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26 商人は観察し微笑する、決死の戦いへ臨む男たちと共に

 ワタシは人間の死を踏んでいく。

 死に支えられ、助けられて、先へいく。進んで征く。



◆◆◆



 政治と軍事。掛け合わせれば戦争。日常を踏みつける非日常。男を殺し、女子供を死なせる、暴力の災害……好ける要素なんざ欠片もありゃしないってのに。


 まさか、この紅華屋アンゼが、戦争を計画する側に座ろうとはねえ。


 開拓地の主計だなんて、煎じ詰めれば、民の暮らしから軍の費用を絞り出していく仕事だってのにねえ。まったく。


「いやはや、拙僧が解釈をするまでもありませんよ。ヴァンパイアの主張は単純明快です。ここを係争地と認識したから攻める。以上終わり。宣戦布告も何もあったものではなく、ただ、襲来するばかりです」


 フェリポ司祭はおどけた風に言ったけれど、誰も笑えやしない。祭務室はさながら裁判待ちの座敷牢さ。


「襲来するばかりって……交渉の余地はないのかよ」


 発言した彼、砦から物資と兵卒を連れてきた将校で、北地軍官の……ええと……名前、何だったかしら。妙に長くて憶えにくいのよ。


「ええと…………軍官殿。そう言われましても」

「いいや、司祭殿。言わせてもらうぞ。ま、責めているわけじゃないから落ち込まないでくれ。相手が相手だ。易々と話が通じないのもわかるさ」


 青いわね。今のフェリポ司祭の間の開け方、貴方の名前を思い出せなかったよ。


「だけど、相手が相手だからこそ、何とかしないとまずいだろ。係争地って言うからには、狙いはエルフだろ? 上手く話をつけてさ、なるべく開拓地から離れたところで争ってもらうわけにはいかないかな……避難するにも時間がかかるし」


 あらまあ調子づいちゃって。そのくせ、事の大きさも、新しさも、恐ろしさも、何もかもわかってやしないのねえ。


 戦争をしているのはエルフとヴァンパイアで、人間は汲々として事なかれ。


 そんな家畜の処世は、もう、通らないというのに。


「我らはエルフと共同してヴァンパイアと戦う。これは決定事項だ」


 ウィロウ軍尉代行も憮然として……いないわね。頼りにならないと感じたでしょうに。この喫緊の時に凡将を派遣されたのよ?


「いやいや、軍尉代行殿、それはまたどうしてですか。ヴァンパイアと戦うなんて正気の沙汰じゃない。そもそも不戦の条約がありますよ。勝手に戦ったりしたら、大変なことになりますって。だいたい、ヴァンパイアと戦って勝てるわけがない」


 いい度胸をしているわね、この軍官。目を見ればわかるわ。貴方はわからずにではなく、わかっていて無神経な発言をしているのよ。


「既にヴァンパイアとは戦った」


 さすがに怒気が……ないわねえ。凄い腹の据わりよう。


「勝ったし、討ちもした。開拓軍将閣下へ詳報をお送りした通りだ」

「ああ、あれですか。読みましたよ。そして内容を信じちゃいません。エルフの戦果を自らのもののように歪めて語ったのではないかと、疑っています」

「砦では、そう受け止められたのか」

「いいえ、一部の見解です。ヴァンパイアの強さを知っている者を中心に」

「我らの……開拓地駐屯軍の力を示してから言え、ということか」

「ま、そうです。ウィロウ家の武名を高めるためになぞ、命を懸けたくはないし、部下を死なせたくもありません」


 なあるほど。軍閥に関わるお話なのね。


 ウィロウ家は天下に名立たる武門だけれど、抜群であって唯一ではないものね。権力の奇々怪々さがそこへ絡みつけば、こういう不調和もありそうなことよ。


「力なら示されたろうが。十分過ぎて仰天したわ」


 あら、今度は黄土新地の老将校さん。ザッカウ兵長よね。


「俺は見たぞ。何千という数で押し寄せた魔物を、わずか五百騎が殲滅する様を。聞きもした。万を優に超えるほどの魔物を、一千二百騎で壊滅させたという報を」


 彼、義勇軍を率いて来たのよね。黄土新地の軍からも民からも集まった、開拓地の戦いに参加したいという男たち……熱狂的で、復讐心を滾らせもする彼らを束ねるのは、古強者の佇まい。そう合点していたのだけれど。


