42 軍官は偽装し仕事する、託し託された希望のために
火は、心の内側にある。深いところで燃えている。
わかる。ワタシたちは、この火でつながっている。
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「ああ、そうさ。その通りさ。私は開拓地行政に不満を持っているとも」
痛くもない腹をさすりつつ言ってやると、髭の紳士は嬉しそうに頷くわけだ。
「私は北地軍官だぞ。開拓軍尉には敵わないけど、司馬上がりの代行なら権威は同格だろ。それがどうして歩兵隊なんぞに配属されるんだ。生き残った捨て駒には馬も無しってか。しかも副長とはどういうことだよ。隊長が司祭? 死ねってのか」
わかるわかると合いの手を入れてくるが……何にもわかっちゃいないなあ。
そう信じたい内容ってのは目にしても耳にしても甘美で甘露だろうけど、甘味は毒を隠すにはもってこいなんだ。神学校じゃ、よく甘茶に下剤を混ぜたもんだよ。
「砦からの支援物資や応援人員だって怪しいもんだぞ。過剰にもほどがある。商家も絡んで相当な不正が行われているのかもしれない。いや、ウィロウ家って線もあるか……騎馬隊を私兵扱いだしな。地方軍閥でもぶち上げるのかも」
ウィロウ家と聞いて前のめりになった……ということは、貴族保守派の中でもどこの家が中心か絞れるな。次で更に絞り込むぞ、と。
「要は序列がおかしいんだ」
おっと、我が意を得たりって顔か。だいたいの見当はついたかな。
「そうだろ? 権力ってのは、伝統と慣習とに則り正しく用いられるべきだ。私は心配だよ。王都からしかるべき人物を招聘しないことには、養生もできない……」
顔を歪めて俯いて、と。はいはい、労りどうも。またどうぞ。
まあ、次来るまでには相当揉めるだろうけど。代表者を決めるってのは、王都の腐れる諸卿諸氏の場合、利権の配分を決めるってことだからなあ。
さて次は……水でも飲もうかな。呼び鈴をチリンっと。
水差しを持ってくれてありがとうな、ご婦人。給金は弾むぞ。こうも身の回りの世話をしてもらっている上に、諜報上の役にも立ってもらっちゃってるし。
「やれやれ、やっと帰ってくれたよ。あれで慰問吏のつもりなんだから嫌になる。中央のお歴々ってのは、どうにも下々の事情にお詳しくない……開拓地の現実をわかっちゃいないんだ」
夫も子も亡くした身の上の人をだまくらかすのは、気分が乗らないけど。
「さっさと金銭と兵糧だけ寄越してくれりゃいいのになあ……もう兵隊はそろってるんだ。砦から友人たちが来てくれたからな」
ま、嫌エルフ派の間諜じゃ仕方ないよな。
「だいたい、私は耳長で白面の連中が大嫌いなんだ。奴らめ、何様のつもりでここに居残っていやがる。いっそのこと北門辺りを焼き討ちにしたいよ。まったく」
ほらほら、私は都合のいい人材だぞ。だから、私が動けるようになるのを待ってからにしような。計画中の過激な破壊行動は。
同情はするよ。こないだの北門での裏切り……家族をエルフに殺されて。
「ああ憎い。だけど薬だけは大したもんだからな。さっさと回復してやる」
同情はするんだけど……私たちって戦争やってるんだよねえ。
憎悪一辺倒でやれるほど簡単じゃないし、エルフとヴァンパイアを同時に相手にできるほど私たちは強くない。利用できるものは最大限に利用しなきゃなんだよ。そんなの知るかって考える考えなしは、邪魔になるのさ。残念ながらね。
というわけで、ささ、私の情報を持って下がってくださいな。
さあて、と。お次にできることは……お?
