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64 神官は黙祷し微睡む、火の見せる幻を抱いて

 火を囲おう。朝にも夜にも、心凍えたのなら、火を。

 誰かがいる。隣にも後ろにも、火の中にも、誰かが。



◆◆◆



「やあやあ、そこ行くフェリポ君。少し焚火に当たっていきたまえよ」


 幕舎に姿がないと思えば、我が親友ときたら酒杯など傾けているのですか。何をしているのやら。明後日にも王都が見えてくるだろうところまで来たというのに。


「いい夜だ。決戦前夜というやつさ」

「何をのん気なことを」


 夜を憩える、などというのはエルフ相手の心構え。ヴァンパイアとの戦いに臨む我々にとっては、夜こそ最も警戒すべき時。


 そう、この行軍はまさに夜へと挑む道行き。朝焼けに安堵し、昼に休み、夕に奮起して夜を越える……今も、小休止の安全を確保するため騎兵が駆けています。人間より夜目の利くウサギたちも周辺の警戒を担ってくれています。


 士気は軒昂。誰しもが懸命です。


 一敗地に塗れたならば、それすなわち種の滅亡を意味するのですから。


「おっと、そう呆れ顔をするもんじゃないぞ。私は特等の任務中でもある」

「異なことを。休める時に休んでおくのが軍人でしょうに」

「なあに。生きていられる間に、君へ一杯、私に一杯」

「生き生きと不謹慎を口にしますね、まったく……えっ?」


 横合いから杯を渡してきたのは、何としたことか、クロイ様ではないですか。抱えている小樽は、なるほど、先だってどこそこかの避難民から献上されたもの。


「な? 特等だろ?」

「これは確かに」


 一杯だけ、というわけにもいきませんね。腰を降ろしましょう。


「泣くなら今だぞ?」

「また藪から棒ですね」

「親兄弟を亡くしたろ? ま、私もそうなんだが」

「……本当に、軽々しい口ですねえ」

「ウィロウ家の兄弟は、水入らずで泣いたろ。私たちは私たちで」


 親友と差向いでの黙祷と、舐めるようなひと口。


 砦からの早馬と、ウィロウ家領への偵察に出た斥候。双方の知らせる情報を照らし合わせたならば見えてくる事実があります。察せられる真実がありますよ。


「……ウィロウ家領の戦い、壮絶だったみたいだな」

「ええ。国王陛下を餌とし、領都を罠として、ヴァンパイアを深くまで引き込んだ末の放火炎上……三日を過ぎても黒煙が昇っているそうです」

「すごいことを考えたもんだよなあ。玉体による玉砕戦法だなんて」

「……自棄なところがある人でしたから」

「アホ。破れかぶれで一千骨の全てを道連れになんてできないぜ。見事なもんだ。焼け跡を探索するために、更に五百骨を引き出したってんだから」


 あやかりたい戦果だ、なんて。君という男は。まったく。


 国王陛下……僕の父に殉じて死んだ人々の中には、君の父もいます。陰謀と芸術をこよなく愛する伯爵閣下でしたね。何かにつけて小遣いを貰ったものです。


 王太子殿下……僕の兄は、王都での混乱の中で討たれたそうですが、一緒にいた君の弟もまた殺されたそうですね。伯爵閣下にも不良軍官にも似ず、純真で真面目な人柄でした。君の悪戯の尻ぬぐいでは、色々と迷惑をかけたものですけれど。


 もう、いないのですね。もう、誰もが炎の中へ。


 揺らめく赤熱の内側を覗けば、あるいは面影の一片があるやも……しぱしぱと目に沁みるから、まばたきを重ねましょう。滲み出てきたものを散らしましょう。


「確認しときたいんだが……侍祭が砦に運びこんだものって、アレだろ?」

「はい。大神院の地下にて祀られていたはずのものです」

「そういう手筈だった……ってことなんだろうな」

「ええ……そうなのでしょうね」


 焚火へと薪をくべて、乾いたそれが火に食われていく様を見ましょう。そうやってやりすごしましょう。この胸に去来するものを。


 ああ……我、父と師とを諸共に見誤れり。

 

 つまるところ、国王陛下と大司教猊下は結託していたのですね。


 国王陛下は支配階級の諦観と腐敗を制御することに腐心し、大司教猊下は民の絶望と悲嘆を慰撫することに苦心して……そうやって曲がりなりにも人間国家の秩序を保ちつつ、一縷の望みを託していただろうもの。


 火の秘宝『始原灰』。


 それに宿る火炎の大魔力は、他の秘宝と同様、世界に奇跡を起こしうる……少なくとも聖典にはそうと記されていましたね。人々はそのためにこそ祈るのだと。


 何かが、起きたのかもしれません。起こせたのかもしれません。


 そう……あるいはまさか、神の顕現の起因やも。


 そうであればいいですね。それがために今があるのだと。そういう風に想いを継いで、僕がここにいるのだと。そう思わないと、やりきれないじゃないですか。


 こんな風に全てを託されて、後からそれを知って……堪らないじゃないですか。


「あれかな? 大神院の放火で味をしめたのかな?」

「またそういう言い方を……どうせ大司教猊下あたりの発案でしょう。常々、火炙りになりたいものだとかのたまわっていましたし」

「はは、だよな。悪戯に関しちゃ常に私たちの上を行く爺さんだった」


 王都における混乱は、恐らく、策と策とのぶつかり合い。


 ヴァンパイアを引き入れんとする『星明かりの団』は、王妹や腐敗貴族、絶望した民へと影響して事を起こしました。その鎮圧が叶わなかったという事実は、騎士団や王都兵団にも相当の影響力を及ぼしていたことを示唆します。


