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66.『たった3文字の全て』


 永遠にも感じられる時間が流れた。

 十数秒にも満たないほど僅かな待ち時間の中で思うのは、逃避の願望でも、切迫への焦燥感でもなく――ただ早く、その顔を見たいという確かな想いだった。


 そして、ドアの開く音が俺の高揚を煽る。

 いざ行動に移してみれば、狂おしいほどの緊張はどこかへ吹っ飛んでいた。


 目が合うだけでまるで陽の光に覗かれたような錯覚に陥り、心臓が高鳴る。


「――ヒスイ?」


 ――あぁ、見目好いものだ。

 この声が、顔が、仕草が、俺を恍惚とさせる。

 溢れんばかりの想いは、もう留まることはなかった。


「珍しいですね、私の部屋に来るなんて。どうしたのですか?」


「――タマユラ、話がある」



 我が家では、自室は完全なプライベートルームになっている。

 もちろん部屋主が招いた場合はその限りではないが、基本的には無許可で立ち入ることを禁じているのだ。

 

 そうやって一定の距離を保つことこそが、他人との共同生活を上手く成立させる秘訣とも言える。


 そんなわけで、俺はタマユラの部屋に入るのは初めてだ。

 これは新発見だが……好きな女の子の部屋にお邪魔するのは、中々にドキドキするらしい。


「どうぞ」


「失礼します」


 一歩入れば、ふわりといい匂いにクラクラする。

 緊張から高揚、さらにそこからドキドキクラクラだ。

 心拍数がうなぎ登りで、今の俺は小動物並みの脈拍を記録していることだろう。


「かわいいな……」


「ちょ、恥ずかしいです――やっぱり私、こういうイメージないですか?」


「ん? ああいや、そんなこともないよ」


 部屋中のピンク色に囲まれたタマユラが顔を赤くしている。

 どうやら、この少女趣味な部屋を見られたことに照れているらしい。


 だが、俺の呟きは部屋を見て飛び出たものでは無い。

 薄桃色の寝巻きを召した、飾りっけの少ないタマユラを前に自然に口をついた言葉だ。

 誤魔化しのきく勘違いをしてくれて助かった――いや、もはや隠す意味もないのだが。


 俺はこれから、タマユラに想いを伝えるのだ。


「それで、話というのは?」


「うん、えっと、そのね……」


 心なしか、タマユラの表情が引き締まったような気がする。

 あぁ――あれか、このタイミングで俺が部屋に訪ねてきて、神妙な面持ちで話があるなんて切り出したら、魔王関連の話だと思われるか。


 これが実は愛の告白だって知られたらどう思われるかな。「この大変な時に何を色ボケてるんですか」って怒られるかな。それはそれでアリだな……じゃなくて、そういう女々しいのはもう済ませてきたはずじゃないか。


「……ヒスイ?」


 まずは言うんだ。気持ちを伝えてから、改めて話したいことは山ほどある。言わないと、始まらない。


「――あの、す、す……」


「す?」


「……ストーンゴーレムの質感がたまらなくてさ」


「へ? そ、そうですか……確かにマニアが存在するらしいですからね……」


 何言ってんだ俺。ストーンゴーレムなんて戦ったことないだろ。

 見ろ、タマユラがめちゃくちゃ優しい笑顔で合わせてくれちゃってるじゃないか。そういうとこ好きだよ。言えよ、口で。


「いや、ストーンゴーレムの話をしにきたわけじゃなくて、す、す、す……!」


「す?」


「……スライムには複雑な感情があるんだ」


「それは、その……元気だしてください。私たちがいますから」


 嫌なこと思い出しちゃったよ。

 元気にしてるかなー、クォーツとタルク。

 別に元気にしてなくてもいいけど。


 いや、そうじゃなくて。


「――全く、ヒスイったら。そういうことですか、それならそうと言ってくださいよ」


「へ?」


 と、タマユラが何かを察したようなしたり顔を見せてくる。

 え、バレたの? 確かにちょっと露骨さはあったけど、バレちゃったの? 一番ダサいやつじゃん。

 自分の口から言えずに、相手に察されるとか、一番男らしくないやつじゃん。


 そんな心配をよそに、


「私と共に依頼を受けたいんですね? 新しく覚えた魔法なんかもありますし、私と連携をとるのも久しぶりですし。魔王との決戦を前に詰めておきたいと。そういうことですね?」


