37 影魔は陰見し俯瞰する、黄金の日々と神々の戦記を
神はワタシと共に在る。
同じ世界を見ている。同じ地平を望んでいる。きっと。
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何という神話なのだろうね、今夜のこの有り様は。
私の《陰見》は多角度かつ広視野。つまりは紛うことなき現実がこれとはね。
こと戦闘においては大陸で並ぶ者なき者……ヴァンパイアの使徒筆頭であるところの『黄金』が、人間を相手に必死の戦いを繰り広げているなんて。しかも最初からずっと押されっぱなし。何だかもう、想像を絶するよ。
だって、『黄金』はドラゴンとすら対抗できるんだ。事実、撃退もしている。
彼女は本当に強い。何しろ手札の多さが凄まじい。他の追随を許さない。
雷魔法と土魔法のどちらをも自在に操るその一方で、身体能力が高く、近接格闘術にも優れている。ましてや召喚術で神器を呼び出し武器とするのだから、遠近自在にして攻防自在。どの一手にも決定力と応用力がある。
そして何よりも、彼女は文字通りの意味における百戦錬磨だ。戦闘技法が完成されている。まさに隙を逃さず隙なしの構え。
そんな彼女が……彼女の選ぶ最適手段が、ことごとく潰されていくとはね。
例の異常人間、いったい何者なのか。いや、使徒なのだろうけれど。
ああ、ほら、力比べからの肘打ちをかわされた。急にしゃがまれたものだから、前のめりになった。体勢の戻しは迅速。それでもすでに脇腹かどこかを斬られたようだね。長柄が虚しく転がる。短剣で斬られたのか。
「ンリャア!」
凄い声。彼女は猛然と襲いかかるけれど、相手がいない。敵使徒はするすると彼女の背後へと移動する。《電身》で高速化しているであろうに翻弄されている。
「グガッ」
そして、薙ぎ払わんとしたところを、また斬られた。頭上を跳び越えてから後頭部を斬るとはね。今度の武器は片刃剣か。得物自在とはまた何とも器用な。
「ダア!!」
勢いよく《電光》。神器によって増幅されたその威力は、しかし、小屋だの何だのを破壊するばかり。そこにはもう敵がいない。爆散したはずの馬にまたがって、もう敵使徒は距離を空けてしまった。
うん、今の退避で確信したよ。
彼女の行動は、ほぼ全て、先読みされている。
もともとおかしいんだよ。どんなにか鍛えたところで、人間の身体能力はヴァンパイアのそれを凌駕できない。《電身》による強化もある。『黄金』は敵使徒を圧倒できるはずなんだ。まともな競い合いであれば。
ところが、実際には彼女はあのやられ様……その理由が先読みなんだね。
動き始めるよりも早く動かれている。いや、動こうと思うよりも早く動かれているのかも。さもなければ、雷を避けられたことを説明できないのだし。
速さよりも早さが勝る、か。
見抜いてしまえば当たり前のことだ。哲学的ではあるけれど。
「キ、キサマ……グフウ……ウウウ!」
あらら。彼女は相当に疲弊している。それはそうだ。ああも空回り斬られまくりというのもあるだろうけれど、彼女はさっき《天雷》を連発していたからね。第二段階の召喚術を併用してのことだから、消耗は大きかったろう。連戦のツケだね。
それでも彼女は『黄金』だ。決して退かず、怯まず、うつむかない。
そら、赤黒い騎兵たちが突撃してきたけれど、彼女はその場からわずかも逃げようとしない。地を強く踏む。土魔法《石盾》。衝突させて、それに終わらずに。
走り、跳ぶ。盾というよりはもはや壁であるものへ、跳び蹴りだ。蹴り倒すことがそのままに進路確保と前進になる。ヴァンパイアの伝統技のひとつだね。エルフの《流界》対策であるこれも、彼女がやると実に強力な攻撃だ。
ああ、しかし……それも読まれているんだね。
着地した彼女を左右から挟むようにして、赤黒い兵士たちが長槍を構えている。穂先をそろえて突進してくる。同士討ちを厭わない勢いだ。
彼女は、それでも逃げない。
