だけど、性格は最悪だなこいつ。
「あ、今、こいつ性格悪いなとか思ったでしょ? お姉さんには分かったからね」
「……そうか」
「こらそこ、今面倒くさいとか思ったでしょ? そういうの良くないと思うな」
めっ、と指を突きつけて、わざとらしく俺に説教をする女。
つうかうざいな。こいつ。
俺は、はぁとため息を吐いてから、投げやりに答える。
「分かったよ。いや、分かりました、か。一応年上だから」
「そうそう、君は年下なんだから敬意を払い給えよ」
「それで、元先輩はいったい何の用なんですか? いい加減鬱陶しいんで、さっさと要件だけ告げて消えてくれませんか?」
俺がはっきりと告げると、その女はやや苦みばしった表情になる。
だが、彼女は俺のノートパソコンの一点を指差し、言った。
「ここ、『;(セミコロン)』が抜けてる。初歩的すぎて指摘したくなっちゃった」
「……あ」
指摘されたところを見ると、確かに『;』が抜けていた。
通常、C言語でプログラムを作る際には、命令文の最後に『;』を入れる必要がある。
それがないと、ビルドした時にエラーが吐き出されて、どこに問題があるのかを延々と探すことになってしまう。
そんな初歩的なミスを指摘されるまで気付かなかったことで、頬が熱くなった。
だが、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、女はさらに言いたい放題付けたし始めた。
「というか、二年になったんだからそろそろ関数を活用しなさいよ。なんで全部mainで書くのよ。この辺の工程は違う関数にまとめて、呼び出せば良いでしょうが」
「……そういうの、面倒なんですよ」
「しかも、なんでコメント付けないの? 読みにくすぎ。変数も省略しすぎて訳分かんないし、こんなんじゃ自己満足のオナニープログラマーにしかなれないよ?」
「……大きなお世話です」
俺は息を吐いて、ノートパソコンを閉じた。
指摘されるのが嫌だった。昔から、誰かに何かを言われるのが好きじゃなかった。
一人でのめり込める世界が好きで、だからゲームにはまった。
それなのに、そのゲームを作るために、またこうして人に色々と言われないといけないのか。
「ありがとうございました。それじゃあ、後は家でじっくり直しますんで」
「ちょっと待った」
俺が通学に使っているリュックに乱暴にノートパソコンを押し込み、そそくさと去ろうとすると女が俺を呼び止めた。
俺は一応足を止めて女の方を向くと、彼女は自分を指差して尋ねる。
「ねえ夕霧総くん。君は結局、私の名前は覚えてないのよね?」
「……まぁ」
「まぁ、じゃないよまったく。それじゃ、自己紹介くらい聞いていきなよ」
俺が興味なさげに彼女を見ていると、やっぱりどこか偉そうに女は言った。
「私の名前は鳥須伊吹。年上だけど、気軽に伊吹ちゃんとか呼んでくれても良いよ」
「そうですか。分かりました鳥須さん」
「分かってないよね。それともわざとやってんの?」
言いながら、鳥須と名乗った女は呆れた声を上げていた。
その後に、鳥須はわざとっぽく、可愛らしい声で言った。
「今度忘れたりしたら、承知しないから」
──────
太陽の光を強く感じて、俺は目を覚ました。
時間を確認すると、朝の七時過ぎ。いつもは八時前に起きるので、それを考えると少しだけ早起きだ。
その原因を考えてみようとしても、ぱっと浮かんでくるものがない。
季節は夏が終わり、秋の入り口に来ている。少し肌寒くなってきたから、そのせいかもしれない。
「……? なんか、変な夢を見てたような?」
思い出そうとするが、少し頭痛がするだけで何も思い出せない。
俺は頭を切り替えて、布団を畳むことにした。
二度寝するのも悪くはないが、せっかく目が覚めたのなら、目が覚めたなりの行動をするのも悪くない。
バーで働いていたときには、夜明けと共に眠ることもあったのを考えれば、その思考は大分健康的である。気がする。
俺が階下に降りると、既に起きて朝の支度をしていたライと出くわした。
「わっ? 総? どうしたの? 珍しく早起き」
「ま、俺もいつまでも、ライに起こされてるわけにもいかないからな」
まったくの偶然であるのに、俺は少しだけ格好を付けて言ってみる。
すると、ライは面白くなさそうにじーっと俺を睨み、言った。
「へーそう。じゃあ、これからは私が起こしにいかなくても、良いのかなぁ?」
「ごめんなさい、言い過ぎました。起こして下さい」
「よろしい!」
俺がははー、と冗談めかしつつ謝ると、ライもまた即座に機嫌を直した。
そして綻んだライの表情に、俺は自然と笑みを浮かべた。
「あ、丁度良かった。せっかくだから料理手伝ってよ。ちょっと手の込んだもの作っちゃおうかな」
「任せろ」
俺は笑顔でライの頼みを快諾した。
そんな俺の表情を見て、ライはふふ、と嬉しそうに俺の手を引いた。
ライに引きずられる形で、俺も台所へと向かう。
「でも、総って変だよね」
「変?」
色々言われ慣れてはいる俺だが、ライの言葉は少し不思議に思った。
ライは俺の呟きに答える。
「だって、仕事を頼むと、いっつも楽しそうな顔するんだもん」
「……そうか?」
「うん。特に『カクテル』関係はね」
ライに言われると、確かに少しそうなのかもしれない。
だが、なぜと言われても、どうなんだろうか。
上手い返しが浮かばず、冗談ですませることにしてしまった。
「そう。なぜならば私は『酒』の神様に、『酒』の美味しさを世界に広めるという使命を与えられているのです。その使命を果たすことに、どんな苦しみがあると言うのでしょうか?」
「……冗談に聞こえないから、ちょっと怖い」
「……そこは笑ってくれよ」
俺が疲れた声を出すと、ライは「冗談だって」と笑顔で答えた。
そんな彼女につられて、やっぱり俺も自然と笑みを浮かべてしまうのだった。
『ホワイト・オーク』から連絡が来たのはつい最近。
あと一ヶ月ほどで、俺はしばらく、この街を離れることになっている。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
四章に入る前に、少しだけ書きたいことがありまして、
幕間として色々と書かせていただきたく思います。
基本的には、主人公がバーに居ると見えない風景や、出したいカクテルなんかを中心に、十数話程度続く予定(未定)です。
四章までメインストーリーは進みませんが、もう少々お待ちいただけると幸いです。
※1202 誤字修正しました。




