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56 童女は落涙し覚悟する、死闘に臨む従僕として

 ワタシを通して、神よ、世界に火を。

 人間の営みを絶やさないためにこそ、火を。炎を。



◆◆◆



 シラの鎧は特別製。木片と革と鎖帷子でできてて、軽くて、動きやすい。


 でも兜は鉄だから、重い。顎の紐が苦しい。頭がグラグラするよ。


「わっはっは! じっつに勇ましい武者振りではないか! シラ殿!」


 頭がテカテカするおじさんが来た。この砦で一番偉い軍人さん。声が大きくて、いつも笑ってて、シラに食べ物や飲み物をたくさんくれるけど。


「特にこの、兜飾りがいい! 赤くヒラヒラとして、炎のようだ!」


 でも、ありがとうって言えないんだ。だって……。


「そうは思わないかね、アンゼ殿!」

「はい。バンドカン軍将閣下におかれましては、シラへの格別なご高配、北方開拓地を代表して……ちょ、おっ!?」

「おっと防がれてしまった。残念!」


 お尻触ってくるんだもの。ありがとうって言おうとすると。


「お戯れはおよしなさいまし。かかる大事の前に」

「戯れとは心外な! よし、添おうではないか! 戦いに臨んだ今ここに!」

「お戯れはおよしなさいまし。かかる大事の前に」

「いや、だから……アンゼ殿? おおう、何と物騒な笑み!」


 でも、シラはこの人を嫌わない。すごく好き。シラの話を一杯聞いてくれるし、色んな楽しい話をしてくれるし、たくさん褒めてくれるし、それに……。


「おっほん! 何にせよ、感謝だ! シラ殿には世話になりっぱなしだ! 兵士たちに神の存在を知らしめてくれたばかりか、特別な訓練法まで教えてくれた! その上更には、共に戦ってまでくれるのだから……」


 その目。お父さんとよく似た目。胸の奥で燃えてるものが、静かな笑顔からこぼれてきてて……じんわり温かくて、ちょっぴり切なくなる。


「……シラ殿を戦わせてしまうワシらは、度し難い大人よなあ」


 この人も、同じだ。誰かのために怒ったり悲しんだりする人だ。自分のことをそっちのけで頑張れる人。シラは、そんな人たちと何人も出会って、何人もお別れしたよ。兵隊さんたちに多いんだもの。そんな人。


「閣下……軍事知らずが浅墓を申し上げます」

「よいよい。聞こうぞ」

「敵は五千骨。お味方は二千騎と三千卒。数の上では互角なれども……」

「まっともにぶつかれば勝てんなあ。一骨一小隊というやつだ。蹂躙されよう」

「それでも……どうしても、打って出ねばならないのでしょうか」

「うむ。この砦は敵と北面すべく設計されておるからな。南から寄せられては脆いどころではない。まともに戦えん。構造物が邪魔になってまとまれんからだ。ヴァンパイアを相手に個人戦を重ねるなんぞ、考えるだけでもむごたらしい……」


 死んでほしくないな。もう誰にも死なないでほしい。


 砦の人たちは、皆、いい人たちばっかりだよ。パインは元気にしてるかって聞かれたよ。ウィロウ卿はカッコイイよなって言われたよ。シラちゃんみたいな娘が欲しかったとか、シラ殿くらいの息子がいたとかって、頭をナデナデされたよ。


 皆……死んでも戦うぞって目で、笑ってたよ。


 神様。ねえ神様。


 生きることって、こんな風に、戦い続けるってことなの? 


「シラ殿には本陣にいてもらわねばならん。情けないことこの上もないが、そうでないと火を上手く使えんのだ……我らの火魔法は付け焼刃だからなあ」

「それが結局シラを生かすことになる、ということですね?」

「そうだ。既にして人間世界には後方などなく、ここが落ちれば抗戦のための兵站すらも崩壊する。砦以北は死の原と成り果てて……希望もついえよう」


 クロイ様のことを考えるとね、シラ、涙が出てくるんだ。一緒にいる時は大丈夫なんだけど、離れるとダメ。焚火を見つめる横顔を思い出して……ほら、今も。


 だって、クロイ様も死んじゃう。きっと。


「シラ、あんた泣いて……どうしたんだい? 怖くなったかい?」

「いつも、怖いよ」

「……シラ殿……」

「戦うのは、怖くないよ。痛いのも、我慢できるよ。でも……」


 たくさんの命を……皆の死を抱え込んで、皆の分もクロイ様は戦ってる。誰かの分もって頑張って、誰よりもまぶしく燃えてる。世界で一番の火。この世界に神様を在らせてくれる炎。寒くて暗い世界を焼いてくけど。


「……皆、死んじゃうから」


 強すぎる火はね、きれいだけど、何にも残らないんだ。


 全部残さず燃やしちゃうからきれいなんだって……まばゆい炎はそういうものだって、シラ知ってるんだよ。オデッセンおじさんに教わったんだよ。


「死なせはせんぞ!」


 わ、ビックリした。頭ピカピカのおじさん。わわ、肩車。すごい力。シラは鎧を着てて重いのに。


「大戦争だ! 大変な危機だ! 大勢が死ぬ! それは仕方がない! 神にすらどうにもならぬこと! だがな、シラ殿、勘違いをしてはならんぞ。死ぬために戦うのではない……戦士は、死なせぬためにこそ戦うのだ!」


