61 魔術師は会食し決心する、大戦の先を見据えて
無限の力なんて、ない。代償のない力なんて、ない。
神の強力を支えるものが必要だ。祈りだけではなくて……。
◆◆◆
これがまあ、オデッセンさん最後の晩餐なのかねえ。
華燭の宴にゃほど遠い、それでいて戦時の夕餉にしちゃ上出来すぎる、酒やら肉やらあったけえ汁物やらを並べ立てた会議室で。
「やあやあ! 火の旗ひるがえる唯一無二の城塞に集いましたる皆々様!」
腹黒司祭め。肉厚な頬をニンマリと歪めちゃいるが。
「明日には進発する我々です! あるいはもう戻らぬやも! 誰ぞ欠けるやも! されど今宵ここに円卓を囲い、どの御方の面相にも悲愴の影はあらじ! 怯懦の色はあらじ! 何となれば、我々は回天の志を共にする者! 即ち絶望こそ宿敵!」
威勢のいい言葉を並べ立てて、いつものように、扇動者なんだか道化なんだかわからねえ役目を引き受けちゃいるがよ。
目が、火い吹いてやがる。拳を、震えるほどに握りしめて。
「さて! かくも神に恥じることなき我々ですが! なんとなんと、王都からの急使によれば……反乱軍だそうです! 正確にはその疑いをかけられています!」
大変なこった。そら、大いに変なこったが。
どうしたってんだ、腹黒司祭。お前の様子も変にすぎるぞ。まるでガキが泣き喚くような怒り方じゃねえか。
「反乱! 我々が反乱! 言うに事欠いて! 守護の山脈が破られ、勇敢な兵が殺され、無辜の民が飲食されているこの夕べに! 人間の明日をも知れぬ、この滅亡前夜に! 腐り袋! 腐り袋! 唾棄すべき感傷、遂に呪毒へと至る!」
オイこらパイン。「オデッセンさんもこれ食べる?」じゃねえよ。お前の親友が声も高らかにブチ切れてんだぞ。へえ、芋の薄切りを揚げたもの。いけるな。
そう、食って休んで戦う。もう、そこに理由も何もいらねえ。迷う余地もねえ。
滅びないためには……勝つしかねえんだ。
「詰問の書簡には印璽による刻印はこれなく、王妹インクジャの署名あるのみ! さもあらん! 国王陛下および王太子殿下はいまだ行方知れずなのですからね!」
王にもそりゃ妹のひとりや二人はいるか。子供も多かろうな。知ったこっちゃねえがよ。色々と偉そうな肩書が出てくると、あれだ。内乱っぽくはあるな。
「王妹は人でなしだよ」
うお、紅華屋。何て言い方だ。目つきも尋常じゃねえ。
「ゲスのそろった王侯貴族の中でもとびきりだ。噂を聞いたことあるだろ? 処女血浴をやらかした魔神崇拝者さ。そのいかれた信仰のために方々の村を襲って……あたしの娘も殺されたんだ」
おいおい……何てこったよ。さすがのパインも食うのをやめたぞ。
いや、まだ食ってるやつらがいるな。すげえな。何だ、片方はウサギか。白黒の毛皮のやつ。角に鞘替わりの革飾りを飾って、シラの膝の上、野菜をパリポリと。
もう片方は……とりあえず見なかったことにしよう。あれは特別だ。止める方が罰当たりってもんだ。ズルズルズーズーと、かなりうるさいんだけどな。
シラは、心配してるな。優しい子だ。隣に座る紅華屋へ、そっと手を伸ばして。
「……ありうる話です。僕の知る王妹も畜生女。魔薬中毒でもありますから」
おい、腹黒司祭。いよいよどうした。王族への罵詈雑言を重ねていくなんざ、どんどん反乱軍じみてきてるじゃねえか。
違うだろ。
お前の主張する回天ってやつは、狭っ苦しい人間国家の内側で済む話じゃないだろうよ。大陸を、他種族を、神々を……一切合財巻き込む大火の企てだろうがよ。
「アンゼ殿、我が一族の者がしでかした悪逆非道……言葉もありません。血を憎むのであれば、事終わったる後に僕を打ち殺してください」
おいおい……おいおいおい。そりゃあ、つまり、お前。
「……あんたは、何だい?」
「僕はこの国の第七王子です。正式な名はフェリポ・ヴァルキ・ミレニヤム。国王は父、王太子は兄、王妹は叔母にあたります」
王子様かよ、おい。
パインは知っていたのか。その食いっぷりからすると知っていたんだな。名門騎士とその弟たちは、驚いてるか。いや、こう見るとやっぱ兄弟ってのは似るもんなんだな。王様もあれか、腹黒な顔をしてんのか。こんな時だが、少し笑えるぜ。
