表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/108

60 騎士は画策し志望する、人間の英雄であることを

 神の力は圧倒的だ。熱く、強く、激しい。

 だから、翻弄もされる。酔いもしたのかもしれない。



◆◆◆



 灯火に照らされた地下区画は火の色が強い。常夜ならぬ常夕といったところか。


 足元がざらつく。木炭の粉混じりの灰を撒いてあるからだ。淀む空気に混じる、油と獣の臭い。いざとなればここを炎上させるための仕掛けと……そうせずに済んだ結果の、捕虜から漂うもの。


 地を這うような唸り声を跳ね除けて、コツコツリ、コツコツリと響く音。ゆっくりと近づいて来るそれを待つ。


「おお、ウィロウ卿ではありませんか。このようなところへ」

「夜分に邪魔をする」


 行灯を手に現れた男の剣帯には、家紋。地下牢の警備を上級将校が監督するなど異例だが、捕虜の異常さをおもんばかればむしろ当然の備えだろう。


 降伏したヴァンパイアは、四百二十六骨。


 地下牢を埋め尽くしているその兵力は、この砦を一夜で陥落させかねないほどのものなのだから。


「捕虜たちの様子はどうだろうか」

「大人しいものです。例の黒縄が実に効果的なようで」

「そうか。あれには焼炎筒用の油を染み込ませてあるから……」

「承知しております。どうかお任せを」


 扱いに気を付けるよう言うつもりだったが、そう返されては何も言えん。事実、彼には判断を任せている。すなわち―――。


 手に負えない抵抗を見せたならば、捕虜を焼殺せよ。


 必要とあらば地上へ続く鉄扉を閉ざし、地下牢ごと焼却せよ。


 重大かつ至難の役目だ。ヴァンパイアとはいえ捕虜を焼く決断など非情のものであるし、ヴァンパイアであればこそ実行には大変な危険を伴う。彼は既に遺書をしたためたと聞く。いざとなれば鉄扉を地下牢側から封鎖する覚悟もあるのだろう。


「……卿には苦労をかける」

「なんの、志願してのことです。砦の仕掛けについては、バンドカン軍将閣下より諸々命じられておりましたし……これは生き残った者の務めでありましょう」


 歴戦の騎士だ、彼は。ヴァンパイア五千骨との戦いでも騎兵を率いて活躍した。本来であれば、バンドカン軍将の後を引き継ぎ砦駐屯軍を統率すべきであるが。


「ははは、ご安心召され。《発火》についてはシラ殿よりお褒めの言葉を頂戴しております。いっそ、この杖も炭杖と替えていただきましょうか」


 彼は実に多くのものを失った。上官、戦友、愛馬……そして右足。もう騎兵として戦場を駆けることはできない。それを理由に砦駐屯軍の兵権を私へ委ねて。


 憤懣があろう。忸怩たる思いもあろう。戦争とはどこまでも残酷なものだ。


「……明日にも我が軍の本隊が到着する。フェリポ司祭率いる四千五百卒と眷属獣たちが」

「おお、遂にですか。この地は人間のための最後の砦となりますな」


 まさにその通りだな。砦以北の防衛はエルフ軍に委任するより他に術なく、砦以北の情勢は絶望の色が濃い。各都市や農村の被害もさることながら。


 王都が、既にして陥落したとは。


 しかも、僅かな抵抗もなく、内側から崩れたというのだから。


 急使も自害したくなるというものだ。ヴァンパイアの使徒『崩山』率いる五千骨が迫るより早く、民が武装蜂起したなどと……血を吐くような伝達だったな。


 扇動したのは『星明かりの団』。ヴァンパイアへの恭順を主張する者たち。その構成員には騎士や貴族も多く交じると聞く。国家上層部がややエルフ寄りであることを思えば、かかる事態を最後の好機とでも捉えたものか。


