一か八か
「とにかく、脇道に入るぞ!」
相手のスピードがどうなるかは分からないが、走るより遅いとは思えない。
言いつつ、俺たちは急いで、どこに繋がっているかも分からない細い道に入った。
細く、暗く、とてつもなく走り辛い道を進む。
「しかし、なんでもありだなアイツ! 他に弱点はないのか?」
俺が走りながらぼやくと、サリーが補足するようなことを言った。
吸血鬼の二人は夜目が利くのか苦もなく走っているのが、少し羨ましい。
「普通の吸血鬼なら、考え無しに魔力を使えばすぐに欠乏状態になりますわ」
「なに? じゃあ、あのトリアスって奴は、どうなんだ?」
「少なくとも、十分は飛行状態を維持できるでしょうね」
後ろを振り返ると、翼がつっかえて路地に入れないでいる男が、辛うじて見えた。
とはいえ、そんなものすぐ解除すれば良い話だ。
解除にも、発動と同じ時間がかかるとしても、この道の悪さではたいした距離にはならない。
むしろ、暗い道に順応できない俺のせいでこちらは足が遅い。
このままでは、俺一人が足を引っ張る状況に……いや、良く考えれば……。
「二人とも、俺に良い考えがある」
俺が提案すると、二人は何事かと尋ねるように俺を見た。
その二人に、俺ははっきりと告げた。
「この場は俺が足止めするから、お前等は先に逃げろ」
俺の提案に、二人は一瞬口をぼかんと開け、
その直後に、鋭く言い返した。
「ダメです!」
「無理ですわ!」
いつもは正反対な性格のくせして、こんな時だけは息がピッタリだ。
「なんでだよ。アイツの狙いがお前等なら、ここは俺が残って──」
「それで総さんの安全が保証されますか!?」
「トリアスは、目的の為なら『人間』なんて、なんとも思わないのよ!」
その二人の剣幕に、今度は俺が目を丸くする番だった。
だが、こうまで二人の意見が一致するというのなら。
どうやらあの男、紳士的なのは上っ面だけのようだ。
「じゃあどうする? この辺の道は分からないし、いつ行き止まりになるか!」
言いながら、角を曲がったときだった。
「っ!?」
目の前に、分りやすい石の壁が、そびえていた。
高さは四メートルくらいだろうか。跳び越えるにはあまりにも高い。
横に抜けようにも、隣は民家であり、抜けられるスペースなどない。
「追いつめましたよ」
俺たちが壁の前でなす術無く立ちすくんでいると、背後から迫る声。
振り返るまでもなく、トリアスがそこに居る。
すぐ側まで、来ている。
「随分手こずらせてもらいましたが、なに、私は寛大ですので。大人しくお二人が来て下されば、そこの人間に手荒な真似は致しませんよ」
後ろを見れば、にこりと、相変わらず温度のない笑みで答えるトリアス。
その言葉に、兄妹が唇を噛んだ。
だが、それでも往生際悪く、壁に張り付くようにする。
それに倣って、俺もその壁に手をつくように、後ろに下がった。
「往生際が悪いですね。その男との生活はそれほど楽しかったですか?」
トリアスは、少し苛立たしげに俺を睨みつける。
その視線の鋭さに再び冷や汗が出る。随分と嫌われたようだ。
「ま、まぁ、ここは少し穏やかに話し合いでも」
「ほう、この状況であなたに話すことがありますか?」
俺の咄嗟の言葉に、トリアスは追いつめた獲物を見る目で足を止めた。
「俺は決して、この二人を利用しようなんて思っちゃいない」
言いながら、俺は頭の中で、必死に打開策を練る。
この細い直線でなら、魔法を避けられる心配はない。
だが、肝心の魔法を発動するためには、ポーチから銃弾を抜き、宣言をする必要がある。
ケチって一発ずつ詰めていたのが仇になったか。
「ふふ、誰だってそう言いますよ。だが、人間ごときの言い分に、私が耳を貸す必要がありますか?」
トリアスの煽るような台詞。どうやら、人間に対する認識に大きな違いがあるようだ。
だが今はそんなことは良い。なんとか打開策を考えないと。
そもそもこの壁はなんだ、なぜここに壁がある。
明らかな通路にある壁。人の侵入を阻む壁。
区画整理の壁か何かだと考えるのが妥当……か?
