ひとまずの決着
「それで、あなたの名前をお聞きしても?」
突如現れた銀髪の女性、ラスクイルの声に、俺は丁寧に応じることにした。
「自分は夕霧総です。今は一応、この二人の師匠で、保護者みたいなものですよ」
「あらそう。二人が世話になったのね。感謝しますわ」
その見る者を虜にするような笑みに、俺も負けじと笑みを返す。
そんな俺たちの間に、青髪の少女もすっと入り込んでくる。
「それで私は、スイ・ヴェルムット。この総の保護者は私ですので」
「……そう」
まぁ、確かにスイに保護されてはいるのだが、その言い方は少し引っかかるな。
しかし、それ以上に引っかかったのはラスクイルの反応だった。彼女はスイを一瞥すると、最初は注意深く目を細め、すぐに興味無さそうに視線を緩めた。
「さて、私の部下たちが随分と迷惑をかけたみたいねぇ」
「迷惑なんて言い方では、自分の気が済まない程度には、ですね」
「素直に、申し訳ないわ」
ラスクイルは言いながら、あまりにあっさりと頭を下げた。
その行動に、俺よりも、跪いていたトリアスが反応する。
「奥様! あなた様が頭を下げるなど!」
「黙れと言ったのよトリアス」
「し、しかし」
女主人に嗜められるが、それでも食い下がるようにするトリアス。
そんな彼に、ラスクイルは空気が冷え込むような、温度のない声で告げた。
「三度は言わないわよ?」
瞬間、トリアスが縮こまる。ぐっと拳を握りしめ、口を引き結んでそれきり何も言わなくなった。
その様子に満足したのか、ラスクイルはまた、優しげな笑みを見せる。
「忠実すぎて、少し融通の利かない部下でごめんなさいね」
「……まあ良いですよ。それで、責任はどう取って下さるおつもりで?」
俺は言ってから、腰にさげている銃を右手で強く握りしめた。
相手の意図は、読めない。彼女もまた、こちらに思考を探らせないタイプらしい。
表情通りに考えれば、いかにも機嫌が良さそうに見えるが、それで良い筈がない。
相手は、困った、と頬に手をあててから、静かに言った。
「いったん、この場は収めませんこと?」
「……というと?」
この場を収める。つまり、一時的に戦いを無かったことにしようということか。
「どうにも、あなたはその子達が何者なのか、知らないそうじゃない? でしたら、一度詳しい説明を聞いて、それから、身の振り方を決めていただくほうがよろしいかと」
ラスクイルの言うことは、確かにその通りだ。
俺は二人の事情を知らないし、逃走したのも、それが原因のところも大きい。
戦闘前であれば、その提案に一も二もなく飛びついていたことだろう。
だが、今は少しだけ事情が違う。
「それは良いんですが……この場はそういうことにしておいて、後で闇討ち、なんて考えじゃないですよね? このタイミングで戦闘すれば、どちらが勝つのかは自明の理です」
そう。今条件を提示できる立場に居るのは、あくまで俺たちのはずだ。
こちらは先程まで一方的に殺されかけ、その状況をからくも脱したところ。相手に回復の時間を与えるのは、せっかく作ったこの場の有利を手放すのと同義だ。
正直言って、先程と同じような作戦が、二度も通じるとは思えない。
できるなら、有利な状況で話を進めたいと、誰でも思うだろう。
「……そうねぇ」
相手も、俺が考えていることくらいは伝わったようだった。
女性は少しだけ考え込み、それからポン、と手を叩いた。
「ではこうしましょう。あなたに危害を加えた責任を取らせて、トリアスを自害させます。それで手打ちということでどうかしら?」
「は?」
一瞬、何を言っているのか理解できなくて、素で疑問の声が出た。
ラスクイルの顔は、相変わらずニコニコと笑顔で、それなのに冗談の気配が一切ない。
つまり、先程の提案は全て本心という──。
「分かりましたね、トリアス。《自害なさい》」
「ご命令とあらば」
俺の理解が追いつく前に、トリアスは立ちあがり、自らの首に手刀を落とそうと手を振り上げた。
俺は呆気に取られて、何も言えない。
本当に、自害するつもりなのか? え?
