71.『非日常』
「ふふ、向こうは楽しそうですね」
「……行ってくれば?」
「行くわけないですよ!?」
ヒスイが危うく茹でベチョリタコになりかけていた頃。
ノアと思わぬ再会を果たし、友情を育んでいた頃だ。
壁一枚向こう側でもまた、とあるふたりの友情が固くなろうとしていた。
「ほんと、いいお湯ですねー」
「……ん」
タイミングが良かったのか、女湯は貸切状態だった。
この美しい夜空と、優しい風。それから、体に染みる温泉をふたり占めできるとは、運のいいことである。
「幸せですねぇ」
「……ほんと、幸せ」
「気持ちいいですねぇ」
「……気持ちいい」
あまりの極楽に脳まで蕩けそうなふたりは、穏やかな時間を共有していた。
のだが、
「――やいてめえ! よくもやってくれたな! あやうく俺の自慢の色白ボディが調理済みのベチョリタコと同じ色に……」
「……ヒスイだ」
「ヒスイですね」
相変わらずというべきか、意外と言うべきか、何やら騒いでいるヒスイの声を聞いて、ふたりはクスリと笑い合った。
「……誰に絡んでるんだろ。かわいそう」
「さすがに見ず知らずの方に啖呵を切るような人では無いですが……ヒスイ、大丈夫ですかー? 凄い音とガラの悪い声が聞こえてきましたが!」
と、タマユラが壁の向こう側に声を投げかけ、それを見たルリは目を丸くする。
半笑いのタマユラと目が合ったと思えば、再びふたりは笑い合った。
「……恥ずかしくないの? 男湯だし」
「普段だったら恥ずかしいでしょうね。でも、今はなんか……変に気分が高揚してます」
「……わかる」
温泉旅行という非日常が、ふたりのテンションを破壊した。いい意味で気が大きくなっているのだ。
そしてそれは、友情を促進させるのに最も適したテンションである。
裸の付き合いというのもあるし、タマユラとルリは今、お互いがお互いを世界で一番の親友だと感じている。
「ルリは声がちっちゃいですよね。返事とかも一拍遅れがちですし」
「……会話、得意じゃないから」
「ふふ、そこが可愛らしいと思いますよ。子供っぽくて」
「……子供っぽくないし」
タマユラにしては珍しく、ともすれば暴言と捉えられかねないような鋭さのある言葉をルリに投げかける。
これも、普段のタマユラだったなら決して口にしない言葉だ。
そしてルリも、普段であればカッとなってしまうところだろう。
しかし今夜は無礼講。ルリはむくれて泡ぶくを作っているが、そこに怒りはない。
むしろ、これこそがルリの求めていた友人関係だったとすら感じている。
「でもヒスイが言っていました。ルリは一見取っ付きづらいけど、実はめちゃくちゃ分かりやすくて感情が豊かだって」
「……恥ずかしい」
「今は私もそう思ってますよ。素直で、子供っぽくて、純粋で、あと首筋が弱い子だって」
「……ちょっとタマユラ」
「ふふ、冗談です」
ルリにとって、こうして誰かにイジられるのは新鮮だ。
恐れられたり、怨まれたりすれど、愛のあるコミュニケーションを取ってくれる友人は……ヒスイが最初だったが、今となってはタマユラだけだ。
ヒスイはもう、友人ではなくなってしまったから。
「ルリ、いるー? お湯加減はどうだーい?」
「あ、ルリ、ヒスイが呼んでますよ。ほら大きな声で元気よくお返事を」
「……んー。ぽかぽかー」
と、噂をすればヒスイからの呼びかけだ。
普段なら恥ずかしがるところだが、例によって非日常からくるテンションがルリに大声を出させた。
「今のルリの声、今まで聞いた中で一番大きかったかもしれません」
「……そんなことない。ヒスイの前では結構大きな声出してる」
「へぇ、愛が漏れ出てきちゃうとかですか?」
貴重なタマユラのおふざけと、口を半開きにしてニヤニヤと笑う表情に驚きつつ、ルリは考えた。
