96 ドラデモ的決断について/騎士は絶叫する、己が剣を構えて
夢を見ている。不思議な馬車に揺られ、夜にも明るい街並みを眺めて。
神が急いている。ワタシたちのところへと急いでいる。
◆◆◆
<トラブルが起こりました。 あなたのサポートを止めなければなりません>
ちょ、待って。ここどこさ。いやまあ牛丼屋の駐車場なんだけどさ。店舗名見てもよくわかんない……国道九号線? 桂?
<これよりわたしは魔神として戦うことが必要です。あなたとの戦いは正当なものですが、『堕落』との戦いはよりダイレクトです。それは優先すべき戦争である>
そうだよ戦争なんだよ。こんなところで牛丼食べている場合じゃないんだ。でも食べても食べてもお腹減るし……こういう時ってクロイちゃんが飢えているんだ。早くどうにかしないと……!
<もはや人間は敗走しました。あなたの操作する『激情』の所在は不明ですが、わたしが戦略を委任する『肉欲』が高性能により終わらせるでしょう>
ふざけんな! クロイちゃんは、人間は、まだ負けていない!
だって胸が熱い。これって命が燃えているんだぞ。たくさんの想いが集まって、轟々と音を立てて……人間の尊厳を主張している。
戦うんだ、皆で力を合わせて。勝つんだ、この理不尽な戦争に。
そのためにも、早くドラデモを再開して……!
<生存とは不条理への対抗である>
は? ふざけんな。不条理ってお前のことだろ。
<日本人はおおむね弱者です。そのくせ力を讃え、情けを知らない。だからシオランを知らず、ニーチェをよく知りますね?>
ルーマニアンめ。また訳のわからないことを。
それに、ニーチェくらい知っているし。ええと、あれだよあれ。怪物が井戸を覗いて、水面に映った自分がくわえている骨が大きくて、そっち欲しいな的な?
<それは『怪物と闘う者は怪物と化さぬよう心せよ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている』が後半イソップじゃないのバカじゃないの>
うううるさいよ。に、似たようなもの……じゃないの?
<だがバカは時に預言者。なるほど『堕落』は神と闘うために神になろうとした。なるほどペンドラゴンは世界間の影響が双方向的であることを理解せず失敗した>
さっきから気になってたけど、『激情』はクロイちゃんのことで『肉欲』はロザリンデ様のことかな? まあ確かに肉感的だしね。じゃあ『堕落』は誰?
<そして、わたしもアメリカも、欲張って元も子もなくそうとしている犬っころなのかもしれない。なるほど。なるほどなー>
聞いてないし。そんで、それだよそれ……はあ……アメリカ。いわゆるUSA。
どうもお前の日本語って要領を得ないんだけど、エルフの守護神がアメリカってことなんだよな?
で、魔神である超世界テロリストなお前をやっつけようとしていて、その過程で異世界の人間を家畜扱いして、同盟結んだのに共同作戦をわやくちゃにして、鬼神な市民いもでんぷんを襲った……と。
ふっざけた話だよなあ。
バカじゃないの? アメリカも、お前も、心の底からバカだと思うわ。
なあ、ファンタジーな異世界が実在するんだぞ? 素敵じゃん? 夢一杯の未知との遭遇で、極上の異文化コミュニケーションじゃん? 素晴らしいことじゃん?
それがなんで! なんでテロだの戦争だのになるのさ!!
略奪とか迫害とか搾取とか虐殺とか! そういう恥ずべきもんを……人間が人間を誇れなくなるような悪逆非道を! どうして別の世界にまで持ち込んだんだ! こんのバガッタレどもが!!
<わたしには目的があり、それを達成するための手段を選ばない。アメリカもカウンターアタックとして形振りを構わない。『堕落』もまた同様である>
お前、それでいいと……!
<これは間違っていますね。肯定。わたしはわたしが罪人であると理解している>
え? なら、それなら……。
<だから、わたしはラスボスです。だから、ドラゴンデーモンRPGは必ずアンハッピーエンドです。あなたはそれを知っているでしょう?>
なっ、おま、そんな言い方で! ふざけて!
