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95 艶雷は戦争し戦慄する、エルフの秘術の発動に

 またひとり、大切な人のぬくもりが去って……胸の奥、命の火勢が増しに増す。

 神よ。ワタシとアナタの間で、皆の思いの丈が咆哮を上げている。



◆◆◆



 ほう……あれが火魔法の極みというものか。


 大輪の花のごとき豪炎。降り注ぐ無数の火花。聳え立つ黒煙をも赤熱させて、我が頬にも届いた熱風。そして……魔力に入り混じる()()()


 侮りがたし、人間。


 バルトリアル条約で禁じられてなお、神秘の領域にまで魔術をきわめるとは。


「崖崩れにより南西路が封鎖された模様! 周囲の部隊にも被害が!」

「黒狼が動揺しています! 運用水準を大きく下回っています!」

「ぜ、全滅!? 『炎軍』追討部隊、全滅! 『重弾』卿も……灰滅との由!」


 『炎軍』め。我が命を間合いに捉えておいて決着をつけぬなど、許すまいぞ。


「追討部隊を再選抜せよ。百牙隊を三十だ。『炎軍』を討ち取った隊長を新たな従僕に推挙し、残余の隊全てを与えるものとする」


 斬り払えるものならば、やってみろ。業腹な。

 

 そして、我がデーモンよ。さっさと片を付けろ。


 貧弱なドラゴンではないか。魔力が希薄で継戦能力に欠けている。『水底』の不手際だな。傷つき追い詰められた末の召喚とはいえ。


 そら、吐き出す水が底をついた。早々にくびり殺してしまえ。力無き者が大きな顔をしていい場所ではないのだ、この世界は。


「残敵を掃討せよ。一木一草(ことごと)くを殺し、欲するがままに喰らえ」


 戦闘終了だ。あとは六万の血肉を平らげる作業でしかない。


「閣下、東の方よりエルフ軍十二万が近づきつつあります。『絶界』かと」

「谷への到着はいつになる」

「強行軍であれば今晩にでも。しかしその歩みは遅く、夜明けの頃になるかと」

「ならばよし。兵らにはあかつきに招集をかけよ」


 『絶界』め。思えば久しく戦ってきたものだが……次の対決が最後となる。


 最終戦争、だからな。


 私は見た。皇帝が『生誕墳墓』を破壊した様を。つまらなそうに培養槽を潰して回っていた。あれらの中には、私の系統に属する個体……弟妹とも呼ぶべき者らも浮かんでいたのだが。


 もはやヴァンパイアは生まれない。我らは滅びるよりない。さりとて自滅こそすれ敗滅はしない。他種族も道連れにせずにはおかない。戦後に何も残すまいぞ。


「この空虚こそが意識である、だったか?」


 人間夕焼けの地平へと去り、骨灰の谷に我在り。月の白々しさ。朝焼けの地平より宿敵の来たるを待つ。他に為すべきこともなく。


 今一度語り合いたいものだ、『黄金』よ。


 お前が腐していた通り、我らは皇帝の玩具。彼女が楽しむために作られ、今、使い捨てられようとしている。是非もないが。


 せめて、軍略家としての矜持だけは貫き通したく思うがゆえに。


 決着をつけるぞ、我が宿敵。


 来た。見えた。東から谷へ侵入してくるエルフ軍の、小憎らしいまでの整然さ。目を引くほどに速やかな展開。つけ入る隙のない布陣。


 それらを指先ひとつで差配するのは、お前だ。


 大雪虎に横座りする、白髪白髭のお前なのだ。


「遅かったではないか、『絶界』の。あまりに遅いものだから、『水底』とその軍団を屠り終えてしまったぞ」


 互いに十万を超える軍を率い、夜と朝の狭間に対峙する……本懐ではあるが。


「どうやらそのようですね。残酷なことをするものです。捕虜をとるなり何なり、やりようはあったでしょうに」

「どの口がそれを言う」


 疑義があるぞ。軍略に没頭する前にはっきりとさせておきたいことが。


「お前は、中央平原から後退する我が軍を追撃しなかった。その後も行軍を遅らせ、同胞六万をむざむざ全滅させた。更には我が軍へ飲食の夜まで提供する始末。残酷とはこれを言う。それに―――」


 鞭をつきつけ、問おう。宿敵よ。


「―――お前、従僕をどこへ置いてきた」


 戦死したのならばよし。だが連れずに来るなど何を考えている。


「兵力も三万ほど足らんぞ。我が軍への迂回攻撃をさせるでなし、ただ不十分な編成で決戦に臨むなど……耄碌したか」


 微笑み。酷薄狡猾な本質を隠すそれをして老獪さと言うのだろうな。何百年と眺めてきたそれが……今、いつになく不気味だ。


「年寄りですからねえ……忘れ物は多いのですよ。何を忘れたのかも忘れるので、ここ三百年ほどは目的ひとつきりのために明け暮れています。これが中々にいい。若かりし頃の情熱を取り戻す思いです」


 目的。エルフにとっては森羅万象の調和がそれであり、軍権の長にとってはヴァンパイアの打倒がそれであろう……嗤った? 嗤っただと?