 国王の生死は不明。騎士団が動いたのかどうかも定かでない。民の置かれた状況も窺い知れない。しかし大神院が焼け落ちたことだけは確かだという。


 状況は最悪に近い。我ら人間は、滅亡の瀬戸際にまで追い詰められている。


 さればこそ、必要なものがあろう。


「卿のことを、司魔殿に紹介しようと思っているのだ」

「北方の開拓司魔となれば、かの、火魔法を甦らせた御仁のことですか」

「そうだ。オデッセン殿は魔法部隊を率いているが、魔法はともかく軍学の方は専門ではない。補佐できる人間がいれば心強い」

「……また、戦場へ立てますか。私は」


 その眼差し。双眸の奥に閃くもの。炎のようなそれ。


 闘志だ。それが必要なのだ。


 危急存亡のときには、不屈の闘志を糾合しなければならない。人間らしく誇らしく在らんとする気概が、我らの最後にして最大の武器となるだろう。


「頼む。そのためにも、様々に自重してくれ」

「はは……ははは、そうですか。私はまだ戦えるのですか……!」


 これでいい。これで、自らを罰するような行いを控えてくれるはずだ。そして、困難へ立ち向かう強さを取り戻してくれるだろう。そんな彼の在り様は、バンドカン軍将を失った駐屯兵たちを勇気づけるに違いない。


 ああ……悪辣なことをしているな、私は。


 心挫けた者を励まして、死地へ。身体損ねた者をさとして、死地へ。数多の必死を束ねて戦力にしようと画策している。将の真実だ。自らは死なず、兵を死なせることで敵を殺す。今の私は一線を越えていよう。いつか裁かれ、死なねばなるまい。


 地上へ出る。夜を仰ぐ。泥濘のような空。雨の気配を嗅ぐ。


 人は清廉であるだけでは大事を成せない……か。


 ナザリス兄上の選んだ悪辣を、私は認めなかった。王侯貴族へのへつらいを、他軍閥との馴れ合いを、大商家への強請ゆすたかりを、武門にあるまじき堕落と決めつけた。高潔であろうとして、道をたがえた。


 その矜持をそのままに、半ば脅しつけるような手紙を送って……オリジスとマリウスを迎えることとなったが。


 父上と兄上が手配したのだ、あれは。


 さもなくば、二人が精鋭一千騎を引き連れてやって来れようはずもない。勝手に兵を割けるほどウィロウ家軍の軍紀は甘くない。


 その後も開拓地へと送られ続けた補充兵、武具、軍馬、兵糧……いったいどれだけの資金と人脈をもって実施されていたのか。何が、それを可能としていたのか。今も兵たちの家族を養っているのは誰か。答えは明らかだ。


 この亡国の今を、いかに動いておいでか。父上。兄上。


 砦にまで戻ってなお、ウィロウ家軍の動向は聞こえてこない。封土がヴァンパイアの進軍路から外れていたとはいえ、座して滅びを待つはずもなし、いずこで軍行動を起こしているのか。


「お、兄者が来た」

「本当だ。ちょうど良かったね」


 オリジスとマリウスか。枝で地面に何事か描き合っていたようだが……ほう、布陣図か。中央突出の横陣が、敵の攻勢を受け止めて、完全包囲へと推移していく。行灯の明かりの中に浮かび上がるそれは、先にこの砦で行われた戦模様。


「ああ、これ? 俺がヴァンパイア軍側、マリウスが駐屯軍側で動かしてみたんだけどさ……降参だよ。この戦術は破りようがない」

「凄いよね。ヴァンパイア側がより少数でもより多数でも対応できるんだもの」

「それどころじゃない。擲弾騎兵と火防歩兵でやれば、完璧な包囲殲滅になるぞ」

「敵の中央でオリジス兄上が火車をやってもいいね」

「おい。俺ごと殲滅するつもりか。下手すりゃ圧死だぞ、圧死」


 相変わらず仲がいい。そしてどちらもさといな。図中、最も枝で印がつけられているところは、歩兵中央部隊。その中心。つまりは指揮官。


 ため息は漏らすまい。しかし、嘆きの色は隠せまい。


「バンドカン軍将在ってこその戦術だ、これは」


 言って、つくづくと思う。雄大な在り様の軍人だった。王都の腐敗に染まらず、さりとて潔癖な孤高におちいらず、砦に在って開拓地全域を支援していた。砦以北と砦以南とをつなぐ国家の支柱であった。