 のっしのっし歩くから、すごく揺れる。兜を押さえてないと。目の前のツルツルはつかまっても滑るし。


「そうら! そんな戦士たちが五千名もいるぞ! わっはっは!」


 露台から中庭を見渡して、おじさんは大笑いだ。


「彼らの父母ともなれば一万名……兄弟だの何だのと確かめれば前後しようが……祖父母も数えたならば更に四倍になる。連綿と続く人間の歴史が、彼ら戦士をここに集わせた。つまるところ、数多の遺志の成果こそ、彼らである!」


 皆がこっちを見てる。旗が振られてるよ。手も振られてるよ。鎧が、剣が、槍が、瞳が、キラキラしてるよ。


「そして、シラ殿、君は子供だ。勇敢にして敬虔な、ワシら全員の愛娘のようなものだ。言わば人間の歴史の最先端よな。ワシらの戦意の源で、ワシらの志の象徴でもある。絶対に死なさんとも。君が生きること、これがすなわち勝利であるぞ」


 そうじゃないって、言いたいよ。皆に死んでほしくないんだって、言いたいよ。でもダメなんだ。ここには死にたい人なんて誰もいなくて、でも死んじゃうから、シラは何も言っちゃダメなんだ。皆の思いを受け止めなきゃダメなんだ。


 ああ……クロイ様。これが。


 これが、クロイ様の仕事。


 熱いよ。皆の熱気を浴びて……悲しくて、哀しくて、胸が張り裂けそうで……焼かれるみたいだよ。涙をこらえると、力になるよ。魔力が、魔力が、高まってく。


「アンゼ殿、伝令小隊に馬を用意させてある。意味はわかるな?」

「もしもの時が来たならば、シラと共に……」

「うむ。その時には砦を焼く。時間は稼げようし、アギアスならば上手く拾ってもくれよう。山中に埋めた兵糧の存在を必ず伝えてくれよ」

「この命に代えましても」

「すまんがそうしてくれ。さしたる量を隠せたわけではないが、最悪の状況においては一杯の汁物が人間の誇りを支えることとなろう……麦の一粒一粒に宿った民の意地もまた、力よな」


 神様を感じるよ。シラを燃やす炎が、神様を呼んでいるのかも。


 剣を抱き締める。お父さんの剣を。神様が力をそそいでくれた剣を。やっぱり熱い。火傷しそうで何ともない、汗もかかない、不思議な熱。


「さあ! 皆の者! 出陣であるぞ!!」


 うん、おじさん。シラも一緒に行くよ。


 アンゼのおばさんを残して、見送られて、シラたちは進むんだ。南の出口へ。戦うために出るんだ。皆で。靴音をそろえて。泣いたり怖がったりしないで。


「中央、重装歩兵、戦列を組めい! 騎兵、両翼へ!」


 赤色の旗が広がっていくね。バタバタって音を立てて、大きな火みたい。神様も見てるかな。負けないぞっていう旗なんだよ。神様見ててねって旗なんだよ。


 ヴァンパイアの旗は黒と黄。夜の雷の旗。草原の先にたくさん見える。灰色の小屋みたいなのは、石でできた幕舎。中で夜を待ってる。夜になったら襲ってくる。


 だから、今なんだ。今しかないんだ。


 後でたくさん死んじゃう前に、今、シラたちは動かなきゃなんだ。


「よし! 名誉の五十騎! 行けい!」


 オウって答えて、騎兵さんたちが駆けてくよ。その手には油壷。火の魔力を込めて……あ、ヴァンパイアに気づかれちゃった。石をぶつけられて、土の壁にぶつかって、穴に足をとられて、何人も何人も死んじゃう。死んじゃうけど。


 それでも、放るんだ。あっちでもこっちでも壺が割れて、たくさんの火になる。石の小屋の中を燃やしたのもある。ヴァンパイアの悲鳴が聞こえてくる。


 戻ってこれた騎兵さんは、九人だけだよ。


 それでも、皆は剣と盾を打ち鳴らして笑うんだ。大きな声で。


「よおしよし! 見事なる先制攻撃だ! 見ろ! 血吸いの穴熊どもめ、火が怖くてうろたえておるわい! わっはっはっはあ!」


 嬉しいわけない。喜べるわけない。でも笑う。笑うことも戦いなんだ。


 それで、今度は別の百人が行く。駆けてく。さっきみたくは近づけなくて、死んじゃって、でもやっぱり壺を放って……半分くらいの人数で戻ってきた。


「どうしたあ! かかってこんのか! 腰抜けばかりか! そうであろうなあ! 山を掘り抜く迂回など、要は、我が軍の守護する砦を恐れるあまりのこと! 戦士のいない村々しか襲えんとは、何と卑しい根性か! 弱者め! わっはっはあ!!」


 おじさんは胸を張って笑いながら、後ろ手で、チョイチョイって合図をした。それを見た兵隊さんたちが、頷く。動く。


 あ、来るんだ。ヴァンパイアが来る。いっぱい。いっぱい。


「歩兵中央そのままに! 歩兵左右、後退! 騎兵両翼、隊列開け!」


 シラがいるのは中央だから、ここで頑張るってことだよね。前列の兵隊さんたちは盾を壁みたく構えて、足を踏ん張った。後列の人たちがその背中を支える。槍を構えた人もいる。油壺を抱えた人もいる。


 皆一丸になって。待ち構えて。


「我らは砦の兵団! すなわち人間の守護者なり! 皆、吠えろお!!」


 声と音。世界が揺れちゃうみたいな、命が砕けちゃうみたいな、ぶつかり合い。押して、押されて、削られちゃいそう。潰されちゃいそう。でも。


「押せえ! 押せえい!!」


 おじさんが叫ぶ。シラもおじさんのお尻を押す。


 負けない。シラたちは負けないんだ。

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