87 末弟は追走する、炎軍の突撃に/水底は直面する、決戦の開幕に
あの山麓から敵が来る。あの山嶺の向こうにも敵がいる。
倒して倒して血と灰に塗れて、先へ。火を胸に火を掲げ火を撃って、先へ。
◆◆◆
荒地を削る馬蹄の響きにすら、虚しさはまとわりついてくるんだね。
「西の方より第三波! ヴァンパイアの突撃兵、数、五百!」
「その後方、北西の方に砂塵! 第五波ありまあす!」
だってここには何もない。もはや瘴気に病むことをも過ぎてしまって、日に乾かされ風に荒らされ、骨とも灰とも見紛う粉々が散らかるばかりだもの。
「本隊右翼、敵左翼を押し込んでいきます!」
「本隊左翼、間もなく接敵……あ、いや、ドワーフ隊が突出しました!」
死。ここでは生よりも死が似つかわしいから……だから、ぼくらは。
「敵第三波、来ます! 前衛集団に、魔法の準備行動を確認!」
荒々しく声を上げるんだ。ひとつきりのこの命をほどばしらせて。
「よおし! マリウス隊、全騎、速度上げて!」
そして殺すんだ。敵を。敵の死を撒き散らすんだ。
「副長、二個小隊で本隊左翼を掩護! お爺ちゃんたちを死なせてはダメだよ!」
「承知! 百騎、続けい!」
「ぼくたちはこのまま第三波へ当たる! 双頭蛇の陣!」
火瘤弾を握って身をかがめる。高速から庇うように魔力を籠めて……。
「今っ!!」
三百五十騎ずつ左右に分かれる。分かれ駆けつつ《爆炎》を見舞う。一騎一発で合計七百発、火力を集中させないと。敵が散る前に。混乱を助長して。
対応速度は……見るべきものなし。この期に及んで驚きの色が濃いだなんて。
「殲滅機動! 小隊ごとに!」
命じておいて、ぼくは戦わないよ。周囲を巡って目を凝らす。難敵を探し出さないとね。火魔法をよく知りもせず、しかも影屋城が落ちてからおっつけ襲い来たような連中だから、高が知れているけれど。
本隊の方は……うん、優勢だ。
斜線陣は大当たり。味方右翼の火防歩兵が敵左翼を圧倒している。ヒクリナ侍祭は将才があるね。ヴァンパイアのお株を奪う獰猛さじゃないか。敵中央と敵右翼も動揺させていて、それが味方左翼を大きく助けている。
副長も上手いな。五十騎ごとの突撃を連続させて、敵の警戒を誘っている。それでいい。味方左翼、ターミカ参軍の同志隊は戦意が高いから。
最も向こう側、味方最右翼はオリジス兄上の独壇場だ。丘を利用しての逆落としが綺麗に決まって、敵第二波は砕け散った。その残敵を第四波へ向けて逃走させたところが戦巧者だね。爆風の方向まで利用するんだから、凄いよ。
あ、味方中央から《火線》。さすがはオデッセン司魔。あれはとどめになるね。
すぐに敵中央は崩れる。ヒクリナ侍祭がそれを押す。敵は自らの左翼側から潰走することになるな……敵第五波が来る方向への追撃戦……ターミカ参軍に同志隊の高揚を抑える手腕は期待できないか。
乱戦となってしまえば、強いられる犠牲は増しに増すから……先に手を打つ。
「マリウス隊、全騎集合!」
頭上で剣を振る。副長の中隊も戻す。影屋城へ残した二百騎を除いて、今ぼくが率いる最大数であるところの八百騎。鍛え抜いた精鋭だ。
「ぼくらはこれより北西へ突出、敵第五波を牽制するよ! 砂塵から察するに敵は大軍だ! 正面からは当たらず、陽動であるとわきまえて!」
旗を振って。味方中央、アギアス兄上の方へ向けて。ぼくの意図を伝えるんだ。そして駆けよう。隊列は八列縦隊。速度と連携が鍵になる。変化を重ねて眩惑させないと……死んじゃうな。呆気なく。
そう、死だ。ここでは生きるよりも死ぬことの方が容易い。
敵味方の区別なく、弱さに相応しい死が用意されている。だって大地すらが死んでいる。空が、高い高いところから、ぼくらを酷薄に見下ろしている。
「隊長! 正面、ヴァンパイアと黒狼の混成軍……お、およそ……一万五千!」
そら、死だ。避け難い冬のようにして死が徒党を組んでやって来た。
