一杯のため
「……ふぅ」
カウンターの中に立って、俺はヴィオラと騎士たち、そんな彼らに守られるように出て行く兄妹の背を見送った。
今日は用心のためもあって、騎士団の方で宿を取り、警護をしてくれるらしい。
まぁ、二人の素性が知れた以上、今まで通り一般家庭の地下室に、というわけにもいかないのだろう。
二人は最後まで不安の色を残したままだった。
だが、これ以上彼らを安心させることも、俺には出来そうになかった。
「さてと、俺も動くかな」
独り言のように言ってから、俺は一度大きく背を伸ばした。
時間は午前二時前くらいか。
この世界に来てからはその時間には布団の中ということも多かった。だが、もともと働いていたショットバーでなら、まだまだ営業時間だ。
明日の為にも、ここで眠ってしまうわけにはいかない。
話し合いは終わった。
というよりも、最後に俺が出した結論に、これ以上話し合う余地は残っていない。
バーテンダーは、相手を知ってから、初めてカクテルを作れる。
一度相対しただけ、話を聞いただけ、そんな状態で誰かの為のカクテルをというのは、少しだけうぬぼれが過ぎると思う。
だから、今の俺に出来ることは、そのための準備をすることだ。
「あんな啖呵切っちゃって、本当に大丈夫?」
カウンターに座ったスイが、心配そうに俺に声をかけてきた。
「『バーテンダーなら、一つの言葉じゃなく、一つのカクテルで納得させてみせる』だなんて、カクテル馬鹿すぎるよねー」
「というか、そもそもカクテルを知らない人間に通じるのかって話だな」
さらに、隣に座っているのは赤い髪の毛の妹と、その美人姉妹の父親だ。
俺が明日の為の準備をしたいと言ったら、その手伝いに残ると言ってくれたのだ。
とはいえ、その散々な言い様に、本当に手伝いに残ったのか不安になる。
「……とか言いながら、みんなだって、俺を信じてくれたんじゃないんですかね?」
「あれ以上話をしても穏やかな解決は出来なさそう」
「だったら、総の妄言に乗ってみるのもありかなってねー」
「俺は信じたわけじゃねぇ。成り行きに任せることにしてるだけだ」
淡々と話すスイ。笑顔でやや辛辣なライ。そしてそっぽを向きながらのオヤジさん。
まったく、このヴェルムット家の人間は、どうしてこう、バラバラなんだ。
そのくせ、本当は吸血鬼兄妹の力になってあげたいと、思っているだろうに。
いいか。手伝ってくれると言ったのだから、とことん付き合って貰おうじゃないか。
「それじゃ、準備を始めますか」
俺は言いながら、一つの果実を取り出した。
その仕草に怪訝な表情を浮かべ、スイが尋ねる。
「そういえば、そもそも準備って何をするの? 自慢じゃないけど、この店ほど『リキュールポーション』が揃ってる店はないと思うけど」
「ああ。というか、そんなものがある店は、ここくらいだろうな」
リキュールポーションという名前自体が、俺が付けたものだ。
この世界に存在している薬草系の魔草ポーション。スイの理論から生み出された果実系のフルーツポーション。それらを総称して、リキュールポーション。
加えて、カクテルを彩るジュース類や炭酸飲料。
この店は、はっきり言ってこの国の飲み物の最先端を行っている自信すらある。
だが、俺はもう一つだけ、生み出しておきたいものがあった。
これは勝手な推測であるが、あの状況を見たラスクイルだからこそ、頼むカクテルがあるのではないかと、思っているのだ。
そして、そのカクテルが、最初の一杯になるのだとしたら。
その一杯で失敗をするわけには、いかないのだ。
「とにかく、まずはこの『ライムジュース』を、なんとか形にするところからだ」
俺は言いながら、先程取り出した果実──ライムの緑色の実を握った。
「……ちょっと、休憩」
「……わたしもー」
何杯目かの『カクテル』を飲んだあと、スイとライの美人姉妹はそろって言った。
普段は無表情なスイは頬を赤くし、ライは対照的に少し目をとろんとさせている。
「ほら、チェイサー」
「どうも」
「ありがとー」
渡した水を、一言礼をしてから受け取り、一気に飲み干す。
