一ヶ月の成長
「そうか、あの二人が来てからもう一ヶ月も経つのか」
「はい。二人ともようやく様になってきましたよ」
ヴィオラの感心したような声に、俺は丁寧に返す。
現在、『イージーズ』は絶賛営業中。ヴィオラはお客様で俺はバーテンダーの立場だ。
カウンターの中に居るのは三人。
俺と、フィル、そしてサリーだ。
「ね。もう私が水仕事する必要も無い感じ」
そうのんびりと答えたのは、ヴィオラの隣に座ってのんびりとグラスを傾けているスイだ。
現在、開店以来洗い物を任せていたスイは、カウンターに立っていない。
その仕事も二人が覚え、少しずつ回せるようになってきたところで、スイはようやく本来の『オーナー』らしい立ち位置に戻ったわけだ。
「でも、本当にあっという間の気分だね」
「そうだな」
スイのしみじみとした言葉に、俺も感慨深く頷いていた。
すでに、夏の熱気が感じられるような時期になってきていた。
この国の四季はどうなのかと思えば、日本ほどはっきりとはしていないようだった。
だがそれでも、雨の量が少ないことを除けば、日本と推移は違いない。俺がこの世界に迷い込んだのが春の始まり。そして今はもう夏が来ている。
どうやらこの地域は、比較的に冬は短く、春が長い様子だ。
そんな時期の店内であるが、ここは機人と専属契約を結んでいる数少ない店だ。
この季節を目処に作っていた『冷暖房』設備が、最近ようやく導入された。
夏の始まりにあってひんやりとした空気は、お客さんに大層評判が良い。その空気を味わうためにこの店に足を運んだ、なんて言葉もあながち嘘ではないかもしれない。
もともと、空調はそういった魔法が存在していたようだが、それを機械に全面的に任せるというのはあまりないらしい。
そう思うと、本当にこの世界の人達は、機人との繋がりが希薄だったのだろう。
少なくとも、今視界の端に映っているゴンゴラとイソトマの関係を見れば、その二つの種族の隔たりなど、無さそうなのに。
「それで、あの兄妹の様子はどうだ?」
ヴィオラの質問に、俺は自分のことのように誇らしく答える。
「一通り仕事の流れを覚えて、立派にバーテンダーへの道を歩み始めていますよ」
俺はそっと視線を、オヤジたちが集まっている辺りにはっきりと向けた。
そこには、相も変わらず常連をやっているイソトマと、ゴンゴラと、少しだけ顔が赤くなったイベリスの姿があった。
この機人二人組は、今日は一応、空調の経過を見に来たのだ。とはいえ、その調査もほどほどに、飲み始まっているのはいつものことだが。
そんな三人と和やかに会話をしているのが、サリーなのだ。
サリーは元から才能があったのかもしれない。
俺が教えた会話の基本を呑み込み、メキメキと成長していった。
もともと、自分の意志をはっきりと持っている彼女だ。
良い事は褒めるし、知らない事は知りたがる。
そういう『技術』を天然で身につけていたアドバンテージは大きい。
いつの間にか、サリーは特に中年達から絶大な支持を受けていた。
「あら、イソトマさん、お次はどう致します?」
ふとした会話の切れ目で、サリーは今気付いたみたいに声をかける。
だが、サリーの視線がチラリとグラスに向いていたのを俺は見ていた。
ずっとそのタイミングを図っていたのは明白だ。
「お、そうだな……じゃあ、今日はサリーちゃんのおっぱいでも貰おうかな」
そして、存分に酔っぱらったイソトマが、アホなことを口にしていた。
俺は走っていって、おいおい、とツッコむか迷う。
これではサリーがキレるかもしれない。
しかしサリーは瞬間だけ目を細め、ニコリと言った。
「かしこまりましたー。二杯飲みたいということですね?」
「え? あ、いや別に──」
「ご注文とセクハラで、二杯分ですよー。何に致します?」
サリーはニコリと微笑んだ表情のまま、あくまで柔らかくそう言った。
「……【ジン・ライム】を……二杯で」
「かしこまりましたわ」
瞬間、それまでの笑顔とは違う、パッと咲いた花のような眩しい笑顔になるサリー。
それを見て、渋々といった様子だったイソトマも、まんざらでもなさそうな顔になっていた。
あいつ、いつの間にあんなテクニックを身につけたんだ。
俺にはとても真似できんぞ。
そのまま、サリーは少し礼をしてから、作業台の方へと駆けた。
先程の【ジン・ライム】を、自ら作るつもりだろう。
俺は現在、ビルドのカクテルであれば、常連さんに限って作って良いと二人に言ってある。もちろん、許可を貰った場合は、だが。
イソトマなんかは、それを面白がってよくよく二人に作らせてくれているのだ。
正直とても、ありがたい。
俺が微笑ましい目で少女を追っていると、サリーは俺が見ていることに気付いた。
彼女は俺と目が合うと、へへんと笑顔になる。
ロックグラスをちょんちょんと二杯指差し、控えめにVサインを送って来た。
そして笑顔を改め、真剣な顔で作業に集中した。
「……まぁ、サリーは見ての通り、したたかにやっていますよ」
「……ん? いや、そういう意味では──」
「それで、フィルはあんな感じですね」
俺はヴィオラの言葉を遮って、次はフィルに目をやった。
フィルは相変わらず、若い女性に絡まれていることが多い。
羨ましいかと言われると、まぁ、多少はそうかもしれない。
