61.『S級の恋慕事情:タマユラの場合』
私は、恋をしている。
月並みだが、好きな男性ができた。
たった独りで戦い続け、ついには倒れかけた時、寄り添ってくれた熱い人だ。
頼る人もいなくて、もうダメかもしれないと思った時、自らの危険を顧みず隣に立ってくれた、優しい人だ。
彼は、E級冒険者だった。
A+級モンスターであるバーミリオン・ベビーを難なく倒す確かな実力と、見ず知らずの冒険者を迷わずに助けられる精神力をもっていながら、E級冒険者だった。
私は察した。
何か、事情があるのだろうと。
それは、あれほどの強さを持っていながら、モンスターを前にして微かに足を震わせていたことからすぐにわかった。
冒険者になりたてなのか、実戦経験が少ないのか。
それでもなお、他人のために勇気を持てる人がいることに、感銘を受けた。
誰かのために勇気を持ち、守りきるほどの実力を持つ。
私の目指すS級とは、まさに彼のことだったのだ。
そのために、力をつける必要があると思った。
今のままでは、誰かを守ることなど出来ないと。
そして、彼の隣に立つことこそが、私の存在意義だと強く感じた。
願わくば、彼を支えられる存在になることができれば、私の人生は深い意味を持つことになるだろう。
最初は、尊敬だった。
それが恋慕だと気付いたのはいつだっただろうか。
彼のように、彼のために、彼のそばに。
そんなことを考えているうちに、いつしか水面に映る顔が恋する乙女のものになっていた。
えらく他人行儀な言い方だが、本当にそう感じたのだ。
今まで、『S級冒険者』で『剣聖』で『剣士』である自分の顔しか見たことのない私は、自分のその表情を初めて見た。
それは、街のどこにでもいる女の子の顔だった。
そこに『剣聖』の面影はなかった。
『剣の頂』を訪れた日、私のことを恋する乙女として扱った師範を、心の中で笑った。
確かに、あの頃は既に彼への恋慕に気付いていた。
だけど、別にそれが本質ではないのに。
私の彼への想いは、尊敬であり、賛美であり、敬畏だ。
そこにほんのちょっとだけ恋慕が割り込んではいるものの、核心ではない。
むしろ、再び彼の隣に立ってみればそんなちんけな慕情は吹っ飛んでしまうだろう。
それほどまでに、圧倒的な存在なのだ、彼は。
そう思っていたのに、ダメだった。
師範にひとたび心をつつかれれば、みるみるうちに想いは溢れ出し、後戻り出来ないほどに強烈になっていった。
それを認め、自分の気持ちに正直になると、信じられないほどにあっさりと強くなることが出来た。
そんな免罪符を与えられた私は、なおさら止まらなくなった。
私は、ヒスイが好きなのだ。
■
「私はどうすればいいでしょうか……」
「伝えればいいじゃない、気持ちをさ! ヒスイさんの話はどんどん広がってるし、早くしないと取られちゃうかもっ」
がおー、という鳴き声が聞こえてきそうなポーズで両手を広げるのは、私の冒険者仲間であるスピネだ。
鮮やかな桃色の髪をふたつに束ねた、元気が取り柄の女の子。
そんなスピネはこう見えてA級冒険者で、私とは5年以上の付き合いになる。
一緒に冒険をしたり、買い物に付き合わされたり、仲のいい友達ってところだ。
今日は、酒場で相談に乗ってもらっている。
「……ヒスイが私のことをどう思ってるかわかりません。とても良くしてくれていますが、それは仲間として便宜を図ってくれているだけなのかな、とか」
「うーん、とりあえずアタックしてみるしかないんじゃない? アタック、アタック!」
口でシュッシュッと呟きながら、拳を握って空を切る。
それは可愛らしい動作なのだろうが、私からすれば真面目に聞いてくれているのか分からなくて少し不安だ。
「それで困惑されてしまったらと考えると、踏み出せないのです」
ヒスイは、あれでいて思慮深い人だ。
力があるとて驕り高ぶることもなく、かと言って変に謙虚が過ぎることもない。
それは、よく考えが回っているからとも言えるだろう。
ともすれば、私への気持ちも定まっているかもしれないし、私の恋慕がバレているかもしれない。
意を決して想いを伝えた結果、苦笑いしながら「お友達でいましょう」なんて言われた日には、私は立ち直れる自信が無い。なんせ、初めての恋で初めての失恋になるわけだから。
「でもさ、踏み出さないと始まらないまま終わっちゃうかもよ? 自分から動いて終わるのと、気付いたら既に手遅れで終わってましたっての、どっちがいいかって話よねー」
「それは……そうですが」
恋というのは、こんなにも恐ろしい敵なのか。
単騎でバーミリオン・ベビーの前に立てたS級冒険者でも、こうも足がすくんでしまうほどに。
踏み出さないまま終わるなんて、それこそS級冒険者として看過できない。
私は、覚悟を決めるしかないのだ。
「それで、ヒスイさんは気付いてるのかな? もしかしたらユラちゃんが自分のこと好きかもー、って」
「どうでしょう……今のところ、気付いてはいないと思いますが」
さっきはバレているかも知れないなんて思ったが、あれはただの言い訳に過ぎない。
実際のところは、恐らく気付かれていないと思う。
同じ家に住むようになってからも、なるべく当たり障りのない会話を心がけていたから。
「相変わらずビビりは直ってないのねー。せっかく同じ家に住んでるんだから、思いっきり押すべきでしょ!」
「なっ、ビビ――そんなことはありません。もう私はS級にまでなったんですよ! ビビってなんか……いえ、今回のは例外です!」
「あっはは、冗談だって! もう、必死で可愛いんだから」