「やめて!」
俺の隣から、焦ったような声が響いた。
見れば、スイが血相を変えて、必死にその行為に異を挟んでいた。
ラスクイルは手を上げ、トリアスの動きを止める。
「あら? どうしたのかしら? こうでもしないと、私たちの言葉が本心だと伝わらないのではなくて?」
あくまでも穏やかな表情で答える銀髪の女性。その段階で、ようやく俺の脳にまで状況が伝わってきた。
スイに続くように、俺も慌てて言葉を放つ。
「分かりましたから! あなた方が、もうこちらを襲う意志がないんでしたらそれで結構です! だから、そういうのはやめてください!」
俺の真剣な言葉に、ラスクイルはきょとんとしたあと、ふむと頷き、言った。
「トリアス。先程の命令は取り消します」
トリアスは何を思っているのか、命令されてからずっと無表情のままである。
だが、振り上げていた手を降ろし、また主人に跪く体勢に戻った。
その段階になって俺はようやく胸をなで下ろす。女性はこっちの気持ちを知ってか知らずか、何事もなかったかのように、話を続けた。
「では、そうですね。明日──いえ、もう今日かしら。今日の夜、返事を伺いに参ります。それまでに存分に考えをまとめていただければ」
「……話し合いの場所はどこですか?」
「確か『イージーズ』というお名前でしたか?」
尋ねるような口調ではあるが、確信があるのだろう。
俺は、見つかってはいけない何かに、心臓を掴まれた気分で頷く。
「はい。閉店は十二時ですので、そのあたりなら、客足も少ないと思いますよ」
「では、その時間帯にさせて頂きますね」
女性はそこで、優雅に身に纏っていたドレスを広げて礼をする。
そのあと、俺に向けていた優しげな表情を壊して、冷徹な女王の顔で、告げた。
「さて、あなたたち。主人が来たというのにいつまで寝ているつもりなのかしら? 《起きなさい》」
女性の声が、月明かりの中で波紋のように広がった。
直後、今まで動くことも出来ずに呻いていた執事やメイドたちが、苦しそうにしながらも一様に立ち上がった。
そして彼らは、一挙手一投足乱れぬように整列し、女性の背後に回った。
「では、ごきげんよう」
その言葉のあと、彼女らの周りが、急激にモヤのように霞む。
それは次第に人の輪郭を包み込み、夜の闇に溶けていく。
気付いたときには、その姿は俺には見えなくなっていた。
「……っぁあー」
女性達が消えると同時に、いままで張り詰めていた緊張が緩む。
はっきり言って、戦闘しているときよりもよほど辛かった。少しでも気を抜けば、心ごとどこかに持っていかれてしまいそうな気分だった。
「…………良かった。なにもなくて」
「…………行って、くれましたわね」
緊張が解けたのは、兄妹もまた同様だったらしい。
この中では、唯一スイだけが、涼しげな顔でラスクイルと相対していた。
彼女は、肩の力を抜いた俺に向かって、心配するように声をかける。
「大丈夫?」
「ああ。初めてバーに立った日と同じくらい緊張したよ」
「比較対象の選び方に、余裕があるんだけど」
俺の感想に、スイが呆れたような笑みを見せる。
そのくらいになって、遠くからドタドタとした足音が聞こえて来た。
恐らく、ライとオヤジさんが呼びに言ってくれた、騎士団の面々が到着したのだろう。
目を凝らせば、一団の先頭を見知った黒髪の女性が走っているのが、辛うじて分かった。
「総! それに二人とも! 無事か!?」
辿り着いてから開口一番、ヴィオラが俺や兄妹の心配をする。
俺は手を振って何も無いと返事をしてから、素直に礼を言った。
「悪いな、こんな夜中に。そもそも、今日は非番だったろうに」
「構わないさ。それよりもすまない。我々騎士団が、君達市民を守れず、遅れて到着する羽目になってしまって」
ヴィオラは済まなそうに、俺と兄妹に頭を下げる。
「いえ、もとはと言えば僕達が持ち込んでしまった問題です」
「あなた方にご迷惑をおかけして、申し訳ありませんわ」
二人は礼儀正しく腰を折り、ヴィオラを含めた騎士団の面々に謝った。