最近、女性陣にチヤホヤされる役は、明らかにフィルなのだから。
「総、今なんとなく、顔が気に入らなかったかも」
「オーナー。別に自分はフィルのことを羨ましいと思ったりしていませんよ」
「ふーん、そう、ふーん」
スイは、じーっと俺の事を見つめながら、抑揚のない声で言った。
フィルがちやほやされる一方で、俺は青髪の美少女に睨まれる毎日である。
どこで差がついた。
と、それはおいといて、今はフィルだ。
「ねね、フィル君。今度遊びに行こうよー!」
「あー、行きたい! まだ街に慣れてないでしょ? 案内してあげるよー!」
今日フィルに絡んでいるのは、比較的歳の若い二人組だ。二十二歳くらいに見える。
なんとなく分かっていたが、フィルは年上にモテる。
本人にその気が無いのが、なおさらお姉さま方の気をそそるらしい。
「どうかな? お金も出したげるから心配いらないよ?」
「そうそう、楽しいところ一杯紹介するから!」
ウチのバーテンダーに無闇にちょっかい出すな、という教育が必要なお客様である。
とはいえ、今目の前に立っているのはフィルだ。
これが一ヶ月前だったら、しどろもどろになっていたところだが。
「すみません。ちょっと次の休みがいつになるか分からないんですよ」
「えー? 定休日は休みじゃないの?」
「はい。基本的に休みは、総さんに『カクテル』を見て貰う約束なんです」
フィルは、いかにもすまなそうにそう言った。
その困った表情に、女性二人も「あぁー」と声を揃える。
「なら仕方ないかぁ。マスターって『カクテル』のことだけは鬼厳しいもんねぇ」
「うんうん。フィル君、頑張ってね」
「はい、ありがとうございます!」
女性達の同情を得て、フィルはにこやかに笑っていった。
ついでに、次の休みに俺がフィルの修行を見る約束など、一切無い。
あいつも、なかなか言うようになったもんだ。
……まぁ、断り辛かったら俺の名前を出せ、と教えたのは俺だけど。
「と、二人ともたくましく成長していますよ」
まだまだぎこちない部分は多々あるのだが、それでも前進はしている。
最近は質問をしてくることも増えたし、この仕事を楽しみ始めているのは良く分かる。
そんな二人を思って微笑ましい気分になっていると、ヴィオラが真剣な声音で言う。
「だから、私が聞いたのはそういう意味ではない」
「……はい?」
「あの二人の、素性とか、記憶とかは、判明したのかという意味だ」
「……あっ」
言われて、俺はようやくそのことに思い至った。
店に馴染んで来た二人が嬉しくて、ついついその事実を意識の外に置いていた。
だが、二人は記憶喪失なのだった。
俺がそれをようやく思い出したのを見て、ヴィオラが呆れた顔をする。
「君は、あれか? カクテルが目の前にあると、途端に他のことが見えなくなるのか?」
「……否定はできません」
「……まぁいい。それで、記憶が戻るような兆しはあるのか?」
ヴィオラに言われて少し肩幅を狭くしながら、俺は二人のこれまでを思い浮かべた。
朝食を食べる二人、氷を割る二人、掃除する二人、仕事をする二人などなど。
「いえ、今の所そういう様子はありませんね。ことあるごとに話題を振ってみても、あんまりヒットしないみたいですし」
「……そうなのか」
俺の答えにヴィオラも難しそうな顔をした。
責任感の強い彼女だからか、サリーに一方的に苦手意識を持たれても、健気に二人を心配しているのだった。
そんなヴィオラを安心させるように、スイが少しだけ強い声で言った。
「大丈夫、ヴィオラ。総だけじゃなく私だっているんだから」
言われたヴィオラは、一度スイの顔をじっと見て、すぐに目を逸らした。
「……心配だ」
「どういう意味?」
スイが明らかに苛立ったので、俺はどのタイミングで止めようか迷う。
丁度そんな時だった。
カラン。と扉が鳴って、一人のお客さんが足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ!」
『いらっしゃいませ!』
俺の声に被せるように、弟子二人のきりっとした良い挨拶があった。
俺はそこに満足しつつ来客を見る。
入って来たのは、初老の男性だ。少し背が高く、パッと見は優しそうな顔をしている。
「お客様、こちらへどうぞ!」
少し意識して声を張り、カウンターの端の方に案内した。
「あ、どうも」
「外は暑かったでしょう」
「そうですね、ここは涼しくて驚きました」
俺に案内されるがままに席に着くと、男性はキョロキョロと店を見渡しはじめた。
あからさまな、新規のお客さんである。
「こちらもどうぞ」
「ど、どうも」
夏に合わせて冷やしておいたおしぼりを差し出しつつ、思う。
このお客さんは、どうしたものか。
俺の感覚が、危険信号を発していた。
もしかしたら、めちゃくちゃ面倒くさいタイプなのでは、と。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
最近二十二時から遅くなってすみません。推敲が甘い気が致しますので、修正箇所など目に付くかもしれません。
物語が転がる前に、もう一つ出しておきたいカクテルがあります。
そろそろ、ポーション的にアレはどうなるのか、出しておきたいと思ったので。
予想されてみるのも、面白いかもしれません。




