28 魔術師は緊張し祈願する、決戦に臨み人事を尽くして
神よ、ワタシの前に敵がいる。
神よ、ワタシに、戦うための力を。
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オデッセンさんは、別に、ビビってるわけじゃねえんだが。
見慣れた荒地がよお、まったく、とんでもねえことになっちまったもんだぜ。
日は西に傾いていかにも頼りねえもんだが、それを東から見送って、青白の旗を掲げる連中は揺らぎもしねえ。大軍だ。耳長が二千数百葉と、ほぼ同数の銀豹と、群れ飛ぶ風鷹。漏れ出づる魔力が霧になってやがる。まるで動く森じゃねえか。
耳長め……味方とわかっちゃいても、世にも鼻持ちならねえ佇まいだぜ。畜生。
だがまあ、連中がいなきゃ話にもならねえんだ。
対する敵は、魔物が可愛く思えちまう、世にもおぞましい奴ばらなんだからよ。
西日を背に地から湧いて出てきたような、黄黒の旗を掲げた黄目の大軍。数は三千弱っつうところか。眷属はあんまりいねえが……暴力の気配が、やべえ。
いるんだ。あの軍のどこかで、黄目の使徒が、こっちの様子を窺ってんだ。
目を逸らすのが、怖え。探したくもねえのに、どこにいるのか探しちまう。止めた方がいいんだ。こういう視線には魔力がこもるから、下手すりゃ気づかれる。そしたら瞬く間に殺されちまう……電光雷禍の『黄金』が、襲いかかってきて……!
「おお! おお! 騎馬兵というのはカッチョいいのう!」
おおう。そういやここにも二つ名持ちがいるんだった。耳長の使徒で、三竜のひとりで、何でか妙に人懐っこい……『万鐘』のちっちぇえの。
「まるで、いにしえのケンタウロスを見るようじゃ! しかも、お馬さんの円らなお目目がある分、こっちの方が勝っとるのお! ちょっといけずで、わりゃのこと乗せてくれんけども、カワユイからよいよい! 餌やっちゃダメかの?」
どうしてこの土壇場で馬見に来っかな……いやまあ、色々とあんだろうけどよ。連携とか作戦とか約束事とかな。共同して戦うんだから、そら、打合せは大事だ。
この戦いに敗けりゃ、開拓地は終わりだかんな。
俺たちは出し惜しみなしの陣容だぜ。
主力は擲弾騎兵一千二百騎。名門騎士兄弟によるところの、人中最強間違いなしの精鋭集団だな。これが通じなきゃお手上げってくらいに、強えし速え。
そして何より凄えのが、燃焼魔法を集団で使う戦法を編み出したことだ。
火瘤弾をまとめて放って大爆発とか、発想がぶっ飛びすぎだろ。「集威敵断」が家訓だから当然の運用だとか言ってたが、控え目に言ってウィロウ家頭おかしいだろうよ。少しでもやり方間違えば、味方諸共っつう戦い方だかんな。
だが、まあ、そこから着想を得てしまった俺も……もう頭おかしいのかもなあ。
「おや、オデッセン殿。甘やかそうとしては駄目ですよ。いくら小さく見えてもあれはエルフ、何百歳か知れたものではないのですから」
腹黒司祭め。人参持参で何言ってやがる。
「違え。考え事してたんだよ。とんでもねえことになったなあってよ」
「今日まで生きてきて、今日こそは死ぬかもしれないという、ただのいつものことですよ。渇けば飲みませ、飢えれば召しませ、です」
何だ、自分で食うつもりか。やっぱ性格悪いな。ちっちぇえ使徒への嫌がらせっていうより、馬たちへの当てつけみてえになるぞ。戦装束の着ぶくれっぷりも肥満こじらせたみてえだしよ。
「ですが、お気持ちはわかりますよ。我々は初陣ですからね」
「味方が『万鐘』で相手が『黄金』の初陣とか……涙が出るぜ、畜生」
「おや、感動屋さんですね。手塩にかけた部隊のお披露目に、男オデッセン、感無量の心持ちというわけですか」
「……しかも仲間と気持ちが通じねえ。まじで泣くしかねえな」
俺の部隊……とうとう実現しちまった、人間初の、魔法部隊。
適性のある民の中から、更に才能を厳選した二百人。魔術師組合から派遣されてきた五十人。冒険者の中から雇い上げた五十人。合わせて三百人の「火使い」だ。
目立ってんだよなあ……どう考えてもよお。
紅華屋印の赤外套をど派手にまとって、得物は新窯謹製の炭杖をひとり三本と、焼炎筒を二本と、短剣を一本。乗馬の訓練をする時間なんざなかったから、気合入れて走れってんで、上等な黒革の長靴までお揃いだ。
「で、司祭さんよ。あんた本当に前線に立つ気か?」
「うっふっふ。何を今更な。率いる兵の数なら、僕の方が多いのですよ?」
「そりゃあ、そうだけどよ……」
腹黒司祭の担当は俺の部隊の護衛だ。魔法部隊の希少性を考えりゃ、確かに必要な部隊なんだが……率いる歩兵五百人の中身は、冒険者やら傭兵やら義勇兵やらの寄せ集めでしかねえぞ。訓練らしい訓練もしてねえだろうが。