「よう、砦の。相変わらずえげつない仕事してんな」
「おう、三男坊。顔で笑って心で泣いてってやつさ」
いいところに来てくれたもんだ。いや、見計らってかな。この坊主はがさつに見えて気配りが細かい。育ちがいいんだろうな。
「本当なら、練兵だ交渉だと忙しくしたいんだけどな。心苦しいったらないよ」
「よく言うぜ。必要もないのに包帯を巻きまくって、何が楽しいんだか」
「どんな状況でも、工夫次第で色々と楽しめるもんだよ?」
「偽せの薬をベタベタ塗ってか? 退屈じゃないか?」
「あ、わかってないなあ。ご婦人に巻いてもらうのって……割といいよ?」
「……まあ、楽しいならいいけどさ」
私が心配なんだねえ。大丈夫だって言ってるのに。
確かに、私は砦よりの三百騎の中でたったひとり生き残りさ。でも、だからって死にたがりになんてならないよ。やらなきゃならないことも山積みだしね。
「で? 例のものは持ってきてくれた?」
「ほらよ。扱いには気をつけろよな」
手渡された籠の中身は、果物と酒と干し肉とに隠されて……火瘤弾と焼炎筒。
「おお、これが……そこそこ重いもんだね」
「魔力を馴染ませるのは、いい。でも間違っても《発火》まではやるなよな。範囲だの火力だの、身体で覚えなきゃならないところがあるんだ」
「わかった、気をつける。ところでこれの量産って順調?」
「まあまあだ。黄土新地の方でも作り始めたからな」
「お、それはいいね。厳重に箱詰めされた品がここへ運び込まれる……どうとでも疑わせられる事実じゃないか」
「うへ……よくも、そう楽しそうに笑えるもんだ。司祭と仲がいいのもわかるぜ」
「おたくの末っ子君とも仲良しだぞ。こないだなんて詩を聞かせてもらった」
「マリウス……わかりたくないがわかっちまう。気が合いそうだ……」
「どこぞの三男坊も詩のひとつくらい詠ったらどうだ? 剣舞でもいいぞ?」
「剣舞な……アギアス兄者が得意なんだよなあ」
「私、合いの手入れるの得意なんだ。さあ、始めてくれ」
「始めないっての。見舞いに来て剣舞とか、非常識にもほどがあるだろ……」
楽しいと思うけどなあ。ま、こうして話しているだけでも十分に楽しいけど。
じゃあなと坊主が去った後でも、私は笑顔のままだ。爽やかなものに触れると気分がいい。干し肉をガジガジとやって、酒をひと口。そして魔法の訓練といこう。
目を閉じる。心を研ぎ澄ませて、暗闇の底を求める。怖いことは何もない。
黒ってのは、クロイ様の色だ。奥には、そら、赤が見えてくる。
小さくも赤熱するそれ……燃え上がる瞬間を待つ、それ。
クロイ様の火。あの日より私にも宿ってくれた火。
諸君。砦より共に駆け来た諸君は、今はそこにいるんだよな。そして、ここぞという時にはクロイ様の下へと馳せ参じるってわけだ。いいな。実にいい。素晴らしく愉快な仕事じゃないか。
まあ、待っていてくれたまえ。いずれ私もそっちへ行く。
いや、私だけじゃないな。たくさんの人間が火へと化すことになる。どれほどの火炎になるかわかったもんじゃないぞ。それほどの戦争をやってるんだ。
戦火に散った人間の魂で、轟々と燃え盛る炎……か。
憎悪だけでたまるもんかよ。
全部が恨みつらみだけで終わってしまうんじゃ、ちっとも楽しくないぜ。生まれてこなきゃよかったって話になるし、それならいっそ楽に死ねばいいって話にもなるからな。辛気臭くて敵わんね。死に際に大笑いがしたいんだよ、私は。
希望だ。希望がなきゃダメだ。誇らかに死ぬってのは、それがあってこそできるんだ。誰かに託すにしろ何にしろさ。
そうだろう、諸君。そうだったろう、諸君。
死にぞこないはしたが、私もそうだった。
諸君の希望は、今も美しく輝いてるぞ。優勝して生き残った私だから、きっちりばっちり仕事して、しっかり確かなもんにしてかないとな。少しでも前へ推し進めてかないとな。
思うに、希望ってのはお空でチカチカしてるもんじゃないんだ。そんなの手が届かないしさ。どんなに遠くても、この大地の先にあるべきもんだ。
在る。きっと在る。
クロイ様が先頭きって進んでくれるから……在るって確信できる。
「砦の!」
おっと坊主が再来襲だ。しまったな。少しも魔法に集中できなかった。諸君のせいだぞ。柄にもなく聞き上手な今日この頃じゃないか。
「どうしたい、三男坊。血相変えて」
「すぐに神院へ来てくれ! 怪我人のふりをしたままでいい! 荷車に乗せる!」
「おっとそいつは……何があった?」
行政府が整ってきた今も、しばしば神院祭務室へ集合がかかることがある。面子は幹部のみ。話し合われる内容は、緊急にして重要極まるものばかり。
私の情報網にそれらしき予兆はなかった。つまりは国内のことじゃない。
嫌エルフ派が平常通りということは、エルフでもないな。つまりは。
「ヴァンパイアが―――」
そう、ヴァンパイア。だが、この唐突さ。早馬が駆け込んできたってことだ。何もかもをすっ飛ばしにして、ウィロウ家の男を動揺させるほどの何かが起きた。
「―――最終戦争を宣言した! エルフと人間を諸共に滅ぼすと!」
ああ、なるほど。なるほどなあ。
聞こえたか、諸君。誇っていいぞ。先の戦いにおける諸君の戦果は、実に偉大なものであったということだな。
遂に、この大陸は、三種族による大戦場であると認められたぞ。
それはつまり、私たち人間が表舞台に上がったということだ。
ここからだ。ああ、ここからじゃないか。私たちは今まさに、希望へと続く道程に立ったのだから……後はもう、死に物狂いで働くばかりさ。
諸君、楽しみにしていたまえ。
すぐに存分に一緒に大いに……戦えるぞ。まるで火炎のようにしてさ。




