ライムの皮と、落とし穴
「エグ味の正体ってのは、簡単に言ったらライムの皮の成分なんだ」
俺はサリーのみならず、フィルや他の三人にも伝えるつもりで言う。
言われたサリーは、俺の言葉にやや納得がいっていない様子だった。
「でも、私は果肉の方を確かに絞りましたわよ? 皮がって言うのなら、グラスに沈めている時点でナンセンスなのでは?」
「お前が思っているより、ライムの皮ってのは繊細かつ、丈夫なんだよ。無理な刺激を加えなければ、下手に傷つくことはないんだ」
俺は、切り残っていたライムを持ち出して、サリーに断面を見せる。
柑橘の断面と言うと、多くの人間はオレンジのあの断面を思い浮かべるかもしれない。
今回は、横切りと縦切りの違いはあるが、一先ずは皮の方に注目してもらいたい。
オレンジの皮はそれなりに厚く、白い部分も多くて、ぱっと見では1cmほどの厚さになっている。
だが、ライムの皮は、厚さにして1mmより多いくらいしかない。
「レモンなんかにも言えることだが、柑橘の皮ってのは基本的に苦みを含んでる」
「それは分かりますわ」
「だけど、その苦みの成分ってのは、皮に無理な力を加えない限り、そう簡単には混ざらないものなんだ」
言いながら、俺は二つのショットグラス──30mlくらいの容量の小さなグラスを二つ取り出す。
即座に残っていたライムをカットし、二つの切り身を作った。
一つには、俺がいつもやっている位の力で果汁を絞る。少し物足りない、くらいの果肉の絞り方と言おうか。
そしてもう一つには、絞れるだけの果汁を、力の限り絞った。
一見すると、果汁の量には大きな違いがあり、それだけを見れば、力の限り絞った方が得に思えてくるくらいだ。
俺はその二つのグラスを、すっとサリーに差し出してみせる。
「ほら、この二つを飲み比べてみろ」
「……わかりましたわ」
サリーは殊勝な態度で答え、まずは普通に絞った方のグラスに口を付けた。
「……爽やかさを感じる、酸っぱさですね」
「あんまりそのまま飲むもんじゃないが、酸味と爽快感、それにほんの少しだけ甘みを感じるような気もするだろ?」
同意を求めるように尋ねてみたが、サリーは『甘み』の部分だけは同意しかねる様子だった。まぁ、甘みを感じるかは、個人差と言えばそうか。
俺が働いていたときも、スタッフ全員が『甘み』には同意してくれなかったしな。
「じゃ、次は」
言いながら、俺は力の限り絞った方のグラスもサリーへと薦めた。
サリーは恐る恐るそのグラスを受け取り、ゆっくりと口に流し込む。
「うぇ……苦酸っぱいですわね」
「ああ。それに後味もちょっとくどいだろ? そのなんとも言えないエグみが、ライムの皮の持つ特徴でもあるんだ」
あからさまに顔を歪ませ、舌を出してサリーは言った。
だが、その感想こそが全てだと思う。
たとえばバーテンダーごとに【ジン・トニック】で味の違いが出るのは仕方ない。
ベースの銘柄も違えば、トニックの銘柄も複数ある。それで既に違うのに、さらにライムや氷、注ぎ方や混ぜ方など、個人の技量がいくつも重なってくる。
そんな中で、今回のような『失敗』をすれば、結果はもちろん付いてくる。
三人に不味いと言われて、凹む未来だって現れてしまうのである。
「でも、この前の【スクリュードライバー】に比べればたいした進歩だぞ。少なくとも、エグいだけで飲めるものが出来てるんだからな」
「……それ、本当に褒めてますの?」
俺が素直に今回のカクテルを褒めるが、サリーの頬はまだ少し膨らんだままだ。
だが、俺はそんな彼女の心を解きほぐすように、言葉を重ねる。
「当たり前だ。あの失敗のおかげで、サリーはどれだけテンパっても絶対に同じ失敗はしないだろ?」
「……まぁ、当然ですけれど」
「じゃあ、成長してるってことだ。俺が認めるんだから間違いない」
俺はそう言ったあと、まだ落ち込み気味のサリーの頭をがしがしと撫でた。
「なっ!? や、やめてくださいな! 私は失敗しましたのに!」
「まぁ言うなって、お前には才能がある。俺が保証するから」
「そ、そういう問題ではないです──!」
サリーは嫌がりつつも、俺の手を強引に払いのけようとはしない。
とはいえ、俺もこのあたりでさっさと褒めるのをやめた。
「とにかく、新人のうちはそんなに気にすることはない」
「……ええ」
「あんまり落ち込むなって。元から完璧なんて期待してないんだからな」
そこまで言っても、やっぱりサリーはエグいと言われたことが、引っかかっている様子であった。
とはいえ、これ以上何かを言ったら、言葉が嘘くさくなりそうだ。
俺は黙り込んだサリーをひとまず置いて、フィルに目を向けた。
「と、サリーは充分分かってくれたとして、次はフィルだが……」
「は、はい!」
俺に声をかけられて、フィルは緊張したように背筋を伸ばす。
