35 童女は奮闘し挨拶する、世界へ分け入る少女たちへ
ワタシはひとりじゃない。
たくさんの想いが、ワタシを通じて、世界へ戦いを挑む。
◆◆◆
神様はいつもいてくれるわけじゃないって、シラは知ってるよ。
戦いの神様だってことも、知ってる。戦いの鬼。鬼の神。鬼神様。
でもね、それだけじゃないよ。教わったことだけじゃないよ。クロイ様をずっと見てきたから……クロイ様が見つめるどこかを、クロイ様を見つめるなにかを、ずっとそばで感じてたから……わかるんだ。
神様は、きっとクロイ様とそっくりさん。
強いけど弱くて、器用だけど不器用な、優しい頑張り屋さん。たくさん怒って、たくさん悲んで、とっても疲れちゃう。心がクタクタになっちゃう。
それってつらいよ。何かをしてもらってばかりじゃ苦しいよ。一緒に頑張りたいんだよ。お父さんもいつも無理してばかりで、シラは苦しかった。それでも、おかえりなさいって言うために我慢したよ。そしたらお父さんは……。
だから、ね。
少し休んでていいよ。休むのも大事だよ。大丈夫。大丈夫。大切なものはなくならないんだ。傷ついても汚れても、皆で一緒に護るから、大切なままなんだ。
シラも、戦うんだから。
「ヒトガキめえっ! 枯れ葉に飼われた家畜の分際でえ!」
暗い路地に、大きな声と大きな体。ヴァンパイア。ギザギザのついた棒が武器。
「ひき肉になれ!」
真っ直ぐに思いっきりだから、横に跳ぶ。凄い音と風。でも当たらない。すぐにまた跳ぶ。もっと跳ぶ。ピョンピョン行ったり来たり。こうすると、たぶん次は。
「ええい! 鬱陶しいわ!!」
やっぱり横にブンってきた。イライラの大振り。お家の壁をえぐって。
高く跳ぶ。お父さんの手が引っ張ってくれる。おごり高ぶるものは下しか見ないって、お父さん言ってたもの。うん、そのまま前へ押して。ヴァンパイアを跳び越えて、後ろへ。暴力を遊ぶものは前しか見ないんだもんね。シラは知ってるんだ。
「ぐおっ」
防具のない背中を、お父さんが斬る。膝の裏側も斬る。頑張って。
「ちょ、ちょこまかと……!」
振り向かれるより、シラがお尻へお尻へ回り込む方が速い。オデッセンおじさんがもうやめてって言うくらい、シラはこれが得意だよ。
「おぐあっ!?」
脇の下へ突き刺さる、お父さんの剣。いつも見せてくれてた技だね。強いんだ。
一度離れる。まだ倒せそうもない。ヴァンパイアはとっても頑丈だ。少しずつ少しずつ。絶対につかまらないように。
「おいおい、苦戦してんじゃねえかよ。だっせえ」
「そろそろ交代でいいんじゃね? 捕まえた奴が喰っていいんだろ?」
「おいおいおい、腹ペコさんかよバッキャロウ。ギャハハハ!」
ヴァンパイアは多い。何骨もいる。屋根の上にもいて、こっちを見てる。シラを戦わせて、シラで遊んでるんだ。どうやって食べるかとか、どこを食べたいとか、そんな怖いことばっかり話してる。
でも、これでいいんだ。こうしてないと、シラじゃ止められない。
ここは長屋街。路地の奥には、逃げ遅れた皆が隠れてる。通しちゃダメなんだ。シラが頑張らなきゃ、皆を食べられちゃうもの。
「なあ、ちょっとだけ手助けしてやろうぜ」
「お、いいねえ。当てた奴は当てたところ喰えるってのはどうだ?」
石。後ろのヴァンパイアたちが拾って投げてくる。暗いし、シラにはよく見えないけど、平気。全部お父さんが防いでくれる。怖くない。遠くから遊び半分に傷つけようとするものは、相手にしちゃダメ。そうだよね、お父さん。
わ、何、お父さん。急に引っ張るなんて……わあ。
おっきな水の玉が落ちてきて、それが地面に弾けて、沢山の水飛沫。すごい。お父さんの手が何本にも見える。それくらい速く全部を手で払ってくれてる。
ヴァンパイアたちは……痛がってる? それとも苦しんでるの?