その作法は、俺が教えたバーテンダーのそれとは異なって見えた。
事実、受けた側のヴィオラも、少し面食らっている様子だ。
「……で、私には何か言うことはないの?」
その段になって、ただ一人ヴィオラに心配されなかったスイが、すっと目を細める。
対するヴィオラは、ふっと小馬鹿にしたような目で、言った。
「ああ、最後にスイ。問題を大きくしてないか?」
「してない。というか違う。善良な市民に対する心配は?」
「お前に関しては、周りの被害のほうが心配だ」
「失礼」
スイがむすっと唇を尖らせると、ヴィオラはようやく冗談だと言う。
そして通り一遍の心配の言葉をかけて、何もないのを確認し、少し息を吐いていた。
「で、この惨状を説明してもらうことは、できるだろうな?」
落ち着いたところで、ヴィオラはようやく戦闘の跡について尋ねた。
まぁ、あれだ。吸血鬼たちがフルパワーで地面を踏みしめたり、風の魔法が地面を蹂躙したりしたのだ。綺麗な石畳の道が、ところどころ悲惨なことになっていた。
「私はこれから、いったい誰にこの修繕費を請求すれば……」
「積もる話は違うところで、な!」
どよんと沈みかけたヴィオラに、無難な声をかけて誤魔化す。
それでは、どこで話をするのかだが。
ヴィオラ曰く、詳しい話をするために、ライとオヤジさんに『イージーズ』を開けてもらっているそうだ。
ひとまず、店まで戻ることに決めて、俺たちは歩き出すことにする。
騎士団の中で付いてくるのはヴィオラ他数人で、他の者達は被害の確認と、周辺の警護にあたるようだ。
「……そういえば、総」
「ん?」
『イージーズ』に向かう道すがら、俺の隣を歩いていたスイが、言いにくそうにしながらそんな言葉を切り出した。
俺が彼女に視線を向けると、青い髪の少女は珍しく真剣な顔で、言った。
「さっきは、ごめんなさい」
そして、きっぱりと頭を下げた。
さっき、と言われて少し考える。一体何の事だ。
それから数秒して、ようやく思い至った。先程の給料の話だろう。
「ん……じゃあ、カットは無しだな?」
「うん。本当にごめんなさい。私は確かに、ズルいことをしました」
ズルいこと、か。
オヤジさんに叱られていた内容は、確かそうだったな。
オーナーの立場を利用するような、そういうやり方は止めろと。
「いや、俺もまぁ、冗談だと勝手に思ってたし。別に良いよ」
俺は必死に頭を下げるスイに、困り顔を返す。
確かに少し腹は立ったが、こんな風に謝られたら、根に持つほどでもない。
俺の言葉を聞いたスイは、ほっと胸をなで下ろした様子を見せた。
「……お父さんに言われた。ここで謝らないと、総がどこかに行っちゃうって」
「……いや、まぁ。一回や二回じゃそんなこと考えないけど」
俺はその言葉には、苦い顔しかできない。
そんなことで出て行ったりしない、と言いたいところではある。
だが、意味も分からないまま、繰り返し給料を減らされたりしたら、流石に思うことはあるだろう。
そう、そもそもの問題は、スイがなぜ怒ったかなのだろうな。
「それで。私も総に言って欲しいことがあるんだけど」
そんな風に考えていると、スイが刺すような視線で俺を見つめ、言った。
彼女はぎゅっと俺の手を掴み、それを強引に自分の頭に持ってくる。
俺がその行為を不思議に思っていると、彼女は強い声で告げた。
「頭を撫でながら、ごめんって謝って」
……………………。
「……俺の方こそ、ごめん」
「うん。許す」
俺はいった何を許されたのか。
咄嗟に『恋人と喧嘩をした後の仲直り』風に対応してしまったが、正解だろうか。
……頭を撫でられたスイが嬉しそうにしているのだから、まあ、良いんだろう。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
すみません、ちょっと突発的諸事情があって更新が遅くなりました。
詰め込み気味です。
推敲が荒いところがあるかと思います。申し訳ありません。
※1028 最後に一文を付け足しました。誤字修正しました。




