【ギムレット】(3)
客の少ない店内に、僅かなざわめきが広がった。
それは恐らく、その女性があまりにも美人だったからだろう。
カウンターに座っているゴンゴラとイベリスも、ほぅと小さく息を吐く。テーブル席にまばらに居るお客さんも、彼女に視線を向けていた。
服装は華やかだが、派手というほどではない。上品な質感が、長く伸びた銀髪と相まって、彼女をより上等な美女へと押し上げている。
女性らしさというものを理解し、それを活かす最善を尽くした姿に見えた。
「……こちらへどうぞ」
俺は、内心の驚愕を表に出さず、努めて冷静に彼女をカウンターへと案内した。
コースターを置いた席は、当然、一番端。
彼女目当てにお客さんが集まっても面倒なので、扉からはなるべく遠くだ。
ラスクイルは店内をキョロキョロと見渡しながら、素直に俺の案内に従い席に着いた。
「……予定よりもお早い到着ですね」
「ええ。よく考えたら、開店してすぐも、客足は少ないだろうと思いまして」
にまりと優しそうな笑みを浮かべながら、彼女は言った。
いや、そりゃそうだけど。
こっちにだって、心の準備とか色々あるだろうが。
俺は内心の呆れを隠し通して、おしぼりを手渡しながら尋ねる。
「お連れ様はいらっしゃいませんか?」
「さすがに私も、怪我人に無理をさせる趣味はありませんわ。下手に人を襲って問題になっても面倒ですし」
撤退のときに相当無理させてたことは、彼女の中では無かったことになったらしい。
とはいえ、そうか。
彼らの治癒能力も下手に使えば『魔力欠乏症』の引き金になる。
自然に魔力が回復するまで、どこかに身を潜めているといった感じか。
「それで、お別れの準備は済みましたの?」
それまで柔らかい雰囲気を纏っていた女性の目が、変わった。
友好的な表情を崩してはいないが、油断すれば、底の見えない穴に引きずり込まれる。そんな気がしてしまう、酷く妖しげな光が見えた。
俺は静かに息を吐き、まずは店としての義務を果たす。
「その件は、ご注文のあとでも宜しいですか?」
「……あら失礼。確かにそれが礼儀ですわね」
ラスクイルは少しだけ恥ずかしそうに、手を口に当てる。
途端に、雰囲気はまた、最初の親しげなものへと変貌していた。
「ご注文ですが、当店の『カクテル』をご説明いたしましょうか?」
「結構ですわ。お話は、聞き及んでおりますの。『ポーション』と色々な飲み物を混ぜ合わせた『お酒』扱いの飲みものですわよね?」
「仰る通りです。それでは、メニューはご覧になりますか?」
「是非、頂けますか?」
俺は直後に、彼女の登場で固まっていた兄妹へと睨むように視線を送った。
あっ、と気付いた二人が、慌ててそれぞれ動き出す。
まず、フィルはさっとカウンター内にあるメニューを手に取り、ラスクイルにそれを広げながら手渡した。
「どうぞ『お客様』」
「あらあら。ふふ、こういうのも新鮮で良いものねぇ」
フィルに対して、面白がるような目を向けるラスクイル。
フィルはその声に、引き攣った笑みを返し、即座に下がる。
続いて、チャーム(手で食べられるおつまみ、お菓子など)を準備したサリーが、失礼しますと言いながら、そっと小皿をカウンターへと乗せる。
「サルティナ。あなた、そんな殊勝な対応ができるようになったの?」
「『お客様』、あまりそういったことは言わないで頂けます?」
「あら? 恥ずかしがっているのかしら?」
「ち、違いますわ」
言いつつ、カチコチとしたぎこちない動きで、サリーもまた後ろに下がる。
……さっきまでの威勢がまるで嘘みたいだな。
俺は少し頭を押さえたくなるのをこらえ、二人にそっと耳打ちした。
「フィル、サリー。あの人は俺が相手をするから、二人に『店を任す』──できるな?」
「「えっ?」」
俺の指示に、二人はさっき以上に緊張したのが分かった。
と、このままでは流石に、言葉が足りないか。
「言っても、いつもと変わらないさ。俺が一人のお客さんにつきっきりなだけで、普通に接客をすればいい。シェイクのカクテルは俺が作る。大丈夫だ」
それだけを告げて、俺は二人の返事を聞かずに目を離した。
突き放すようだが、大丈夫。今はスイも居るし、二人も一ヶ月前とは違う。
少しの間くらい、俺抜きでも対応できてくれないと困る。