とは言っても、フィルに対して言うことか……。
「……えっと、あれだな。良く出来ました」
「……はい?」
「正直に言えば、初めてにしては上出来だ」
「……あ、はい!」
もちろん、完璧などではない、が。
初めて作ったは思えないほど、しっかりとしたカクテルだった。
ライムを絞り過ぎることもなければ、ジンも、まぁ、初めてにしてはちゃんと計れた。
トニックの注ぎ方も、俺が教えたとおりに丁寧だったし、ステアも頑張ってはいた。
バランスが良い。派手な失敗は無いので、不味いとまではいかないだろうと思った。
と、俺がフィルになんと言うべきか迷っていると、フィルは心配そうに尋ねてくる。
「……あの、総さんは、僕には指摘などは?」
言いながら、フィルはちらりとサリーの方に視線をやった。
まぁ、あれだけ言われていた妹の次に手放しで褒められたら、座りが悪いか。
あまり、初めての人間に言うことでもないが、一応、目についた部分の指摘をしておくか。
「じゃあ、そうだな。なんでフィルのカクテルは俺のに比べて『弱い』って言われたのか」
俺は一度、フィルから目を離して、最初の一口を飲んだベルガモに尋ねた。
「ベルガモ。弱いってのは、具体的にはどんな感じだった?」
「え? あー、なんか、全体的にパンチが無いっていうか。バランスは良いんだけど、それぞれが、小さくまとまっているというか」
ベルガモは、思い出すように目を閉じたあと、自分の言葉であれこれと説明をした。
隣に座るコルシカやイベリスも、言葉にはしないが、仕草で同意を示す。
『小さくまとまっている』というあたりで、少しだけフィルが怯んだ気がした。
ここ最近、サリーと比較して確かにフィルにはそういう傾向はあった。
なんでもそつなくこなせる、というのは、言い換えれば失敗をしないということ。
そして、新人のうちに失敗をしないというのは、ブレーキを踏み過ぎる傾向があるということだ。
「まぁそうだな。まずフィル。このカクテルの問題点の一つは、全体的に足りないことだな」
「……全体的に、ですか?」
俺は一度、自分の作ったグラスと、フィルの作ったグラスを良く見せた。
パッと見ただけでは、その双方に違いは無い。精々、俺の方が作ってから時間が経っているので、多く汗をかいているというくらいか。
だが、良く見てみれば、その液体の違いに気がつく。
「僕の方が、炭酸の泡が少ないですね」
「ああ。作業の全てにおいて、フィルは丁寧すぎたんだ。それがさっきの感想だ」
俺は一度、説明のために空のグラスを手に取った。
「良いか? このグラス、コリンズ・グラスというものには何もなければ300ml強の液体が入る。しかし、実際のグラスにはその容量の液体は入らない、何故だ?」
フィルは少しだけ考えた。
俺と自分の作ったカクテルを見て、ぽんと正解に行き着く。
「氷が入るからですね?」
「ああ。グラスの中に入る液体の量というのは、氷の体積分が引かれたものになる」
誰が考えても当たり前の結論だ。
容器の中に違うものが入っていれば、その分だけ許容量は減る。
それを考慮して、カクテルの比率は決められていると言っても良い。
「……あれ? でも、僕と総さんのグラスに、氷の量の違いは無いように見えますが」
そこまで辿り着いてから、しかしフィルは不思議そうに言った。
そう、現時点では俺とフィルのグラスの氷の差は無いように見える。
もっとも、先に作ったはずの俺のグラスと同じという時点で、一つの結果が見えているのだが。
「それが丁寧すぎた結果ってやつだな。要するに、カクテルってのは要らない手間をかければかけるほど、完成度を減じてしまうものでもあるんだ」
言いながら、先程のグラスを掲げて言う。
「ものすごく簡単に言うと、フィルは氷を丁寧に詰めすぎたんだ。小さい氷と大きい氷をバランス良く、隙間を少しでも減らすようにな。だが、それが時としてマイナスに働くこともある」
その点に関しては、サリーの方がある意味適性があったかもしれない。
彼女は、とりあえず入る大きさで、迷い無くがんがんと氷を詰めていった。
その結果、適度な隙間がグラスに生まれることになった。
だが、持ち前の器用さからフィルは丁寧に氷を詰め込んでいった。
それが一つの落とし穴になるとも知らずに。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
少し遅くなりました。
普通に書いていると収まりが悪かったので、ここで切ることにしました。
いつの間にやらカクテルの作り方講座ですが、細かい描写は明日あたりで終わるかと思います。
そこから少し時間を飛ばす予定です。
修行の様子をもっと見たいという方は申し訳ありません。
※1005 表現を少し修正し、誤字修正しました。