恐らくは帝都魔城からの援軍にして討伐軍だ。これまでの敵とは士気も練度も違うんだろう。想定もしていたけれど、厳しい。この事態を避けるためにこそ決戦地へ急いでいたのに……あと少しで、『骨砂の谷』へたどり着いたのにね。
でも、退くわけにはいかないよ。
後方に拠点は確保してある。影屋城にはヤシャンソンパイン軍官とシラちゃんが残って守備を固めている。でも、その兵力は怪我人交じりの四百騎一千卒一百杖二百羽。合流したからといって劣勢を覆せるものじゃない。
ここで、この死地で、ぼくらは活路を切り拓かなければならないんだ。心胆が凍えようとも、強がって、背筋を伸ばして…………ふふ、熱を感じるなんてね。
「ワタシがいく」
クロイ様。わざわざ馬を寄せてきての宣言、ありがたく。
光栄でもある。アギアス兄上は本隊中央の要だから、今回のこれはぼくの役割。ぼくら八百騎が、クロイ様と不死の軍勢に付き従うんだ。
「……イケメン末弟は、炎を。火の勢いは強ければ強いほどいい」
え、何? 『いけめんまってい』?
その言葉の意味はよくわからないけれど……炎を求め火勢を望む、その口振り。その眼差し。その、息を呑むほどの神気……巨大な気配。
「承知つかまつりまして、ございます……!」
疾駆する馬上、クロイ様が大太刀を掲げるや、彼らは立ち現れる。彼女の黒髪の色の甲冑に身を固めて、彼女の赤眼の色のを闘志に心を燃やして、次々に。
そして、真っ直ぐに征くんだね。
今や単騎になるはずもない貴方は、自暴でも自棄でもなしに、強い信念で奔る。万感の想いを籠めた憤りで、世界の理不尽と戦うんだ。
神の赫怒もまた……畏れ多くも……研ぎ澄まされたかのよう。まぶしいほどに。
「全騎、聞け! ぼくらはこれより死地に入る! けれど、生きて出るよ! 火刑十字の旗のままに、敵を、ぼくらを取り巻く諦観と絶望を、燃やし尽くすんだ!」
◆◆◆
嫌ですねえ……無粋で。
風に荒廃が臭い、土に灰塵が散り、水に至っては瘴気溶け込むおぞましの苦さ。とかく血吸いの生き死にする地というものは雅味を欠いていますよ。山の稜線すらが刺々しいのですから。
「あの、メタニエル様、もうそろそろです。この坂の上からなら眺められます」
「そうですか……ふう……ようやくですねえ」
「えっと、その、羽毛包みのお具合はいかがですか? お代え、しましょうか?」
おやおや、カルにはまた気を使わせてしまいましたか。
道の悪さに対しては十六名背負いの神輿を、その乗り心地の悪さに対しては羽毛の座椅子をと、様々に工夫させましたのに。
「それよりも、カル、まだ老師からの連絡はないのですか?」
「え、ええと……パルミラル大竜帥殿下からは、そのまま進軍せよと」
「それは随分と前に受け取った指示でしょう。夜伽藍を発つ時も、その後も、木霊でもなしにそればかり……老師、今はどの辺りまで来ているのです?」
「それは、その、あの…………わかりません」
「飛行者は? 幾名も物見に飛ばせたのでしょう?」
「……まだ戻らない者が、多いんです。戻った者も、その、想定の範囲には戦いの跡もないって……静かで、夜にも獣の遠吠えひとつ聞こえないって」
何と。呆れて声も出ませんよ。何も見ず何も聞けずでは、物見の役割を果たせていないではないですか。いくら気の滅入る殺風景さとはいえ。
老師も老師です。我が軍の華々しい戦果で『艶雷』の動揺を誘い、押しに押し込んで決戦地へと雪崩れ込む……どちらが宿敵を討つか競争だ、などと言っておきながらこの体たらくですか。まったく。
けだし久しく繰り返してきた攻防を変化させられず長対陣しているのでしょう。睨み合いなり探り合いなりに終始している様が目に浮かびますよ。
あるいは、夜伽藍の攻略が速やかにすぎたのでしょうか。
さりとて、東へ転進して『艶雷』の裏を衝くのにも許可が必要。結局のところ、神の軍略を修めているのは老師のみなのですから。
