第五話「先輩、『記念』写真って良いですね!」
「――ガスの元栓よし。戸締まりも……よし」
家中の確認を終えた私は、最後に仏壇の前に行って、両手を合わせた。
今日はこれから出かけるから、線香とろうそくは省略だ。
「ごめんね。帰ってきたら、ちゃんとあげるから。――それじゃあ、おばあちゃんっ。行ってきます!」
目をつぶっておばあちゃんに挨拶をしたあと、私は旅行の荷物を持って玄関に向かった。
弾む気持ちを抑えながらゆっくりと靴を履いていく。
玄関先の姿見で、髪型や服装におかしなところが無いか入念にチェックしていく。
(――よし。大丈夫)
最後に、前髪の具合を確かめるように軽く引っ張りながら気合いを入れると、鏡の中で緩んだ笑顔でこちらを見つめる人間がいた。
(――完全に普段着だけど……良かったのかな……?)
ふと、鏡の中の私に不安を覚える。
もともと、こういうお出かけをすること自体考える事が無かったから、あまり気の利いた服というのが無かったのだ。
(一応、お気に入りの服ではあるんだけど……あんまり、女の子っぽくないかなぁ……)
私の普段着は、いざという時にすぐ火傷跡が隠せるようにパーカーが多い。
フードを被るのはそんなに好きじゃないから、実際に被ることはあまりない。
ただ、これがあるのとないのとでは安心感が違うのだ。
しかし、その反面、パーカーの上からジャケットを羽織って、ジーパンを履いた姿はなんだか少し『女の子らしさ』というものからはほど遠いものになってしまっている。
(まあ、別に私相手だし、先輩は気にもとめないんだろうけど……)
それでも、やはり初めて私服で会って、一緒に出かけるというのは緊張するし、笑われたりはしないだろうかと不安になる。
だが、まあ今更悩んでもしょうが無いし、他に代わりになるようなおしゃれな服装というのも特にない。
覚悟を決めて、玄関から外に出て、しっかりと鍵を閉めた。
「――行って、きます……っ!」
もう一度、小さく呟いて私は表に向かって納屋の横を通って歩き出した。
家から一歩出ると、朝の涼しい空気の中、微かに春の花の香りが漂っているようだ。
大きく息を吸い込むと、鼻の奥の方が刺激されたようにツンとした感覚を覚える。
(――今日は、先輩のお家まで迎えに行って、それから駅まで――)
「――うん。よし。良い天気だ。全力で楽しもう」
「――っくっ、っ……ぁぁ……ふむ。さっぱりしていてよく似合っているな。――咲夜」
「え!?」
一人、宣言しながら道路に出るとなり、押し殺したような笑い声と共に先輩の声が聞こえた。
慌てて、声のする方を見てみれば、私服姿の先輩が待ち受けている。
「おはよう。晴れて良かったな」
「おはようございます……」
(あれ……私っ、時間、間違えた!?)
一瞬、遅れた私に痺れを切らした先輩がやって来たのかと考えた。
先輩に挨拶を返しながら、左の後ろポケットに入れていた携帯を取り出して時間を確認する。
――現在時刻は五時四十五分。
六時に先輩の家で待ち合わせだったから、まだ十分に時間があるはずだ。
「――ああ、時間は早いくらいだ。大丈夫だぞ?」
「……今日、先輩の家で待ち合わせじゃありませんでした?」
時計を確認する私に、先輩が笑いながら補足する。
だが、そうすると、余計になぜ先輩がここにいるのかが分からなかった。
「ああ。ただ、君が『もし私が来なかったら』と随分心配していたようだったからな。父親と朝練をしたあと、早々に来ておいたのだよ――入れ違いになってはならんから、もう少しして出て来ないようなら一度戻るつもりだったがね?」
「……本当ですか。すみません気がつかなくて」
どうやら、気を遣って少し前からここで待っていてくれたらしい。
私がぐずぐずと準備をしている間に待たせてしまっていたのなら、申し訳ない事をしてしまった。
「コラコラ、勝手に私がしたのだから謝るな。――まあ、おかげで、随分と良いものが見れたな。――いや、どうやら、本当に楽しみにしてくれていたようでなによりだ」
(――思いっきりさっきの独り言聞かれてたーっ!)
