旅路
大陸横断するように、汽車はどこまでも駆けて往く。
三文作家である私は車上の人となり、人と、風景と出会い、別れそしてまた出会い。
様々な思いを乗せて汽車は往く。
はらはらと軽い雪の舞い落ちる日。カーキのよれた外套を身にまとい、新品の旅行鞄を手に持って、私は 駅の前にいた。
この国の要所に位置するこの駅は寧日であるにもかかわらず大勢の人で賑わっていて、降る雪はその熱気ですぐに溶けていく。私はどこが場違いに感じながら、手にした切符を握りしめた。
そもそも私は別段この旅行に乗り気ではなかった。いつものように部屋に籠もって三文小説を書いているぐらいが性に合っている。
しかし敬愛する大先生より
「おまえはそうやって部屋に籠もってばかりいるからいつまでも三文作家のままなのだ。たまには外に出かけて視野を広げて見たらどうだ」
との言葉と共に大陸横断鉄道の寝台旅行券を頂いてしまったのだからどうしようもない。せめて大先生の言葉の通り紀行文でも書いてみようかと重い腰を上げる事となった。
とはいえ、何分数日にも及ぶ旅行などそれこそ学生時代の行事以来なもので、何を持って行けば良いのかなど分かるはずも無く。適当に日数分の着替えとなけなしのお金を持ってこうして駅に立っている。
頭端式と言うらしい、片側だけの開かれたホームには新旧様々な機関車が客車を前後に並べて止まっている。
私が乗る汽車は、ちょうど中央の6番線ホームに止まっていた。最新の蒸気機関車がこれまた最新の鋼製客車を何両も並べたその姿は実に壮観で、鉄道にさして興味の無い私ですら関心を覚えるほどだった。
これからの旅路を楽しみに笑顔を浮かべる人、別れを惜しみ涙を流す人。実に様々な表情を浮かべる人々を尻目に、そくさくと汽車に乗り込んだ。
鋼製と言うからにはきっと中は無機質なものだと勝手に想像していたのだが、実際にはふんだんに木材が使われ暖かさを感じる車内となっていた。床と壁にはダークブラウンの木目のほとんど無い木材が使われていて、天井からはシャンデリアのような華美な装飾の照明がつるされている。これでもここは最上級の部屋ではないと言うのだから驚きである。旅路の中で一度はのぞいてみようと心に決め、割り振られたコンパーメントへと向かう。
カーテンで軽く仕切られただけのその四人部屋は比較的質素でありながら、各地を走っている一般的な車両の四人がけのポックスシートとは比べものにならないほどであった。
二段の寝台の上段はしまわれていて、下段は座席となるように広げられている。さらには荷物を置くスペースも用意されており、まさに長時間を過ごすための車両にふさわしい広々とした作りとなっていた。
後から聞いた話によると、トンネルなどの大きさから考慮した最大サイズで車両を造ることでこの広さを実現したらしい。
一両に何部屋もあるこの部屋ですらこれほど豪華な作であるのに、最上級の部屋はそんな客車のまるまる半分を使用しているそうだから、もはやホテルのようなのだろう。
「やあ。あなたもここですか。よろしくお願いします」
背後から声を掛けられる。そこには大きなバックパックを持った、学生風の青年が立っていた。失礼。と脇によけると、彼は慣れた手つきで荷物を置きスケッチブックをを取り出した。
「昔から絵を描くのが好きで、バイトをしてお金を貯めては旅行先で絵を描いているんです」
彼はそう言いながらコンパーメントの中を描いていく。
初めは彼の邪魔にならないよう端によけていたのだが「気にしないでください」とのことなので、私もまた荷物を置いて彼の隣に腰掛ける。
黙々と手をうごかす彼の隣でぼんやりと、ホームの上でごった返す人々を眺める。彼に倣って紀行文のネタになりそうなものでも探そうかと鞄に手を伸ばしかけて、しかしそれはやめにした。
