36 黄金は蹂躙し対決する、人間の使徒の黒髪の少女と
ワタシとアナタは同じで違う。
同じだから出会い、違うから闘う。これは運命だ。
◆◆◆
捕まえたエルフ女の血は、まずまずの味。この数年では一番の出来かしらね。
肉の方はダメ。エルフはどれも骨と筋ばかりだわ。でも、この《石塔》の上から投じてやると、うふ、少しは見物ね。パッと弾けて狼たちの餌となる。
「貴様……ふざけた真似を!」
「貴方様、もしくは『黄金』様でしょう? 痩せ枝」
水の鞭など私に届くものか。懲りもせずのそれを、いっそ片手で捕まえて。
「ぐ、がああああっ!?」
「みっともない鳴き声ねえ」
私の《雷撃》は素手でもこの通りよ。木っ端エルフの魔法なんて、破壊するだけに留まるものではないわ。
誰あろう、私こそが『黄金』。
いと高きに在って下々を睥睨するのが当然なの。摂理なの。神授の権利なのよ。風を操るエルフとて、私の見えるところでは飛ぶこと叶わず地へ伏せる。水を操るエルフならば、そうね、水芸にでも工夫を凝らせばいい。今のはダメね。
「ち、血吸い、ごときに……」
あら、まだ動くの。処理係の下郎どもを退けるなんて、少しはやるじゃないの。
「女の、ごときに! 見下される謂れなど!」
「女を見上げながら何を言うのかしらね」
つま先で足場をつついて、土魔法《土槌》。隆起する土の衝撃で舞いなさいな。思い上がりや浮かれものには相応しいザマよ。
この程度のことで……《流界》の包囲程度のくだらない代物で、私を罠にはめたつもりだなんてね。無礼千万だわ。橋なんて、下郎や狼を餌場へ移動させやすいだけのものでしかないのよ。
私はただ、ほんの少し面白そうに感じたから、ここへ来ただけ。
思いの外手こずったけれどね。忌々しい『万鐘』め。いつもいつも滑稽な術で私の雷に対抗してくる。専守の能力など、臆病とどう違うというのか。
「う……お、俺は……」
「憐れなものねえ。弱く、愚かで、醜いだなんて」
うふ、いいわね。エルフには地べたを這いずる姿がお似合いだわ。いかにも惨めで胸のすく思いよ。
「喰われ際の神妙さを評価して、真理をふたつ、教えてあげるわ」
聞き、肉体だけでなく精神までも死ぬがいい。
「神にとって、世界なんて遊戯の盤面よ。魔と竜、強弱の駒を指し合って巧拙を競っているだけ……そんなものの端くれで、お前は獣の餌と終わるの」
ひとつ目。私の悟った真理は誇りを奪う。自尊を許さぬ非情の理。そして神の語った真理は……二つ目のそれは、運命を断ずるものよ。
血の気と心の拠り所とをどちらも失って、さあ、絶えていけ。
「つまらなくも意味のない生だったわね。神いわく、有象無象の奴ばらにとって、畢竟、生きるとは地歩を失うことでしかないのよ」
うっふ、いい果て顔。十年に一度の逸品かしらね。
楽しめたわ。それはとても大事なことよ。神に選ばれた者にとってはそれだけが大事なことなのよ。面白そうなものを選り分けて、ひとしきり楽しむことだけが。
その程度のものよ、こんな世界。
見渡せば、ただのいつもの愚景。下賤な餌漁り。ヴァンパイアとエルフが争い、人間が巻き込まれる……いつもよりは人間がしぶといけれど、所詮はしぶといだけのことよね。夜が明けるのを待たず滅ぶ。この地は喰い散らかされる。
こんなものかしら。火魔法なんて使ってくるから、手を叩いて喜んだのに。下郎どもをまとめて灰にするから、百年ぶりの当たり年かと期待したのに。
特にあの、一騎で大暴れした人間。
ヴァンパイアに勝るとも劣らない、獰猛さ。目を見張る苛烈さ。灼熱の。
あれは何だったのかしらねえ……人間の中から鬼が飛び出してきたのかと思ったけれど……私に顔を見せることもなく終わってしまって。
人間、か。
神が放っておくべしと勅命してきた種族。貧弱な食肉。被虐的な家畜。明日には滅亡してもおかしくないというのに、今日、地を耕し種を蒔く者ども。ある程度のちょっかいはかけてもいいと、神は新たに言ってきたけれど。
何をさせたいのかしらね。戦略を伺いたいものだわ。大陸を統べるための最善手も最短手も採ろうとしない神は、いったい何を…………ふうん?
下郎どもが押し返されてきたわ。人間どもが勝ち鬨を上げている。
声が聞こえるわね。人間の神を讃える声が。希望の言葉が。
溶岩のように熱気を発する群れの中心には……使徒。
あれが、人間の使徒。黒髪で赤眼の、戦乙女。
うっふ。
そう……そういうこと。
これを待っていたのね。我が神。
とっくの昔に滅ぼせていたはずの人間を、エルフと協定を結んでまで保護し、大陸の南端に存続させてきた理由……長らく不明だったそれが、今わかったわ。
贄ね。
絶望を苗床にして生じ、辛苦に育まれ、執念に磨かれる力……三つ目の強力な属性を欲してのことだったのねえ。
やあだ、神も人間みたいじゃないの。種を蒔いて実りを待っていただなんて。
で? 私に、採取しろと? あれをもぐ下郎仕事をせよと?