 国王陛下と大司教猊下は焦ったでしょうね。そして、せめてと先んずる形で動いたに違いありません。その手助けをしたのがウィロウ家。


 炎の奥に見えるようですよ。王都から始まる一連の戦いが。


 かの人々が血眼になって抗った様が。


 大神院に火を放つことで敵の目を欺き、玉体と秘宝とをウィロウ家領へ脱出させたのでしょうね。追手としてヴァンパイア一千骨が差し向けられれば、今度は玉体をも欺きの手段として用いて、秘宝を砦へと届けさせる……その判断の凄まじさ。


 優先順位のつけ方が、そのままに、未来への祈りのようではないですか。


 希望をつなぐための決死の企み……それは。


 まさに、回天の企てではないですか。 


「どうにもこの世に未練がなくなっちゃって、困るよな。皆してカッコ良くてさ」

「何を馬鹿な。生きたくない命に、加護も力も宿りはしませんよ」

「……まあ、そうか。そうだよな。今のは失言だった」


 火はいいですね。頬を温めてくれますから、濡れた跡が夜気に冷えることもありません。まどろみを誘われもします。やわらかく、やわらかく。


「何をやっているんだか」


 おや、この声はアンゼ殿ですか。鍋を持ったザッカウ殿を伴って。


「舌の回る男が二人、使徒のお酌で戦地酒とはね。大層な贅沢もあったもんさ」

「ん」

「あら、別に催促したわけじゃ……わかったわかった、いただくよ」

「ん」

「俺にも、ですか。いただき申す」


 続々という感じですね。焚火の魔力かもしれません。人を集めて、照らし温めて、そして魅入らせる……信仰と魔法が、無作為なままにあるのですね。


「さあさあ、ずずいと焚火に当たるといいぞ、ご両名」

「何を偉そうに言うのかねえ、この男は」

「え、だって私が起こした火だし」

「……火役の技術か」

「そうさ兵長。私は火防歩兵でも擲弾騎兵でもないからな。独自路線を模索中さ」

「君は昔から器用貧乏でしたからねえ……好奇心の赴くまま、あれもこれもと」

「おっとフェリポ君? それは褒めてるのかけなしてるのか」

「あたしに言わせりゃ、どちらもそろって呆れたもんさ。伯爵家嫡男と王子様なんだからねえ……こんな、悪戯小僧のまま大人になったようなのが」

「ぶふぅっ」


 ザッカウ殿、あんまりですよ。消毒するでなし酒の霧を吹きかけてくるとは。


 仕方がないじゃないですか。子は親を選べません。しかしその一方で、親はしばしば子を選びもしますから、開拓地の北端にまで追いやられました……と、そう思っていたのですが。


 今にして思えば、それもひとつの布石だったのかもしれません。


 兄たちは、王太子殿下を除き、国内各地へ分散させられていましたからね。有力貴族への人質の類と考えていましたが、このことあるを予見して……いや、それにしたところで、砦以北には僕ひとりきりでした。少々美化しすぎましたね。


「うーん、さすがにシラちゃんは寝てるか」

「当たり前だろ。あんたも本来は寝ておくべきだよ」


 さても、故人ですか。あの父と兄たちが。焼けて炭となりましたか。あの師が。酔うと聖典の火刑戦記章を朗々と詠いだす老人が。


「そうだ。軍人ならば軍尉殿やマリウス殿を見習うべきだ」

「ああ、三男坊か。今の巡回当番は。ねばってれば来るかな?」

「来なくていいんだ。騎兵は全身に疲労が根付く。横になれる時間は貴重だ」


 火の中に、いるのですか。かの人々が。燃えているのですか。今も。


「また兵長はお堅いんだから。陰に隠れてウサギをモフモフしてるくせに」

「ぶふぉっ!?」

「おやまあ、そうなの?」


 神は、彼らの最期をご覧になられたのでしょうか。その志を、お認めになられたのでしょうか。


「何の騒ぎかと思えば……何やってんだ、あんたら」

「おっとオデッセンさんが来たか。どうぞ焚火に当たりませい。さあさあ」

「ん」

「お、おお、酒かよ。豪気だな……で、何の騒ぎなんだ?」

「それがねえ、あたしも意外だったんだけれど、兵長さんがムッツリらしくて」

「待て、どうしてそうなる!?」


 僕も……そこへ行くのでしょうか。戦い果てたならば、火の奥へと迎えてもらえるのでしょうか。いつか。いつの日か。


「ん? おいおい、司祭眠そうだぞ? うおっと、酒がもったいねえ」

「ありゃりゃ、これだからフェリポ君は生臭れないんだよ。これっぽっちの酒で」

「疲れだ。司祭殿は合流する者たちとの折衝を全て引き受けている」

「あんた、ほら、なんたらパイン。寝床へ連れていってやんなよ」

「アンゼさん。なんたらっていらなくない? いい加減パインって呼んで?」

「うおっ、危ねえ! 司祭、頭からつっこむとこだぞ! 火に!」


 不思議な気分ですね。かの人々が近くにいるような気がしますよ。懐かしく、温かく、どこか物悲しい……いいえ、寂しいのですね。僕は。


 きっと僕は、このひと時を何度も思い出すことになります。


 そんな予感が……寂しい。泣きたくなるほどに。


 運ばれますね。火から遠ざけられて、どこかへ。寂しい。寂しいですよ、僕は。

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