なにより、長々と話していては、目の前の銀髪の美女の対応が遅くなる。
ラスクイルは渡されたメニューを眺めていたが、困ったように唇を結んでいる。
「何か気になることがございますか?」
「……そうですわね。一つお聞きしても良いかしら?」
俺が声をかけると、ラスクイルはすぐに目をこちらに向けた。
そのあと、俺を試すように、ひとつの疑問をぶつけてくる。
「昨夜、あなたが放った竜巻の魔法──あれと同じ【ギムレット】という名前の、飲み物があるようですが?」
「……そうですね」
「噂で聞いていた『カクテル』というものは、魔法でしたかしら?」
さっき自分で、飲み物だと聞いたとか言ってただろうが。
俺はその探るような質問に、どう誤魔化したものかと思考する。
ちらっとスイに視線を送ってみると、彼女は話を聞いていたようで、ぶんぶんと首を横に振った。
「申し訳ありません。あれは当店の企業秘密でして」
「あら、教えてはいただけませんの?」
「残念ですが、まだ公開できる段階ではありませんので」
「そう。本当に残念ですわね」
俺がふわりとした否定を返すと、思いの外ラスクイルは素直に引き下がった。
それが少々不気味に感じもしたが、追求すべきこととは思えない。
「それではご注文はどう致します? 好みの味を教えていただければ、こちらでオススメをお作りいたしますが」
「それには及びませんわ。実はもう、決めてありますの」
ラスクイルは、言いながらパタリとメニューを閉じる。
メニューをカウンターに置いて、自由になった右手の人差し指を俺に向け、親指を立てる。
それは、丁度、俺が昨日使った『銃』の形と、同じになった。
「あの緑の光──【ギムレット】を、お願い致しますわ」
「かしこまりました」
やはりそうきたか。
俺は、想定通りの注文に、少しだけほっとした。
得体の知れない相手だが、俺の想定が当たる程度には、思考回路は異なってはいない。
人はどうしても、見知った名前があるとそちらに注意を向ける傾向がある。
そして、彼女の現れたタイミング的に、その現象を目撃していてもおかしくない。
【ギムレット】の名前を聞いた者は、あの場に何人も居たのだ。名前を知っていてもおかしくはない。
興味を持って、注文する可能性は高いと考えていた。
「お作りする前に、少々お聞きしても宜しいですか?」
「なにかしら?」
想定通りと言えど、ここから先は、未知数だ。
俺は、ふぅ、と心を落ち着けながら、ラスクイルへ質問した。
「お客様は、お酒は『甘いもの』と『辛いもの』どちらがお好きですか?」
俺の質問に、ラスクイルはピタリと動きを止める。
彼女はじっと、俺の心中を探るように、目を覗き込んでくる。
「どうして、それを聞くのかしら?」
「いえ、こちらのカクテルは少々『辛め』ですので。お好みに合わせるためにも、その質問は必要かと思いまして」
「……そう」
静かに呟いたあと、ラスクイルは面白そうに唇を歪めた。
「お任せするわ。あなたが思うまま、私に合わせて下さいます?」
そして、にっこりとした笑みを浮かべたまま、その全てを俺に託す。
結局ヒントは貰えなかった。
口からは、だが
「かしこまりました。少々お待ちください」
俺は丁寧に腰を折り、急ぎ足で作業に向かった。
ヒントは充分だ。俺は決して言葉だけを聞きたかったのではない。
この質問に対する、彼女の反応を見ていたというのが近い。
年齢不詳の相手、俺の常識が通じない相手。
そんな相手だ。見た目通りのイメージで味を決めつけるのは早計だろう。
だが、話をして、反応を見て、そして感じることには、見ため以上の情報がある。
彼女は、少なくともこの場では、女性らしく楽しげに振る舞っている。そこに、演技の色は見えない。
つまり、彼女は今の段階では、極めて自然体であると考えられる。少なくとも、この場で趣味を偽る必然性は感じていないだろう。
それならば、味付けの基準を変に捻るのはやめよう。
彼女の為に俺が作るべきなのは、甘口の【ギムレット】だ。
俺は作業台の前に立ち、即座にカクテル作成に取りかかる。
まずは、基本の準備だ。
カウンターに並べてあったシェイカーを一つ、作業台の上に乗せる。
