バーテンダーは誰のモノか
少しだけ、朦朧とした意識の中。
確かに、声が聞こえる。
「さぁ、どうしたの? 黙って《頷きなさい》」
ズキン、ズキン。
「《頷け》と言っているのよ?」
ズキン、ズキン。
「何をしているの? 私の《言う事を聞きなさい》」
ズキン。
「良いから、私に《忠誠を誓いなさい》、《愛情を注ぎなさい》……《好きになれと言っているのよ!》」
──────
女性の声が聞こえるが、そんなことよりも頭痛が酷い。
いや、そもそも女性の声など、どうでもいい。
俺の心にそんなものが入り込む余地がない。
余地? 違う。
そんなものに惑わされる、回路が、存在していない。
なぜ?
俺は、彼女を好きになるべきなのではないのか?
そんなはずはない。
俺には存在しない。
意味の分からない自問自答が頭の中で繰り返される。
見当違いの感情に、女性の声がアクセスしている。
怒り。違う。悲しみ。違う。喜び。違う。楽しみ。違う。全部違う。
手当たり次第に感情をなぞる声に、不快感が募る。
やがて、その声は、行き場を失くして、一つの穴に落ちていく。
そこには、何も無いのに。
何も無い、筈なのに。
そこに、誰かが、居た。
「──────、────からね?」
パキン。
寂しげな女性の声が、その何も無い空間に響き、
入り込んでいた声を、粉々に砕いた。
その直後、頭が割れるような強烈な痛みが走った。
──────
「いっつ!」
俺は頭を押さえる。
今まで、何を考えていたんだ?
思い出せない。
目を前に向けると、先程まで話をしていた筈の銀髪の女性が、俺を睨んでいた。
だが、俺の表情に色が戻ったと見てか、楽しげに言葉をかけた。
「ようやく、抵抗を止めたみたいですわね?」
「抵抗、ですか」
ラスクイルは俺の素直な疑問に、なおさらに楽しさを増した様子だ。
そして、少しの溜めを作って、その言葉を告げた。
「さあ。《私のモノになりなさい》」
「お断り致します」
俺の口からは、スルリと言葉が出て来た。
ラスクイルは一瞬、自分が何を言われたのかを理解していないようだった。
ぽかんと口を開け、その後に「え?」と、戸惑いの声を上げた。
「……何かの聞き間違いですわね。もう一度言いいます。《私の誘いを受けなさい》」
「ですから、お断りします」
俺の言葉を受け、ラスクイルは驚愕に顔を歪める。
そのあと、矢継ぎ早に様々な言葉を投げかけてくる。
「嘘でしょう?」
「いえ、嘘ではありません」
「《冗談だと言いなさい》」
「冗談ではありません」
「分かりましたわ。あなたは言葉を裏の意味で使う性質が──」
「残念ながら、ございません」
ラスクイルの縋るような言葉の数々を、一つ一つ否定した。
最初は落ち着いていたラスクイルだが、次第にその表情にイライラが募っているのが分かった。
接客としては失格にも程があるな。と内心で反省しつつ、今はそれを直す気にならない。
「いい加減にしなさい! 黙って《私の言う事に頷けばいいのよ!》
彼女の声が店内に響いた。
それまでは見世物だと思って煽っていた連中も、ここに至っては笑えなくなっていた。
俺は静かに息を吐いたあと、はっきりと告げた。
「ですから。それはできません」
俺の突き放すような言葉を聞いて、ラスクイルはすとんと腰を椅子に降ろした。
信じられないものを見た、とその表情は語っていた。
彼女は、先程の【ギムレット】を一口含み、その後に俺へと尋ねた。
「なぜ、あなたは私の物にならないのかしら?」
何故と言われてもだ。
俺には思い当たる答えが一つしかなかったので、それを答えることにした。
「簡単なことですよ。営業中のバーテンダーは『誰の物にもならない』んです。バーテンダーを口説きたいなら、営業時間外にすべきでしたね」
俺の言葉を聞いて、ラスクイルはぽかんとした顔をして。
それから、大声で笑った。
「あは、あははは! 面白い事を言うんですわね! 本当に、面白いわ! そんな理由だと言うの! あははは!」
ラスクイルの大笑いが店内に響き渡り、
直後には、その声に我を取り戻した客達が、やんややんやと騒ぎ立てた。
「な、なんか分からないけど流石マスターだ!」
「よっ! カクテルバカ!」
「バーテンダーの鑑!」
「唐変木!」
「女の敵!」
「最低のたらし!」
「鈍感クズ野郎!」
「ちょっと待って下さい! 最後の方ただの悪口ですよね!? 謝ってください! バーテンダーに謝ってください!」
俺が大袈裟にリアクションを取ってみれば、それに反応して客達が笑った。
自分が場の雰囲気を盛り上げるのに使われたと、ラスクイルが気付いたころには、酒場の雰囲気は、いつも以上の盛り上がりを見せていた。
「では、ラスクイルさん。先程の話はなかったことに」
俺がその勢いでさりげなく尋ねると、彼女は諦めた表情で、寂しげに笑った。
「……契約は契約ですから、仕方ありませんわね」
「では?」
「ええ。フィルオットとサルティナを、よろしくお願い致しますわ」