<ハッピーエンドを見たいなら、あなたはわたしを倒さなければならない。だが、わたしを倒すことはあなたの新たな始まりとなるでしょう。きっと後悔するよ>
どういう意味だ……うわあっ!? ド、ドア開いた。超ビビった……また警察かと思った……ああビビったあ。そりゃタクシーだから開くかもだけどさあ。
<さあ、ジャガイモン。タイムリミットです。選択してください>
選択? は?
<ひとつ。都市の明かりの方へ向かえば、あなたは日常に戻れます。しばらくは隠れるべき。しかし安全。もはやアメリカはあなたを追う余裕を失いました。わたしの革命が成功すればなおの事>
アメリカ……異世界に関係して、ろくでもないことが起きたんだろうな。
だって今、変な喪失感があるんだ。東の方角から感じていた圧力が、ぽっかりとなくなったみたいで……西の方からは変わらず圧がある。お前はそっちにいる。
<もうひとつ。山の方へ向かえば、カーブした道の先は国立大学のキャンパスだ。工学研究施設の地下に、必要な機材環境が整っている。タブレットが非合法的に案内するため、これは一種のテロでしょう>
ああ、なるほどね。工学系なら開発用VRセットのひとつやふたつあるわけか。モニターやらなんやらも見繕えそうだ。よし。
<ジャガイモン? あなたはどちらを選びますか? 平穏を望むや否や?>
ルーマニアン。悪いけどおしゃべりはここまでだ。
ここまで連れて来てくれたことについては、ありがとう。これがお前の言う「尋常に勝負」ってやつなんだろうな。牛丼もご馳走様でした。
でも、倒すから。
必ずお前を倒して、クロイちゃんたちは幸せになるんだ。ドラゴンデーモンRPGのDX版には、絶対、大団円エンディングがふさわしいんだ。
よっこいせっと……うわ暗っ。竹林茂りすぎてて高波みたい。駐車場呑み込まれそう。道もちょっと……こんなのの先に国立大学あるの? 本当に? 流刑地とか強制収容所とかならわかるんだけど……。
とにかく、行く。急ぐ。待っててくれ、クロイちゃん!
◆◆◆
「なあ、兄者。俺たちって幸せな兄弟だよな。四人が四人とも、軍人の本分を尽くせるんだから。後のより良い時代のために命を懸けてさ……へへっ、英雄になってくれよな! アギアス兄者!」
オリジス。そう笑ってお前は駆け去ったな。数百騎を率い、幾千骨とも知れない狂猛な追手を引き受けるために。
夜気を吸う。歯噛みの隙間から、ゆっくりと吐く。
六千人と一千羽で進発した決戦軍も、幾多の戦いを経て、今や一千人足らずと二百羽足らず。古代の城塞と思しき遺跡へ身を隠し、火を焚くことも控え、わずかな糧食を煮炊きしないままに食むばかり。
判断の時は迫っているぞ、私よ。アギアス・ウィロウよ。
影屋城まで戻るか。これ以上の戦力低下を避けるため、ここへ至るまでにはぐれた者たちを見捨ててしまって。
あるいは動かず、散り散りになった者たちの糾合に努め続けるか。追手に発見される危険を冒してまで。
いずれを選択したとて、魔神との決戦は覚束ない。
外套の内に右肩をつかむ。深い痛み。満足に剣を振るえない、この不甲斐無さ。
気配。遺跡を半ば呑み込む灌木の茂み……それを掻き分けてくる物音は二人分。それに馬一頭。枝をこする合図の音あり。また誰か合流できたのだな。
案内されてきた騎兵は……ウィロウ家軍からの古参兵だと?
