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82 万鐘は徹夜し夢想する、いつかの平和と幸福を

 神の気配の濃淡に、啓示の多寡に、感応の遠近に、ワタシはもう動じない。

 何かあったなら合図をと、そう、神は言ったのだから。



◆◆◆



 夜更かしは、わりゃ、あんまり得意でないがの。


 綺麗じゃなあ。屋上から開拓地を見渡せば、方々に篝火。たくましくも闇を祓うとる。動かぬそれらの合間を行灯が巡る。まめまめしくも影を掃うとる。


 いつだって人間は、努力と工夫で夜を越えてゆく。素晴らしいことよ。


 見上げれば、冷気を透き通らせて星々の天蓋。飛んだところで届かぬし、酷薄さでわりゃたちエルフの力を削ぎもする虚空……遠く高くヴァンパイアの咆哮が轟いているかのような……飛行達者のフレリュウとて飛び控える夜天じゃというのに。


 ひとり、流星のごとくに飛び来たか。『仮面』のオスカーよ。


「中央平原から遠路遥々、ご苦労なことじゃの」

「確認する。ヒト領域接収の成否はいかに」


 相も変わらず用件のみじゃなあ。仮面の裏にはどんな双眸が隠れておるのやら。


 こりゃこりゃ、フレリュウ、そう毎度のごとく怒りをあらわにするでない。こやつには礼法など無用。仮面のエルフとはそういうものと受け止めよ。


「うんむ。失敗というよりは中止じゃがな」

「中止。つまり次善策を採ったと?」

「そうよ。それみたことかじゃ。人間は容易く呑み込めやせんぞいと、わりゃ言うたじゃろ? 争わず仲良うした方がいいともな」

「警告する。議決済み事項への批判は評議会へと報告される」

「むむ……よ、よいぞ。本心じゃからして大いに告げてくりゃれ。エルフと人間は協力するのが良い。仲良しだともっと良い」


 叱られるのは嫌じゃけど、議題に上がれば少しは風向きも変わるやもしれん。


 どうして、誰も彼も、ヴァンパイアを敵視して人間を蔑視するというばかりなんじゃろか。『黄金』を討ったのはわりゃじゃないと何度も何度も報告しとるのに、評議会め、わりゃの武勲にしたばかりか讃える曲まで作りおってからに。


 無力じゃ。もどかしいことじゃ。真実を知れば、皆、人間の実力を無視も軽視もできんじゃろうに……差別意識とは、根が深いばかりか幹も太く枝葉まで硬い。


「詳細を確認したい。『水底』閣下はいずこに」

「ぐっすり寝とるよ。砦からのとんぼ返りでクタクタのようじゃ」


 無理もない。メタニエルは飛べぬからの。ま、飛べたとてお主のようにはいかんわい。幾昼夜も休まずに飛翔できる者など、まず、お主らのみよ。


 オスカーは確か……十五番目じゃったか?


 その仮面は、風使いの中から特にと選抜された三名にしか与えられん。そして日夜戦場を飛び続け戦い続けて、ある日パタリと死んでしまって、別の選りすぐりが仮面を引き継ぐ。


 それが『絶界』の従僕というもの。何とも激しく儚い在り様よのう。


「待て、オスカー。わりゃにも確かめておきたいことがあるんよ」


 呼び止めて、仮面の向こう側へと問おう。


「思いっきり押し込まれた戦線……ちゃんと押し戻してくれたんじゃよな?」

「肯定。現在、主戦場は従来通りの中央平原へ」

「大丈夫なんじゃよな? こっちゃ来た『艶雷』のこと、わりゃとメタニエルで迎え撃って……それでも、その、倒せなんだけども」

「我が主いわく、かの者を三昼夜引き留めたことが戦果」


 そうか。そう言うてくれたか。ならまあ、一安心なのかのう。


 あの『黄金』は個としての大陸最強じゃったが、集団を率いてのこととなれば『艶雷』と『絶界』が抜群の位置にてふたり並ぶ。わりゃにはわからんあれこれを判断し、指示し、結果を出す。中央平原はふたりの対局の場よ。


 なんの、このわりゃとて音楽においては大陸に冠たる者と自負しとるが……戦争においては脇役もいいところじゃからのう。


 どぅーよあべすと、か。


 もっと戦争と向き合うことが、エルフとして生きる()()()なのかのう。そうすれば、わりゃもドラゴンを召喚できるようになるのかのう。


「むむ、待て待て。もひとつだけ尋ねたい」


 ふむん。迷惑そうな顔を見ずに済むところは、仮面のいいところかもしれんの。


「わりゃたちは、護るだけじゃのうて、グワーッと攻めるんじゃよな? この機に大陸の秩序を取り戻すという決定は、ようするに、そういうことじゃよな?」

「肯定。戦況はこれ以上を望むべくもなき優勢」


 そう、その通りじゃ。わりゃの知る限り、ヴァンパイアの使徒がこうも立て続けに討たれたことなどありゃあせん。


 じゃが……じゃがなあ。そうであっても、わりゃは問いたいのじゃよ。


「パルミラルは……お主らの主である大竜帥『絶界』は、いったいぜんたい、魔神をどうするつもりなんじゃ。任せろだの後にしろだのとはぐらかされて、わりゃ、何の説明もされとらんのじゃよ」