今の水玉、毒なんだ。そういう魔法なんだ。
じゃあ、エルフに助けてもらったの? そうなるの?
でも、シラ、すごく苦しいよ。水、全然浴びてないのに。息が、しづらいよ。
あ……もしかしたら、空気かも。オデッセンおじさん、研究室で、鼻と口を布で押さえてたもの。そうしないと、湯気じゃなくても、吸っちゃうんだって……。
「うがあっ! どいつもこいつも……腹立たしいわ!」
来る。トゲトゲの棒が来るよ。でも、足が動かないよ。跳べないよ、お父さん。
「あうっ」
打たれた。吹き飛ばされちゃった。痛い。すごく痛い。でも、シラ、まだ生きてるよ。お父さん、剣で防いでくれたんだね。地面にぶつからないようにもしてくれたんだ。頑張ってくれてありがとう。すごく嬉しい。
シラも頑張る。苦しいけど大丈夫。ひとりじゃないから大丈夫なんだ。
剣は……あんなところにある。シラの手もお父さんの手も届かない。
「手こずらせおって。大人しくしておればひと絞めで済んだものを」
手。恐ろしい手が来た。奪うばっかりで痛いばっかりの手。自分のためだけに伸ばす手。人間を適当にあつかう手。シラを殺す手。
「……そんな手になんか」
お父さん、お願い、シラを起こして。最後まで戦うために。負けないために。
「シラは、絶対に……!」
黄色い爪の、毛むくじゃらの手が……あ……斬られて落ちた。
お父さんの剣だ。でもお父さんの手じゃない。黒くて赤い兵隊さん。誰だろう。顔はよく見えないけど、どこかで会った気がする。
「な、き、貴様らは……ぐがあっ!?」
もう二人、同じ色の兵隊さん。三人でヴァンパイアを倒してくれたんだね。あ、剣を返してくれるの。ありがとう。これはお父さんの剣なんだよ。
頭を、撫でてくれる。三人とも優しい手……撫で方がそれぞれ違うね。
この感じ……あ、なんだ。シラわかっちゃったよ。
ポンポンしたのはラキアルお兄ちゃんだ。サスサスするのはアポロスおじさん。それで、頭全体をつかんできたのはロクトンくん。シラたちと一緒に遊んでくれた三人だ。エルフと銀豹に殺されちゃった、三人だ。
わあ。屋根の上のヴァンパイアたちも倒しちゃったんだ。赤と黒の……あれは傭兵さんたちだね。さっきまで一生懸命シラたちを護ってくれてた、赤獅子団の人。
そして、石を投げてきたヴァンパイアたちを倒したのは……クロイ様たち。
馬も赤と黒だ。死んじゃった馬も、また一緒に戦ってくれるんだね。騎兵の人たちも、きっともうたくさん頑張ってて、それでももっと頑張ってくれるんだね。
あったかいな。皆して赤く灯って、夜なのに夕焼けが戻ってきたみたい。
胸の苦しさが、ゆるゆるとあったまって、溶けてくよ。
この色、シラは好きだな。お父さんが帰ってくる時の色だもの。疲れた疲れたって笑うお父さんは、この色に染まって、ただいまって言うんだ。だから皆も。
「おかえりなさい」
赤と黒の皆はシラを見てるだけ。クロイ様だけが、小さく頷いてくれた。そして待ってる。シラの次の言葉を待ってくれてる。
うん。お返事はなくても、シラはわかるよ。皆の想いを感じるよ。
お家に帰ってくるのとは違うんだ。逆なんだ。休むためじゃないんだ。もう戦わなくてもいいよっていうところから、皆は戦うために帰ってきたんだから。シラは笑って言わなきゃなんだ。
「ありがとう。頑張ってね」
大きく頷いて、クロイ様は行く。皆と一緒に行く。戦いにいく。
この世界をこのままにはしておかないって、クロイ様は言ってたね。人間がいなくてもいい世界なんて、我慢できないって。怒ってたね。それが戦う理由だって。
エルフも、ヴァンパイアも、クロイ様を知るよ。知らないふりなんてもう無理。
朝と夜との間には、いつも夕焼け色があるもの。
朝焼けも同じ。世界ってそういうところ。
クロイ様がいるんだぞってことは、空が教えてくれる。人間がいるんだぞってことも同じだね。叫ぶよりずっと遠くまで伝わるんだよ。
だから……いってらっしゃい、クロイ様。いってらっしゃい、皆。