液体を入れる『ボディ』を真ん中に、その左に穴の開いた蓋である『ストレーナー』、右に密閉する蓋となる『トップ』というのが俺の置き方だ。
その後に、グラスを手に取る。
いい加減カクテルグラスもなんとかしなければ、と思いつつ、手に取るのは口の広がった背の低いグラス。
それを清潔な布で一拭きし、しゃがんでコールドテーブルの冷凍庫側の扉を開ける。
氷と『ジン』──『ジーニ』のボトルを取り出し、入れ違いでグラスを中に。
それらをコールドテーブルの平面に置き、次は冷蔵庫側から『ライムジュース』を取り出した。
「あれ?」
俺の作業を見ていたらしい、イベリスの声が、ふっと耳に届いた。
彼女は良く俺の作業を見ているから気付いたのだろう。
今取り出した『ライムジュース』の色が、普段使っているものと違うことに。
そう。これこそが昨日、ヴェルムット家の協力もあって完成した『コーディアル・ライムジュース』なのだ。
透明な瓶の中で、薄い緑色の液体が入ったボトルもコールドテーブルに並べ、ライムの果実を果物籠から手に取った。
まず、ライムを縦に両断する。半分からさらに三分の一をカットし、先端と中央の白い部分を切除。
軽く果肉に切り込みを入れて、果汁を計量器具であるメジャーカップに注ぎ込む。
ここでレシピの確認をしておきたい。
通常の【ギムレット】のレシピは、前にも作った通り『ジーニ45ml』に『ライム15ml』、そして『シロップ1tsp』である。
だが、今回作る【ギムレット】は、それとは異なるレシピとなっている。
俺は『コーディアル・ライムジュース』を、メジャーカップに注いでいく。
それもたっぷり『30ml』を。
メジャーカップから溢れそうなそれを、テキパキとシェイカーの中へと注ぎこむ。
その後に『ジーニ』もまた30ml計り入れた。
普通の【ギムレット】に入れる『シロップ』に関しては、今回は必要ない。
材料は『ジーニ』と『ライム』のハーフアンドハーフ。
これで全てだ。
バースプーンで軽くかき混ぜ、味を見る。
爽やかな酸味と、適度な『甘さ』が融合した、丁度良い塩梅だ。
滑らかな動作で、雫を立てないように氷を詰めて、準備は完了。
俺はシェイカーに蓋をして、まな板にここんと打ちつけきつく締める。
その後に、静かにシェイクへと移った。
指先から感じる最初の感覚では、通常レシピよりもほんの僅かに温度が高い。
冷凍庫に入っていた『ジーニ』の総量が減っているのだから、当たり前ではある。
だからこそ、氷を無闇に溶かしてしまわないよう注意しながら、俺はシェイカーを振る。
手首の柔らかなスナップで、前後に。
右肘の大胆な動きで、上下に。
それでいて、周りからどう見えているのかを意識し、シェイカーの動きをぶれさせることはない。
聞こえる音は、氷の踊る音。
たった数十センチの空間で、幾多もの分子が混ざり合う。
音が教えるのは、氷の位置だけではない。液体に空気が混ざる音、氷が砕けて液体に揉まれる音。
それらは幾重にも重なり、一つの音楽のように、カクテルを作り上げていく。
手に伝わる感触が、カクテルの完成を教えてくれる頃合いになって、俺はそっと動きを止めた。
俺は急いで冷凍庫からグラスを取り出し、早歩きでラスクイルの前まで向かう。
失礼します、と一声かけて、コースターの上にグラスを置いた。
その後、シェイカーの蓋を開け、中身の液体をグラスへと移し替えていく。
冷やされてとろりとした、薄緑色の液体がグラスを満たしたところで、シェイカーを切る。
カランと氷の踊る心地よい音がシェイカーから響いて、完成だ。
「お待たせしました。【ギムレット】です」
差し出したグラスから、ラスクイルへと視線を移す。
するとどうだろう。
銀髪の美人は、俺が思ったよりもずっと、キラキラした目でグラスを見つめていた。
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今日は四回更新して、三章完結までいく予定です。
その一回目の更新です。ここからずっと一話に詰め込み気味になります……
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※1108 表現を少し修正しました。
※1109 誤字修正しました。




