朝食の理由
俺が食堂に着くと、すでに他の五人は集まっていた。
ちなみに、ヴェルムット家の食卓は、一般的な家庭より少し大きめだ。
オヤジさんの職業のこともあり、家と言えど食事の場には拘りたかったのだろう。
テーブル自体は大きな四人用なので、サリーやフィルは、俗に言うお誕生日席に座って貰っている。
並びとしては、俺とオヤジさんが隣同士で、俺の目の前にスイ、その隣にライだ。
六人で座ると少々狭いが、まぁ、どうにかなる範囲だ。
その状態で、今はテーブルの上に人数分の皿とカップが置いてある。あとは、ナイフとフォーク、スプーンといった食器類がまとめて中央に並んでいた。
「総、遅い」
「ごめんよ」
「まぁ、いい。今から準備する」
俺の登場が遅いことにスイが少々ご立腹だったが、俺が席に着いたところで、張り切って厨房へと向かっていった。
仕込んでいた料理の再加熱や、仕上げをしに行ったのだろう。
スイの姿が見えなくなったところで、俺は一度だけ大きく深呼吸をする。
「なにをやってるんですか?」
俺の突然の行動に、行儀良く待っていたのだろうフィルが尋ねる。
「いや、心の準備を少し」
「……朝食にですか?」
「そう、朝食にだ」
俺の返答に、フィルと、ついでにサリーは怪訝な目をしていた。
だが仕方ない。彼らはスイの味覚を良く知らない。
スイは俺たちと同じものを食べても、美味しいと言う。
単純に、味の守備範囲が広いだけなのだ。
「サリー、それにフィル。スイが戻る前に一つだけ言っておくぞ」
「……なんですの?」
「……なんでしょうか?」
俺はその弟子二人へと静かに、大切なことを告げた。
「もし、これ以上食えないと思ったら、もう食べなくて良い。責任は俺が取るから」
「……はい?」
「……はぁ」
あべこべな表情で頷く二人。だが、特に追求はかからなかった。
そうこう言っていると、たたと足音が聞こえる。
両手に大きな皿を持ったスイが、食堂に入る所で少しつかえた。
「総、少し手伝って」
「分かった」
俺は彼女から皿を一つ受け取る。
皿の上には、茹で野菜がこんもりと盛られ、クリーム色のソースがかかっていた。
スイが持っている方の皿はどうかと言うと、炒めたベーコンと、目玉焼きがいくつも乗せられていた。
見た目はとても美味しそうに見えた。
彼女は決して、技術が無い訳では無いのだ。
だから見た目は良い。ただし、見た目と味付けは相関しない。
「あとパンとスープを持ってくるから、ライは分けてて」
「う、うん、分かった」
切り分けを仰せつかり、ライの声に若干の緊張が走る。
赤毛の少女も、やはり目の前の料理に困惑している様子だ。
「あ、スイ。持ってくるの手伝うよ」
俺はスイを手伝おうと、厨房まで付いて行こうとする。
が、スイはそれを断った。
「大丈夫。少し厨房散らかってるから、見ないで」
「お、おう」
料理をして厨房が散らかるのはある程度当たり前だと思うが、見ないでとはいったい。
俺は大いに混乱するが、それはまぁ置いておこう。
すぐにスイは、パンの入ったバスケットと、スープの入った厚手の鍋を持ってくる。
俺は急いで彼女からバスケットを受け取り、皆へと分ける。
なんて名前なのだろうか。手のひらサイズの大きさの、所謂パンである。
スープの方は、オニオンスープだろう。
コンソメの香りがして、よくよく考えなければとても美味しそうだ。
香りが良いというのも、良くある罠だ。
人間の感じる味の何割かは香りと言うが、それはあくまで何割かでしかないのである。
「はい、じゃあ、食べよう」
朝食が全員の皿に行き渡ったところで、スイが言う。
そして、皆が一斉にオヤジさんの方を向いた。
この家の決まりとして、食事の際の号令はオヤジさんが取ることになっている。
「お、おう……じゃ……」
オヤジさんは、とてつもない覚悟をした上で、ついに言った。
「いただきます」
『いただきます』
そして、その直後、俺とライ、そしてオヤジさんの手が固まる。
最初にどこに手を伸ばせば良いのか、迷ったのだ。
その三人の様子に、スイのみならず、吸血鬼の兄妹も戸惑い手を止める。
どうやら、二人は家主の前に口に運ぶのを躊躇っている様子だ。というか、俺が教育したのだった。
食事の際には皿を分けたりサラダをよそったりといった気遣いを、率先して行えと。
良く成長したなサリー。ここ数日で、真っ先に料理に手を伸ばすことがなくなるとは。
だが、その気遣いは今だけは嬉しくないぞ。
「どうしたの?」
スイが少しだけ心配そうに、俺に尋ねて来た。
「いや、あまりにも美味しそうだから迷ったんだ」
「ふーん」
俺が鮮やかに言い訳をすると、スイは無表情で言う。
そして、自身の皿に盛っていた、茹でた人参をフォークで突き刺した。
そのまま、その人参を俺の方へと差し出してくる。
「はい、あーん」
「え、あ、スイ?」
「あーん」
俺の戸惑いを欠片も考慮せず、スイはそのフォークを俺の口へと突き出す。
無表情の癖に、少しだけ照れたように感じるのは気のせいか。
いや、そんなのは良い。
視界の端で、驚愕の表情を浮かべているサリーの顔が映ったと、同時に、
