99 中弟は明察し疾駆する、本懐を胸に決戦の巷へ
神の言葉。神秘の意味。全てを理解することはできないけれど。
心に伝わるものは、同じだ。怒りも悲しみも何もかも、同じなんだ。
◆◆◆
ああ……あれか。あのとんでもないやつがそうなのか。
山々に囲まれ氷雪に覆われた谷の中央に、いる。歪な黒鉄の巨人の肩に、天地を睥睨するようにして、立つ。闘志も殺意も感じさせないで、絶大な暴力の気配だけを振り撒いて、在る。まるで大災害を人の形に押し込めたみたいだ。
魔神。あれが魔神。ストリゴアイカ。
こっちはまだ高台にいて距離があるのに……この濃密な死の予感……瞬きすることすら怖いなんて。
「ローランギア神帝国を統べる皇帝へ告ぐ!」
うお、アギアス兄者。口上をやるのか。あれを相手に。
「我らはトライアス王国の遺臣にして人間最後の軍団なり! 貴国より発せられた最終戦争宣言は断じて容認できない! 侵略行為も許容しない! 多種族多国間の共存共栄を欲し、大陸の平和を望み、貴国の軍事活動の即時停止を求める!」
そう、それだ。それが回天の大事業だ。こんな戦争をすぐにも終わらせて、人間が人間として誇らしく生きるための志。俺たちの希求する新時代。
成し遂げるためには。切り拓くためには。
「拒絶する。当方に殲滅の用意あり」
あいつだ。薄笑いでそんな返答をする、あいつを倒さなければならない。
「その上で問おう、人間よ。何をしに来た。非才非力を寄せ集め、傷病痩身で徒党を組み、駄馬鈍刃を並べ立てて……物見遊山か? ここはヴァンパイアとエルフの決戦地。まさに勝敗の決したところ。供物を献じにか? あるいは命乞いか?」
谷はおろか世界中に響き渡りそうな声だ。俺たちを呑み込んでしまうようで……だけど何かがやわらかい。何だろう。この奇妙な感覚は。
「我らの主張、聞き入れる余地もないと言うのならば! 今や合戦あるのみ!」
「ふむ、野蛮。戦いになるとでも? いや、幼稚。駄々や我侭が通るとでも?」
「我は人間と力強く生きるだけのこと! それが人間の自覚! 人間の実存!」
「吠えよる。しかし道理だ。力の有無に関わらず闘争の本質は感情であり……」
ヴァンパイアの雌……女神だからなのか。もの憂げな吐息にも、なぜだろう、生々しい実感が込められているようで。
「……こう在りたいと願う精神は、自ずから世界と対決せざるをえなくなるもの。戦士に祝福を。『生が在るがままの姿で存続してゆくためには、賢者などみな消えてなくならねばなるまい』。希望あらば革命家、絶望すればテロリストである」
難解な言動を聞かされても、眩惑されるよりも先に胸へ伝わる痛みがある。『艶雷』の鞭打つ言葉とは明らかに違う。何なんだ、これは。
「我らは絶望の死兵にあらず! 希望の精兵なり!」
「ふむ。よかろう。ならば決戦を洗礼しよう。強き希望に魅入られた者の深き絶望こそが、真に世界を破滅させるものと知るがゆえに」
巨人が背の大箱を降ろした。家のようなそれから溢れ出てくるのは……骸骨? 眼窩の奥を奇怪に明滅させて、武装した骸骨が数千……数万……ゾロゾロと!
「鋼骨兵だ。ロボット工学による自律型致死兵器だが、この世界風に言うのならばゴーレムか。生体兵器であるヴァンパイアとは別に用意していたものでな……ククク、まさかとは思うが」
不気味にすぎる軍勢を侍らせて、笑う魔神が指差す先には。
「そこな鬼神よ。卑怯とは言うまいな?」
クロイ様。
鬼神と呼び掛けられても、眉ひとつ動かさない。不死の黒馬にまたがったまま、魔神と向き合っている。目を合わせている。
「おまえは随分と大勢を引き連れてきたのだ。生ける者も死せる者も、色々とな。多少の自律兵器なぞ、所詮はサーカスAIの、人形遊びの小躍りで、空爆されればゴミの山、わたしばかりがひとりきり……どうだ? かわいそうだろう?」
今の節と調子は? かわいそう? 魔神が? 虚言にしたって度が過ぎるぞ……そう頭では理解できるのに……クソッ。やっぱり胸が痛む。どうしてなんだ。
「サーカスAI……お前が誰か、わかったかもしれないよ。ルーマニアン」
『えーあい』? 『るうまにあん』? クロイ様も笑った?