「……やれやれですね。退屈で退屈で、頭に苔でも生しそうです」
またカルを困らせてしまいますが、ぼやかずにはいられません。憂いとは溜まる一方の濁り水。どうしようもなく零してしまうものなのです。
「あ! メタニエル様、見えてきました! 『骨砂の谷』です!」
どれどれ……はあ……やはりか面白みのない眺望ですねえ。
谷と呼ぶ割にはそこそこに広いものの、四方を寸緑なき山脈に囲まれて、土砂の吹き溜まりのようではないですか。しかも全てが灰色なのだからいただけません。ひどい山火事の後のようで、欝々としてきますよ。
血吸いが終焉を迎える地としては、まあ、相応しいのかもしれませんが。
「やりました! 到着です! メタニエル様が一番乗りです!」
「そうですねえ」
ああ、踏み入ったとて味気なき地。頼りない灰の感触の中にコツリコツリと骨片が混じるなど、ますます気分が悪くなりますね。
帝都魔城は、あちら、北西の山向こうですか。魔神の鎮座する宮殿もそこに。
老師の秘術とやらは……さて……どうなることやら。
「皆の者、よく歩きましたね。まずは喉を潤すなどして一息入れなさい。そして陣張りに取り掛かるのですよ。ご苦労ですが、日の暮れる前に」
いまだ軍勢移動の煙も見えないでは、長く待つことになりそうです。せめて丁寧に陣地を拵えましょうか。噴水や水浴場、小川や泉……《流界》による結界だけではなしに、兵や鳥獣たちの憩える水場を設けましょう。
何よりもまずは貯水池ですが、この地の地下水は……ふむ……深く重く圧せられていますね。我が魔力の水を呼び水として…………ふむ? 地が震えている?
「メタニエル様! メタニエル様! 采配を!」
「ミリ? 何をそんなに慌てて……」
「敵! 敵襲! 包囲されている!」
「なっ!?」
西の山腹からゾロリゾロリと、敵。東の山肌が崩れて中から、敵。南の大岩が転げてノソリノソリと、敵。北の岩山の上に黒い旗を高々と掲げて、敵。
雲霞のごとくに、敵、敵、敵。
四方を囲むその数は……十万を軽く超えて……二十万にも届きそうなほどとは。
「どうした、『水底』の。使徒の対峙は戦の華だぞ。常のごとく微笑んでいればいいものを、随分と怖い顔をするではないか」
この朗々と響き渡る声は、『艶雷』のロザリンデ。
北にそびえる山の頂で、薄金色の髪を長く稲妻のごとくなびかせて、手には電光を閃かせる鞭。血吸いの牙を口元に晒してなお、凄味を覚えるほどの美貌。
「……いつから貴女は蟻の物真似をしていたのです? 『崩山』ならばまだしも」
「敵地の空へ鷹を放つ阿呆がいてな。まあ、子供騙しで充分であったよ」
こちらの物見を先んじて発見していた、その余裕……ありえません。老師の軍団と戦いながらできることではありません。速さもおかしい。大軍を完全に伏せきっていたなど……いつ到着していたのです。老師の追撃はどうしたのですか。
まさか、既にして老師を……いや……あいや、まさか!
「さて、遠路はるばるとやって来た殊勝を労ってもやりたいところだが、早々に片付けさせてもらうぞ。『絶界』に『炎軍』にと後がつかえているのでな」
やはり! 老師は戦っていない! 『艶雷』の万全がそれを証明しています!
「カル、風使いを率いて上空へ。矢の加減は無用。何としてでも敵を牽制なさい」
「は、はい! 飛びます!」
「ミリ、水使いを率いて四方に防御の陣を」
「承知。《流界》は」
「無用です。結界も水源も私がやりますから」
軍鼓が連打されて、敵が雪崩のように迫り来ますよ。ミリが、カルが、指示を叫んで軍を動かしますよ。我が軍団は絶体絶命の危機にいて……老師! 貴方は! 今どこにいるというのですか!
や、光。これは雷魔法の発露。来ます。彼女の放つ強力極まる《砲雷》が。
水よ、水よ、万物の基のお前よ……来たりて私を、私たちを護りなさい!