 魔神ストリゴアイカ。神聖ローランギア帝国に君臨する、受肉した神。


 彼の者が直接に力を振るったのは、かつてインセクターを滅ぼした際にのみよ。以降は城の奥に篭り在り、一度として他種族の領域へ姿を現したことなどないが。


 攻め込めば、出てこよう? 戦わんでは、済まされんじゃろ?


「勝てる……のか? わりゃたちが、彼の者に勝つ手段はあるんかの?」


 最終戦争宣言の内容を思えば、ほどよいところで弓弦をほどくなどという決着はありえまい。勝てんでは、負けるまで戦い続けるだけになってしまう。


 オスカーの返答は……おお、肯定。


「我が主に秘策あり。エルフは勝利し、三百年に渡る戦争は終結する」

「ほほう、決着でなく終結か。良い。戦乱の終わりを思わせる喜ばしい言葉じゃ。それで大陸が平和になるのなら、わりゃ、もんのすごく嬉しいのう」 


 平和。尊く得難きものじゃ。


 今やそれを知らぬ者が増えてきた。下手をすれば戦士の過半に及ぶやも。齢三百年に満たぬ者らは、ヴァンパイアのおらなんだ時代を知りゃあせんのだし。


 エルフに比べれば短命の人間に至っては……伝説やら伝承の類なのやも。


 昔々のその昔、今にして思えば理想郷のようであったあの頃あの光景。


 知ってほしいのう……外敵のいない日々を。味わってほしいのう……心穏やかな毎日を。当たり前のように一日が始まり、種族の垣根を越えて笑い合い、何を憂うこともなく一日を終わることのできる日常が……誰しものものとなればいい。


「サチケル様。日の出までにはまだ時がございます。お休みになられては」


 誠実なるフレリュウよ。お主も戦乱の世しか知らぬ者のひとり。その心身を真に休ませられる時がくればいいのう。


「んん……よい。わりゃ、今夜はここでこのままにおる」

「し、しかし、明朝にはニンゲンとの会談もございますから」

「その人間の灯す明かりに照らされて、ゆっくりとっぷり、お日様が昇るのを待ちたいのよ。そういう気分なのじゃ」


 あるいはそれが、今の世を最も存分に過ごす方法かもしれん。最終戦争なんぞに翻弄されず、赤心から平和を求める姿勢なのやも。


 のう、クロイよ。


 鬼神の加護を一身に授かりて人間を導く、現人炎(あらひとほむら)よ。


 何という神気じゃ。その姿見えずとも、わりゃ、熱いくらいじゃぞ。そなたは使徒の内でもずば抜けてゆかんとしておるな。『黄金』を討ち『崩山』を滅ぼし、デーモンをも焼き尽くして……そなたもまた魔神へ挑むんじゃろう。


 そなたたちとわりゃたちとが協力すれば……素敵な未来を切り拓けるかの?


 ん。東の地平が明るんで来たのう。


 夜の先に朝が来るよう、冬の先に春が来るよう、平和も来い来いここへ来い。


 お。牧場の端の木立のそば。早々と会談場の準備が始まった。てきぱきとしたもんじゃ。人間の勤勉さには頭が下がるの。わりゃたちに配慮して、わざわざ野外にいそいそと働いて。


 んむ……いじらしいと思うては、わりゃ、傲慢かのう。


 じゃって、陣幕というあの布きれ、人間の世界観そのものなんじゃもの。


 自然を切り取って内と外とを区別しとる。景色と風を遮って篝火で囲うとる。椅子と卓とを配して在りどころを定めとる。諸々を掃き清めて管理しとる。


 つまりは、予測のできる窮屈さが安らぎなのじゃろ?


 そうせずには憩えない日々を、長く長く過ごしてきたからなんじゃろ?


 全ては神無きがゆえのことならば……神在りし今の先に、のんびり穏やかな日常が来ればよいの。楽に楽に、人間が世界を遊べるようになるとよいの。


 いつか、皆で一緒に音楽を奏でたいんじゃもの。歌も踊りも思うさまにして。


 そんないつかのためならば……戦おうぞ。もっと頑張ろうぞ。


 わりゃの考える()()()って、それじゃ。

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