74 騎士は展望し再認する、最終戦争という現実を
雷光に吹き飛ばされても。水底に沈められても。
ワタシは立ち上がる。この身に神の炎を宿す限り、何度でも何度でも。
◆◆◆
雨が降る。
朔風に運ばれてきたからか、斬りつけてくるように冷たい。外套を打つ音は軍靴馬蹄の響きとひどく似る。言うなれば驟雨による包囲。瓦礫の遠景を灰色に染め、戦塵を泥へと流して、それでもなお血と死と灰の臭いを消し払えない。
足音。誰かが石階段を上がってくる。
雨粒を弾く笠には、一筆、祈りの文字列。
「ウィロウ卿、こちらでしたか」
「御僧」
フェリポ司祭。随分と濡れそぼった姿だが。
「ほほう、なるほど、東門は状態がいいですね。親エルフ派が拠点にしていただけのことはあります」
「うむ。他所に比べて兵器の数が多い。先には兵長も上手く活用したようだ」
「それは重畳。しかし皮肉な話です。内乱への備えが役に立ったとは」
門壁の端、濡れむしろの下には、据え置きの射槍器がある。昨日までは穂先が市街へと向けられていた。それが王都の常態だった。
「皮肉……か」
「他にも、此度の戦いは皮肉に満ち満ちていますよ。親ヴァンパイア派諸侯の領地はその多くが西方です。つまりは、ヴァンパイア侵入により真っ先に滅亡することとなりました。彼ら彼女らにとってそれが本望であろうはずもありません」
嘲笑うようでいて、どこか悔むような物言い。雨音に隠れて奥歯の軋む音。
多くいたであろう顔見知りの貴族たちを思ってのことか。それとも、名も知らぬ多くの民を思ってのことか。
「外患誘致の主犯とも言うべき『星明かりの団』は、礼賛したデーモンの手により壊滅し……望んで担がれた王妹もまた、デーモンに踏み潰されました」
吐き捨てるような口ぶりだ。
ヤシャンソンパイン軍官の話によれば、『星明かりの団』の指導者は神学校時代の知己であったという。また、あの王妹インクジャとて、生まれ落ちたその時から非道を歩んできたわけでもあるまい。
「悪意をすら、感じませんか?」
拳を握りしめる、湿っていてなお硬い音。
「先の戦いは、寄せ手にとって無残に過ぎました。国を荒らしたヴァンパイアも、使徒『崩山』も、デーモンと引き換えにされたかのごとく干からび灰となって……そのデーモンも煙のように立ち消えました。骨とて残りません」
震える声音。怒りであると同時に恐れでもあるのだろう、その激情を聞く。
「何という救いのなさ。まるで種族を挙げての自暴自棄ですよ」
深く切なく響いてくる言葉だ。フェリポ・ヴァルキ・ミレニヤム。王族として生まれ、神官として生きてきた者の本音なのだろう。
「戦いの先に何を求めているのか、という話だな」
「ええまさに。ヴァンパイアの目的が……戦後の展望が見えてきません。我々を滅ぼすつもりであることだけは、今更疑いようもありませんが……」
「……あるいは、諸共に滅ぶつもりなのかもしれない」
息を呑む気配。やはり気づいてはいなかったか。武官と文官の意識差もあるな。
「戦いを重ねるたびに感じていた。この戦いは、ヴァンパイアの大陸支配をもってしても決着しないのかもしれない……最終戦争という言葉の意味を、我らは浅く、甘く捉えていたのかもしれないと」
ヴァンパイアは狂猛だ。恐るべき闘争者ばかりだ。しかし、これまではまだしも打算があった。攻防の駆け引きの中でそれが見えた。己の生存を図り死亡を避けんとする、生物としての本能は共通していたのに。
砦の戦い以降は、それがない。狂おしく攻めてくるばかりだ。バンドカン閣下が包囲殲滅という至難の戦術を選択したのも、それがためであったのだろう。
「虚ろな死兵だ、今のヴァンパイアは。集団自殺のようですらある」
雨が降る。振り続ける。大気を冷え切らせていく。
砦へと向かった民は難儀していないだろうか。ここに留まることを決めた民は暖を取れているだろうか。兵士は、刃を握る手を凍えさせてやしないだろうか。
雨打たれて、雨濡れて、我らの闘志の火は……いまやいかに。
「……冗談じゃない、ですね」
熱。声に込められたそれが、私の頬を炙ったのか。
「冗談じゃありませんよ……諸共に滅ぶ? ヴァンパイアの猛勢の正体がそれ? なるほど確かに納得はしてしまいますし、盲点であったことは否定しませんが……もしもそれが真実ならば、何と、何と、救いようがない……何とおぞましい!」
火を吹くようだな、フェリポ司祭。灰色の天へと声を轟かせて。
「生命は! 我々ひとりひとりの存在は、尊い! この天地と比べたとて勝るとも劣りません! 誕生に至るまでの来歴が、生活に表れる種々の文化が、誰しもを奇跡的にしているのです! さもなくばどうして神々の加護を確信できますか!」
鬼神と言わず、神々と言った……その哲学を私は聞き漏らすまいよ。
「回天の志は他種族滅殺の企てにあらず! 人間であることを誇り、他種族にも尊ばれる世界を目指すもの! すなわち、いずれは相尊び合うための道!」