さっき出掛けに、誰にも聞かれていないと口に出してしまっていた言葉を、しっかりばっちり聞かれてしまっていた。
(……やばい……恥ずかしい……)
「忘れて下さい……」
我ながら消え入りそうな声で先輩にお願いするも、かっかという大笑が返ってくるだけで、結局忘れてくれる様子はなさそうだ。
そうして仕方なしに私は、車通りのもなく、無駄にすがすがしい朝の空気の中、しばらく引きそうに無い顔の赤みを我慢しながら先輩の隣に並ぶ。
……いつか初めて歩いた時より――確実に近い距離で。
***
そこからの旅路は順調だった。
最寄りの駅から電車に乗り、途中からは新幹線に乗り換えた。
「――先輩っ! 富士山です!」
「ああ。こうして新幹線に乗る度目にするが、やはりどうしてなかなか実際にみるといつも興奮するものだな」
「先輩もですか!? ……って言っても私はそんなに新幹線自体乗らないんですけど……」
「例のバイトのせいで遠出することが多いからな……」
そんな感じで、先輩と二人で並んで席に座りながら窓の外を流れる景色を楽しんだり、雑談をしながらの道中だった。
(そういえば、先輩が隣に――しかも、左隣に座ってるのに、全然、嫌じゃないな……)
電車の中で、窓側に座らせて貰いながら、そんなことに気がついた。
ほんの三日ほど前に一緒にバスに乗ったときは、緊張しながら先輩から傷を隠すようにしていたことを思えば、とんでもない変化だった。
ふと、隣の先輩の方を盗み見ると、真剣な表情で新幹線の到着時刻とがっしりとした金属製の腕時計を見比べている。――やっぱり、改めて考えてみると、思っていたよりもその顔が近かった。
でも、それがまたなんだか嬉しくて、顔がにやけていないか不安になって、自分の頬を両手でぐいと押し上げた。
(そういえば……)
「先輩、腕時計つけてるんですね?」
この間の事件の時は、確か先輩も腕時計は着けてなかったはずだ。
(そのせいでとんでもない目に遭ったんだけど……)
思わず、あの明けない夜を見上げた時の絶望を思い出し、背筋がぞわりと震える。
(――だめだ。今は楽しむ時間なのに)
慌てて、嫌な考えを振り払いながら無理矢理笑みを浮かべようとすると、しかし先輩も自嘲するように苦笑を浮かべた。
「ああ――この間の事があったからな。あんな時に腕時計が動くかは分からんが、何となく不安でな……昔使っていた腕時計を引っ張り出して、一本試しに着けてきたのだよ」
「はは……もう、あんなのは懲り懲りですけど」
「確かに」
どうやら、先輩も同じ事を考えたらしい。
二人そろって力の無い乾いた笑い声を上げた。
「そう言う、咲夜のほうは腕時計は持っていないのか?」
「――探せば、おばあちゃんが昔使ってたのがあるとは思うんですけど……あんまり腕時計ってしたことが無いんです」
「咲夜の腕時計は無いと言うことか。……まあ、今はもっぱら携帯を使うからな……私も最近は携帯の時計ばかりだったからな……」
「そうですね」
小さな頃は携帯電話なんてそんなに普及していなかったはずなのに、まったくもって時代の変化というのは早い物なんだと、少し年寄り染みた感慨に耽ってしまう。
ただ、先輩の腕で輝く時計を見ていると、少し興味を引かれるのは確かだった。
(……高校生になったことだし、この旅行が終わったら、私も時計、買おうかな……でも、なんとなく腕時計って敷居が高いんだよね……どんなの着けたら良いか分からないし……おばあちゃんは金色の着けてたっけ?)
納得いったように頷く先輩の言葉に相づちを聞きながら、腕時計を私も買おうかと考えるものの、最近流行っているような腕時計というのがイメージできない。
なんとなく、『可愛い奴が流行ってるんだろうな』っと思うけど、具体的にどういうのが流行っているのかも分からなかった。
(とりあえず、おばあちゃんのを着けとけばいいかな……?)
