72.『踊り食い』
「ふぅ、ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です」
「……ふっかつ」
部屋で十数分ほど休んだら、ふたりは元気を取り戻したようだ。
というか、ルリは自分に回復魔法でもかければよかったんじゃないかと思わなくもないが、まぁアレだ。頭からすっぽ抜けていたのだろう。
なにはともあれ、ふたりがようやく立ち上がったのを確認して、俺は部屋に食事の手配をした。
「あれ、食べに行くのではないのですね」
「うん、部屋に持ってきてくれるみたいだよ」
「……お腹すいた」
備え付けの鈴を鳴らすと、チリンと涼しげな音がした。
どうやらこの鈴は魔道具で、この鈴の音が仲居や厨房にも届くらしい。
「……うわ、嫌な音」
この音に不快感を示す人間など、普通は存在しないだろう。
凛とした美麗な音は、誰が聞いても好ましいものであるはずだ。ただし、たった二人を除いて。
「嫌な音、ですか? こんなに美しい音なのに」
「いやまぁ、俺とルリは鈴の音に嫌な思い出があるんだよ……それも結構直近で」
「そうなのですか。それにしても、この衣装はなんだか……防御力が低そうで心もとないですね」
タマユラは一瞬の驚きを見せつつも、そこまで気にすることなく話題を変えた。
この衣装――ユカタと言うらしいが、温泉を堪能して部屋に戻ってくる時に、仲居に勧められたのだ。
彼女らが着ているものと同じものだが、これは温泉宿特有の衣装らしい。
薄い布一枚を帯で止めただけの簡素な作りとなっており、防御力が低そうというのは言い得て妙だが、よく考えずとも防御力は必要ないだろう。
「それにしても……ルリはユカタがめちゃくちゃ似合ってるね。スラッとしててかわいいよ」
「――ありが……ん、ちょっと待って。なんか他意あった?」
「ないよ」
ジト目で射止められるが、他意とかなんのこっちゃだ。
ただ俺は、ルリのスレンダー体型とユカタによる奇跡のコラボレーションのクオリティに感服してるだけなのに。
別に、ユカタってのはない方が似合うんだなぁなんて思ってもない。なにがとは言わないが。
そんな他愛も他意もない談笑を続けていると、部屋に食事が運ばれてきた。
山の幸と獣の肉をふんだんに使ったこだわりの逸品――かと思えば、そこにあったのはなんとなく見覚えのある食材を使った海鮮料理だった。
「これは?」
「ヌルリイカの刺身でございます。喉を撫でるように絡みつく粘膜が、まるで細やかな泡に包まれているようだと、大変評判な逸品となっております」
「なるほど」
ヌルリイカだった。
あのカフェでしか見たことの無い食材をこんなところでお目にかかるとは。
それも、刺身ときたもんだ。
生食というのは衛生管理がとても難しく、料理として客に出せるというだけで質の高さが伺える。
のだが、俺はヌルリイカはおろか、海鮮を生で食べたことなどない。
妙な生々しさがあって――いや、文字通り生なのだが。ともかく、少しばかり萎縮してしまうというのが本音だ。
「これは?」
「ベチョリタコの踊り食いでございます。さながら雪原の処女雪に身を投げ出すかの如き背徳感が、大変評判となっております」
「なるほど」
ベチョリタコだった。
あのカフェで以下略。
ちなみにこっちは、ヌルリイカの刺身よりも更に刺激的な見た目をしている。
ぶつ切りにされた足が、踊るように暴れているのだ。
風前に晒された虫型モンスターの灯のように、命の終わりを受け入れられずにジタバタと足掻いている。
これを食べろというのか。まさかとは思うが、俺への宣戦布告じゃあるまいね?
