86 竜侍は激闘する、吸血の古将と/軍官は密談する、夜闇の希望と
戦火が広がっていく。大陸を焼いていく。
全てが燃えて、燃えて、燃え尽きた先にあるのだろうか。希望の地平は。
◆◆◆
サチケル様を予備戦力扱いとする、メタニエル殿下の采配……評議会の決定とはいえ思うところがあったものだが。
この海原のごとき戦場を見る限り、適切な判断ではあったようだ。
「そら、放てい」
号令がかかるや滞空する風使いたちが矢を放った。万を超える《風矢》の嵐だ。猛禽の速度と軌道で、溺れる吸血種たちを貫く。射殺す。
半数は小島を作って避難し、《石盾》や《土壁》で矢を防いているが。
「そうれ、絡めとれい」
再びの号令。水面に立つ水使いたちが《水蛇》を見舞う。これもまた万の大群。動くに動けない吸血種たちへと襲いかかり、口腔を侵す。溺死させる。
膂力なり雷魔法なりで抵抗した者たちへは、大なる《水蛇》……メタニエル殿下の操るところのそれが大口を開けて迫って……おお、ひと呑みにしてのけた。
蹂躙だ。これが『水底』の戦というものか。
大水が引いたとて、見渡すばかりの泥土の原は水魔法の能く働くところ。残敵は素早く排除される。《水鞭》が振るわれ《雫弾》が撃たれ《毒液》が撒かれる。吸血種が灰となっていく。
悲鳴。なんだ。戦場の一画において混乱が……あれは!
「はっはあ! 濡れ枝も浮き葉も、近づきゃこっちのもんさあ!」
吸血種が地から湧いて出た! 重装の百石、いや、方々から次々と出現する……数百石、いやまだ……千石に迫る数。土魔法による潜伏を、まさか大水の下でやってのけようとは。
伏撃を指揮する者は……あの戦槌の吸血種か。年のいった女。見覚えがあるぞ。アルクセム二等帥と対決した剛の者だ。さすがの蛮勇。
されど、それに対応するだけの余裕がこちらにはある。
「神よ、世界を監督する竜の神よ……従僕フレリュウ、かかる戦の行く末を占って初射つかまつる……」
空の高みより弓を構え矢をつがえ、祈り狙って。
「我が主の大志、大陸に轟き渡るものならば……この矢、当たれ!」
渾身の《風矢》を放った。命中。大男の首を貫いたぞ。兜と肩当ての隙間は極小であったものの、祈願の矢とはそれを射抜くものだ。正義は我が主にあり。
「我が敵の打倒を占って次射つかまつる……魔神の企て、阻めるものならばこの矢当たれ!」
よし。暴れまわる男の右腕を貫通した。これであの敵集団の勢いは殺したぞ。
「三射目こそ神意のつまびらか……我が軍の勝利と栄光、確たるものならば……この矢、当たれえ!」
裂帛の気合いと共に矢を放った。風の魔力も十分に乗った一射だ。狙う先には敵将に違いない女吸血種。名を思い出した。確かベアボウといった。
的中の音。上がる血飛沫。だが。
「はん! 混戦の真っ只中へ射込むんだ! これしきは覚悟の上なんだろう!?」
ベアボウめ、嗤うか。盾とかざした我が同胞の死体を捨て。私を睨み上げて。
「我が後に続くべし!」
飛行戦隊を率いて翔け下る。複数枚の『羽』を召喚し、背に隠し置いてだ。羽柄に毒を塗布することも忘れない。
「蚊トンボさ! 叩き落としな!」
投石などは当たるものではない。注意すべきは雷魔法だ。
「各々、乱れ飛べ! あれらは私が対処する!」
命じて加速する。雷を牽制する急降下。大地という名の壁に肉薄して、急旋回、飛燕の軌道でもって敵中を飛び抜けた。戦果は六石だ。高速の中で操作した羽の奇襲、見切れまい……何っ!?