からかわないで欲しいものだ。
それはともかく、私が今一歩踏み出す勇気が持てない理由は、もうひとつある。
それは、同居人の存在だ。
「『白夜』だっけ? すごい大物ハウスだよね、ユラちゃん家って」
「はい、『白夜』――ルリさんも、どうやらヒスイのことが好きみたいで」
「なるほどねぇ……ユラちゃんが分かるってことは、結構熱烈にアピールしてるんだ?」
「それが……なんかこう、すごくて。ヒスイも分かっていて流しているようですが」
「……なになに、ちょっと詳しく聞かせて」
ということで、スピネに一から説明した。
ルリさんが、かなり露骨な好き好き光線を発射していること。
それを受けたヒスイが、軽く受け流していること。
だけどまんざらでもなさそうなこと。
それから、私とあまり折り合いが良くないことも含めて、この共同生活で感じたことを話した。
相槌を打ちながら、とうとう最後まで聞き終わったスピネは、いきなり爆発した。
「なにそれ! 『白夜』、ちょっと自己中じゃない!? 性格悪いよ!」
「い、いえ……ルリさんもきっと、ヒスイの気を引こうと必死で……」
あまりの剣幕に、つい私が宥めに入ってしまう。
スピネは、こうやって人のために怒ってくれる情の熱い子なのだ。
だけど、自分の事のように考えてくれるあまり、たまにこうやって暴走してしまうことがある。
「いや、多分だけど……『白夜』、ユラちゃんを敵視してるよ。ユラちゃんの気持ちに気付いてるのか、ヒスイさんがユラちゃんのこと好きだって言ったのか――とにかく、わざと見せつけてると思う」
「いや、まさか」
いくらなんでも、そんな露骨に私を追い出そうとはしないだろう。
スピネは私に肩入れしてくれているから、ちょっと偏った意見になってしまうのだ。
私とルリさんはちょっと相性が悪いだけで、別に仲が悪いわけではない、はずだ。
印象通りの不器用な子っていうのは、彼女の料理で文字通り味わったし。
「っていうか、ヒスイさんもヒスイさんだよ! そんなにアタックされてて、なんで応えてあげないの!? それが無理なら、なんでキッパリ断ってあげないの!?」
「えっと……色々あるんでしょう、多分」
知らないけど。
でもまぁ、ヒスイはルリさんからのアタックをまんざらでもなさそうにしているのだ。
確かに言われてみれば、あの距離感が持続するのは不自然か。
恋愛経験のない私でもわかる。
普通は、あの先に発展するか、無惨に散るかの2択なのだ。
そうならないということは――。
「――ヒスイさんは、乙女の心を弄んで楽しんでるんだよ!」
あぁ、確かにそんなことを、ルリさんが言ってたっけ。
あれはヒスイに向けた軽口の類かと思っていたが、もしかして本当にそうなのだろうか。
いやいや、スピネは思い込みが激しいところがある。鵜呑みにするのは良くない。
だけど、一度至ってしまった考えは中々消えてくれない。
ヒスイは、ルリさんのことをどう思っているのだろう。
「前言撤回だよ。もしかしたらユラちゃんがアタックしても、良いように自己顕示に使われて終わるかもしれない。『白夜』の方を先に解決してあげた方がいいかも」
「ルリさんの方を、ですか?」
「どうせ一緒に住んでるんだったら、横槍入れて変にトラブルになっても嫌でしょ? ふたりでよく話し合ってきなさい」
ふたり、と言うのは私とルリさんのことか。
何を話せばいいと言うのだろう。
そもそも、自分の恋慕すらコントロール出来ていないのに、人様の恋愛相談に乗る余裕などないのだけど。
「ふたりで話すのは、ヒスイさんをどう叩き直すかよ。恐らく、相当恋愛観を拗らせてるわ。年頃の女の子のいたいけな恋愛感情を弄ぶなんて、絶対マトモじゃない!」
「言いすぎではないですか?」
仮にも自分の想い人をけちょんけちょんに貶されて、相談に乗ってもらっていることも忘れてついムッとなってしまった。
すぐに自分の浅ましさに気付いたが、既に放たれた言葉は止まってくれない。
「――あ、ごめん! だけど、やっぱりちょっとおかしいと思うのよねー。巷には夜だけ共に過ごす関係ってのもあるみたいだけど、そういう様子もないんでしょ?」
「なっ、ないですよ! ……多分。いや、ありません。あるはずがないです!」
少なくとも、夜な夜なふたりが密会している様子はない。
あったら流石の私も何をしでかすか分からないし。
それに、あのヒスイがパーティの関係を壊すようなことをするとは思えない。
まぁ私は後から入った立場なので、最初からヒスイとルリさんはそういう関係でした、と言われれば折れなければならないのは私の方だ。
「うーん、あと考えられるのは……ヒスイさんがヘタレで意気地無しなせいで踏み出せない、とかだけど――さすがにそれはありえないよねー」
「それは考えられませんね。ヒスイは慎重な方ですが、いざという時には男らしくて頼もしいですから。恐らくですが、なあなあで済ませるのを一番嫌うはずです」
「だよねー。でも、『白夜』とヒスイさんの間に何かがあるのは確実だと思うわ。やっぱり一回話し合ってみなよ」
「そうですね……そうしてみます」
話が纏まったところで、私は荷物を持って席を立った。
こうやってスピネと食事をするのも久しぶりだったが、こんな個人的な話を聞かせて申し訳ないと思う。
「そんなことないわよ。あのユラちゃんが恋バナ持ってくるなんて、ビックリしちゃったけどねー」
「もしかしたらまた相談に乗ってもらうことになるかもしれません。今日はありがとうございました」
「はいよー。楽しみにしとく!」
目指すは、我が家。
ルリさんと話をしよう。