おっと、あまり黙っていると勘ぐられるな。
「……人間が、あんたら吸血鬼からして弱者だったとしても……いやむしろ、弱者だからこそ、相手の言い分を聞いてあげるべきじゃないか?」
「そうですね。ですがそれは、私の邪魔をしない従順な人間に限った話かと」
オーケー。どうやら価値観の相違は依然として存在している。
だが、俺が言い返す前に、俺の斜め後ろに下がっていた二人が、声を荒げた。
「トリアス、総さんに無礼なことを言うのはやめろ!」
「そうよ。この人は私達の命の恩人なのよ!?」
二人の声に、トリアスは僅かに眉をひそめた。
だが、それだけだ。
「仮にそうだとしましても、彼が現状、私の邪魔をしていることに変わりはありません。であるのならば、この対応は致し方ないかと」
「トリアス!」
フィルが苛立たしげに叫んだ。
しかし、トリアスがその声を気にかける様子はない。
「……さて、どうします?」
その言葉のあと、トリアスはゆっくりと一歩、踏み出した。
俺は返事の代わりに、右手を銃へと伸ばし、引き抜く。
しかし、今の距離は先程よりも、なお近い。
「バカの一つ覚えですかぁ!?」
トリアスは、俺が向けた銃に向かって、強烈なスピードで走り込む。
思った通り、この距離では、弾丸を込めている時間がない。
普通にやってたら間に合わない。
それなら、一か八かやるしかない。
《──っ! 生命の波、古の意図──》
「させますか!」
俺の詠唱を聞き、トリアスは俺の魔法を破棄せんと右手を弾いた。
強烈な衝撃が走り、右手に握っていた銃は遥か宙空へと弾き飛ばされる。
トリアスは恐らく、俺がまた銃から魔法を発動させると思ったのだ。
だが、それで俺の魔法を止めることはできない。
《──我求めるは、魂の姿なり》
発動しているのは、ブラフの右手ではなく、壁に手を当てた左手のほうだ。
「なっ!?」
俺の目からは見えないが、トリアスの目には映っているだろう。
俺たちの背後にあった石の壁が、瞬く間に消失したのが。
その石の壁は、今は俺の左手の中で、激烈な重さを持つ『弾薬』と化している。
その重さに耐え切れず弾薬を手放すが、今はどうでもいい。
「そのまま突っ込め!」
俺は弾かれていた右手でトリアスの腕を掴み、やや強引に後ろへと投げ飛ばした。
背後にも空間が続いていたようで、トリアスは放り出される。
「バカなぁ!?」
背後からの叫び声。直後、何かが水に落ちた音が響いた。
そうか、この先は用水路だったのか。
だから、誤って人が入り込まないように、道が閉じていたのだ。
相手が態勢を立て直す前に、俺は地面に落ちた『弾薬』に魔力を込めた。
《生命の波、古の意図、我定めるは現世の姿なり》
詠唱のすぐ後、弾薬と化していた石の壁が、元の姿を取り戻す。
その四メートルの壁は、瞬く間に俺たちとトリアスを遮った。
「行くぞ!」
地面に落ちていた銃を回収し。
しばし、魔法を見て呆然としていた二人を促して、再び走る。
相手があの壁を越えてくるのに、どれくらい掛かるか分からない。
少なくとも、入り組んだ道に入り込めば、空から追跡されることはないだろう。
ことここに至って、ようやく逃げ切ったと言っても、良いだろうか。
「……ふぅうぅ、なんとか撒いたか。後は速やかに、家に逃げ帰るだけ、だな」
大通りが見えるところまで来て、俺は一息を吐いた。
いくらこの世界に来てから運動量が増えたとはいえ、俺はバリバリの一般人だ。
あれほど全力で走って、疲れないわけがない。
「すみません。その僕達が」
「……ああ、いい。事情は帰ってから聞くから」
すまなそうにしているフィルの頭をポンと叩き、一度大きく深呼吸をする。
ふと、先程から黙っているサリーに目を向けると、何やら怪訝な顔をしていた。
「どうしたサリー?」
「……こうまであっさりと、トリアスを撒けたのが不思議ですの」
サリーの言葉に、フィルもまた考え込むように唸った。
「確かに。いくら総さん相手に油断していても、あの蛇のように執念深いトリアスが」
「そうよ。あのねちっこいだけが取り柄のトリアスが、これで終わりだなんて」
おいおい、と俺が突っ込みたくなる言葉を二人が漏らしていると。
「随分と、私を評価してくださっている様子ですね、ええ」
背後から、唐突に声が聞こえた。
俺たちは咄嗟に振り返り、そのまま飛び退る。
大通りに出ることで、道は明るさを増す。
街灯と月明かりが、狭い路地から進み出てくる相手の姿を照らす。
そこには、張り付けたような笑顔を浮かべる、濡れた男の姿があった。
「な、なんでここに? 撒いたはずじゃ?」
俺は思わず声を漏らしていた。
用水路に落ち、完全に俺たちを見失ったはずの男が、なぜ背後から現れるのか。
俺のそんな疑問に、トリアスはこともなげに答えた。
「答えというほどでもありませんが、こういうことです──総員、隠密を解除する」
言いながら、トリアスがパチンと指を鳴らす。
すると、その大通りに面した様々な場所から、急に気配がした。
屋根の上、物陰、そして小さな路地の闇。
見渡す限り、二桁はくだらない数の執事とメイド達が、俺たちを取り囲んでいた。
「私一人を撒いたところで、私達から逃れられる筈がありませんので」
最初から、追跡者は一人じゃなかった。
俺と兄妹は背中を合わせる。
しかし、どこにも逃げ場などない。
「では、無駄な抵抗はそろそろ止めていただけますか?」
その声に俺は何も言えず、ただ、腰のポーチに手を当てた。
どれだけ逃げても、絶体絶命の状況からは逃げられない様子だった。
※1020 誤字修正しました。
※1021 誤字修正しました。