見ろ。最近俺に見せなくなった、ルリのドン引き顔だ。
しまいには【凍テツク旋律】が飛び出しかねないぞ。
「その、これはなかなか……」
「……キモい」
「ばっ、ルリさん! いくら猟奇的だからってそんなストレートに――うぉっ」
ルリの失言を叱りつけようとした時、突如としてけたたましい鐘の音が鳴った。
静かな温泉街には似つかわしくない騒音。何事だろうか。
様子を伺うように中居を見やると、全く動じることのない笑顔を浮かべていた。
「あの、この音って?」
「山奥という立地上、頻繁にモンスターが下りてきます。この鐘は、モンスター襲来の知らせとなっております」
「――モンスターか! ルリ、タマユラ、急いで外に……」
「お客様が出ていかれる必要はございません。今頃、冒険者様が駆除に出てくれております」
俺の焦りを宥めるように、中居は笑顔を崩さず言った。
いや、俺も冒険者なんだけど。
見た目弱そうで冒険者に見えないって? よし表に出ろ。
「お客様は最上のプランで宿泊頂いておりますので。冒険者様限定の安価なプランの方には、宿にモンスターが出没した際に応戦して頂いております」
「利害がものすごい勢いで一致してるプランですね」
安く泊まりたい冒険者と、金をかけずに用心棒が欲しい宿。
お互いの求めるものが上手く噛み合った、頭のいいプランだな。
でもそうは言っても、出てくるモンスターと泊まってる冒険者の強さによって話は変わってくるのではないだろうか。
A級モンスターなんかが現れたら、E級やD級の冒険者がいくら束になっても敵わないと思うが。
「この辺りに出没するモンスターは強いものでC級です。加えて、こちらのプランはD級以上の冒険者様が対象になっておりますし、常に数十名の冒険者様が宿泊されておりますので、ご心配はいりません」
「へぇ、まぁそういうことなら……」
他の冒険者に任せてもいいか。
数十人もいるなら、モンスター1体のためにわざわざ俺たちが出ていっても邪魔になるかもしれない。
「発酵させた豆のスープもございますので、冷めないうちにお食べください。では失礼します」
「ありがとうございます」
そう言って、綺麗な笑顔のまま中居は退室した。
残されたのは、今なお踊り続けるベチョリタコたちと、それを見つめる俺たちだ。
どうしたってこれを食べる気になれず、微妙な沈黙が流れる。
「……ルリ、食べてみなよ」
「……なんで私が。ヒスイから食べるべき」
「……ねぇ、そこの自分に矛先が向かなくてホッとしているタマユラさんよ。食べてみたらどうだい?」
「なっ……い、いえ、いくらヒスイの頼みでも譲れない時だってあります」
みな思うことは同じのようで、進んでこのベチョリタコを口にしようとする者は誰もいなかった。
誰かが食べたら自分も挑戦しよう。
3人ともそんなことを考えていたに違いない。
「……ヒスイってベチョリタコ好きだったよね」
「ならヒスイから食べるべきでしょうね。好物なのですから」
女子組は結託して俺を刺すことに決めたようだ。
こわい。こういう時の女の子こわい。
「ちょっ……俺の知ってるベチョリタコは踊ってないやつだから! っていうかさ、さっきふたりとも俺に迷惑をかけたよね? ここは反省を込めてパクッといくべきじゃないかな」
「くっ、それを持ち出されると……」
「……ヒスイには人の心が無いの?」
「何を言われてもいい。この場を凌ぐことさえ出来るのならば」
今日一番のキメ顔で、なるべくいい声を作って言葉にした。いやほんと、一番ノリだけは勘弁っす。
場は膠着状態が続いている。
だが、今日の俺にはふたりの頼みを断る大義名分がある。
この場で最も安全圏に近い場所にいるのは俺だろう。
あとは、ルリとタマユラのどっちが犠牲になるかだ。
「……タマユラは頼れる優しいお姉さんだよね」
「ありがとうございます。ルリの勇敢で恐れ知らずなところは真似できません」
「……タマユラは好き嫌いとかなさそうだよね」
「あまりないですね。ルリはベチョリタコが好きではないのでしたっけ? ダメですよ、今こそ好き嫌いを克服する時です」
なんかバチバチやり始めた。
さっきまで仲良く俺を攻撃していたのに、変わり身の早いことだ。
それにしても、このまま続けたら俺たちの仲が拗れそうだな。
せっかく築き上げた絆でも、崩れる時は一瞬だ。
特に、ルリとタマユラは最近仲良くなったばっかりなのに、早くもそれが崩壊しかねない。
それは困るので、やっぱりここは俺が犠牲に――、
