52 影魔は命令する、必殺の奇襲を/軍官は命令する、必殺の突撃を
ワタシは神を望み、神に願った。ワタシを神へ捧げた。
そして加護を授かって……ワタシたちは戦っている。ワタシたち自身のために。
◆◆◆
何の、何の罪科でこんなことをやらされている。私は。
「ターミカさま、ここは危のうございます」
魔神か? 魔神の呪詛や崇りや嫌がらせか? それで、そんな類で、兵が勝手に戦ったり敵が乱暴に襲ってきたりしているのか?
「ターミカさま、今少しお下がりになられては……」
「うるさい! 一番後ろでも襲われたでしょ! だから全体の中で動くの!」
私の護衛としては百名の土使いを選抜してある。何かあればすぐに《石盾》か《土壁》を使うように言いつけてもある。雷使いが傍にいないことが重要だ。
影が出来ればいい。影さえあれば、私は《沈影》で隠れられる。
火魔法の明かりは厄介だけれど、いざとなれば灰まみれの鎧甲冑の影にでもうずくまっていればいい。人間は死体が残るからそっちでもいい。盾の裏でもいい。
死んでたまるか。魔神に顎で使われて死ぬなんて、まっぴらだ。
「騎馬兵! 騎馬兵に注意してくださいね! あれは私を狙ってくる!」
「ターミカさま、騎馬はもう逃げましたが……」
「下がっただけで、また来ますよ! 徒歩兵の後ろで、今も準備して……!」
あの騎馬兵を率いていた男。あの冷酷な目。刺すような視線。
見るな。私を見るんじゃない。
私は人間の味方ではないけれど、だからといって敵というわけでもないんだよ。この世界のためにこそ必死になっているんだ。それをわかりもしないくせに。
「うう……強いじゃないか、君たち……!」
まさか、ヴァンパイアと拮抗するなんて。
盾と槍を密にそろえていて、こっちが怪力で攻め立てても揺るぎやしない。方々に油を撒いて火を点けるせいだ。燃えながら戦うってどういうことさ。こっちは火に弱いのに。しかもこの火がこっちの魔法を阻害までする。何て厄介な。
でも、この流れを作ったのはあっちの眷属獣……ソードラビットたちだね。
黒狼で攪乱したところへ襲いかかるのが、ヴァンパイアの得意とする戦い方だ。それを初手から乱されてしまった。
跳んで、潜って、鋭く突いて。まるで軽業師のような立ち回り。間違いなく神の加護を受けた動き。黒狼にとってソードラビットなんて戯れに喰える獲物だったろうから、既知との差異がそのまま不利となった。未知に翻弄された。
眷属獣同士の混戦は、ヴァンパイアにとっては突進を阻むもの。人間にとっては前進を援けるもの。そこへ馬鹿みたいに放火なんてされたら……こうもなる。
おかしいよ、こんなのは。余裕を持って勝てるはずだったじゃないか。
これが人間の神……鬼神の力なのか。忌々しい忌々しい。
魔神も、竜神も、鬼神も、皆滅んでしまえ。
恥も常識も知らずに異世界から触手を伸ばしてくる侵略者どもは、そろって断罪されるべきなんだ。この世界の運命は、この世界の住人が担い決するものだろう。どうして、こんな勝手が許される。理不尽とはこれを言う。
正義だ。私には正義がある。
この世界の歪みを正さんとする義憤が、正統を回復する義務があるんだ。そのためにこそ闇の精霊と契約している。
土、雷、水、風、そして火。
偽神どもによって支配された諸精霊を、私は、きっと解放してみせる。いつか森羅万象の秩序を取り戻してみせる。こんなところで、死ねるものか。
「ふ、うう……う、ぐう……!」
怖い。怖い。
こうしている間にも、あの騎馬兵が私を狙っている気がする。早くやっつけて。ベアボウ千牙長はどこ。今どこにいるの。あの、左の方か。一番押し込んでいる辺りか。遅いよ。それに浅い。あれじゃ、騎馬兵にまで届かない。
ああ、もう、奥の手を使うよ。
こうも膠着したんだから、ベアボウ千牙長も文句は言わないはず。それで、鼻が利くからきっと合わせてくれるはず。それで崩せる。勝てる。
「命令! 全軍、一度退いて! ゴブリンの死骸の、ない、ところまで!」
息が続かない。震える手を胸に抱く。歯を食いしばる。息を整えて。
「《潜地》の者たちへ合図! 起こして! 奇襲用意!」
地中に潜ませた五百名が、勝負を決する。
ゴブリンが全滅した日の夜に用意したんだ。火も油も死骸で覆われた地面にまでは及んでいない。大丈夫だ。発覚するわけもない。
上ばかりを見ている逆襲者の君たちは、足下がおろそかなんだよ。
負けてしまえ。それで死ぬのなら、死ねばいいんだ。
◆◆◆
「押せえ! 押し立てえ!」
兵長の声が腹に響いて頼もしいな。おうさおうさと応じたくなる。このまま勝てそうな気さえする。
「軍官殿! マリウス騎将より上申! 敵側背を突く許可はありやなしや!」
末っ子君め、風流人のくせに割と熱血なんだから。
「不許可!」
でもダメだぜ。今騎兵が迂回する動きを見せれば、吸血獣どもが散っちゃうぞ。散って走り出したら歩兵じゃついていけない。黄土新地を目指されでもしたら目も当てられない。対処できやしない。
「騎兵隊は現位置で、敵の迂回に警戒すべし!」
焦るな。折角、火中集団戦闘に引きずり込んだんだ。優位を捨てることはない。それに、火ってのはまとまってこそ炎になるんだぜ。
「そして、戦意鋭く、突撃命令を待て!」
相手は怪力狂猛の吸血獣。このまま押し切れるわけがない。擲弾騎兵の投入は勝負を決するその瞬間だ。《爆炎》が最高に効果的な機を作らないとな。
おっと、何か踏んだ。黒狼の死骸か。加護があるこっちと違って吸血獣は呼吸にも難儀する。黒狼に至ってはこうなる。火防歩兵っていう発想の勝利だなあ。オデッセンさんは中々にえげつない。さすが、火ってものを知っている。
結局、どこまで嫌がらせ上手かってことだもんな。戦争の巧拙は。剣呑剣呑。
敵さんの方だとあの年増がやばいな。戦い方がいちいちえげつないぜ。内臓だの血肉だのをぶちまけるように戦槌振り回しやがって。士気の挫き方を知っている。
まずいな。馬鹿みたいに強いじゃないか。三重の包囲が破られかねない勢いだ。
「小隊、抜剣だ。私たちも前に出るぞ」
あそこが崩れたら全体に影響する。年増め。わかってやっているな。戦が上手なんて、何て性格が悪いんだ。私みたいな善良人とは到底相容れないぞ……んん?