「アギアス様、影屋城がエルフ軍一万五千に急襲され申した」
息を呑んだ。顔色の悪さから察せられるものはあったが。
「敵将は仮面のエルフ。恐らくは『絶界』従僕の片割れかと。軍官殿は籠城戦および市中誘引戦を企図し、それに先んじて傷病者を南西方面へ避難させ申した。その指揮はマリウス様にて……シラ殿も伴っておいでです」
そう……か。己の命を見切ったのだな、ヤシャンソンパイン軍官。その上で徹底的に抗戦するのだろう。覚悟の兵らと共に。
「……エルフ軍はいずれの方から攻め寄せたのだ?」
「東の方より。我が軍の踏み固めた道をば西進して」
「それは……」
「はい。軍官殿も懸念しておいででした」
砦も危うい。あそこには父上兄上らが護った秘宝が安置されている。人間が火の力を用いるための要、『始原灰』が。
フェリポ司祭よ。ザッカウ兵長よ。人間領を護る戦士たちよ。皆もまた……。
悪寒。
何だ。今、何か物凄まじいものが大気を震わせたぞ。おお、月を遮る雲すらが形を歪めた。手がひとりでに剣を握っている。休む兵らにも動揺が広がっている。
「ア、アギアス将軍……!」
ヒクリナ侍祭。その手には槍と盾。
「聖典にいわく、天地を震撼させて超越者ぞ来たる……魔神です。魔神が戦場へ姿を現したに違いありません!」
ああ、そうなのだな。骨砂の谷の戦いは、想定からまるで外れたものの、魔神を宮殿から誘い出す形へと推移できたのだな。
誰が戦っている。『水底』か。それとも『絶界』か。
結局のところ、世界は、人間を置き去りにするというのか。
「注進! 無数の魔物が、谷の方角より押し寄せてきます!」
「しょ、将軍! 空を! 谷の辺りに……その上空に……巨大なドラゴンが!」
「斥候より報告! デーモンとドラゴンが、それぞれ複数体、戦闘中とのこと!」
ひと振りの剣で、何ができようか。
谷はまさに最終決戦の様相を呈し、超常の怪物が荒れ狂いぶつかり合い、猛り立つ魔物どもが土砂崩れのごとくに寄せ来たる。
滅ぶのか。そんな、余波のようなもので。こんな、戦場から外れたところで。
滅ぶ……ものか。滅んでなるものか。
「全軍、戦闘準備」
ひと振りの剣に籠めた想いがある。誰もが刃にそれをしている。軍とは刃の集合である。すなわち積念の大剣である。私はそれを握る立場にいる。
「四方八方を警戒せよ。ここは朽ちたとはいえ城塞であった場所。魔物は坂を登り来る。それらことごとくを討て。人間の尊厳は不可侵であると知らしめよ」
喊声を上げて、戦って戦って戦って。敵味方の血と死に塗れて戦い続けて。
喊声はいつしか歌に代わって。祈るように歌って。祈るように戦い続けて。
今、己の来し方を思う。
「……私は、英雄になれなかったか? あの日と同じ、弱き騎士のままか?」
眼前に、ドラゴン。
谷の戦いから跳ね飛ばされて来ただけという態の、無造作で無関心な双眸。遠目にも十体を超えるドラゴンの内の、ただの一体。言わば、決戦の切れ端。
これが、私の死。人間の敗北。
剣を構えろ、私よ。そうだ。最期の瞬間を迎えたとて、決して諦めるものか!
「さすがだ。真のイケメンは、顔だけじゃなくて生き方がイケメンだよね」
な、に?
閃光と爆発。頬を炙る灼熱と、耳をつんざく絶叫。さらには立っていられないほどの地の揺れ。土埃にむせる。涙ぐんでしまった目に映るものは。
首を吹き飛ばされ、倒れたドラゴン。
そして……クロイ。
朝焼ける空の下、清新な日差しを左手の白刃に煌めかせ、右手は槍を投じた形のままに世界へ差し出し、夜よりも濃き黒髪の奥に火炎の二つ瞳。神々しい微笑み。
「さあ皆、魔神を倒しに行こうか」
泣き、叫んだ。咆哮を上げていた。