「……最初に食べた人の頭を10分間撫でようと思う」
なれなかった。
せめて勇気を振り絞った者にはご褒美という、ささやかな寵愛が俺に出来る全てだ。
こんなので簡単に手を挙げるチョロい子であることを願うばかりだ。
「……こしゃくな」
「非常に魅力的な提案ですが、ここはルリに譲りましょう。ヒスイのなでなでは好き嫌いを克服できた子にこそふさわしいです」
「……ん、いや、でも」
「しかも、布団の中でなでなでしてもらってはどうでしょうか。幸せな寝付きになるでしょうねぇ」
「いただきます」
なんか勝手に俺のハードルが上がった。
布団の中で密着しながらルリの頭を撫でるとか、明らかに俺のキャパを超えた要求である。
だがまぁいい。それでルリが人柱になってくれるなら安いものだ。
タマユラは、ちょこんと舌を出した悪戯な顔で俺を見ていた。どっかのカフェの店員と被るような、小悪魔だ。
ルリは、恐る恐るベチョリタコをフォークで刺した。
まるでフォークから逃げ出そうとしているようにクネクネと動き続けるそれを見て、後悔混じりの引きつった顔をしている。
「ほら、パクッといっちゃえよ」
「ルリ、応援してますよ」
「……他人事だと思って、もう――ん!」
目を瞑りながら、勢いよくベチョリタコを口に放り込むルリ。
さすがはS級冒険者。思い切りの良さは世界レベルだ。
「すごいな、ルリ。どう? どんな感じ?」
「美味しいですか? 気持ち悪いですか?」
「……かえあい、かえあい!」
「え、なんて?」
俺たちの賞賛を一身に受けたルリは、なにやら謎の言葉を放ちながら涙目になっている。
一体この子はどうしたというのだろうか。
「うい、うい! かえあい!」
「憂い? 色々キツいのはわかるけど、そんな詩的な言い回しをしなくても……」
「ヒスイ。これは『無理』と言っているのではないでしょうか。『無理、噛めない』と。恐らく、口の中で暴れ回ってて……」
「あ、そうなの?」
必死にコクコクと頷くルリ。
それにしても、言葉を封じられ涙目になる少女。変な欲望のある奴には絶対見せられない光景だ。
なんて場違いなことを考えていたが、ルリはそれどころじゃないらしい。
噛むことはできないし、一度口に入れた手前吐き出すこともできない。
その結果、テンパって泣きそうなルリが完成した。
俺としては、ずっと口の中に入れてる方が拷問だと思うのだけど。早く食っちまえばいいのに。
「たふええ! たふええ!」
「『助けて、助けて』と。なんかルリが可哀想になってきました」
「悲痛すぎて心が痛いな。ルリ、吐き出してもいいよ?」
別に無理矢理ルリの口にベチョリタコを突っ込んだわけではないが、罪悪感とやっちまった感がすごい。
まるで俺とタマユラがルリをいじめて泣かせたみたいじゃないか。
そろそろ見てられないので、皿にぺっすることを促した。
大丈夫、ルリの唾液とベチョリタコの粘膜の見分けなんてつかないから。
ルリは皿を受け取り、乙女の恥じらいを殺して吐き捨てようと――、
「――――」
「――うおっ! なんだ!?」
その瞬間、轟音とともに空気が激しく振動した。
咄嗟のことに俺とルリは体を跳ねさせたが、タマユラだけが冷静に状況を判断した。
「これは……爆発系の魔法ですね。外の冒険者が使用したのでしょう」
「なんだってこんな所でそんな魔法を……ビビっちゃったよ、俺とルリは……ルリ?」
「…………飲んじゃった」
そこには、顔を青くしながら口の端から細いよだれを垂らすルリがいた。
それなりの大きさにカットされていたベチョリタコを、ひと噛みもせずに丸呑みしてしまったらしい。
喉に詰まらせなくて良かったと思ったが、ルリ自身はそんな心配よりも絶望の方が強かったようだ。
そして絶望は、やがて怒りになる。
食べちゃったんだし、もうよくない? なんて、今のルリに言える雰囲気ではない。
「……どこのアホが宿の近くで爆発魔法なんて使ってるの? 絶対に許さない」
そのルリの顔は、今までに見たどの瞬間よりも恐ろしかった。
本気で辺り一帯を永久凍土にでもしてしまうんじゃないかという凄みがあった。
その怒りようといったら、ルリが杖を持ち部屋から出ていくまで、俺とタマユラは身動きが取れなかった程だ。
「――ちょ、ヤバいって! 爆発魔法の人が氷像にされちゃう!」
「急ぎましょう! 爆発魔法の人が氷像にされる前にルリを止めなくては!」
俺たちは、大慌てで駆け出した。
爆発魔法の人、どうかご無事で。




