48 末弟は憂慮する、新たな戦いを/古牙は期待する、新たな闘いを
神は示してくれる。戦の技を、法を、術を。加護もくれる。火の力を。
それらは勝利を約束しない。勝利そのものじゃない。勝利のための、手段だ。
◆◆◆
声を発するでもなく、一刀のもとに魔物の首を刎ねた。
昼下がりの原野だ。ぼくたち擲弾騎兵のための領域だ。ゴブリンが百匹来ようと千匹来ようと、今更、どうということもないけれど。
剣の汚液を払い、微かに瘴気の臭いはじめた戦場へと吐息して……命令。
「全小隊、それぞれに攻撃! 火魔法は禁止だよ!」
単騎で歩兵の列にまで下がるなり、報告するよりも早くザッカウ兵長の方から問うてきた。表情が険しいね。ぼくも似たようなものかもしれない。
「マリウス、騎兵だけでいいな?」
「はい、問題ありません」
北の山林から黄土新地へと流れ込んできたゴブリンの群れ……数の多さと迫る勢いを危ぶんで、騎兵一千騎だけでなく歩兵一千卒も出た。過剰な戦力でいい。一匹も新地へ通さない陣構えで臨もう、という判断。
これは正しかったと思う。民の心情を慮れば安全策を採るべきだから。
「……で、どう見た」
「見られていますね、どうも」
でも、そう動くことを見透かされていたのかもしれない。ゴブリンの必死な走り方といい、逃げずの戦い方といい……ただひとつのことを示している。
ヴァンパイアが近くに潜んでいる。その狙いは、ぼくたちだ。
この襲撃は、黄土新地の兵を測るためのものに違いない。
「ちっ……ウサギを連れてこなくて正解だった」
「そうですね。火魔法も温存しておきます」
「どこで当たる?」
「……そこは軍官殿の判断を仰ぎたいところですね」
当たらない、という選択肢もある。今ならばまだ、民の避難という形でそれができるかもしれないし……そうでない形にも移行しやすい。
「もう少しとどまって、敵の出方を見極めてみようと思います」
「わかった。先に退くぞ」
ザッカウ兵長の号令で歩兵が後退していく。うん、整然としたものだ。新地に残した一千卒と合わせて二千卒の内に、さて、新地出身者は何割ほどいるのだっけ。
ふ……手綱を握る手が、震えているよ。
嫌な予感しかしない。
千を超えるゴブリンをこうも野へ走らせておいて、自分たちの気配はまるで感知させない敵だもの。ぼくらがこうも狩り駆けているのに、闘争の空気に誘われもしない敵だもの。並みじゃない。
いっそひと当てして戦意と戦力とを測ろうか。山林の際へと駆けて火魔法をでも披露して進ぜようか。そうすれば主導権を取れるかもしれない。
でも……ダメ。
ここではぼくの擲弾騎兵が最大戦力だから、冒険をしちゃいけない。少なくともぼくはやっちゃいけない。となれば、駆け引きに付き合わざるをえない。既に動かされたこの上は、応じる形で隙をつくよりない。
ゴブリンを狩りつつ、徐々に退く。山林に動きはなし。
やがて訪れる夕闇に紛れて出てくるものか。それとも夜闇に駆け来るのか。
どちらにしても敵の規模がわからないと対処のしようもないね……だからって、敵が潜む山林に斥候を放つなんて、いたずらに人命を失うだけだもの。
戦って、結局のところ引き算だ。戦う以上は犠牲が出るのだし。
望むところの最大が誰一人死なない結果であるとして……最低のところには軍の温存がある。最悪の場合でも、擲弾騎兵の壊滅だけは避けなきゃならない。それがたとえ民を見捨て……ザッカウ兵長たち歩兵をも見捨てることなったって。
グッと息を呑み込んで、馬を駆る。
嫌な風だ。澱みをまき散らすような、湿り気のある風。
嵐が来るんだ。人間の営みを苛まんとして、暴力の嵐がやってくる。備えなんていつも不十分で、何をやっても何かが足りない。それでも耐えるしかないこの時に、ぼくたちは誰かと寄り添う。そして神へと祈り願う。
「……デ、アレカシ」
色々を込めて呟き、剣を大きく振る。全騎揃って素早く退く。
戦機熟して戦端未だ定かならず。馬上、唇を噛む。
