63.『S級の恋慕事情:ヒスイの場合』
ここから眺める景色は、相も変わらず街の喧騒だ。
忙しなく動く人々に、必死に生きる意地を感じる。
俺はそんな雑踏を横に、昼食を待っている。
「お待たせしました。べチョリタコサンドにコーシーです」
「どうも」
今日は別に、誰かを傷つけ、泣かせ、胸が張り裂けそうな思いでここにいるわけではない。
今日は、タマユラもルリも家を空けている。
タマユラは冒険者仲間に帰還報告をしに行ったらしいが、まさかのルリも友達とご飯を食べに行ったという。
本当だろうか。いつの間に友達なんて作っていたんだろう。家に連れてくればいいのに。
「今日はなにか悩み事が?」
「いえ、今日は家に誰もいなくて暇だったので」
「そうですか。ゆっくりしていってくださいね」
それにしても、この店はよく無事だったものだ。
一番被害が大きかったのは居住区だろうが、ここ商業区も少なくないダメージを被っているはずなのに。
現に、窓の外には店の補修や取り壊しで忙しそうな職人が多く動いている。
「それも、店員さんの行いが良かったからですかね」
「あら、今度は私をたらし込むおつもりですか?」
「いえいえ、滅相もない」
俺は別にタマユラとルリをたらし込んでいるわけではないし。
むしろ、未だに気持ちの着地点を探して彷徨っている、不甲斐ない男だ。
最近ではルリの扱いも慣れたもんで、あの精神攻撃をある程度スルーする力を身につけた。
「それで、どうなったのか伺ってもいいですか?」
と、俺の相談というか独白に付き合ってくれた店員――かつてのパーティメンバーで、今は記憶を失ったただの看板娘である女性が、俺に問いかけた。
そういえば、話を聞かせるだけ聞かせておいて事の顛末を報告していなかったのだ。
「え? あぁ、恋人ではなく、 家族として接することにしようと」
「――なるほど。お相手は、それで納得すると?」
「納得というか、受け入れてはくれてると思います」
そう、受け入れて――くれているだろうか。
ルリは頭がいい子なので、少なくとも理解はしてくれたのだろう。
その上で、諦めないとも言った。
最終的には、見かけ上は以前と変わらない関係に落ち着いた気もする。
だけど、気の持ち方は確実に変わっただろう。
「あ、それから……以前お話したもうひとりの方も、同じパーティに入ることになりまして」
「――その方への気持ちは、ご自身で理解されておりますか?」
「うーん、それがどうも……いや。ご想像の通りだと思います。俺はまた、悩んでいるのかもしれません」
だからこうして、答えを求めて無意識にこの場所に足を運んでしまったのかもしれない。
ほんと、この人には世話をかける。
何が悩んでいないだよ。そもそも人生悩み事の連続だし……いや、今はそういう話ではないけど。
「それで、今日はどんなお話を持ってきてくださったんですか?」
優しく微笑む看板娘の問に答えようとして、言葉に詰まる。
あれ、俺は何を悩んでいたんだっけ。
「……そうですね、無責任だと思われてしまうかも知れませんけど」
「あら、そんなこと思いませんよ」
俺の話の前置きにも律儀に相槌をうつ看板娘。
その慈母のような目付きを見て、俺は苦笑いをしつつも安心感に包まれる。
なんとなくだが、この人は俺よりも俺の気持ちを理解してくれる気がする。
だから、こんな言葉を続けても大丈夫だと思った。
「その悩みが爆弾すぎて、目を背けたい気持ちでいっぱいなんです」
「なるほど……どうにかしたいのに向き合いたくない、みたいなことですか?」
「そりゃ、どうにかなるなら……いえ、しなければならないとは分かっているんですけど」
結局のところ、俺はいくらカッコつけても自分の気持ちが分かっていなかったのだろう。
答えを出したつもりになって、後回しにしていただけなのかもしれない。
