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72 神官は感得する、神威の特別を/軍官は観戦する、軍鬼の戦闘を

 神の叫びはワタシの叫び。ワタシたちの叫び。

 この胸の奥底で燃える火が、ワタシの口から吹き出て、世界を焼く。



◆◆◆



「ああああああ! ああああああああっ!」


 声が、響き渡っています。クロイ様の大声が。


 ひとりの口から発しているはずのそれなのに、どうにもそうは聞こえませんよ。反響などするわけもない空の下、クロイ様の声は無数に重なって重なって。


「ああああ! あああああああああああ!!」


 まるで幼子の泣き声のように、胸を打ちます。あるいは青年の叫び声のように、拳を握らせます。それでいて淑女の哭き声のように、心を惑わせます。かと思えば動物の猛り声のように、腹を力ませもします。


 僕の心身を痺れさせる、声。僕が僕であることを忘れさせる声。


 この声は、僕の声でもあるのかもしれません。なぜならばフェリポ・ヴァルキ・ミレニヤムの全てを内包しています。僕を僕以上に叫んでくれています。


「あああああああああ……!!」


 ああ……声。声。声。天を衝き世界を震わせるほどの。


 僕たち人間の想いをあまねく轟かせるかのような……魂の咆哮。


「神様だ……」


 シラ殿のつぶやき声。お父上の霊妙な守護があってなお、傷を負い、埃まみれとなったその横顔に、一筋の涙を透き通らせて。

 

「神様が、いる……いつかみたく、クロイ様の中にきてる」


 腑に落ちる言葉です。それがどれほどとてつもない内容であろうとも、真実に臨んで敬虔たればわかろうもの。言葉は奇跡の輪郭をなぞったにすぎません。


 今再び、神ぞ、天降られたもう。


 皆々、拝し奉るのです。使徒を宿りの器となされたまいて、神は御力をお振るいあそばしました。クロイ様の体躯は少女のそれなれども……おお、溢れ放たれる神気の物凄まじさたるや……デーモンなどいかにも小さく感じられるほどですよ。


「神様……神様は……こんなにやさしいのに」


 そうですね。まったくその通りです。


 神の御心は、人間の営みを照らす陽光。抱き包む温熱。アンゼ殿の手を握る様は慈母のようでも愛娘のようでもあります。その愛と哀とがどこまでもありがたく。


「なのに、なんで……戦いの神様なの?」


 そう、ですね。僕たちの神が闘争を司ることもまた確か。


 デーモンを焼いた灼熱がその証左。火をもって敵を滅ぼす御業。その根源には大いなる憤怒があります。人間の悲惨を憂い、憤り、吠えるかのような怒りが。


「戦いって、痛いことばっかりで……やさしいとつらいのに」


 そう……なのかもしれません。確かに。


 痛い目にあっていない者の慈愛などは、えてして浅墓。憂き目を見ていない者の赫怒などは、往々にして浅薄。深甚なる情動の裏には、常に、痛々しいまでの多感があるものです。


「どうして、戦ってくれるの?」


 しかるに、神は。


 かくも感情をほとばしらせられたもう、僕たちの神は。


「どうしてそんなに、皆のために、がんばってくれるの?」


 そうか……ああ……そういうことですか。


 偉大なるかな。


 かしこくも勿体なくも、神は、人間の悲憤のことごとくをその御心にお引き受けくださっておられるのですね。僕たちの叫びを御自らのものとなされたまいて。


 つまるところ、クロイ様の在り様こそ、神意の体現。


 ですから、そら……クロイ様の足元から音もなく立ち上がるものがありますよ。やはりか黒馬。死してなお駆ける者。付き従うようにして現れたものがあります。赤黒き騎兵と歩兵。死の先を戦う者。次々と現れますよ。軍を成していきますよ。


 炎熱を発する彼らの目には、涙。赤いから血涙でしょうか。それとも熱に溶けたなにがしかでしょうか。いずれにせよ激情を表わしていて。


「あああ……あああああ……!」


 世界へ、クロイ様の声が轟き渡ります。生ける僕らの想いと、死せる彼らの想いを代弁して……クロイ様の想い、神の想いもまた燃えたぎらせて。


 増え続ける赤熱の軍勢……あれは、まさか……いえ、間違いなく……父。


 王がそこに立ち現れるのならば……兄もいますね。王太子なのですから。隣にはパイン君の弟。伯爵も。親子で死後もそこにいるのですか。周囲に侍るのは近衛騎士たち。勇ましき戦列。


 そして、この気配。この凄まじさ。威も圧も熱も高まるばかり。クロイ様が用いてきた、これまでの召喚術とは明らかに異なる規模の神気。


 聖典にいわく。使徒には望みを叶える特別な力が宿る……すなわち召喚術。


 あの『黄金』は言いました。召喚術とは術者の世界観の表現であると。


 クロイ様は初めに武器を求めました。津波のごとく押し寄せる魔物に相対して、その全てを斬り伏せてなお余るだけの武器を。そして『黄金』らの襲撃に際しては軍兵を求めました。強力な敵を一気呵成に打ち払うべく。