俺は今度こそ、小さくガッツポーズをした。
そのあと、感動を分かち合うべく、フィルとサリー、そしてスイへと目を向ける。
「「「────! ──────!」」」
「あら。まだ『黙らせた』ままでしたわね」
その三人は、嬉しそうだけど、文句も言いたげな、そんな複雑な表情であった。
「お待たせしました」
フィルが声をかけ、実の母親へと一杯を差し出した。
グラスの中身は【ジン・トニック】だ。
「それで、こちらは私のです」
フィルに続いて、サリーもまた【ジン・トニック】をそっと出す。
その二杯を見比べて、ラスクイルはほんのりと幸せそうな顔をしている。
今の状況は、文字通り、母が子供の成長を見ようという話である。
彼女は【ギムレット】のあとに【ジン・トニック】を注文した。俺の【ジン・トニック】に頬を緩めたあと、ふと言ったのだ。
『私の子供達は、今どのくらいの物を作れるのかしら』と。
そして急遽、母親からの『カクテルチェック』の時間になった。
おずおずと差し出された二つの【ジン・トニック】を見て、ラスクイルはうんうんと頷いていた。
「ではまず、フィルオットの方から」
言って、彼女は静かにその液体を呑み込んだ。
ふむと頷き、特に感想を言う事も無く、そのままサリーの杯にも手を伸ばす。
ゴクリ、と喉が動き、彼女はうんと頷いた。
「フィルオット、サルティナ」
「「は、はい」」
彼女は、にっこりと、とても優しい声音で告げた。
「十年は気長に待ってあげますから、早く美味しくなりなさい?」
「「…………」」
し、辛辣すぎるだろ。
そこはお世辞でも美味しいとか言うところだろ。
何、笑顔で十年は修行しろとか言ってるんだよ。俺だって十年も修行できてないぞ。
「ですから、バーテンダーさん。よろしくお願い致しますわね」
「……かしこまりました」
俺はかなりの重責を、一身に背負わされた気持ちになる。
だが、そんな母親の目は優しかったので、やっぱり何も言えなかった。
「それでは、ご馳走様でしたわ」
ラスクイルは、兄妹の『カクテル』を飲んだあと、早々に帰ると言った。
閉店間際まで居るのかとも思ったが、兄妹の仕事ぶりを見て満足したのかもしれない。
俺とスイはカウンターの中に入ったまま、兄妹だけが外まで見送るため、カウンターの外へと出ている。
「フィルオット。サルティナ。あなたたちの、これからの行動に期待していますわ。面白いことをするのなら、なるべく早くが良いの」
「はい、お母様」
「私達も、そのつもりですわ」
フィルとサリーの返事を聞き、ラスクイルは満足げに頷いた。
そのあと、思い出したように、スイに視線を向ける。
「それと、スイさんでしたっけ」
「え? はい」
ラスクイルは、スイをちょいちょいと手招きしていた。
スイは警戒心を露にし、その場から動こうとはしない。
「何もしませんわ。ただちょっと、教えてあげたいことがあるだけですのに……」
そう言われて、スイは渋々とラスクイルの方へと向かった。
彼女達が少し距離を取って何かを話している間、俺はフィルとサリーに声をかけた。
「ここで言うのもなんだが、本当に、バーテンダーで良いのか? このあと、やっぱり国に帰りたいとか、言えなくなるぞ?」
そんな俺の心配に、二人は潔い笑顔を浮かべた。
「良いんです。僕達の行いは、決して無駄にはなりません」
「ですから、総さんは安心して、私達に今までどおり接してくださいな」
二人の返事を聞き、俺は少しだけ嬉しくなった。
どうやら【ブラッディ・シーザー】の逸話も、上手くまとまってくれそうな気がした。
俺はわざとらしく笑みを浮かべて、特にサリーに向けて言う。
「それじゃ、これからはもっと厳しくしていくか」
「え? 今までどおりって言ったのに!?」
「はい、向上心が無い。減点二」
「だからその基準はなんですの!?」
サリーとのいつものやり取りを終えると、丁度スイがラスクイルと話し終わったようだった。
そのタイミングを見て、フィルとサリーの二人が、一度俺に礼をした。
「それでは」
「送って参りますわ」
言って、二人は足取りも軽く、母親のもとへと向かう。
彼らの今までの関係がどんなものだったのかは知らないが、今日の一幕で、少しくらいは良いものになってくれたのではないだろうか。
もし『カクテル』がその助けになってくれたのなら。
俺はこの世界にきて、こんなに嬉しいことはないと思うのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
本日四回更新予定の四回目です。
ギリギリ間に合いました。少し推敲が荒いと思います。申し訳ありません。
あと、ここで言うのもなんですが、四回更新とは言っても四話更新とは言ってません。
というわけで、少し思うところがありまして、後半のちょっとした部分を次話に回します。
ここで切っておくと、少しモヤモヤが残り、新たなモヤモヤがなくなるかもしれません。