え、下がる? ここで? こうも片翼から押し込んできておいて?
何だそれ馬鹿じゃないの。さくっと乗じさせてもらうぞ。
「歩兵両翼、前進! 中央を囲って燃やすんだ! 騎兵は……はあ?」
何だ、全面的に下がるのか? いやいやおかしいだろ。どうしたの吸血獣ども。火を嫌ってのことならもっと大きく退くだろうし、人間に怯えたはずはないし。
いや、そういえば末っ子君が言っていたっけ。敵の指揮官を恐怖させたって。
そういうことか? これはつまり、そういう拙さが出たのか?
「……歩兵中央、突進! 敵の最も厚いところを押す!」
罠だ。十中八九これは罠だ。何か狙いがあってのことだろう。だけどやり方が上手くない。少なくともあの年増と連携が取れていない。そこが隙だ。つけ入る。
「さあ、押せ押せだぞ! 何とも下っ手くそな下がり方じゃあないか!」
攻める。ここは勢い重視の局面だ。敵の連携のほころびを広げてやれば勝てる。いや、そうしないと私たちに勝ちはない。
何しろ吸血獣は疲れ知らずだ。瞬発力も持久力も、人間とは質が違う。
攻めの機会は早くモノにしないと……うおう。
今度は何を踏んだ。ゴブリンの死骸か。何でこんなに邪魔っけなんだ。飢えた黒狼でも喰わないのかね、魔物の死肉に限っては。
そんなわけ、ないだろ。
兵站の概念もなさそうな連中が、餌として使える肉を放っておくわけがないぞ。怪しい。毒物や肉食虫の類が仕掛けてあるのかもしれない。病を運ぶものなら致命的だ。瘴気由来の疾病には性質の悪いものしかありゃしない。
どうする。突進が幸いして、歩兵両翼はまだ死骸まで距離がある。このまま一気に行くか。それとも止めて、最悪でも汚染を中央部隊だけに留めるか。
「ぐ、軍官殿! あれを! あれを!」
「報告は正確に! あれじゃわかんないだろ……って、何だあれ」
西の方から、一騎、とんでもない速度で駆け来る。
長い黒髪を振り乱して……あれえ? クロイ様じゃん。
何でここに? どうして一直線にこっちへ? 軍尉たちは?
おお、槍を出した。逆手の握り。あれは、あの夜の構えじゃないか。馬上、小揺るぎもしないで、投擲。矢のような飛翔。突き刺さった。ゴブリンの死骸の山に刺さった。そして燃え上がる。『黄金』をも滅ぼした、紅蓮の炎。
炎の中から、悲鳴。腕が突き出されて……灰と消えた。
そうか。そういうことか。
「全軍! 後退ぃっ!! ゴブリンの死骸に注意しろおおっ!?」
死骸が動く。死骸を動かして、その下から何かが出てくる。何てこった。吸血獣かよ。何日も潜っていたのかよ。何骨か知らないが、わざわざそんな所で、魔物の血塗れ土塗れで機会を待っていただなんて……そんなの……。
馬っ鹿じゃなかろうか。
あいや、いっそ可愛いぜ。吸血獣。
「死骸の下に敵がいるぞ! 全部燃やせ! 油かけて火い点けろ!」
誰が考えた策が知らないが、ちょっとと言わず、悪辣さが足りていないぞ。子供の悪戯じゃないんだからさ……バレたらお終いの奇策に兵の命を懸けさせるなよ。
「歩兵両翼! その場で隊伍を固めろ! 歩兵中央! 二つに分かれるぞ! 両翼いずれかと合流するんだ! そして……」
走りながら、命じる。末っ子君のお待ちかねのやつを。
「騎兵隊、突撃い! わざわざ道を開けたんだ! クロイ様より先にぶつかってくれよな! はっはっはあ!」