 今、デーモンを前にしては。


 今、神の力をもってして、あなたは何をぼうというのですか。



◆◆◆



 いやあ、いいもんだな。


 丘の上、あぐらをかいて、頬杖で―――世界の終わりみたいな光景を見るのも。


「おい、パイン。何だってお前、そんなにくつろいでんだ」

「安全な場所に待機するのが、何よりの防御防衛だろ?」


 のそのそとやって来て、オデッセンさんめ、寝ぼけた顔をしてるな。


「嫌な夢を見ちまったぜ……俺を目がけて城壁が飛んで来るんだ」

「はっは。悪夢みたいな現実へおかえりなさいませ、さ」


 二体目のデーモンによる、城壁をひっぺがして投げつけてくるなんていう、冗談にしたって凶悪極まる攻撃……何十人と死んで、その三倍は怪我人が出て、どうにもならないくらいに士気が挫かれちゃってさ。


 それでも、部隊は崩れやしない。


 クロイ様が先頭きって戦ってくれるもんだから、皆して歯を食いしばるわけだ。信仰心が練度を補うもんだから、寄せ集めだって踏みとどまれるわけだ。


「クソ……俺は、また死に損なったのか」

「おいおい。オデッセンさんに死なれちゃ、私の立つ瀬がないっての」


 この人も大概生真面目だよな。隣にまで来て、並んで座って、痛みにうめいたりしちゃって。怪我はしてるし消耗もしてるんだ。無理せず寝てればいいのに。


「ま、死んだら死んだで、浮かぶ瀬もあるみたいだけどさ?」


 戦場を見る。私たちにとんでもないことをしたデーモンが暴れる戦場を。


 絶景かな。こっちの優勢じゃないか。


 英雄アギアス・ウィロウの用兵は変幻にして苛烈、デーモンをいかにも鈍重に感じさせる立ち回りだ。三男坊もいいな。勢い任せで危ういところはあるが、反面、打撃力はデーモンを後ずさりさせるほどだ。


 とはいえ、だ。それにしたところで限界はあろうさ。なにせ相手は化物。高速を押し潰すだけの腕力と魔力がある。一撃で戦況をひっくり返されかねないが。


 大丈夫。安心して見てられる。


 高速の騎兵を支援する、見事な一軍がいるんだから。


「お、おい……おいおいおい……すげえな、ありゃあ」

「ああ、凄いだろ。歩兵と騎兵の連携による完全包囲殲滅陣。あれこそは―――」


 誰も彼も赤黒い炭火の有り様で、喊声は控えめで、名乗りも鳴り物もなしの大人しさだけど……戦術の巧みさは在りし日のまま。攻防の連携はより流麗になって。


「―――バンドカン閣下と、砦の仲間たちさ」


 皆して、激しく勇ましく、最高の敵と戦っちゃって……羨ましいったらない。


 諸君、見せつけてくれるじゃないか。閣下まで加わって、実に見事な生き様……いや、()()()とでも言うべきかな。私の席は残ってるんだろうな。正直なところ、指を咥えるような思いだぞ。


 まだ、そっちへは行けない。生き損ないを迎え入れてくれるほど、諸君の戦列は生ぬるくないもんな。目一杯に戦って、戦い抜いて、資格を得ないとだよな。


 ん、包囲を解くのか。まあ、それもひとつの判断かもしれない。


 やっぱりデーモンは強い。擲弾騎兵の火魔法をもってしても、デーモンキルは容易じゃない。急所らしき場所は位置が高い。さりとて、跳びついてよじ登るってのも現実的じゃないしなあ。


 おっと、クロイ様が戻ってきてくれた……にしては、また変な様子だな。


 更なる炭火の軍勢で攻撃ってわけでもなさそうだ。熱い。息がつまるほどの熱。それを伝える、とんでもない魔力。オデッセンさんがあがあが言ってる。


 諸君、どうする気だ。


 合流して……交ざって……混ざる。


 火が集まって炎となるように。炎がさらに盛んになって焔となるように。しかも立ち上がる。四肢が伸びて、頭を上げて、デーモンに匹敵する巨躯の……甲冑姿。


 万を超える炭火の軍が集まってできた、巨大な赤黒き鎧武者。


 すり足で、滑るように間合いを詰めて……抜き打ち。


 長大な剣の一閃で、デーモンの胴体を斬り裂いたぞ。苦悶の叫びを塗り潰すようにして、炎が燃え上がったぞ。城だってひと呑みにしそうな火柱。灰が舞う。何て凄まじい戦景。何て豪快なデーモンキル。


「……レギ、オン……」


 オデッセンさんが、今わの際の魚みたいな顔で、絞り出した言葉。


 ああ、なるほど。あれが。


 あれがつまりは、私たちの神の上位眷属なのか。聖典にも名称しか記されていないところのものの。


 魔神のデーモン。龍神のドラゴン。そして、今新たに、鬼神のレギオン。


 それほどのものが出てくるってことは。大陸に出そろうってことは。


「……本当に……本当にこれは、最終戦争なんだなあ」


 笑う余裕は、ない。さすがにない。震えて立ち上がれないくらいさ。でも、今だけのこと。私はすぐにも笑ってみせる。笑って、カッコよく戦ってみせるぞ。


 父も、弟も、閣下も、諸君も……皆きっと、最期の一瞬に、カッコよかった。


 そう確信しているから、私だってカッコをつける。当たり前のことだよな。

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