「ん、かわしたかい? 存外やるじゃないか!」
強力な《石弾》だった。防壁として身にまとう《風盾》がえぐり散らされた。
「だけど、もう終いだよ。あんたはここで死ぬんだ!」
剛撃に風を裂き乱される。これでは《飛行》できない……《浮遊》で避けるよりない! 強い! 戦槌の一撃一撃が、命を消し飛ばす音を立てている!
「死んで土に還れるあんたらが、地に足つけずに空を飛ぶ! 生きて歴史を刻めるあんたらが、全てを水に流しちまう! は! 忌々しい忌々しい!」
攻撃が途切れない! 羽を召喚したとて付毒できないでは意味がない! 後退すれども追いすがられる! 間合いを切れない! 跳べばあの《石弾》が来る!
「賢しらなあんたらに比べりゃ、ヒトの方がまだマシさ! なにせ燃え上がる闘志ってもんがあるよ! 世界をどよもす、魂の咆哮ってやつがね!」
闘志!? 燃え上がるような!?
ああ! 確かに、目蓋の裏に焼き付いているぞ……ニンゲンの使徒の闘姿が!
「飛び散りなあ!!」
打たれた。吹き飛ばされた―――という態で《飛行》へ移行できた。無事にとは言い難い。戦槌を受け止める形となった両の手は無残な有り様と成り果てた。
「ぐ……ぬかったねえ」
だが、羽を刺したぞ。地に捨てられた一枚を風で拾い上げ、ベアボウの背後から脇の下へと飛来させた。大振りの隙をついた形だ。
「ふん、ここは痛み分けにしてやろうかい! さあ、お前たち! 突出するよ!」
しまった! 戦いながら随分と移動していた! ここはもう味方の陣の深いところ……いかん、メタニエル殿下の旗も近い! 大魔法で消耗しておられるはず!
「各々、追え! 射かけよ!」
ダメだ。ベアボウは速い。一度泥に落ちた羽では、毒も減り落ちていたものか。疾走することで数百からのヴァンパイアを糾合するとは、敵ながらすさまじい戦振りだが……北へ転進しただと?
竜帥親衛隊による《流界》に阻まれてのことか、それとも初めからそれが狙いであったのか……走る先には森がある。逃走か。奴ならば逃げ切るかもしれない。
いずれにせよ、大勢には影響しない。我が軍の勝利は揺らがない。
かかる野戦をもって『夜伽藍』への道は開けた。あとはメタニエル殿下の回復に合わせて到着すればいい。攻城の戦など容易いものとなるだろう。
「攻城、か」
西の空を眺めやる。ニンゲンが戦っているのだろう方角を。
「苦戦は必至であろうが……きっと決戦地で会えると、信じているぞ」
◆◆◆
「―――エルフ軍団は水攻めをもってして夜伽藍を攻略した、と……ふうん?」
分隊単位で構築した早馬伝令……朋友フェリポ君からの手紙は過激なもんだね。
いわく、『水底』の戦術は兵力差を活かさぬ愚行にして拠点を拠点跡へと壊しきる蛮行である、と。まあ確かに。相手には使徒がいないってわかってるんだから、もっと丁寧に陥落させた方がお得に決まってる。補給路と退路の確保的に。
いわく、エルフ側からの報告がないことは我々を軽視してのことにあらず、と。そうだな。むしろ逆だ。情報を遮断してこっちの退路まで脅かしてるわけだし。
拙速に見えて狡猾で陰険な印象だ。見え隠れする剣呑と不穏と……冷たい殺意。
こりゃやっぱり、あるかなあ…………エルフの裏切りが。
手紙によれば、夜伽藍跡地には『万鐘』が後詰めと留まって、『水底』の軍団が帝都魔城へと進軍したとある。そうやって主戦場へと影響して、敵本隊を後退させたいんだろうけどさ……あわよくば挟撃にするつもりなんだろうけどさあ?
それって、私たちに都合がよすぎるんだよ。
魔神討伐って目的を共有しておきながら、敵本隊にも敵重要拠点にもエルフのみで当たるとか……犠牲と負担を一手に引き受ける理由は、何だ?