ん、俺よりも先に笑ったやつがいる……紅華屋。シラの手を握って。
「あんたが王子? 馬鹿をお言いでないよ、泥まみれ汗まみれで」
いや、パインやめとけ。ここは爆笑するところじゃないぞ、多分。
「勘違いするんじゃあないよ。あんたは司祭さ。開拓地の砂にまみれて、化物との闘争で血にもまみれて、それでも回天の大望を掲げ続ける司祭なのさ。あんたもあたしも、家族のことでちょいと感情的にはなったけれど……同志さね」
そういうこと、か。なるほどな。
王都の陥落、国王の生死不明、王妹の台頭……俺なんかにすりゃどれもこれも現実味のねえ話なんだが、腹黒司祭にとっちゃそうもいかねえや。
顔がよ、浮かんだらダメなんだ。そいつはもう他人事じゃねえや。
「それで? フェリポ君はどうするつもりなんだ?」
うわ、パインめ。芋の薄切り揚げがなくなったからってしゃしゃり出て。
「まさか、王権の正統性が云々ってこともないんだろ? 掲げるにしたって、お前の王位継承権、さして上位でもないしな。そんな今更なものどうでもいいから、早く続きを聞かせろって。何をどう分析して、どう動くべきと判断したのかをさ」
楽しそうだな、おい。手も口も揚げ油でテカテカさせてるくせに、なんでか剣だの槍だのを構えてるみてえな雰囲気だ。さっさと突撃させろって感じだ。
そういや、お前が一番好戦的だったっけな。謀略上手なくせしてよ。
「端的に言いまして……王妹はヴァンパイアの傀儡」
ま、そうだろうな。それ以外に何があるって話だ。
「詰問状は、『星明かりの団』を中核とするであろうヴァンパイア臣従派の手によるものでしょう。その目的は挑発による誘引。砦が落ちなかったことで行動の自由を得た我々へ影響し、戦場を限定しようとしてるのではないでしょうか」
「ありそうな話だ。でもそれってあんまり意味ないんだよな。誘われなくたって、王都落とされてりゃ王都行くだろ。常識的に考えて」
「では、示威行為という見方はどうですか?」
おっとウィロウ家の四男か。可愛い顔して、こいつも頭のキレるやつだった。
「ぼくたちの士気を挫く。もしくは、ぼくたちへ人心が集まることを妨げる。あるいは、ぼくたちを砦へ引き返させる」
「実際、兵の士気はともかく民は戸惑うよな。そして、それに対応するとなると進軍速度が落ちるってのはある」
「ほほう……御二方の見解は、先の黄土新地での戦いを踏まえているのですね?」
ええと、そりゃ、どういうことだ。ちょっとついてけてないんだが。
「なーんか、人間っぽいんだよな」
人間。誰が。黄目がか。
「最終戦争宣言以降のことを考えてみろよ。西地での瀬踏み。黄土新地での持久戦の構え。開拓地を南北から挟撃しようっていう大掛かりな罠。速攻を極めた王都落とし……どれもこれも練られちゃいるけどさ」
ちっとも吸血獣らしくない、と言って煮豆を食う。
「クロイ様を狙うだけなら、詰問じゃなくて恫喝がいい。王都の民を苛んで呼びつけりゃいい。もっといいのは、山を崩したみたいに王都も破壊して、砦へ力任せの襲撃をかけりゃいい。その方がよっぽど吸血獣らしいだろ?」
そう言われると、確かにそうかもしれねえ。
黄目ってのは暴力を遊ぶ化物だ。あの『黄金』の襲来も無茶苦茶なもんで、作戦も何もなかった。楽しむためと言わんばかりの強引なやり方だったんだ。
「なるほど。人間国家の権威を使ったこと自体が不自然だと言いたいのですね?」
「王妹が、吸血獣が一目置くほどの存在だってのなら、別だけどな」
「それはないので、やはり不自然です。今回の詰問……時機といいやり口といい、なるほどなるほど……狡猾さと悪意だけでは説明がつきませんねえ」
「……あたしら人間同士を争わせて、それを楽しむつもりじゃないかい?」
「それなら、ぼくたちに弁明や退却の猶予を与えないですよ」
ず、随分と物騒な冷笑だな、四男。隣の三男がギョッとしてるぞ。
「問答無用で騎士団をでも寄越しますね。ぼくの実家を動かしてもいい。ウィロウ家軍のぶつかり合いになりますよ」
「おい、マリウス、何言ってんだ」
