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79 魔術師は用意し遠望する、夕の地平と不吉の風を

 ワタシは全てを捧げたのだから、あの日のことを恨みも憎しみもしない。

 けれど忘れはしない。痛みを。苦しさを。寒さを。憤ろしさを。


◆◆◆



 西日の差す作業場に、五十名から集まって座り込んでよ。


 麻織の作業衣をまとい、口当てをつけて、思い思いによ。


 木炭を削るわけだ。鉄ヤスリで粉にして、すり鉢で更に細かくして、ユシノ木からもいだ虫こぶへ詰める。油芯を入れて荒紙で包む。火瘤弾へと仕上げる。こいつは火気厳禁の作業だから行灯を使えねえ。明るい内に済まさなきゃなんねえ。


「私、どうにも《発火》が苦手でさあ……特にこの火瘤弾との相性がヤバいんだ」

「パインがひねくれてるからだって、シラ思うよ。普通にやればいいのに」

「言うねえ、シラちゃん。でも普通って面白くなくない?」


 事前準備に手間を食うってのが、普通の魔法にはねえ、燃焼魔法だけの大きな欠点だな。とにかく触媒の数が必要だし、質にもこだわらなきゃなんねえ。


「普通はね、大事だよ。特別な幸せより、当たり前の幸せの方が大事みたいに」

「うお、何という達観。やばい、大人としてだいぶ恥ずかしいんだけど」


 まあ、なんだ。このオデッセンさんは叩き上げの実践派だからな。手際にも集中力にも自信がある。どちらかでも苦手なんてのは魔術師の恥とさえ思う。


「恥ずかしいって思える人はね、やさしいんだって。お父さんが言ってたよ」

「うーん、すごくいいことを言ってるんだけど……私には追撃かなあ。そんなつもり満々で、割と恥知らずだからなあ」


 だから、お前らのおしゃべりなんざ、気にもならねえはずなんだが。


「あ、木炭なくなっちゃった。炭粉たっくさんになったよ」

「よしきた、もう十箱くらい炭持ってくるぜ」


 シラよ。お前、父親の手を召喚してヤスリかけさせるってのはどうなんだ、特別な魔法の神秘的に考えて。しかも速え。音が違えんだよ、お前んとこだけ。


「あ、でも、その前にこれ見てよ。じゃじゃん。新型火瘤弾。持ち手をつけて投げやすくしてみたんだ。でかい虫こぶがあったからさ?」


 パインよ。お前、決められた作業をする気が全然ないだろ。すりこ木を材料にしちまってどうすんだ。見た目、鈍器みたくなってんじゃねえか。


「すごそうだけど……でも、パインは《発火》苦手なんだよね?」

「ああ、ウィロウ家の三男坊に使わせようと思って。デーモンを《爆炎》で仕留められなかったこと、悔しがってたからさあ」


 王都でのデーモンキルからこっち、お前ら随分と仲良くなったなあ。働くときだけじゃなく、食う寝る遊ぶとだいたい一緒にいるしよ。クロイの妙ちくりんな踊り練兵のときも、二人して俺を捕まえに来やがる。


 ま……わかる話だけどな。


「なあなあ、オデッセンさんも見てくれよ。この新型。柄付き火瘤大弾とでも呼ぼうかな。これでデーモンを殺れると思う?」


 いかにも楽しんでございってな口調だがよ、パイン、お前はシラを放っておけなくなっちまったんだろ?


「……化物の首元まで届くかどうかってのがまずわかんねえとこだが、届いたとして難しいだろうな」

「あらら。ダメっぽいよ、シラちゃん」

「もう取れないよ、このすりこ木。にかわカチカチに固まってるよ」

「昨晩ふと思いついて作ったもんだからなあ」


 紅華屋が死んじまって……クロイが神懸かりを深めて。


 どちらとも過ごす時間の多かったシラは、すっかり覚悟を決めちまった。クソ、ちっちぇえくせに痛ましいったらねえぜ。父親の腕に護られるばっかりじゃダメだって、自分もちゃんと戦うんだって、俺に燃焼魔法を教わりに来てよお。


「オデッセンさんオデッセンさん、通じない理由、説明してもらっていいかな」

「空中での爆発ってのは、派手だが、力も炎も八方へ散っちまう。焼くにしろ叩くにしろ表面的なもんになる。だから攻めあぐねたんだろうが。ちょっとやそっと火力を増したところでなあ」

