朝食当番
「総っ! 朝だよっ!」
ライの元気な声が聞こえて、俺は眠りの世界から飛び起きた。
目の前には、少し不機嫌そうな赤毛の少女の顔があった。
「おはようライ」
「おはよう総。もう、朝ご飯……できてるから……早く起きて」
言われて、俺は床に敷いていた布団から体を起こす。
なんだか、やけに朝ご飯のところで溜めていた気がするが、気のせいか?
そしてどう考えても、この赤毛の少女は俺の部屋の中に入っているな。
「ライ。一応言っておくけど、あまり無断で他人の部屋に入るのは良くない」
「外からじゃ起きない総が悪い」
「……昨日はちょっと寝るのが遅かったから」
「知らない」
昨日とは、すなわち昨日の営業後のことであり、スイの機嫌をいとも容易く損ねた後のことである。
まぁ、あのあとも結構な時間がかかった。
途中からはスイに絡まれて、俺もいくらか飲みながらやっていた。
店を出たのは明け方近くだった。
そのあと、速攻で眠りについたのだが、そんな事情は当然ライには関係ない。
俺にも今日の予定はあるし、二日酔い気味で少し鈍い頭を起こさないといけない。
「というか、総。昨日いったい何をやらかしたの?」
俺がぼーっとした頭を振っていると、ライが、ややツンとした物言いで尋ねる。
「……何って、特に心当たりは」
「嘘。絶対お姉ちゃんに何かしたでしょ」
「してない! してない!」
ライの目が途端に鋭くなったので、俺は必死で否定した。
だって本当に何もしていない。精々、途中でスイが少し機嫌を崩したくらいだ。
「じゃあ、なんであんなことになってるの?」
「あんなことって?」
ライの言葉の意味が分からずに尋ね返すが、ライは無表情で一言。
「なんで、お姉ちゃんが『今日の朝ごはんは私が作る』とか言い出したのかってこと」
「…………え?」
そもそも、この家の家事の分担はどうなっているのか。
共通部分の掃除は、気がついた者がやる。
風呂場やトイレなどは、ローテーション(俺の比重多め)でやる。
自室は当然、自分で片付ける。
料理や洗濯などは、基本的にライが率先してやっていた。
平日の料理分担はこうだ。
朝はライが作って家で食べ、昼はオヤジさんが作って店で、早めの夕食も同様だ。
休日は、朝と夕がライ。昼は各自が好きなようにという感じである。
オヤジさんはいつも仕事で料理を作っているのだから、家でくらいゆっくりさせてあげたいというライの意向だそうだ。
休日だろうと平日だろうと、朝は基本的にライが作ることになっている。
それが急に、今日はスイが作ると言い出したのだそうだ。
「絶対おかしいよね? 総が何か言ったから、お姉ちゃんが張り切ってるんだよね?」
「そ、そんな覚えは無いって」
ライの少しだけ必死な、それでいて濁った目に、俺はぶんぶんと首を振る。
「総が酔っぱらって『スイの手料理が食べたいんだ(キラン)』とかやったんじゃないの?」
「お前の中の俺のイメージなんだそれ。そんな事実はない」
「……じゃあ、なんで? なんで朝からこんな恐怖を味あわないといけないの?」
「落ち着けライ。本音が漏れてるぞ」
恐怖という単語が出て来た時点でお察しだが。
スイの手料理は、まぁ、アレだ。
というか、彼女の味覚の世界は、俺たちのような凡人とは一線を画している。
なぜ、その材料を混ぜようと思ったのか分からない。
なぜ、その香辛料を使おうと思ったのか分からない。
というか、なぜそれが食べ物に該当すると思えるのか分からない。
俺は以前飲んだことのある、ゲロマズポーションを思い出し、背筋に怖気が走った。
あのときは『みりん』と『どくだみ』と『ドライベルモット』レベルの、辛うじて人間の飲める範疇だったから良かった。
だが、彼女が真の力を解放したら、普通に吐きたいレベルの飲食物が出来上がったりするのだ。
「正直言って、今日のお姉ちゃんは異常でした。何かの使命感に燃えているように、私から料理長の座を奪いました」
「それは災難だった」
「でも、本当に災難なのは、それを食べさせられる私達みんなだよ」
酷い言われようだが、俺も少しだけ同意してしまう。
というか、本当にいったいどうしてこんなことになっているのか。
ポーションが抜け切っていない鈍い頭を押さえていると、
「よう小僧。覚悟はできてるんだろうなぁ?」
「ひっ」
俺の部屋に、さらに暗く重い声が入り込んで来た。