その人参は俺の口の中に入り込んで来た。
「……あれ? 美味しい」
俺は、自分の口の中で起こったことが信じられなかった。
美味しいのだ。スイの作ったソースが。
人参の甘さと絡み合うような、濃厚なクリーム系のソース。
それが、苦くも辛くも酸っぱくもなくて、適度にとろみを感じる塩分。
朝に食べるには丁度良い塩梅なのである。
「あれ? ってなに」
「い、いや、違うんだけど、え?」
スイの責めるような視線から逃げ、俺は自身の料理に手を伸ばす。
目玉焼きも、ベーコンも、スープもパンも。
そのどれもが、美味しい。
食べられる、なんてレベルではなく、純粋に美味いのだ。
「お、美味しい。美味しいぞ、スイ!」
「ありがと」
そんな俺の驚きに対し、スイは淡白な礼をした。
俺の様子を観察していたらしいライとオヤジさんも、恐る恐る食事に手を付ける。
「う、嘘! 美味しい!?」
「本当だぞ! どうなってんだ!?」
そしてそれぞれが、驚嘆の声を上げていた。
「な、なにをそんなに驚いているんですの?」
「そ、そうですよ、皆さん! スイさんに失礼ですよ!」
俺たちの反応を横目で見ていた二人が、責めるように言う。
その言葉にハッとして、俺はスイの表情を窺った。
「……まぁ、別にどう思われてたかは、分かるけど」
スイは少し拗ねたように、唇を尖らせて言う。
すまない気持ちになって、俺は素直に頭を下げた。
「い、いや。すまん。てっきり、俺が昨日何かした仕返しとかなのかと」
「……まぁ、何もしてないとは言わないけど……」
スイはぼそっと返し、オヤジさんの圧力が僅かに増した。
だが、俺がそれに対応する前に、スイははっきりとした声で告げる。
「でも、総がいつも言ってること」
「……俺が?」
「相手の気持ちを考えろって。だからその通りにしただけ」
相手の気持ちを考えろ。
それは確かに俺が言っていること。いや、自分に言い聞かせていることだ。
何かを作る時、何かをする時、常に相手の立場になる。
こちらが相手のことを考えなければ、相手の喜ぶことなんてできないのだと。
「だけど、それと朝食に、いったいどんな関係が……?」
「……味付け。私の好みじゃなくて、総の好みはこうだろうな、って考えてやっただけ」
「あっ」
その宣言のあと、スイは少しだけ照れた様子で、そっぽを向いた。
俺は、彼女の気持ちが伝わって、少しだけ嬉しくなった。
「……ふーん」
そのやり取りを、呆れた様子で見ていたサリーが、興味なさそうに口を挟む。
「それは良いですけれど、早く食べません? 私は朝食を食べに来たのであって、おのろけを見に来たのではないのですけど」
その一言に、俺は思わず頭を抱えたくなった。
お前はスイが実践した行動の意味が、まるで分かっていないというのか。
俺はそんな弟子その一に、こんこんと説明してやることにした。
「サリー。お前にはスイの気持ちが分からないのか? この朝食はスイ自身も『カクテル』の製作に乗り出すという意志の表れなんだぞ」
「え?」
「はい?」
俺の宣言に、サリーとスイのそれぞれが、戸惑いの声を出す。
「昨日の何が原因かは知らないが、俺が常に言っていることをスイが実践してくれた。それは、バーテンダーとして、彼女が成長しようとする意思表示だ。つまり、スイも二人に触発されて、二人の手本となるような『カクテル』を──」
「サリーちゃん。おかわりもあるから、たんと食べてね」
「分かりましたわ」
俺がスイの気持ちを説明している最中。
あろうことかそのスイが、話を遮ってサリーにおかわりを薦めていた。
「え、スイ? 俺は今、サリーに他人の気持ちを考えるのはどういうことかと──」
「総はもう少し、他人の気持ちを考える術を学んで」
俺が代弁しようとした言葉は、当のスイ本人にばっさりと斬り捨てられてしまった。
あれ? おかしいな?
昨日は普通に『カクテル』を作ってただけなんだし、昨日の何かが原因だとしたらそれは『カクテル』であるのが当然。
その事実と今日の行動を結びつけると、必然的にその答えしか導かれないのに。
俺が疑問符を大放出していると、隣に座っているオヤジさんが、俺の頭に手を乗せた。
「あ、あの? オヤジさん?」
「こんなときによ。喜べば良いのか、怒れば良いのか、迷うんだよなぁ」
額に青筋をひくひくさせながら、それでも心底嬉しそうな顔でオヤジさんが言った。
俺は訳も分からず弁明する。
「いやいや、それはスイの意志の問題であってですね」
「……やっぱり怒るか」
だが、俺の答えはオヤジさんの気に障ったようだった。
その後、ギリギリと握られて痛む頭を押さえつつ、疑問の残る朝食を終えたのだった。
さて、今日は休日だ。
予定をこなすことにしよう。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
昨日は更新できず申し訳ありません。
なるべく更新できるよう、努力致しますのでよろしくお願いします。
※0928 改行を微修正しました。
※0929 誤字修正しました。