「そうか、それは確かに……いっそ口ん中へ放り込めればいいんだけど」

「クロイもデーモンを内側から焼いてたしな。槍や剣を突き刺して、刃越しに炎を注ぎ込む感じだった」

「お父さんの剣なら……きっと」

「やめとけ、シラ。あれを相手に斬った張ったできるのはクロイくらいなもんだ」


 シラは戦うつもりだ。燃焼魔法で、俺たちの部隊と一緒に戦う気でいる。


 黄目だけじゃなくデーモンなんて化物まで相手にする戦いに、神の使徒の従僕として加わるってんだ。酒の味もわからねえ子どものくせによ。


「……ならさ、炭粉の中に鉄片を混ぜたらどうだろう。似た感じにならないかな」

「破片を爆散させるってことか……すげえ凶悪な魔法になるぞ、それ」

「何個か作って実験していいかな。開拓地へ行くまで、まだ少しあるしさ」


 さらりと軽く言ってるが、お前、目つきがえらく剣呑だぞ。口当てが表情を隠してっから余計にギラギラして見える。


 気持ちはわかるぜ、パインよ。


「……付き合うぜ。俺も実験しておかにゃなんねえもんがある」


 黄目と戦うために必要だと考え、用意して、結局は使ってねえ触媒だ。誰かの命を対価にしなけりゃ精製できねえし、炭や油で充分に通じてたから、ずっと使わずにおいたもの……火塩。


 俺もだ。俺も、この手でデーモンをぶっ倒すつもりでいる。


 クロイの力はよ、当てにしちゃダメなんだ。クロイを先へ行かせるためにこそ、俺たちは戦わなきゃいけねえ。上位だろうが下位だろうが、眷属になんざクロイの力を使わせられねえ。消耗させられねえんだ。


 化物どもの親玉を……魔神を倒すんだからよ。


 クロイには、どうしたってそれに集中してもらわにゃなるめえよ。


 そのためになら何でもやるぞ。好悪も善悪も呑み込んで、是が非でも、何としてでも道を作る。俺たちが作る。クロイが駆け抜ける道を。魔神討伐の道を。


「いいね、面白くなってきた。そしてそろそろ手元がおぼつかなくなってきた」


 何で踊る。おどけやがるぜ、まったくよ。だがパインの言う通りだ。


 今日の作業はここまで。声をかけりゃ片付けは速やかなもんだ。少しも時間を無駄にできねえってことを、誰もが心の底から理解してっからな。


「さあて、それじゃ早速、私は鍛冶場でも漁りに行くかな。鉄屑もらわないと」

「シラも行く」

「よし、ついでに厨房寄ってこう。シラちゃんいると味見という名の小腹満たしもはかどるからな……オデッセンさんはどうする? なんなら酒も狙えるけど?」

「いんや、ちょいと風に当たってくる。根を詰めすぎた」


 目元をほぐす。二人と別れて砦の廊下を行く。


 行き違うどいつもこいつもが、目に爛々と火を宿してんな。怯えを噛み殺して、命の使いどころを間違うまいってな顔をしてるんだ。頬を撫でる。進む。


 階段を登って壁の上へ。


 ああチクショウ、空が高くて広えったら。西の地平は赤く燃えて、地上の何もかもが黒く塗りこめられてて、まるでレギオンじゃねえか。


 ん……何だ、お前さんも夕眺めか。クロイ。


 声はかけねえよ。お前さんの火色の眼差しは遠くを、敵を、推し量ってるんだろうからな。黒髪の奥に覗ける耳は声を、鬼神のそれを、聞き漏らすまいとしてるんだろうし。


 しっかし研ぎ澄まされちまったもんだなあ……神の刃としてよ。


 クロイ、お前さんは異常だぜ。


 エルフの使徒の『万鐘』やヴァンパイアの使徒の『黄金』を見たから、わかる。お前さんの力は使徒の中でも異質なんだ。特別な魔法の威力や、加護の程度の問題じゃねえ。ぶっちゃけりゃ強さなんて二の次だ。


 お前さん、神そのものになる時があるよな?


 その身に神を降ろして、宿して、全てを明け渡して……神が戦い神が語る。とんでもねえことだ。最初はそうじゃなかったし、今も常にそうってわけじゃねえが。


 大丈夫なのか? 大丈夫なんだよな? 燃え尽きたりは、しねえんだよな?


 全てが終わった時に……戦後の世界に、お前さんも居られるんだよな?


「来る」


 何だ。どういう返事だ。いや、何かが来たのか。北から風の速度で近づいて来るあれは……あの集団は、青と白の旗を掲げてやがる。耳長ども。武器こそしまっちゃいるが、あの不穏さは何だ。不吉なもんが吹き付けてくるみてえだ。


「『水底』……あの夜のもう片方」


 今の声はクロイなのか。それとも神なのか。わからねえ。わからねえが。


 高まる魔力に剣呑さがある。こりゃあ、やべえんじゃねえのか!?

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