「ウリャア!」
右の手は雷配による薙ぎ払い。穂先もろとも兵士たちをも吹き飛ばすほどの。
左の手は《電光》。熟練の技でもって範囲を拡大させ、兵士たちを蹴散らす。
まさに『黄金』だ。不退転の戦法。卓抜の絶技。凄まじいのに。
読まれた。
正面から真っ直ぐに飛来する、ひと竿の投げ槍。赤い魔力を刃にまとって。
突き、刺さった。
『黄金』たる彼女の胸を深々と貫いて……貫通して、火を放った。
「ガ、アアアアア!」
おお、火と雷が絡み合う。自らを燃え上がらせようとする魔力に対して、彼女もまた魔力で対抗しているんだ。怪力も振るう。槍をへし曲げて……折って捨てた。
満身創痍、だね。金色の髪も焦げて、ぶすぶすと煙まで上げていて。
それでも威風辺りを払う。『黄金』は実に『黄金』らしいままだ。
「……クロイ、といったかしら」
おっと何やら語り出した。これは聞いておかなければ。もう少し近づいて……。
「見事だわ。鬼神の使徒のクロイは、この『黄金』に勝利した。偉業よね。今日という日は大いに語り継がれるわ。人間の輝かしい逆襲として、種族を問わず誰しもの胸を打つ……この大陸の歴史が続く限りにおいて、だけれど」
近づくと、わかるね。
彼女はもう滅ぶ。滅ぶこと自体は、背中を斬られた時に定まっていて。
うん……意志と魔力はそのままだけれど、身体がいけない。触れられてはならない深奥を削られてしまって、毛先が指先が足先が、サラリサラリと乾いていく。灰になっていく。
「私には、選択肢が残されているわ……うふふ……貴女にもそれとわかっているようね。だから武器を手放せない。そろそろ魔力が限界だろうに、必死に手勢を維持して、私の隙を窺っている……熱い眼差しよね」
魔力が渦巻く。この期に及んで、なお、彼女は『黄金』だ。切り札を出すのか。
使徒だけが使う特殊な魔法、召喚術。その極みたる第三段階。かつてエルフの筆頭使徒『絶界』に対してのみ使用したそれは……《大召喚・天魔》。
デーモン。恐怖の巨怪。魔神の上位眷属。
そんなものを召喚されたなら、ここら一帯は、焦土と化すけれど。
「安心なさいな。私は何もしない方を選ぶ。今あれを召喚しようものなら、なけなしの魔力まで根こそぎにされてしまって、私は消失する。そしてあれだけが残る。生贄のように終わるなんて惨めだわ。『黄金』らしくないわ」
うん、実に彼女らしい選択だね。魔神の筆頭使徒でありながら、魔神に支配されることを誰よりも嫌ったヴァンパイア。それが彼女だ。
だから、お近づきになりたかったんだけれど……ね。全身を舐められるとはね。
「……召喚術は、術者の世界観の表現よ」
使徒にしかわからない感覚なのかもしれないけれど、でも、わかる気がする。
「私は世界の頂に君臨したかった。その資格があると思っていたわ。だから、まずは天下に号令する象徴を欲した。次いで、天を包み地を統べる影響力を欲した。そして最後に玉座を求めたら……神は、手駒のひとつきりを、寄越した」
なるほどね。伝わる願望があって……察せられる挫折もまた、あるよ。
「こんなものかしらねえ……私の生きた世界は。造り出された身には、震えるほどに素晴らしいものと映ったものだけれど」
灰になっていく。塵へ戻っていく。ヴァンパイアの最期はいつだって物悲しい。エルフや人間と違って、自然に還ることができないからね。
「クロイ。人間の貴女は、どういう風に生きるのかしら。この、素晴らしいはずの世界で……神の遊び場と堕した世界で……どういう風に死ぬのかしら」
子供のように笑って、名もなき『黄金』は。
「神を悔しがらせるくらい、楽しければいいのだけれど」
散り果てた。
後に残るのは、傷のつけられた、黒い石ひとつがあるきり。
大丈夫。これでも私は側近だからね。君の遺石を人間の手には渡さないよ。彼らの凱歌も浴びせないし、この地で朝を迎えるなんてもってのほかさ。
だから、まあ、ゆっくりとお休みよ。
後事は生者に託して、ね。