その主に向かって、精一杯に明るい声で答える。
「や、やだなぁオヤジさん! 覚悟も何も俺にはなんのことやら!」
「お前には分からなくとも、俺には分かるんだよ。この状況はてめぇのせいだってなぁ?」
オヤジさんの壮絶な笑みに、俺は半分作り笑顔、半分涙目で固まる。
これから先、俺はいったい何を言われるのやら。
しかし、オヤジさんはふっと遠い目をしたかと思うと、穏やかに言った。
「……だが、今日はお前を殴るのはやめておいてやる」
「はい?」
てっきり、いつものように物理的に釘を刺されるのかと思ったがそうではない。
オヤジさんは、俺の肩にぽんと手を置き、にこやかに言った。
「スイの気持ちは知らないが、俺は娘の自発的な行動にとやかく言うほど野暮じゃない」
「……は、はぁ」
「同様に、娘には傷ついて欲しくないとも思っている」
「それは、当たり前ですよね」
誰だって、自分の娘に傷ついて欲しいとは思わないだろう。
しかし、その当たり前の思いから出た言葉は、俺を驚愕させた。
「スイがせっかく作った手料理が残ったりしたら、あいつは傷つくと思わないか?」
「…………それは、まぁ」
「だからな。出て来た料理は、お前が、責任を持って、全部食えよ?」
「……ちょっ!?」
オヤジさんが何を言わんとしているのか、ようやく理解したところで、俺は戦慄する。
こ、このオヤジ! 俺を生け贄にして朝食を生き残るつもりだ!
「そ、それを言ったら、オヤジさんが全然食べないほうが傷つきますって!」
「心配するな。あいつはきっと、お前に何か思う所があって作ってるはずだ。だからお前だけしっかり食べれば大丈夫だ。な?」
言って、オヤジさんは爽やかな動作で親指をぐっと立てる。
ダメだこの人。目が欠片も笑ってない。
思いやりのありそうなこと言ってるけど、自分が助かりたいだけだ。
「とにかく、これはお前の仕事だ。もともとお前が蒔いた種なんだから、お前が責任を取って刈りつくすべきだ」
「もっと穏やかな言葉で言って欲しいんですけど」
俺とオヤジさんが、笑顔でなんとか責任を押し付けようとしているところで、更にもう一人の声が舞い込んでくる。
「ねぇ、総さん。いつまで寝ているのよ。私はもうお腹ペコペコなのですけれど」
この状況のことを何も知らないサリーである。
彼女は、俺の部屋にライとオヤジさんが集まっている状況を見てぎょっとする。
「え? なんですの? 誰も食堂に居ないと思ったらここで何を?」
「あ、いや。悪い、すぐに起きるよ」
サリーに言い訳をするように、俺は急いで起き上がる。
そして、やや戸惑ったままのサリーに、尋ねた。
「……なぁサリー。お前、朝食って好きか?」
「……いきなり変な質問ですわね。というか、嫌いという方はいるのかしら?」
「……だったら……いや、なんでもない」
「?」
あ、危ない。
うっかり『だったら、俺の分も食べるか?』とか言いそうになった。
しかし、俺の中の『先輩』の部分が、『後輩』を盾にして逃げるのをよしとしなかった。
そうだ。俺はなに、格好悪いところを見せようとしていたのか。
弟子は、師の振る舞いを見て成長するものだ。
困難から逃げない姿勢を、成長のための苦難を、俺が態度で示さずにどうする。
「着替えるから、みんな食堂で待っててくれ」
そう言って、俺は皆を一度部屋から出した。
ここでぐだぐだやっていても、何も始まらない。
「……何が原因かは分からないが、それくらい乗り越えられなくて何がバーテンダーだ」
俺は、キリキリと緊張に痛む腹を無視して、堂々と部屋を出た。
向かうは食堂。待つのはスイの手料理だ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
コメディ調ですが、短編集的なノリということでどうか。
それと、明日の更新なのですが、
明日はもう一つの拙作、カクテルマジックの方が一章完結となる予定でして、
もしかしたら、こちらの更新にまで手が回らないかもしれません。
もちろん、しっかり書けたら更新致しますが、
なにぶん書き溜めが無い状態がずっと続いているので……
万が一の場合はご容赦いただけると助かります。
もし更新が無さそうだったら、カクテル成分はあちらで補給していただけると(露骨な宣伝)
すみません、言い訳にならないように頑張りますので、よろしくお願い致します。