 背筋にわだかまる寒気……私は師父を失ったのだ。最もたのみにしたいこの時に。


「兄者にも、できるだろ?」

「……簡単に言うな」


 癇に障る物言いだ。不勉強でも不謹慎でもある。オリジスらしくもない。


「いいや、できる。できなきゃならん」


 声音に込められたものに、目を向けさせられた。オリジスが私を見据えている。燃えるような闘志……それだけではないな。この熱は私へと放射されている。


「俺たちは王都へ向けて進軍するんだぞ。王権が崩壊し、ヴァンパイアの支配するところの王都へだ。勝たなきゃならん。当然。でもそれだけじゃ駄目じゃないか。恐怖と絶望に喘ぐ民衆に、俺たちが示さなきゃなんないものがあるだろ」


 火を吐くような言葉。握りしめられた拳。


「強さだよ。人間の強さだよ。俺たちは弱くて弱くて、魔物だの他種族だのの食い物にされてて、情けなくって悲しくって……怖くて怖くて……それでも誇りを持ちたかったから、歯を食いしばって、剣を手に取ったんだろ? それが軍人だろ?」


 まばゆいまでの、オリジスの意志。頬を焼かれるようだ。


「ましてや、俺たちはウィロウ家の男だ。名にし負う武門の出自だ。他よりも強くなきゃダメだろ。しかも、兄者には立場まであるんだ。俺たちの軍の長っていう立場が。誰よりも強く……人間の英雄にならなきゃ。アギアス兄者は」


 マリウスも頷くのか。それが、お前たちの結論なのか。


 英雄。人間の英雄。


 戦うことしか能のないこの私に、己の至らなさ不甲斐なさを知りながらも、人間の主席のようにして振る舞えというのか。


「クロイ様は、強いね。誰にも届かない領域にいる」


 マリウスの微笑み。母上に似た、儚くも鮮やかな花のような。


「けれど、クロイ様の本質は強さじゃないと思う。だって、ぼくたちは彼女のようになりたいとは思わない。彼女へは祈るんだ。彼女を通じて神へ願うんだ。加護を賜りたいって。奇跡を、この世界へ振るいたまえって」


 手を胸に当てて、それこそ祈るように、言う。


「クロイ様は、人の形をした希望そのもの……ぼくたち人間の賜った、最初で最大の奇跡なんだ。きっと」


 そうか。二人の言いたいことが、今はっきりとわかった。


 核になれ、と言っているのだな。人間の闘志を集中させる核に……希望を胸に戦う者の第一人者になれと。クロイという御旗を掲げ持つ者になれと。


「そのクロイ様だけどな、だいぶいいみたいだ。さっき汁物を五杯も平らげた」

「っ! 真っ先に報告すべきことではないか」

「え、そう? だって寝込んでても元気そうだったじゃん」

「面白かったよね。寝言が意味不明で。『ぴざがー』とか『どらでもめー』とか」

「いや、しかしだな」

「アギアス兄者さ、クロイ様の身の回りのことになると若干気持ち悪いんだよな」

「えっ」

「なんか娘の世話を焼いてるみたいっつーか……老父の深情けっぽくてさ」

「あはは、わかる」

「えっ」


 解せぬ。英雄たれと叱咤された直後の老父呼ばわり。妻帯もしていないのに。


 しかし、胸に清涼なものが吹き抜けたのは確かだ。言い知れぬ悪寒も払われて、胸の内の決意も改まった。熱く、己が闘志を感じてもいる。


 南方を一望する。戦場と化した砦以南の地平を。


 進撃の矛先は……王都。希望の軍団を率いて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