結局そんな妥協をすることになりそうだ。
――そんな感じで、のんびりとした調子で旅程は進んでいく。
***
新幹線を降りてからも、途中の駅で食事を取ったり、何度も電車を乗り継いでいくと、今度は山を登るためのバスが駅から出ている。
先輩と二人分、駅でバスに乗るための乗車証を購入した。
「――ネエちゃんら二人連れで観光か?」
「はい。桜を見に来ました」
「あらぁ、桜! そらえらいええ運しとるわ? 今年はえらい温かいさけ。えらい早う桜咲いてなぁ? お山の桜もええ塩梅にちょうど見頃なんじょー」
「そうなんですか!?」
気さくな販売所のご婦人が、しわくちゃな笑みを浮かべながら乗車証を売りながら話しかけてきた。
(――ふ、普通はもうちょっと後が見頃なんだ……っ!)
私もご婦人の笑顔に釣られて笑顔を浮かべながら――内心は冷や汗を掻いていた。
普段はもう少し後が見頃……つまり、うっかりすれば、先輩と来て桜がまだ咲いていないという事態に陥る可能性があったわけだ。
「――それにしても、えらい男前なツレやんか? ええ人なんかい?」
「はは……」
ニヤニヤとした笑みを浮かべたご婦人が聞いてくるのにも、ついつい空返事してしまう。
……引き攣った顔のまま、販売所の外に出て空を見上げてみれば、ぽかぽかとした暖かな日差しが差し込んでいる。
(……ありがとうございます)
――空を見上げ、こっそりと感謝をした。
「随分とあのご婦人と盛り上がっていたようだな」
「――ちょっとした世間話ですからっ!」
「そ、そうか……」
横合いから掛けられた先輩の言葉に、やましいところのある私は、深くは聞かれないように少し強くなった口調で叫んだ。私の勢いに、先輩が目を丸くしながら、押されるように頷いた。
「早く乗りましょう!先輩っ!」
そのまま押し切るように、停留所に止まっていたバスに先輩と二人で乗り込む。
一泊二日では流石に荷物はあまりないおかげでステップの高いバスにもスムーズに乗り込むことが出来た。流石に、単なる土日で観光に行く客はあまりいないのか、バスの中は貸し切り状態である。
空いている席に、先輩と二人並んで座った。
「――ああ、確かに桜が見えるな」
席についた先輩が、私の向こうにある窓の外を見て呟いた。
私も先輩の視線を追うように窓の外に目を向ける。
確かに、山間に満開に咲いた一本の桜の木が咲いているのが目に入った。
「ええ。予定通り、ちょうど今が見頃みたいですよ」
「そうか。ここは少し標高が高いからな。ひょっとするとまだ咲いていないのではないかと心配していたのだが、無用な心配だったか」
「――っ、そうだね」
「来る前にネットで調べたときも四月中旬頃と書かれていたが、やはりこう言うのは地元を知る人間がいると言うのは心強いものだな」
「……ありがとうございます」
(――先輩、先に調べてきてたんだ……よ、良かった……。――本当に、良かった……)
――感心したように褒めてくれる先輩に、良心がとても痛んだ。
居心地の悪さに、思わずもじもじと両手をすりあわせながら、窓の外に視線を逃す。
「……大丈夫か? なにか、買い忘れでもあったか?」
「え!? な、なんでですか?」
「いや、なにか落ち着かないように見えたのでな。ひょっとして、なにかここにまだ用事でもあったのかと思ったのだが……」
「――うっ……」
――後ろめたそうにしているだけなのに、心配そうに聞いてくる先輩に……結局私は良心の呵責に耐えられなくなった。
「――ご、ごめんなさい……っ!――実は、開花時期とか全然確認して無くって、さっき店員さんに教えて貰って初めて知ったんです――っ!」
体を先輩の方に向けて、頭を下げながら白状すると、先輩の呆けたような気配が伝わってきた。
――やがて、くっくという喉の奥で押し殺した笑い声が聞こえてくる。
(お、怒ってる……?)