「大盾を得たつもりで、お任せあれですよ。防御は僕が、攻撃は貴殿が、それぞれに全力を尽くましょう」
「死力を尽くすさ。言われるまでもねえ」
「ええ。それで初めて、人事を尽くしたと言えるでしょうからね……!」
熱っぽい言い方につられて見やれば、ああ、あいつか。黒馬の傍らにひとり佇む黒髪の少女。男物の軍用外套を羽織りはしたものの、相変わらずの無手。
クロイ。人間の神をその身に降ろす、使徒。
誰もがお前さんを見る。意識する。そりゃそうだ。それだけの存在感がある。お前さんがそこにいるだけで、空間が傾く気さえする。気にせずにはいられねえ。
あっちじゃ、黄土新地からやってきた百騎と三百卒が、お前さんに向かって祈りを捧げてやがるぜ。その気持ちは察して余りあるっつうか、俺たちと同じ過程を踏んでる感じだな。あいつらも、一度絶望の淵まで追いやられたんだしなあ。
こっちじゃ、砦からの援兵三百騎が、怖えくらいに戦意を研ぎ澄ましてやがる。死兵だぞ、こいつらは。お前さんの一歩のために、躊躇なく一命を捨てる気だ。
誰も彼もが、お前さんに注目してる。人間だけじゃねえ。耳長の連中だってお前さんの一挙手一投足を注視してんだ。特に、そら、ちっちぇえのにくっついてる竜侍官だ。今も警戒してんなあ。怖くて怖くてたまらねえって感じだ。
そう……これは俺の錯覚じゃねえと思うんだが。
魔法を通じて神の在り様っつうもんに思いを馳せるオデッセンさんならではの、違いのわかる鋭敏さだと思うんだがよ。
お前さんの背負う、神さんよお……何か……妙に荒ぶってねえか?
猛々しいってのとはちと違う、暴力の気配っつうか……破壊の衝動っつうかさ?
「おお、火使いの魔術師、ここにおったか!」
うお、『万鐘』のちっちぇえのが、わざわざ何の用だってんだ。
「そう渋い顔をするものではないぞ? わりゃは使徒じゃが風使いでもある。古伝によれば、エルフと人間は協力し、火嵐の大魔法をもって悪神の一柱を打倒したという。その術は失われてしまったが、風と火の相性はいいわけじゃしな!」
それ伝説だろうが。んで、相性に関しちゃ迷信もいいところだろうがよ。お前はともかくとして、後ろのやつ見てみろよ。ほら、目え鋭くさせてやがるぞ。
「これはこれは竜帥殿下。指揮官級の軍議にご臨席いただいただけでも光栄でしたのに、このように閲兵まで賜りましては、我が軍将兵の士気は高まるばかりにございます。此度の共同作戦、きっと皆々様のご期待に副いましょう」
「うむ、苦しゅうないぞ。しかしいちいちに言葉が長いぞよ。身振りも多いぞよ」
「何と、これは異なことを」
「それに慇懃無礼なのじゃぞ。否定しても無駄じゃ。わりゃの礼法師範の婆とそっくりな口調じゃからして」
「おお……真心をご理解いただけないとは」
「わかっとるのじゃぞ? エルフの耳の良さを知っていて、わりゃの年齢のことを口にしおったろ? ん? こっれ見よがしに人参などぶら下げてからに」
「……餌、おやりになりますか?」
「よーしよし、許してつかわそう! ぐっはっは!」
うわ、本当に餌やりをはじめやがった。どういう神経してんだ、こいつらは。
「……無理にでも笑ってください、オデッセン殿。兵たちが見ています」
「何を……ああ、そうか、そういうことかよ」
「ええ。こちらもあちらも、兵たちは敵意に蓋をし、不信感を燻らせているのが実際のところです。我々が馴れ合う姿を見せつけておかなければなりません」
「……人事を尽くせってことか。これも」
「ええ、全くもってその通りなのですが……笑顔、下手ですねえ」
「うっせえ。あんたといい、あんたの友達の軍官といい、演技が上手すぎなんだ」
「何を仰るやら。諸事の基本は交渉であり、交渉の基本は演技ですよ」
腹黒くも説得力のある言葉だな、まったく。俺は魔術師でよかったぜ。物を相手にしている分には、笑顔も演技力も要りゃしねえ。
クロイ。
お前さんは、どうなんだ?
笑顔どころか、何の表情も浮かべやしねえお前さんは、演技なんて思いもよらねえ真っ直ぐさで……生真面目一辺倒で、神と向き合い続けてんだよな。
だから、戦うきりなのか? 戦うきりだから、そんなにも強えのか?
怒れるお前さんと、荒ぶる神さんとは……燃え盛る大火炎のようなお前さんがたはさ……どこまで一途に戦い続けるんだろうな。戦い続けられるんだろうな。
おこがましいかもしんねえが、ちっと心配になっちまってるからよ。
俺が死んだら、俺のことも、薪の一本くらいにはしてくれよな。そうやって、戦い続けさせてくれよな。そこんところ、よろしく頼んだぜ?