だが、体に循環している魔力の昂りは、すぐには収まらない様子だった。
「少し、夜風に当たってくるね」
「おい、危ないぞ」
今にもフラフラと、どこかに行ってしまいそうなスイに声をかける。
だが、少しだけ酔いの回ったスイは、俺の一言に無邪気な笑みを返した。
「心配してくれてありがと。でも大丈夫なんだからねー」
「……お、おう」
その常とは違う柔らかな笑みを見ると、流石に色々と感想が浮かんでくる。
可愛いとストレートに表現するには、少し複雑。例えるならラムのような、甘さの中に潜む熱い心というか、ギャップがより一層引き立てるというか。
俺はそんな彼女の表情に、芸術品のような赴きすら感じた。
「お姉ちゃんは心配して、私は心配しないのかー」
そんな感想を抱いていると、スイの横から顔を出したライが、俺をじとっと睨んでいた。
俺はいやいや、と手で否定しつつ、笑顔で答える。
「そんなことない。むしろライの方が心配だよ。か弱い女の子なんだし」
「か弱い女の子とか言うなー」
「……強い女の子だけど、酔えば隙ができるだろうし……」
「女の子に向かって強いとはなんだー」
じゃあなんて言えば良いっていうんだよ。
いかんいかん。酔っぱらっている女性に向かって苛ついてはいけない。
なによりライは、不機嫌な顔をしているわけでもない。ここは冷静に、思ったことでも言えばいい。
「俺はライのこと大切な妹みたいに思ってる。心配するのは当たり前だろ」
俺は少しだけ真剣な表情で言った。
次の瞬間、スイとライが二人して、何か驚愕の表情を浮かべ、恥ずかしそうに視線を逸らした。
……正解だったかな?
「黙って聞いてりゃ! 誰がてめえの義妹だこらぁ!」
直後、隣で沈黙していたオヤジさんが、爆発した。
オヤジさんはあれか、俺が家族に入り込もうとしているって捉えたのか!
失敗だった。これは失敗だった!
「ち、違いますって! いや、違わないんですけど妹みたいに可愛いってだけです! 変な意味で言ったわけじゃ──」
「あぁ!? うちの娘にゃあ、女としての魅力がないってぇのか!?」
「言ってない! そんなことは言ってないです! 二人ともとても魅力的で──」
「てめぇ! やっぱり狙ってやがったのかごらぁ!」
あー。話通じないなこれ。
俺は仕方なく、酔っぱらったオヤジさんの怒声を甘んじて受け入れることにした。
これは、手伝ってくれるという言葉を聞いて、無計画に飲ませた俺の失敗である。
ふと視線を横にやると、その場からそそくさと退散しようとしている姉妹の、後ろ姿だけが見えた。
「でだ。お前はどうして、こんなに沢山『カクテル』を試作してるんだ?」
言いたい事を言い終わって、スッキリしたらしいオヤジさんが尋ねる。
流しでは、俺が明日の為にと作ったグラスが、いくつも空になっていた。
だが、俺が今作っているのは、厳密には『カクテル』ではない。
カクテルに合わせるための『ジュース』の方である。
「……もちろん、フィルとサリーを引き止めるためですよ。せっかく一ヶ月も面倒を見たのに、ここでお別れだなんて」
「本当にそれだけ、ってわけじゃないだろ?」
オヤジさんの言葉に、俺はグラスを洗っていた手が一瞬だけ止まった。
なんとなくだが、オヤジさんの前で隠し事はできない、そんな気がしてしまう。
「フィルとサリーはああ言ってましたけど、本当にそうなんですかね?」
「……母親の話か。二人の事情なんてどうでも良くて、自分が気に入らないから迎えに来たって」
「はい」
二人は自分たちの母親のことを、確かにそう言っていた。
自己中で、自分勝手で、無責任だと。
確かに俺も殺されかけたわけだし、手放しに信用はできない。
とはいえ、本当にそれだけで、自分の子供達をあどこまで強引に連れ戻しに来るものだろうか。
「今日、彼女が引いた理由が観光ってのは、やっぱりちょっとおかしいですよね。我がままだって言うなら、観光なんか二人を確保してからでも出来ますから」
「だろうなぁ。それこそ、後顧の憂い無くってやつだ」
兄妹は言っていた。観光でもしたくなったのだろうと。