 タマユラは盛大な勘違いを繰り広げていた。


 そういうことじゃないですね。

 確かにそれも大事だけど、少なくとも今俺がしようとしている話には掠ってもいませんね。

 まぁ必要なことなので、一旦は話を合わせておこう。


「そうそう、何かいい依頼があればと思って」


「確か……A級モンスター【ワームリッチ】の討伐依頼がありましたね。2日程度で帰って来れると思いますが……ルリも一緒の方がいいでしょう。明日は遠征に必要な道具や食料を買って、出発は明後日でしょうか」


 そして、プライベートのタマユラから冒険者モードのスイッチがかかった。

 こう改めて目の当たりにするとよくわかる。


 やはり、タマユラは綺麗だ。綺麗で、かっこよくて、頼もしい。


「私たちであればA級モンスター程度は3人で十分でしょう。ワームリッチは群れていることが多いので、ヒスイの新しい魔法を確かめるのにも――」


 この覚悟の詰まった目を見ると、やはりどれだけ強くなってもタマユラには敵わない気がしてくる。


 あの燃える夜の中で、傷だらけになりながらも立ち続けたタマユラだから。

 それなのに、まだ足りないと貪欲に力を求め、確固たる意思で強くなり続けるタマユラだから。

 魔王軍七星バエルの前でも、己を曲げようとは微塵も考えず、勇敢に立ち向かえるタマユラだから。


 そんなタマユラだから、好きなのだ。

 ひとたび冒険者という鎧を脱げば、案外普通の女の子であることも全部含めて、好きなのだ。


「――というプランでどうでしょうか。後でルリも一緒に作戦を練る必要はあるかもしれませんが」


「じゃあ、それにしよう。ワームリッチなら多少は戦い慣れてるしね。それともうひとつ話があるんだ」


「もうひとつ、ですか? あ、もしかしてあのカフェの――」


「好きだ」


「――――ぇ」


「タマユラ。俺は君のことが好きだ」


 そこには、メモに書き留めたようなキザな言い回しも、思わずむず痒くなってしまうような情熱的なアプローチも必要なかった。


 たった3文字。

 それが伝えたい全てだった。


「す――ヒスイが? 私を? あ、わ、私もヒスイを、同じ冒険者として尊敬して――」


「冒険者としても、異性としても、俺はタマユラのことがたまらなく好きだし、尊敬してる。ずっと一緒にいたいと思うくらい」


「――――」


 放っておけば、いくらでも言葉は出てきただろう。

 だが、不思議とそれは必要ないと思えた。

 たったこれだけのシンプルな想いが、全てを伝えてくれると信じられた。


 だから、俺はタマユラの言葉を待った。


「――私も、ヒスイが好きです。どうしようもないくらい大好きです。もちろん、異性として」


「――じゃあ」


「――でも」


 ――でも。目線の先が安定しなかったタマユラは、そう言った後に俺を真っ直ぐ見つめた。

 俺の好きな、強い信念の目だった。


「ヒスイの気持ちには、応えられ――いえ、応えていいのか、わからないんです。これが、昨日までの私だったら、今頃有頂天になって飛び跳ねていたん、でしょうが……」


「昨日までだったら――?」


「――ルリのことを、考えてしまうから。私だけ幸せになることは……ヒスイ、ルリのことは、どう思っていますか?」


 気付けば、タマユラは目に涙を溜めていた。

 俺の考えが甘かったのだ。ルリと仲良くなったということは、きっと俺とのことも話してあるはず。

 そこに気付かないのは、俺の考えの浅さが生んだ暴力に他ならなかった。

 