回天。人間が人間らしく生きられる世界を求めて、我らは立ち上がった。戦わなければ叶わないと身に染みていて、他種族に敵う力を得たからこそ戦ってこれた。
それは逆境からの蜂起だった。強勢に対する逆襲だった。
報復でも復讐でもなく……誇示とでも言うべき、必死であり懸命だった。
「我々の戦いは、誇らかなものでなければなりません! 自らを誇らずの卑賊、誇れずの蛮獣、滅びを遊ぶような愚昧が相手であってはならないのです! さもなくば……そうでなければ……どうして! どうして犠牲と釣り合いましょうか!」
雨が吹きつける。外套の内も笠の内も、濡れてしまって仕方がないから、ぬぐうこともしないで、目を閉じた。
「どうして、どのようにして、かの人々の死を受け止められましょうか……!」
皆、死ぬ。死んでいく。
国王陛下と王太子殿下と大司教猊下、父上と兄上とウィロウ家軍の古馴染たち、バンドカン閣下と砦の同胞たち、轡を並べた戦友たち、同じ旗を仰いだ仲間たち、そして……志を同じくしたアンゼ主計まで。
怪我人も数多い。数えきれないほどだ。疲労も色濃い。士気が上がらない。心は痺れ、身体は重く……寒い。心許ない。知らず、目が彼女を探している。
クロイが、目を覚まさない。
外傷はないものの、深く深く眠りに落ちていて……三日が経った。
「……それでも、我らは戦うのみだ」
もう魔神の城を急襲する機は逸してしまったが、さりとてこれ以上の停滞はできない。砦へ軍を戻さなければならない。エルフとの共同戦線を構築し直すことが、新たなる攻勢作戦を立てるための最低条件だ。
「どんな敵であれ、攻める。誇りの旗を掲げて」
既にして人間国家は崩壊した。人間領域も、西域を中心として荒廃した。聖盾山脈が穿たれた今、もはやヴァンパイアの侵入を防ぐ手立てはなく、それどころか瘴気の流入により魔物の数も増えよう。
「勝つのだ。遺志を継ぎ、意志を貫き、この最終戦争に勝利する。どれほどの犠牲を重ねようとも怯むことは許されない。なぜならば―――」
冷え切った唇を一度噛み、雫を飲みこんで、言う。
「―――我らは、人間の組織しうる最後の軍団だからだ」
凍えるような、当たり前の事実。かかる事態となっては兵站など運営できるはずもない。我らは遠からず自壊する。備蓄を食い尽くし使い尽くしたその時に。
決戦を急がなければ。
なお戦い、より倒さなければ。
ヴァンパイアを。デーモンを。それらを統べる、恐るべき魔神を。
一息に剣を抜いた。雨に晒した。鍛え上げ磨き抜いた白刃は、水滴も冷気も寄せ付けるものではない。この鋭利さには神の加護が在る。霊妙に冴え渡っている。
切っ先の更に先で、白く、立ち昇るもの……炊煙。
一筋だけではない。あちらでもそちらでも、雨風に揉まれ怯みながらも、それは天へと上がっていく。たなびき消えるも、後から後から上がり続ける。
それぞれの根元には、生活があるのだ。戦禍に打ち砕かれてもなおたくましく生きようとする、人間の営みが。火が。祈りを伴ってそこにある。
「何やってんだ、あんたら。雨降ってんのに」
「……司魔殿」
貼り物の傘の下、オデッセン司魔はあきれた顔だ。剣を拭い、納める。
「司祭さんよ、あんた、風呂を沸かしたからって呼びに出たんじゃなかったか? 一緒になって冷えててどうすんだ」
「おお、そういえばそうでした。何とも見晴らしがいいもので、つい」
「雨の日はあったかくすべしとも言ってたな。どの口が、じゃねえか」
「いやはや、まったくその通りで……オデッセン殿は、そのためにわざわざ?」
風呂か。それもまた人間の暮らしだな。思えばこの手も痛いほどに冷えている。
「それもあるけどよ、知らせに来たんだ。クロイが起きたぜ」
「何っ!? 本当か!!」
「大丈夫なのですか!? 具合のほどは!!」
「うわ怖えよ近えよ! 俺に聞くより、会ってくりゃいいだろ! クロイ、今、部屋で汁物食ってるよ! シラと一緒にさあ!」
「シラ殿も駆けつけたのですか」
「つうか、枕もとで汁物食おうとしたら、その匂いで目え覚めたみてえだ」
石階段を降り、外套を脱いで……少し笑った。
雨風の入らない廊下には灯火が煌々としていて、人々の立てる多くの音で満ちている。一等賑やかな辺りにクロイがいるのだ。盆と器の音。きっとお代わりの要求が出たのだな。
それをアンゼ主計が運ぶことは、もうないものの。
食卓を囲えば語らいがある。伝わる想いがある。
これでいい。こうであればいい。こんな、護るべきひと時さえあれば、我らは強く在れるだろう。誇らしく戦って戦って……最後まで戦い抜けるだろう。その確信を新たにした今、無言の内に宣しよう。
魔神よ。ヴァンパイアを奔らせ、デーモンを猛らせた、恐るべきものよ。
人間はおろか世界そのものを脅かすその振る舞いに、用があるぞ。
すぐに征く。必ず勝つ。
しかし今は……掛け替えのないこの時だけは、己が手をゆっくりと温めるのだ。
第二部、完。