親切心からのわけがない。だからといって、人間への無関心なわけもないぞ。
だってクロイ様がいる。デーモンキラーで『黄金』崩しのクロイ様が。
もしも私がエルフの戦略を担う立場なら、人間軍は主戦場へとご招待だ。んで、強力な捨て駒として『艶雷』の首級を狙わせる。お得すぎる配置だよな。
その一方で『水底』と『万鐘』で夜伽藍を固めて、そこへ押し込むようにして敵本隊を攻め立てるんだ。槌と金床よろしく強力な挟撃になる。殲滅は無理でも、帝都への追撃戦になればこれも美味しい。一気呵成に攻め上がれるんだから。
そうまで徹底して、初めて魔神とやり合える。そうまでしてなお、勝ち筋が定かじゃない……そう思うんだが。
「ったく、エルフは魔神の弱点でも知ってるのかねえ?」
ため息をひとつ、背もたれに身を沈めた。肘置きは人骨製だから触れない。実に豪華で極めて悪趣味な椅子だよ。さすがは影屋城の領主用だ。
「そんなものはないね」
「嫌な断言をするじゃないか……ターミカ嬢」
吸血種の裏切り者は、長椅子にだらしなく寝そべって葡萄なんぞ食べてる。人生色々だな。かつての敵将、負かして虜囚、今や丁重に扱うべきお客様ときた。
ま、その利用価値たるや値千金だからなあ。
吸血種領域の、地図だけでは把握できない詳細と土地勘……それだけならまだしも代えが利いたけどさ。
影屋城の情報どころか、領主とその手勢へ虚報を入れて誘い出したり。影屋城内の不穏分子へ連絡して武装蜂起させるどころか私たちの占領にまで協力させたり。今も軍政敷くの手伝ってたり。帝都での伝手もあったり。
こいつ、どんだけ用意してたんだよ。国と神への裏切りをさ。
「教えてあげるよ、ヤルセナイパイン。現実とは往々にして胸の塞ぐものなのさ」
「ほほう。さすがは、傷病吸血種や忌避種族からの信望厚きお嬢様。くつろぎながらも世を憂いてるってわけだ。あ、それとも慙愧の念に堪えないとか?」
「魔神に挑むことはこの世界に生きる者の義務だ。誇りこそすれ恥じるものか」
種を吐き捨てて、そんなことを言う。その恨みは大いに信用できる。
ここは憎悪の掃き溜めなんだ。
吸血種の社会は弱肉強食。さりとて誰もが強く在り続けられるはずもなし。怪我をしたり病気をしたり……そういった傷物壊れ物の流れ着くのがこの土地で。
吸血種は大陸の侵略者。様々な種族を襲ったその一方で統治せず放置してもきたから、細々と生き残る者たちもいて……腫物溢れ物の流れ着くのがこの土地で。
「……だから、ドワーフの御老人たちも参戦するんだ? もう、三人きりなのに」
「もう三人きりだからこそ、挑むんだよ。どうしようもなく滅ぶより前にね」
「ふむ。わかった。そそのかしたんだ」
「ふん。むしろ逆さ。助けられたし焚きつけられたから、今がある」
つまるところターミカ嬢は闇に輝く希望の星なわけだ。彼女を旗頭にすることで、陰にうごめく者どもは結集できた。多くを耐え忍んで謀略を進めてこられた。
クロイ様に似てるかもな。そりゃあ、シラちゃんが懐くわけだ。
「で? 実際問題、お嬢たちはどうやって勝つつもりなわけ? まさか意気込みだけってことでもないんだろ?」
「……宮殿にこもった魔神は、無敵だ。私たちにできることは何ひとつない」
「おいおい。神々の潰し合いを狙うだけなら嗤ってやるぞ。神を否定する者が神頼みかよって」
「動かせばいいんだ。魔神を外へとおびき出せれば、やりようがある」
ターミカ嬢が身を乗り出してきた。いや、私も同じようなものか。唾を呑み込んだ音は、さて、どっちが鳴らしたもんだか。
「秘宝を狙うんだよ。魔法の力の源である、土の『源鉱石』と雷の『天震蝋』を」