◆◆◆
岩の上から原野を見やりつつ、血酒を一杯。戦に臨んで飲むのは格別だ。
「いーい退き方じゃないか。尻に噛みつきたくならあね」
「やめてくださいね、ベアボウ千牙長……冗談じゃない」
ちょっと言ってみただけだってのに、袖をつかまれちまった。何だいその勘弁してくれって目は。冗談も解さない娘っ子が。
「わあかってるよ、ターミカ。この作戦の続く間は、あんたの言うことが絶対だ。やれと命じられりゃあ、火の中だろうが水の中だろうが、跳び込んでやらあね」
「どういう命令ですか、それ……何て意味のない……」
「そうかい? ヒトは火を使うしエルフは水を使うんだ。ありそうな話さ」
闘争してんだ。ぶっ殺すためにゃ無茶もやる。死ぬかもしれないからこそ、大いにぶっ殺せるんだ。それが楽しいってのに。
「戦ってはもらいますから、どうか逸らないでください」
「大人しく伏せてるじゃあないか」
「太鼓を没収したり歌自慢を拘束したりしたからでしょう……本当にもう……」
ターミカ。変な奴だ。あの『黄金』の側近だったって話だが。
ただの成り上がり者なら、闘争の合間に戦槌をぶちかましてやってもいいんだがねえ……御上のお声掛かりとあっちゃあ、どうにも具合が悪い。
「それで、どうすんだい? 連れてきたゴブリンはあれで終いだが」
「充分です。日が落ちるまで待機しましょう」
「夜襲ってわけかい。ま、そうだろうねえ。ここにゃ厄介なエルフはいやしない」
「あ、いえ……交戦は明日の昼過ぎあたりからです」
「はあ?」
言うだけ言って、娘っ子め、あくびなんぞする。何が「私用の石洞はなるべく平たくお願いします」だ。これだから眷属使いってやつは。碌な魔法も使えないで。
「待ちな。少し説明を……何で不満顔だい」
「私の言うことは絶対だって……」
「反対しようってんじゃないさ。やれと言われたことはやる。だがあんたの考えがわからないんじゃあ、こっちも色々と具合が悪いんだ」
「考え……なるべくなら、ここで済ませたいと思っています……眠いし……」
「済ます? それはどういう……ええい、毛布をかぶろうとするんじゃないよ」
どうにもこいつは眠気に弱いね。三日四日徹昼したくらいで、何でこうもしなびちまうんだか。嫌だね、ヒトじみてて。野菜や果物なんてゲテモノも欲しがるし。
まさか、心を病んでやしないだろうね。
側近となれば『黄金』の寵愛を受けていたんだろうし、いかにもありそうな話じゃないか。失意からの自暴自棄なんてのは、戦場じゃ厄介の種でしかない。
「だからあ……! 私たちの任務は、人間をたくさん殺すことでもなければ、人間の町をたくさん落とすことでもないでしょ! 違いますか!?」
そうかと思えば、急に何て剣幕だい。牙を剥き出しにして。
「開拓地にはエルフがいるから面倒なんですよ! 『万鐘』なんてのは面倒の極みでしょ! それなら、ここで大きく騒ぎ立てて、ここに引きずり出した方が簡単に済むじゃないですか! 言ってることわかります!?」
この迫力……何とも得体の知れない魔力……なるほど『黄金』の側近だっただけのことはあるね。そこら辺りが御上のお気に召したもんか。
「わかった、わかったよ。悪かったね。あたしゃこれでも信心深いもんだから、ちょいとしつこくなっちまったようだ」
丁重に石洞へとお見送りだ。この歳まで戦い抜いてきて、千牙長にまでなって、最期が祟られ終いじゃ堪ったもんじゃないからねえ。
闘争だ。終わるなら、闘争じゃなきゃしょうもない。
七面倒臭い諸々は、あたしの前から消えやがれ。
まったく『黄金』は上手くやったもんさ。使徒にゃ使徒にしかわからない苦労もあったんだろうが、果て時としちゃ最高だったね。何しろ頂点のまんま終われた。
今じゃ使徒だって顎で使われる。『艶雷』も『崩山』も指図に逆らえやしない。
使徒を顎で使う御上が、出しゃばってきやがるんだからねえ。
御上……神帝ストリゴアイカのクソ陛下め。