「いや、それはちょっと違うな……あの時に出した俺の答えは、間違いなく正直な気持ちでした」
「今は違うんですか?」
「違う……ええ、違いますね。あの時には気付いていなかった気持ちがあった。辿り着けなかった答えが」
「ふふ、私ももう察しましたよ。ここからは、難しい言い回しはなしにしませんか?」
そうだな。頭のいいふりをして、堅苦しい言い回しをして、それっぽく誤魔化しをつけるのはもうやめだ。
それはとてもシンプルで、既に名前のある感情。誰にでも芽吹く感情。淡く儚い感情。
「俺は――恋をしてしまったんです」
「はい、おめでとうございます」
「おめでとう?」
「初めての恋でしょう? なら、おめでとうです」
そういうものなのだろうか。
今になって思えば、初めてこの気持ちを抱いたのは君が最初だった気がする、なんてことは言わない。
今となっては、俺はこの人の新たな生活を邪魔するつもりは毛頭ないから。
それで、俺の話だ。
ある時から沸いた、心の中のモヤモヤを説明するなら――、
「きっとこれは、好きってことなんだろうなと」
「何かきっかけがあったのですか?」
「危うく死にかけたんですよ、俺。その時に、絶対に今死ぬわけにはいかないなと。その子の顔が浮かんで」
「そうですか。それで、どちらの方か聞いてもいいですか?」
そうだよな。そう聞かれるはずだ。
今の俺が出した答えが少しおかしいことはわかっている。
だが、あの時の俺が出した答えよりは真剣に向き合った結果だとも言えるだろう。
俺が好きなのは、
「……ふたりとも、ってのはダメですかね」
「――あらあら。それはまた、豪快ですね」
「俺の気持ちとしては、そうなんです。ただ、それはあまりに不誠実じゃないですか。そんなこと言えないし、受け入れて貰えるはずもないし、受け入れて欲しくもない……何様なんだよって話ですけどね」
俺はルリとタマユラが好きだ。
ふたりとも大好きだ。それは、家族としてとか、仲間としてとか、そういう感情ももちろんある。
されど、世の常。きっとこの世界が生まれた瞬間に定められた運命。
男と女は、恋に落ちるように出来ているのだ。
そして俺も例に漏れず、ただの男なのだ。
「初めて自覚した恋心が、ふたりに向いているなんておかしな話ですよね」
「そうでしょうか? ありがちな話かと思いますよ」
そうなのか。男ってのは困ったもんだな。
ともあれ、このままでいいとは思えない。
どうにかして突破する必要があると、俺の良心が叫んでいる。
「それが悩みですか。確かに難しい話ですね」
「あぁいや、それも大きな悩みなんですけど」
「えっと?」
「結局、それぞれに向けた気持ちって、ちょっと違うんですよ」
タマユラ。彼女がいてくれたから、俺はこうして冒険者を続けている。
あの日、民の思いを一身に背負って藻掻く姿を見たからこそ、俺もそうありたいと思うようになった。
彼女がいなくなるまでのほんの少しの間、共に戦った記憶は強く刻み込まれている。
タマユラが俺の前からいなくなってからも、俺は彼女の後ろ姿を思い描いて戦ってきたのだ。
S級冒険者としての信念は、タマユラから教わった。
もちろん、そればかりではない。
溶けそうなほど艶やかな髪も、真っ直ぐに捉える目も、凛とした声も、太陽のような笑顔も、滅多に見せない困り顔も、全部全部愛おしいのだ。
俺は、タマユラの隣で戦い続けたい。
戦い疲れた時は、共に寄り添って静かな夜を過ごしたい。
俺のわがままに困る表情を見たい。些細な喧嘩でムッとする顔を見たい。そして最後には笑い合いたい。
――俺は、タマユラが大好きだ。
「たったそれだけの話を、今まで俺は恋だと気付かなかったんです。愛だとは、教えてもらったのに」
「まぁ、恋と愛は違うものですから。それで――」