「何を言い出すのかと思えば……なるほど。――そうか。顔を上げたまえ。別にそんな事で責めはせんよ」
顔を上げると、まだ先輩が可笑しそうに肩を振るわせているのが見えた。
……たしかに、その姿を見る限り、まったく怒ってはいなさそうだ。
「――本当に君は小心者だな。黙っていれば分からなかったものを」
「……なんだか、先輩を騙してるみたいで……」
「はは、そうか。なるほど。この分なら咲夜に騙される心配はしなくて良さそうだ」
「……なんですか?……先輩は、私の事、なにか騙すんですか?」
「はは、さてな?」
(うぅ……ありがたいんだけど……なにか釈然としない……いつか飛びっきりのドッキリで先輩の度肝を抜いてやる……)
そう決意するが、私の性格からしてそんな事が出来るのかは甚だ疑問が残るところである。
――すでに心意気の時点で負けている自分を誤魔化すために、乗客どころかなぜか運転手すら乗っていないバスの中を見回した。
「――咲夜、こっちを向き給え」
「――え?」
不意に先輩に呼ばれて先輩の方に顔を向けると、『カシャリ』という電子音が聞こえた。
先輩が――携帯電話をこちらに向けている。
「――な、なんですか!?」
「――無事に桜が咲いていたのだ。記念に一枚一緒に撮っておこうかと思ってな」
先輩がこちらに向けてくる携帯の液晶を覗き込んでみると、びっくりしたような間抜け顔の自分がいた。
――確かに、私の後ろに窓の向こうに、一本満開に咲いた桜の木も見える。
「や、ちょ、恥ずかしいですよ! そんな間抜け面……」
「おや、自然な表情で良いと思うが……消した方が良いかね?」
「そうしてください!」
「分かった。失礼したな。では、今度は不意打ちでは無く撮り直しとするか」
「――ええ!? 撮り直すんですか?」
正直私は写真に写るのが苦手だ。
証明写真でも、クラスの集合写真でも、絶対に傷が見えない角度に気をつけているくらいなのだ。
撮られれば撮られるだけ、嫌な物を残してしまう可能性も高くなるし、一緒に写っている人の思い出に気味悪い物を残したくなかった。
「ああ。どうだ? 記念に一枚。一緒に撮らないか? 無論、嫌なら無理強いはしないが」
先輩が、携帯で自分の胸をコンコンと示すようにたたきながらそんな提案をしてくる。
(……一緒って、今度は先輩と一緒って事だよね……)
写真は嫌いだけど、考えてみれば、映り込んで嫌がられた事はあっても、友達に一緒に写真に写ろうと誘われたことは無かった。
――だから、『一緒に写真を』なんて言われて、ちょっと期待してしまう気持ちもあった。
(でも、だったら……こんな場所じゃ無くって、ちゃんとした場所でちゃんと撮りたいな……)
初めて誰かに誘って貰って、一緒に写真を撮るのだ。
そう思ったら、ここで写真を一緒に撮ってしまうのは、どうしても勿体ない気がした。
そもそも、私なんかと一緒に写真を撮ろうと言ってくれるなんて、申し訳ない。
――だから、これを断ってしまったら、もう二度と誘ってくれなくなってしまうかも知れない。
それに、せっかく提案してくれた先輩が、気を悪くしないだろうかと不安だ。
……でも、それでも、勇気を出して、思い切って切り出してみることにする。
「――その……それだったら、一緒にきちんと桜の前で撮りたいです」
――相手が、先輩だったから、その言葉をいう事が出来た。
これが他の人だったら、きっとこんな図々しいお願いをすることは出来なかっただろう。
先輩が、その言葉にはっとしたように目を見開き、考え込むようにそっと私から顔を逸らした。
(――や、やっぱり、気を悪くしたかな? やっぱり、今撮ってあとでもう一回撮っても……)
「――明日、だったか?」
「え?」
『やっぱり今写真を撮りましょう』と言い直そうとしたところで、先輩が急に少し大きめの声でそういった。
一瞬、意味が分からずに呆けた声を返してしまう。
「桜を見て回るのは、明日だったな?」
「……はい」
「――分かった。せっかく咲夜のおすすめの見所なのだ。――その時に、一緒に写真を撮るとするか」
先輩がそう言って、こっちを向き直り、にこりと笑った。
……どうやら、全然気にしている様子は無い。
(むしろ、ちょっと楽しそう……?)
私と写真を撮るのが楽しみという訳は無いだろうから、先輩はひょっとするとイベント事を後に残しておくというのが好きなタイプなのかも知れない。
(よく、おばあちゃんが『ショートケーキのイチゴは最後に食べるんがええねん』なんて言ってたっけ……)
先輩の様子に、おばあちゃんの事をふと思い出してなんだか不思議な気持ちになった。
(……おばあちゃん。やっぱり、友達がいるのって楽しいよ)
おばあちゃんに、今の気持ちを伝えながら、とりあえず先輩にどうやってこのぽかぽかとした気持ちを伝えられるか考えながら、大きく息を吸い込んだ。