「失礼。小妖の前で大望を語るなど、いかにも詮無きことだと思いまして」

「ふむ。やはり耄碌したのだな。己の失策を誤魔化すよりないとは」

「策は順調そのものですよ。唯一の不確定要素は人間の使徒でしてね……いつ仕留め終わるのです? あれはもう袋のネズミでしょうに」


 この期に及んで『炎軍』の生死を問うてくるのか。まるでそれが本題だとでも言うようにして。


「おや? ああ、遊びたくてウズウズしているのですか。少しお相手しましょう」


 何だ、それは。


 左翼が前進してくる。その堅実な……堅実なだけの動き。右翼もまたそれに倣って奇を衒わず。中央は両翼の後退を前提とした守備的な構え。飛行戦隊、飛ばず。


 まるで見所の無い、勝つ気も負ける気もないという前進。


 今更の韜晦か。変種の挑発か。それとも別の何かか。


「全軍、戦闘を開始せよ!」


 ぶつかれば、わかる。腹の内を暴いてやる。


 尋常な始まり。矢と石と雷が飛び交う、尋常でしかないぶつかり合い。互いに策を刺しこむ余地のない削り合い。このままでは消耗戦でしかないが……中央平原でならともかく、敵地でそれに甘んじはしないだろう。宿敵。


 ―――どうした。変化してみせろ。


 半日の攻防で両軍の損害はそれぞれ一万に達したぞ。まったく、何を仕掛けてものらりくらりと痛み分け狙いばかりで……持久戦など思いもよるまいに。


 ――――――どういうことだ! どうしたというのだ!


 もう五日だ。五日戦って、これという好手も悪手もないなど……ただの押し合い圧し合いで兵力が減じていくなど……我慢ならん! あるいはこれが策なのか。私に不用意な召喚をでもさせるつもりか。


「ん……そろそろよろしいでしょう」


 何だ。エルフ軍が退く。何だというのだ。


「君も御覧なさい。日は中天にあり、地に染み渡るはエルフ十万余の怨血……命の淀む谷を包むは薄霧……静かに流れるは、冷え冷えと絡みつく白風……」


 これは……これは! この、肌を刺す濃密な力は……命の力なのか!?


「知れ。これこそがエルフの秘術。死を煮込み命を手繰る《魂風》の発動なり」


 秘術! これが! このおぞましい風が!


「どうです? 凄いでしょう? これは莫大な魔力を得るための媒介術なのです」


 苦しい……身体がではなく、心が……いや、我が命がきしんでいる! 


「三百年程度の浅薄な歴史しか持たない君たちは知らないのでしょうが、かつて、大陸の八割がたが氷結していた時代がありました。我々エルフが魔法で凍らせたのです。当時の邪悪を封じるためにね。その際にもこの秘術が利用されました」


 この突き上げるような不快感は……拒絶感は、何だ。まるで命が叫んでいるかのようだ……許すなと。このような冒涜を許してはならないと。


「魔力とは万能力。多く大きく濃く重ければ、世界をも歪ませます。神の加護とてその性質の表れにすぎません。それゆえに、こういうこともできるのですよ……」


 うおっ!? 耳をつんざく大音量……悲鳴? 雷鳴よりも激しく轟き渡るなど尋常ではない! 女? それに、この、皇帝と似て非なる超常の気配は……まさか!!


「ククク……ハハハハ……ハーッハッハッハ!!」


 渦巻く魔力に入り交じる……神気! 神の力!


「やった! 遂にやってやったぞ! ペンドラゴンめ! 竜神などとうそぶく、異世界の若輩者め! どうだ苦しいか! 苦しいだろう! お前の命の力、俺が粗方奪ってやったからな! ウハハハハ! 当然の報いだ! 侵略者めが!!」


 息が、できない。この力は抗えるものでは、ない。


「ウフ、フフフ……さあて、次は魔神だ。最初に侵略してきたお前の番だ。化物を殺すに相応しい化物を、この魔力で……!」


 召喚術か。『絶界』のそれは、氷霊を呼び、冬嵐を起こし、氷竜を招くもの。


 しかし今、それほどまでの魔力をもってして……何を召喚するつもりだ。


「《増強アグメント》! 《増強アグメント》! 《増強アグメント》!」


 ああ……世界を裂いて、化物の中の化物が現れる。


「《極召喚インヴォケイト》! 《冬竜王ドラゴンロード・ヴリトラ》》!!」 

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