ヒスイの前で大声を出した時といえば――、
「……ヒスイが私を怒らせるから? ううん、頼りないから? なんか、ヒスイって見てて不安になる時がある」
「……衝撃的な事実を知らされました」
ヒスイがお門違いなことで悩んでいたり、頼りなくウジウジしている時だったことに気付く。
もちろん、いざという時に彼ほど頼りになる人はいない。
だが、こと精神面においては、案外脆いところがあるのではないか……というのがルリの総評だった。
もちろん、ルリも人のことを言えるほど出来た人間ではないので、持ちつ持たれつだ。
「……この先、どうなるんでしょうね」
「……どうって?」
「あれから、魔王の行方はわかっていないじゃないですか。手がかりもなく、バエルが最期に残した言葉だって――む」
話題がネガティブな方向に逸れそうなことを察知したルリは、静かにタマユラの両頬を引っ張った。
「……魔王は倒す。けど、今日くらいは忘れよ」
「ふぁい」
せっかく温泉という楽園まできて、わざわざ現実を見ることもあるまい。
そりゃ、考えなくてはいけないことで、最優先にすべきことでもある。
だけど、四六時中考え続ける必要だってない。
ご飯を食べてる時は美味しいご飯に集中してればいいし、寝てる時は夢を見てればいいのだ。
そして今は、この非日常を楽しめばいいじゃないか。
「ルリは大人なのか子供なのか分かりませんね」
「……子供じゃない」
「でも、私にとっては5つ下なんですよね。不思議とそんな感じはしませんが」
実際、ルリはこの年齢にしては大人びている方だ。主に精神的な意味では。
当然だろう。S級冒険者として、たったひとりで生きてきたのだから。
そういう意味では、タマユラと対等な目線から話が出来る数少ない冒険者と言える。
だがやはり年相応な部分もあって、大人の部分と子供の部分が複雑に入り乱れてルリという女の子ができている。
「まぁそれはそれとして、ルリはもっと笑ってみてもいいのではないですか? 私、ルリの笑顔はとんでもない破壊力があると思うのです」
「……難しい」
「じゃあ無理矢理笑わせちゃいますよ――えい!」
「――! あははははは! ちょ、タマユ……あは、あはははは! やめ、やめてってばははは!」
「ルリは脇腹も弱いのですね! そんなに細いから敏感なのですよ、私なら脇腹くらいでは――」
タマユラのテンションも留まることを知らず、ルリの無防備な脇腹は狙われてしまったのだ。
およそ、声だけ聞けばルリだと信じられないほどの高笑いをあげて、ルリはくすぐりの暴力に屈した。
しかし、そこはルリ。いつまでもやられっぱなしは性じゃない。息も絶え絶えに、なんとか反撃の機会を得た。
「――私には効きま……あは、あははは! る、ルリ、やめてくだ……あはははは!」
「……まいったと言いなさい。降参すれば情けを……あはっ、ちょ、たまゆ」
「私も負けてばかりでは――」
「私だって――」
■
「……で、ふたり仲良く湯あたりしたわけね」
「……面目ない」
「すみません……」
部屋に運ばれてきたふたりを仰ぎながら、俺はため息をついていた。
そりゃはしゃぎたくなる気持ちはわかるが、限度を知ってほしいものだ。
焦った様子の仲居さんが「S級冒険者様のお連れの方でしょうか!」と駆けてきた時には何事かと思った。
ふたりが為す術なくやられるなんて、まさか魔王か!? とか焦ってしまったのが恥ずかしい。
「まぁ、楽しくなっちゃったんだよね。しょうがない、次から気をつけるように」
「……はい」
「……はい」
そんなこんなで、温泉を堪能する夢のような時間は終わった。
次は、夢のような晩御飯を堪能しようじゃないか。
楽しみは、まだまだ続く。