「オリジス兄上も可能性は考えたでしょ? だって、まるで動きが聞こえてこないんだもの。父上もナザリス兄上も、この状況で動かないわけがないのに」
軍閥の御家事情か。名門も大変だな……次男は腕を組んでまんじりともせずか。
「おっと末っ子君。それは大事な情報だぞ。なあフェリポ君」
「ええ。ヴァンパイアの中途半端さが浮き彫りになりました」
「そのカッコ悪さから察するに?」
「何か問題が生じているようですねえ」
腹黒司祭め、思い出したかのように食い気を出してきやがった。魚の燻製をうまそうに。思い出させたパインは卵焼きに狙いを変更したか。お子様舌だな。
「人間の権威を用いるのならば、こちらの主力がウィロウ家軍である点を利用しないわけがありません。そしてそれができないでいるということは? パイン君?」
「ウィロウ家軍、動いてるっぽいな。王都から離れたところで」
「そして、権威と言えば最大のものは信仰ですよ。我々に対し、人間の神の実存について言及してこないというのもおかしな話ですよね?」
「いやいや、フェリポ君。大神院大炎上ってのがそもそも奇妙だろ。異神追放を謳うなら、もっと他にやり方あるだろ? 雷で砕くとか、瓦礫にしちまうとかさ?」
「まさにまさに。もとより、あの老獪な大司教猊下が素直に滅ぶはすもなし」
「殺しても死なないヤツっているよな。生き意地汚くてさ?」
「自己紹介ですか? 死にぞこないパイン君」
何だよ。えらく調子づいてきたじゃねえか。思わずオデッセンさんも肉に手を伸ばすぜ。あ、うめえ。これは酒に合う。
「つまるところ示強の計か、ヴァンパイアの」
ウィロウ家の次男にして俺たちの軍の長である男の、確認。
腹黒司祭とパインと四男が頷いて、紅華屋も続いて、俺も遅ればせながら頷く。三男も目で同意してるな。シラは白黒の背を撫でていて……とある大飯喰らいは恐らく何も聞いちゃいねえ。
「失礼する。急報が入ったぞ」
おお、兵長。警戒指揮に当たってくれてたわけだが。
「王都のヴァンパイアが兵力を割った。一千骨ほどが北東へ向かった」
今、王都には五千骨からのヴァンパイアがいる。その内の一千骨か。でかい戦力だぜ。北東には何があるってんだ。
「王都の北東方面は、我がウィロウ家の封土だ」
そいつは……。
「我が家による軍行動が原因だろう。そしてそれはまさに詰問が示強であることの証左だ。すなわち内実に何かしら隙が生じている。迅速な行動こそが肝要。明朝、全軍をもって進発し、王都へと向かう」
「待て待て、待ってくれ!」
止めちまった。いや、止めもする。
「援軍は? 援軍は出さねえのか? 一千骨だぞ? 火魔法の使える俺たちならともかく……砦以南にゃ、加護もまだきちんと及んじゃないんだぞ?」
「援軍が必要ならば、そうと言ってくる。それに、ここからウィロウ家領への道はひどい悪路だ。兵を回せば、王都での合流は難しくなる」
「いや、だからって」
「武門には武門の、果たすべき責務がある。誇るべき矜持がある。それに……」
熱い瞳で見つめる先には、クロイ。汁物の椀を抱えて。
さっきっからとんでもねえ食いっぷりだ。それ何杯目だって話だ。黄土新地からここまでとんでもねえ移動をして戦ったお前さんだ。その後はぶっ倒れたって話もある。今はそれが一番なんだろうよ。食える時に食っとくんだろうけどよ。
その、何だ……ちょこっとは、こっち見てもいいんだぜ。あと水も飲んどけ。
「使徒の王都入りだ。人間の希望を掲げに行くのだから」
ああ、畜生、これだから生粋の軍人ってやつは。覚悟の決め方が潔すぎるんだ。腹の座り方が厳かすぎるんだよ。
「我らは大道を真っ直ぐに進むべきだ。誰もがその後に続けるように」
何か、大きなもののために征く……必要とあらば逝く。そういう顔つきをしやがってコノヤロウ。させねえからなバカヤロウ。
今、ここにいる内の全員が生き残れるとは思わねえ。そんな甘い戦争じゃねえ。
だけど、だけどよ……絶対に生き残らなきゃならねえってやつは、いるんだ。
勝利がきちんと勝利になるために……俺は間違えねえぞ。絶対に。