画家を目指しこうして絵に励む彼の横で、かつて憧れていた作家になったのは良いものの向上心もなく底辺でくすぶっている自分が恥ずかしく、せめて売れない物書きである事は知られたくなかった。
やがて発車を知らせる鐘がガランガランと駅員の手によって鳴らされる頃。もう一人の同室者が慌てて駆け込んできた。
よれた背広にボロボロの鞄、生気の感じられない目。どこか私に近いものを感じる彼は、会釈をすると何も言わずに向かいの席に腰掛けた。
特に交わす言葉もなく、汽車はゆっくりと滑り出す。ホームの上では見送りの人々がいつまでも手を振っている。そんな彼らに返事をするように、汽車は汽笛を一つ鳴らすと、街の中、まっすぐ引かれた線路の上を駆けていく。
やがて車掌がやってきて私たちの切符を確認していく。パチリと切符に鋏が入れられ、「良い旅を」と一言次のコンパーメントへ歩いて行く。
「お二人はどちらまで行かれるんですか?」
車掌の姿が見えなくなったところで先ほどまで絵を描いていた青年がそう訪ねる。私は終点まで、もう一人の男性は地名を失念してしまったが、私の聞いたことのない地名を答えていた。
「私は途中の駅で乗り換えながら最終的にはこの列車の終着駅まで行くんです。この路線には今は一日に数本しか走らない支線があるのでそっちに行ってみようかと思いまして」
そして彼はくたびれた私たちが何も話さないのを良いことにこの列車や路線について語り出す。前述したこの列車についての説明も、もっぱら彼の受け入りである。
「この路線は昔は途中から違うルートを通っていたんです。ですがその国と戦争が始まったときに新しくその国を通らない道が造られたんです。戦争が終わっても昔のルートを横断鉄道が走ることはなかったんですけどね」
彼の話は実に面白みがあり、また言葉選びも絶妙で、売れない作家の私よりよっぽど物語を書くのが上手そうであった。それをポロリと言ってしまったものだから、私も自己紹介をしなければ鳴らなくなってしまった。
最も何か代表作のあるような作家でもないので紹介できるような事があるわけでもなく。しかしこの旅の紀行文を書く予定だと話したところ是非出来たら教えて欲しい、もし可能なら自分の絵を使ってくれないか。とちぎったスケッチブックに連絡先を書いて押しつけられる羽目になった。
その間何も言わずにただ話を聞いていただけの前席の彼は、私とバックパッカーの青年のまるで下手くそなコントのようなやりとりを終えたところで口を開いた。
「私は……仕事で大きな失敗をしてしまいましてね。首にこそならなかったんですが知らない土地に左遷される事になってしまいまして……」
「あれは運が悪かったとしか言い様がないんですよ。いつか起こるだろうと言われていた失敗をしてしまったのが運悪く私だったと言うだけでね……。私の部下は責任を問われなかったのが唯一の救いですかね」
なんとも覇気の無い声でそう零す。そして、彼が左遷先の地名を口にしたところでバックパッカーの彼が声を上げた。
「そこは私の田舎なんですよ。特別何かある町では無いですけどなかなか良い場所ですよ」
彼はこの列車について話していたとき以上に楽しそうにその町について話している。前席の彼はその話を聞きながら手帳にメモをして、時折笑顔を浮かばせた。
「そうだ。何かあったらここに連絡してください。私の実家で宿をやってます。もしかしたら何かの助けになるかも」
バックパッカーの彼から連絡先を受け取ったビジネスマンの彼は、顔をほころばせ
「ありがとうございます。少し前向きな気持ちになれました」
と礼を口にする。バックパッカーの彼はどこか気恥ずかしそうに笑顔を浮かべる。
そんな二人を見ていると私の頬も緩んでいく。
もう。汽車に乗る前の憂鬱な気分はどこにもなかった。あるのはこれからの出会いそして旅路への期待だけ。
汽車は街を抜け、自然の中を駆け抜けていく。