「それで、もうひとりの――」
ルリ。彼女は、氷細工のように繊細で、それでいて陽だまりのように暖かい。
外面的には心の冷えきった魔女に勘違いされることもあっただろう。
しかしその実、迷子になった俺の心をひっぱたいて連れ戻してくれるほどに熱い性格の持ち主でもあるのだ。
そんなルリのことを俺は、心から信頼し合える仲間だと思っている。
ルリがいれば俺が道を誤る心配はない。そう信じられる。
だからこそ俺は、ルリを悲しませるわけにはいかない。
夜の底と同じ色をした、少し癖のある髪も、眠そうな目も、幼さの残る声も、俺にしか見せない笑顔も、渾身のドヤ顔も、全部全部愛おしいのだ。
俺は、ルリの手を引きたい。手を引かれたい。
言葉すらも必要ないくらいに信じ合いたい。
ふと目と目が合った時、いたずらな笑顔をひとり占めにしたい。冗談を言い合って、ツッコミすらいらないような、そんな関係になりたい。行く先々で、お似合いのふたりだと言われたい。
――俺は、ルリが大好きだ。
「――どうです? 同じ好きのはずなのに、全然違う気持ちでしょう。だから、どちらかに向けたものが本当の恋心で、もう一方は違うものだと思うんです」
だから、軽々しくルリの気持ちには応えられない。
だって、結ばれてから「やっぱりルリへの気持ちは恋心じゃなかったわ! すまんすまん!」とか言えるはずもないし。
そんなことをすれば、瞬く間に俺たちの関係は崩れ去る。
これは勘だが、タマユラへの気持ちが恋なのではないかと考えている。
ルリへの気持ちは、あの日から大きく変化していない。
大きさは変われど、本質はそのままのはずだ。
そんなことを思いながら横目で看板娘を見やると、丁度口を開いた。不思議そうな顔をして。
「……えっと、同じに聞こえましたけど」
「――ですよね。俺もそう思います。やっぱり、ふたりを同時に好きになってしまったようです」
「――あぁ、初々しいですねぇ」
「……なんですか、それは」
仮にも記憶を失ったはずの看板娘に、そんなことを言われるとは。
もしかしたら、俺の恋愛経験の乏しさは常軌を逸しているのだろうか。
というか、この人は恋をしたことがあるということなのか。
「どちらも同じ恋で、愛ですよ。ふふふ、女の子を苦しませた分、存分に苦しんでください」
「あれ!? なんか想定してた返しと違う!」
慈母だと思ってたのに、これじゃ小悪魔だ。
口に手を当てながら目を細めて微笑む姿は、まさに文字通りだろう。
「冗談ですよ。それで、一緒に住んでいるということは、進展がありそうなのでしょう?」
「……それがその、俺がめちゃくちゃスルーしてます」
「なんでですか!?」
「ちょっとこう、頭の中で家族家族家族って呟いて邪念を消し去ろうと」
「だからなんでですか!?」
俺が困らされているのは、主にルリの好き好きアタックだ。
あんなの、もし仮に好きじゃない相手からされてもそのうち心がグラつく。
あまつさえ、好きな子にされてしまったらもうどうすることもできない。
じゃあなぜ、俺がルリの好き好きアタックに耐えられているのか。その答え合わせをしよう。
「ルリに言い寄られた時は、めちゃくちゃタマユラのこと考えてます」
「最低じゃないですか」
「――っ、そうですよ! 最低だと思うんですよぉ……」
言い逃れできないほどに、酷い行いだと自分でも思う。
好きな相手にアピールした時に限って、そいつは別の女のことを考えているのだ。しかも故意に。
ルリにバレたらマジで氷漬けにされるだろう。
もし仮に、全くの脈ナシなら仕方ないとも言える。
だが実際は、脈ナシどころか両思い。
それでいてこの仕打ち、俺も無事にクソ男の仲間入りを果たしたことだろう。
「特にルリへの気持ちは、一度家族という答えを出した手前もありますし……もうどうしていいか分かんなくて」
