厄介なタイプ
「これが『カクテル』ですか」
「正確には、これも、ですね」
俺が軽く答えると、男性は失敬と言葉にする。
「では、いただきます」
それから、物珍しそうにグラスを見て、触った手が冷たいことに驚いた様子を見せる。
口元に近づけて香りを嗅ぐと、思い当たるものがないのか、不思議そうに顔をしかめる。
しかし躊躇わず、ゆっくりとグラスを口に近づけて、一口含んだ。
「……あ、あぁ。なるほど、これが【ギムレット】なのですね」
その一口を呑み込んだ瞬間、男性は身震いするようにして、小さな声で告げた。
【ギムレット】の味のみを表現するのなら、それほど難しいことはない。
『ジン』の辛さを感じさせる、高い香り。
口に含んだ瞬間に雪崩れ込む、刺すようなライムの酸味とアルコール度数。
その直後に口内を埋め尽くす『ジン』の複雑な味わい。
最後に、それらにほんのりと寄り添うような甘みと、香りの余韻。
言葉にすればこんなところだ。
だが、それがどう美味いのかと説明するのは、途端に難しいものになる。
この『カクテル』ほど、個人の好みが色濃く出るものもない。
ジンの香りと、ライムの酸味、そしてシロップの甘みのバランスこそが肝だという人間がいる。
片や、シロップの甘みなど余計であり、ジンとライムだけで完成していると主張する人間もいる。
そう思えば、ライムにはコーディアルライムという『甘み』を付けたものを使い、ジンとライムが半分ずつの比率こそが、正しいのだという人間もいる。
この『カクテル』が好きだからといって味覚が似ているとは限らないのだ。
果たして、俺はまず、一番オーソドックスな形で【ギムレット】を作った。
その結果は、
「素晴らしい、素晴らしい! なるほど、ポーションにはこのような使い方があったんですね!」
男性の一際大きい歓声であった。
ひとまずは、お気に召していただいた様子だった。
俺は最初の段階を越えたと、ほっと胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます」
「いや、素晴らしい! こんな少量ではすぐに飲み干していしまいますね!」
「あっ」
男の宣言から、その先の行動が早かった。
俺の言葉を待つこともなく、男性はグラスの中の【ギムレット】を、そのまま飲み干してしまったのだ。
イソトマもよく同じようなことをするが、俺はこの男性をイソトマほどに良く知らない。
不安の募る、大胆さだった。
「大丈夫ですか? こちらは、なかなか強い飲み物になっていますが」
俺が急いで声をかけると、男は少しだけ焦点の狂った目で、言った。
「大丈夫、大丈夫! 俺は、どんなに酔っぱらっても変わらないんだから!」
「……そうですか」
いやいや、あんたいきなり口調変わってるから。
男は俺の心配をよそに、次はこれ、とメニュー表を指差して【ダイキリ】を頼む。
想定よりも大分早い段階で、面倒な感じになっている。
俺は「かしこまりました」と声をかけつつ、その場に残っているサリーに、耳打ちした。
「分かると思うが、俺が相手する。自己紹介だけで良いからな」
「…………」
言って、俺は返事を待たずに再び作業台のほうへと向かった。
その途中、手に『チェイサー』のグラスを持ったフィルとすれ違う。
『チェイサー』とは、広義では『お酒』を呑むときに、サブとして口直しをするための飲料全般を指す。追いかけるように呑むから、その名前がついたとか。
だが、狭義であっても、一般的な意味では『水』のことを差している。
男性のあまりの変貌ぶりに、フィルが気を利かせて一杯の水を用意したのだ。
「フィル。良い。出さなくて良い」
「え?」
だが、俺はその気遣いを、制止した。
フィルは俺の言葉に戸惑い、足を止める。
「あのお客さんは、多分、チェイサーを出されたら気分を害す。さりげなく俺が出すから、用意だけしておいてくれ」
「……あの、はい、分かりました」
俺の言いたいことを感じ取ったらしく、フィルは素直に頷いて水のグラスを作業台に置いた。
かなり酔っぱらった人間に『水』を出すと、おおよそ三通りのリアクションがある。
礼を言うか、存在を無視するか、水を出されたことに怒るかだ。
一番目の人間は、自分の酔いを自分で把握できているタイプが多い。酔っていても理知的であるし、対応もしやすい。
二番目の人間は、いかようにもやれる。それほど酔っている自覚はないのだが、こちらが適宜薦めてあげれば存在を思い出すし、ある程度こちらでコントロールもできる。
厄介なのは三番目だ。俺は酔ってないと怒り出し、声を荒げるなんて日常茶飯事だ。
そうならないように気を配るのがバーテンダーの務めであり、難しいところでもある。
俺はなるべくお客さんを待たせないようにと思いつつ、急いで作業を進めた。
横目で、サリーの様子を窺う。
「そうなんです。私まだ働き始めたばかりなんですの」
「そうなんか! でも随分と堂々としてて、立派なもんだね!」
「いえいえ。ありがとうございます。最近ようやく、少しは飲み物を作らせて貰えるようになったくらいですわ」
サリーもまた、自己紹介を済ませてから、即座にその場を離れられていない様子だ。
いや、もしかしたら離れる気が無いのかもしれない。
相手は中年の男性、今のサリーの得意分野だ。
「それじゃ、俺もサリーちゃんに作ってもらおうかな」
「あら、それは嬉しいですわね」
「おうおう、可愛い女の子が喜んでくれるならいくらでも」
サリーが、俺の許した領分を越えて、そんな話をしているのが耳に付いた。
調子の良いことを言っているが、誰がそんな許可を出した?
冗談だとしても、下手に酔っぱらった相手に、そういう発言は控えるべきだ。
自分は接客ができるからと、俺が行くまで場を盛り上げる気なのか。
その気持ちは、多少はありがたいが、それ以上に、迷惑だ。
嫌な言い方をすれば、俺はそこまで全幅の信頼を、サリーに置いた覚えは無い。
特にああいう手合いは、ノリが良い反面、少しでも機嫌を崩すと──。
「舐めてんのか! 殺すぞ!」
唐突に、そんな声が響いた。
俺は、進行させていた作業を中断して、速やかにサリーのもとに向かった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
なんとか日付前に。
推敲がまるで足りていませんので、リアルタイムでちょっと文章が変わる可能性があります。
ご了承ください。
※1010 表現を修正しました。
※1010 誤字修正しました。