下らない……けれど面白いわ。下手を打てば神罰をもって殺されそうよね。そのくせ上手に運べばヴァンパイアそのものが滅びそう。うふふ、きっとそうなるわ。
とても刺激的ね。堪らなく破滅的で、この上なく享楽的よ。
「そこのお前。そう、お前だ」
ならば楽しもう。大いに遊ぼう。魔力を目一杯に漲らせて。
「名乗りなさいな。人間を率いる者の矜持をもって、堂々と、優雅に、美しく」
「……クロイ。火兎守。鬼神の使徒」
「そう。私は『黄金』よ。名など忘れた、魔神の使徒の」
この距離でも声が通じ合う。当然のことね。選ばれた者の声は世界に響き渡る。世界が聞かんと欲するままに、聞こえていくものよ。
「何をしに来たのかしら。この『黄金』のもとへ。古今最強の強者のもとへ」
「わかっているはず」
「いいえ、わからないわ。エルフならばわかる。エルフの使徒ならば、私は笑って宿命の闘争を始めるだろうけれど……お前は人間よ。おこがましいばかりで」
「……戯れる」
「あら、ふざけているのはお前よ。地べたにいてすら頭が高いわ」
あごをしゃくる。下郎どもが跳びかからせる。さて、手並みのほどは……うふ、いいわね。自分は何をするでもなしに、周囲の赤黒い兵士に迎え撃たせるなんて。あれらは精霊か眷属の類かしらね。火の魔力を感じるわ。
お互いに手駒を潰し合って……いえ、おかしいわね。減らないわ。下郎どもも狼どもも消費されていくのに、赤黒の兵士は陣容が変わらない。むしろ増えていく。
召喚術、かしらね。嗅ぎ慣れた神の腐臭も漂っていることだし。
「どうして、そんなに抵抗するのかしら」
問おう。そしてお前の力を解析してやろう。召喚術は他の魔法とは意味が違う。その本質は、つまるところが、お前の世界観そのものなのだから。
「どうして、人間として生まれておいて、食肉なり家畜なりに甘んじていないのかしら。いつにおいてもどこにおいても、人間は苦渋にまみれているのが分相応というものよ?」
「……自分らしく誇らしく、在るため」
「人間であることの宿命が、悲惨なれと望んでいても?」
「人間らしさは人間が決める」
ああ、そう。そういうこと。
逆襲のつもりなのね。
身の程知らずにも抗おうというのね。作物として保護されてきた分際で。この夜に徒党を組み、身も心も火炎と化して、『黄金』へ挑もうというのね。
「躾が必要ねえ」
小召喚……雷配。
私だけに許された武器で、お前を打ち据えてくれよう。天下に号令するための硬鞭で、人間に人間らしさを調教してやろう。
「まずは、そう……慄きなさいな。『黄金』の眩さに!」
雷配を突き付け、雷魔法《電光》。
うふ、いい音。回避不能の衝撃だもの。よく味わいなさいな。痺れるだけで済むはずもないわ。眼球も心臓も破裂してしまったかもしれないわ。
煙すら上げて倒れ……倒れたのは赤黒の兵士たち? 数騎で庇ったか!
どこへ。そこか。駆け来る。うっふ、滑稽な。騎馬でこの《石塔》をよじ登るつもりかしら。それとも跳び上がるとでも。
突いた! 虚空から握り取った槍で、塔を突いて……私の魔法を破った!?
そういうことをするのね。そういう、私と同じようなことを。見事にも私を地へ降ろすことには成功したけれど。
しかし、その程度で私と同じ高さに立とうなどとは。
「無礼者。地の底でへりくだるといい」
土魔法《陥穽》。大穴へ落ちろ。この辺りの地面は既に私の支配下に……何!?
もう駆けていた。もう跳んでいた。もう、目の前に、馬蹄と槍の刃が。雷配が間に合わない。受けられない。刃に猛く、火の魔力……!
交差しただけで伝わる、熱気。
「やって、くれたわね……」
頬が熱い。焼きつく痛み。触れても指は濡れず、ただごわつく。裂傷。火傷の。
「やってくれたわね! 貴様! よくも……」
点。鋼の点が見える。これは、槍の、穂先!
打ち払った。雷配で叩き折ってやった。これであいつは得物を失わ……ない! 来る! 騎馬の突進が迫り来る。手には長柄。おのれ、馬上から私を見下ろすばかりか、下馬もせず斬り払おうだなんて。
「粗相のほどが、すぎる!」
正面から受けて立って、雷配の一撃。私の《雷撃》の前には騎馬突撃など。
四散した残骸は……赤黒の……馬、だけ?
「ぎゃっ!?」
背中から尻まで、熱いとも冷たいとも知れない、何かしら致命的な衝撃。
視界に舞う黒髪。オノレ。徒歩での長柄、既にして返す刃の構え。キサマ。斬り下げて更に斬り上げようてか。ニンゲン。赤き瞳に映すのは私の首かアアア!!
「ンダリャアッ」
雷配をぶつける。無理矢理にだ。雷魔法《電身》による身体高速化を最大限に発揮して、首刈りの二撃目ごと吹き飛ば、せない! この私と力比べなどと!
「き、貴様ァアァ……!」
燃える瞳で、この、人間の使徒めが!