「自分の気持ちから目を背けていた、と」
「はい……」
ふむ、と考える仕草をする看板娘。
俺はつい目を細める。この後に出る言葉は、普通に考えたら侮蔑。最大級に優しかったら説教だろう。
どちらにしても耳が痛い話なので、咄嗟に防衛本能が顔を覗かせてきてしまった。
しかし、やはり看板娘は慈母だった。
繰り出されたのは予想していたどの言葉でもなく、
「まずは、自分に正直になってみたらどうでしょう」
「正直に……? いや、なってますよ?」
「いいえ。恐らくまだ、余計な考え事が頭から離れていません。恋ってのは、小難しく考えがちですが、本当は単純なんです。好きか、そうじゃないかだけ」
好きか、そうじゃないか。
そんな命題を投げかけられた俺は、軽く俯いて頭を巡らせた。
その問いにはもちろん、好きと答える。
ただその気持ちは、真水ほどに純粋ではない。
自分に正直になってみれば、確かにルリもタマユラも恋愛観から好きと言える存在なのは認めよう。
事実、それが原因で俺はここまで悩んでいる。
しかし、『家族としての愛』という観点を捨てたわけではなく――、
「だから、そういうのです! そういう小難しい考え事は全部なしです! 好きなんですか、好きじゃないんですか、どっち!?」
「――好き、です」
想定外の音圧に面食らいながらも、俺は一言で答えた。
すると、看板娘の表情が途端に柔らかくなる。
「なら、それでいいじゃないですか。好きなんですよ。色々考えてしまうこともあるけど、結局は好きなんです。本当はわかっているんでしょう?」
好き。俺はルリとタマユラが好き。
ルリにも、タマユラにも、俺は恋心を抱いている。
どちらかに、ではなく、どちらにも。
それは確かに、しっくりくるものだった。
つい先程口にまでしたことなのに、今この瞬間の俺はまるで違う景色が見えたようだ。
あーだこーだ考えた結論よりも、頭を空っぽにした一言の方が自分で納得のいく答えが出たというのか。
「少し話を整理しましょうか――いや、お客様が整理してください」
そう促され、もう一度頭を働かさせる。
今度はさっきよりも、遥かに澄み渡った思考を回せると感じた。
「ふたりへの気持ちが、よく分からなかったんです。恐らくこれが好きってことなんだろうなと察しつつも、目を背けていた」
「それは何故ですか?」
「どちらかへの気持ちを、間違いだということにしたかった。ふたりを同時に好きになっていいものだとも思えなかったですし」
「それで?」
「本当は気付いていたんです。でも、気付かない方が皆のためだと思って、気付かないふりをしてた。――俺は、ルリとタマユラのふたりに、同時に恋をしました」
これが、俺の本当の答えだ。
ルリも、タマユラも、同じように同じくらい好きだ。
もちろん、恋愛対象として。
ルリには家族としての愛だと言ったが、そもそも家族というのは恋愛の延長線にあるのだ。
出逢って、好き合って、結ばれた時に家族になる。
ならば、『家族としての愛』を抱いている時点で、俺はルリを異性として好いていたという証拠だ。
もちろん、タマユラにも同じ気持ちを向けている。
「口に出してしまえば、本当に単純な話でした」
「でしょう? そもそも、恋愛感情を言語化するのに無理があるんですよ。100人いれば100通りの想い方があるんですから」
「でもこの先は、よく考えないといけません」
「そうですね。でもきっと、今のお客様ならちゃんと考えられますよ」
そうやって、いつも通りの慈母スマイルを見せてくれる。
そう、これで終わりじゃない。自分の気持ちに正直になったから解決する話じゃないのだ。
むしろ、そこまでが前提と言ってもいい。
――ルリか、タマユラか。
どちらかを選んで、想いを伝える。
後悔しないように、真っ直ぐな想いを。