だが、そこまで我がまま放題の人間が、そんな理由で一日の猶予を置くだろうか。
俺たちに状況説明の時間を与え、二人のことを理解する機会をくれるだろうか。
「本当は、あの人はフィルとサリーに『お別れを言う時間』を与えたんじゃないですか?」
俺としては、そっちの方がしっくりと来た。
そこまで自分勝手なら、俺たちに気を使うことはあるまい。部下の命を絶たせてまで、俺たちに義理を通すこともない。
人間の加勢が増えたから、分が悪くなったから引いた。
それでも良いが、もともとの身分を考慮すれば、事件を大きくしないために、わざと大人しく引いてくれたとも考えられる。
「だけど。そんな判断ができるのなら、最初から外交ルートなりなんなりを使って、穏便に交渉することだって、できたんじゃないかなって」
「……つまり、お前はこう言いたいわけだ」
俺の中の言葉にしきれないモヤモヤを、オヤジさんが言葉に変えた。
「そんな判断もできないほど、二人のことを心配して探していた、ってな」
「……多分、そんな感じです」
言いながら、俺は洗い物を片付け、再び作業台の前に立った。
もちろん、二人の言い分が全く正しい可能性はある。
あんな手段を取ったのは、自分がそうしたいから。
寸前で騎士団が駆けつけ、問題になるのを面倒に思ったから引いた。
全ては自分勝手な行動の結果だというのも、充分に有り得るのだろう。
「俺は、相手のことをやっぱり良くは知りません」
「ああ。一言二言で分かりゃ、苦労はしねえ」
「でも、だからこそ、相手を悪だと決めつけちゃ、いけないと思うんです」
俺は、新しい『ライムジュース』を、軽く舐める。
酸味の中に混じった仄かな甘みが、俺の舌を心地よく滑った。
「俺は明日、フィルとサリーの為の『カクテル』を作るんじゃなくて、目の前の人のための『カクテル』を作らないといけないんです』
そのために、俺は今必死になってライムジュースを作っている。
その場でシロップを混ぜるのは確かに一つのあり方だ。
だが、そのカクテルを真剣に相手に合わせるのなら、出来る内に用意しておくべきだ。
この【ギムレット】に合わせるための『コーディアル・ライムジュース』を。
「お前の意見に賛成するわけじゃないがな」
オヤジさんは、空になったグラスをわざとらしく傾け、顔が見えないようにしながら言う。
「少なくとも、子供が心配じゃない親ってのは、よっぽどだと思うぜ」
言ってから、オヤジさんは何事も無かったかのように、グラスをカウンターに置いた。
俺は、少しだけ苦笑いをする。
別に、俺に言うんだったら、子供達の前でもないんだし格好付けることもないのに。
「そうですよね。だから、明日はあの『お母さん』に【ギムレット】をお出しするんです」
「ん? どういう意味だ?」
心の中で引っかかっていた少しのわだかまりを解消された気がして、俺は笑う。
そんな小説の中のお話にあやかるのはどうかと思う。まして、この世界にはそんな小説は存在しない。
それでも、ちょっとだけ格好つけて俺はオヤジさんに言ってみた。
「あの二人、フィルとサリーは『【ギムレット】には早すぎる』から。お母さんの方に【ギムレット】を出させて貰います」
案の定、オヤジさんはぽかんとした表情で、俺の言葉に首を傾げた。
酒好きの間では有名な台詞だ。
レイモンド・チャンドラー作の『長いお別れ』という小説の台詞。
その小説では【ギムレット】は、ある種『お別れ』の暗喩で使われるカクテルらしい。
だから、思う。
二人は、ようやくこの店に馴染んで来たところなのだ。
お別れには、まだ早すぎる。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
少し推敲が荒いかもしれません。
この先の予定ですが、明日投稿し、三日後の土曜日に複数投稿で三章完結できたらと思っております。
何話投稿かはまだ未定ですが、できたら三話か四話ほどです。
よろしければご覧になってください。
※1105 あとがき、少し修正しました……三章完結です……
※1105 誤字修正しました。