「おっやあ? じゃなくて……ほう? 動画投稿を嗜む者なればありうることか」
「『兵器でサーカスしてみた』シリーズ、運営に愛されているから」
「なあに、どうあっても削除させないだけのことだ」
「削除されても誰かが再投稿するよ。あのシリーズは視聴者にも愛されている」
愛? 愛について語っている? クロイ様が、じゃない。鬼神と魔神が……神々にしかわからない言葉を交わしている。親しげに。少し照れもして。
「警備ロボを躍らせていた頃はともかく、お前、世界中の軍事演習をサーカス化し始めたからなあ……とっくに逮捕されるか殺されるかしたのかと」
「半ば以上は殺されたとも。中東で病院が誤爆された時に」
「……ああ、あったなあ。慰問のロボット楽団が犠牲になったってニュース」
「秩序とは、大衆の無関心の上に成り立つものと知るがいい」
「脆弱なインフラだな、それ」
「だからテロが起こるのだよ」
不思議な空気だ。どちらの神も不敵な態度で、次の瞬間にも恐ろしい魔法を放ち合いそうなのに……惜しむように言葉を重ねていく。想いを擦りつけ合うように。
相応しいのかもしれない。
いや、こうでなければならないんだろう。
恨み辛みをぶつけ合うだけじゃダメなんだ。そんな陰惨なものの先に巡ってくるものは、きっと碌なもんじゃない。俺たちの全てを賭けた最後の戦いが、そんな風でいいわけがない。
「さて、そろそろTPOをわきまえろ。わたしとおまえは世界の運命を決すべく対峙しているのだからな」
「なら思わせぶりに歌ったりするなよ……聞いておく。講和する気は?」
「国家間のそれは既に拒絶した。神同士のそれはもとよりありえん。知っているだろう? これは異世界における神戦記。ドラゴンを倒しデーモンを倒したその末に、魔神を倒してみろ。さもなくば世界滅亡あるのみ!」
む、骸骨どもが隊伍を組み始めた! 三列横隊が十重二十重と!
アギアス兄者の手が上がった! 魔神との決戦が、今……!
「あいや、待てい! 待て待てえい!!」
何だ!? この聞こえ方は風魔法! エルフ? どこから……あそこだ! 空! 南東から飛んで来るあいつは……あの飛び方は……『鷹羽』のフレリュウ!
だが、声が幼かった。あいつじゃない。その背にまたがった小さい方だ。
「遠からん者も聞け! 近くば見上げてよおく見よ! わりゃはサチケル! 最終戦争なんぞという、つうまらないものを終わらせるために! 皆で楽しく歌を歌うために! 遊ぶために! わりゃは、わりゃは、魔神を懲らしめてやるうっ!」
おいおい、何だそりゃ。どういう口上だ。いっぱいいっぱいじゃないか。
「クロイ! わりゃもいいか? 一緒に戦ってもいいか? パルミラル爺が色々と企んだみたいじゃけども、その、わりゃたちは仲良うできるはずじゃから!」
でも……ヘヘヘ……いいな。こういうのがいい。『黄金』との戦いを思い出す。皆して必死になって、人間とエルフが遺恨を越えて共闘して、大敵を打ち破った。途中で裏切るエルフもいたが、最後まで協力したエルフだって確かにいたんだ。
喊声、空へ向けて。やっぱりな。俺だけじゃなく、皆もそう思ったってことだ。
「アギアス・ウィロウ! 号令を! これより魔神討伐戦を開始する!」
おお、神様からの命令だ。クロイ様を通して下される神託だ。
「承知仕った! 全軍、切火金剛の陣! 稠密な歩兵方陣の中央に魔法部隊を! 騎兵は私とオリジスとの二隊それぞれ縦横無尽に駆ける! 敵を切り裂き、二隊の狭間、あるいは歩兵方陣との狭間で打ち砕け! 火花散らす火打石のごとくに!」
ハハハ、これだからアギアス兄者は。最高の戦術じゃないか。騎兵も歩兵も休みなく戦い、その断固たる連携をもって大軍に抗するやつだ。
たださ、これって歩兵が魔法攻撃へ無防備になるんだが……大丈夫なんだろ?
「『万鐘』殿! 魔法部隊の中心に在って、魔神に対抗していただきたい!」
「おう!? おおう! 任せてくりゃれ! なんっでも防いでみせるのじゃ!」
うん、よし、これが全力だ。今、俺たちの振るえる最大限だ。
後は……。
「ん。征く」
それだよ。クロイ様自身の声だ。ずっと一緒に戦ってきた、凛としたその声。
神様が宿って、神意が重なっていても、変わらずしっかりと伝わってくる心情。その激しさが、熱さが、俺たちをここまで連れてきてくれたんだから。
「隊員各騎! 命を燃やせ! ここに武人の本懐を遂げるぞ!」
駆けろ、駆けろ、駆けろ。魔を払う流星のように、駆けろ!