 結果として、タマユラに負担を強いることになったわけだ。

 しかし、この告白は俺のわがままだとは理解した上で伝えた。

 だからせめて、真摯に答えるのが俺の義務なのだ。


「……ルリへの気持ちは、恋心じゃない」


「――あんなに仲が良さそうなのにですか?」


「俺は、タマユラが好きだ」


「でもルリは、ヒスイのことが好きです」


 わかっている。わかった上で、けりをつけたつもりだ。

 そして俺は、タマユラが好きだ。

 それが事実で、それが全てだ。それを、選んだんだ。


 タマユラにとってそれは、喜ばしいことではなかったのだろうか。


「私が受け入れたら、ヒスイと私の関係はどうなるのですか?」


「それは――その、恋人に」


「人目をはばからず、仲睦まじく接するということですか?」


「……そうしたいと思ってる」


「――それじゃ、ルリが可哀想すぎる! あんまりじゃないですか、あんなに健気に想って、ヒスイのことを――!」


 それも、わかっている。

 ルリにはちゃんと説明して、わかってもらう。

 それが出来なきゃ、一発重いのを貰ってもいい。

 

 それを理解した上で、俺はタマユラと共にありたいのだ。

 タマユラは、そう思っていないのか。

 俺の言っていることは、そんなに間違っているのか。


 いや、間違っていないはずだ。

 俺はタマユラが好きで、タマユラも俺を好きと言ってくれた。

 ならば、結ばれていいはずじゃないか。


 そりゃ、ルリに申し訳ない気持ちも当然あるが――、


「――すみません。嬉しい、嬉しいんです。初めて好きになった方に、好きと言って貰えて。こんなに幸せなことはない。本当に、嬉しい……」


「タマユラ……」


「初めて恋をして、知りました。恋って言うのは、楽しいばかりのことじゃないと。辛く、もどかしく、切ないものだと。だから、同じ人を同じように想ったルリも、同じように報われて欲しいと思ってしまう」


 これもまた、俺が好きになったタマユラの信念なのだろう。

 自分よりも、周りを優先する生き方だったから。

 自身よりも、民のために命を燃やしたタマユラだから。


 しかしこればかりは、俺にどうすることもできないのだ。

 俺にタマユラは、救えない。好きな人に好きと言ったから、救えない。


「……ルリのことは、本当に好きじゃないんですか?」


 ポツリと、タマユラが呟く。


「……恋愛感情ではない」


「そう思い込もうとしているだけではなく?」


「……そうだとしたら、どうなるんだ」


 そんなこと、俺が一番わかってる。

 今日の昼間まで好きだと思っていた相手だ。

 無理矢理振り切っても、恋の残滓は残っている。


 それを認めたら、どうなるっていうんだ。

 俺がタマユラを好きだという気持ちが変わるわけでもない。

 どうにも、ならない。


「最初に伝えるべきでした。私とルリは、ふたりとも結ばれることが出来ればいいのに、と考えていました」


「そりゃ、そうかもしれないけど。俺はひとりしかいないから」


「いえ、そういう意味ではなく……ふたりが同時に結ばれてもいいのでは、と」


「――え?」


 それは、どういう意味だろうか。

 俺の解釈が正しければ、それは俺にだけ都合のいい、悪い冗談のような話になる。


「――私とルリを、一緒にもらってくれませんか?」


「――な、んだって?」


「この国では一夫多妻は一般的ではありません。が、認められていないわけでもない。もしヒスイがルリのことを好きなら、それが」


 待ってくれ。そんなこと、だって、そんなの。

 もしかして、俺は変な夢でも見ているのではないか。

 

 本当の俺は告白する勇気が持てなくて、もしくはタマユラにこっぴどく振られて。

 俺の叶わぬ願望が見せた、欲望丸出しの幻想じゃないのか。


 そうでもなければ、タマユラからこんな話をされるものか。

 そんな不誠実が許されるなら、俺が悩んだ意味とは。


 ――ルリへの想いを踏みにじって、想いを決めた意味とは。

 俺はなんのために、ルリを振ったのだ。

 ここでふたりを選ぶなんてことになったら、俺は無意味にふたりに優劣をつけたことになる。


 そんなことが許されるはずがない。

 悪い夢であると、そう言われた方がマシだ。


「――ルリを、連れてきてもいいですか」


「――あ、ああ……」


 数分後、泣き腫らしたルリが枕を抱えて現れるまで、俺は呆然として動くことが出来なかった。


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