「強い。ここの軍は。とんでもなく強い」


 熱っぽいわねえ。まるで若武者じゃないの。


「そんな軍を指揮する軍尉殿が、ヴァンパイアを討ったと言う。信じる。当然だ。信じない方がどうかしている」

「言いたいことはわかるさ。私も戦果証明品を確認したからな。トロールの巨骨をああもまとめて数えたのは初めての経験だった」


 それでも、と肩をすくめるのね。いい度胸しているわ。褒めてあげたいくらい。


「疑わしいことだらけなんだよ、ここは。この北方開拓地のやり方は」


 言って見渡す顔ぶれの中には、あたしも入るのよねえ。ほらやっぱり。


「開拓軍尉の代行を開拓司馬が務める、これは正当な人事だ。開拓司祭がその行政を助ける、これもよくあること。ただし開拓司魔の任命はまずい。魔術師組合の推薦なしにそれをやるなんて、慣習と法度を無視してる。いや、喧嘩売ってるよ」


 まずはオデッセン司魔を攻めるのね。さっきから黙りこくっている彼も、これには腹も立てて……いないのよねえ。それどころか頻りに頷いているのは、なぜ?


「ウィロウ家から一千騎を呼び寄せたのも、まずい。越権かどうかは判断の難しいところだけど、いかにも怪しすぎる。追放された次男が、三男と四男を抱き込んで本家に刃向かおうとしている……なんて噂が立ってるんだよ、砦でも」


 他人様の醜聞は面白いからねえ。それが名門の家のものならば尚更に、ね。


 あたしも聞いたことがある。ウィロウ家の長男は人がいいだけの凡庸者で、次男と比べるといかにも見劣りすると。廃嫡は時間の問題であると。だから陰謀をもって次男を開拓地送りにしたのだ……なんて、いかにもありそうな怨憎劇。


 ウィロウ軍尉代行は相変わらずの無表情よね。弟君たち、ここにいたならどう反応したのかしら。怒った? 悲しんだ? それとも呆れたかしらね。


「主計もそうだ。商人の現地採用もないわけじゃないが、彼女はあの紅華屋の主人だろ? よりにもよっての抜擢だぞ……よくも信用したもんだ」


 返す言葉もないわねえ。この軍官はさっきから正しいことしか言わない。


 そう、あたしは真っ当な倫理道徳からすれば極悪人さ。


 人肉、人血、人骨、人皮……生きた人間以外のものならば、およそヴァンパイアが欲しがるものを何でも取り揃えて、掻き集めて、卸売りしているんだから。


「しかもなことに、私兵として連れてきたのが、あの『赤獅子』だろ? 人里へヴァンパイアを手引きしたって話もある連中だぞ? それを防衛線力に組み込んでるってんだから、もう、言葉もないよ……常軌を逸してる」

 

 傭兵団「赤獅子」は、あたしの商売ための実行集団さね。


 ありとあらゆる紛争地へ出向いちゃあ、死体を収獲してくる。死体を捌く。商品にする。そしてそれをヴァンパイアのところへ持っていく。確かに、欲深に後をつけられて惨事になることもあるけれど。


 供給しなけりゃね、被害はもっともっと増えるんだよ。


 誰が、好き好んでこんな商売を……!


 え? 拍手?


 誰かしらって、そら、あんただろうね。フェリポ司祭。名前の思い出せない軍官が論じる様を、ずっと、嬉しそうに楽しそうに聞いていて。


「いやあ、素晴らしい。実に的確な批判でした。この開拓地が外からどのように映るものかをつぶさに知れましたとも。他にもあるでしょうが、まずはこれまでに」

「そうか。ま、あとは司祭殿への苦情くらいだしな」


 どういうことかしら。二人が面罵し合うのではなく、笑い合うだなんて。 


「ほう、それは意外な。どのような苦情ですか?」

「新聞がやばいことになってる。何だあれ。いったいどこの痛快娯楽活劇なんだ。いや、実際に人形劇だったらもう発表されてるぞ。私も見た」

「ほうほう、出来栄えの方はいかがでしたか?」

「面白かった。崩壊した神院から、雪だるまみたいな神官が這い出てくるところなんて抱腹絶倒ものさ」

「それはそれは…………脚本どこの誰です」

「そりゃ大神院所属の物書きたちだろ。恨まれてるなあ、フェリポ君」

「心外なことですよねえ、ヤシャンソンパイン君」

「長えよ略せよ」

「自分の名前でしょうに。ンソン君」

「そこかよ。パインでいいっつってんだろ」


 これは、本当に、どういうことなのかしら。少し悔しいわねえ。驚いているのはあたしとザッカウ兵長だけ。軍尉代行も司魔も苦笑いだもの。


「ああ、説明しておきましょうか。彼と僕は神学校の同期でして。肩を組み、家と世間とを諸共に罵倒しつくした間柄です」

「ま、生家の権力の差で、私だけ放校されたけどな」


 旧知で、性格の悪さが似ていて、仲良し……ああ、そう。そういうこと。


 間諜なのね、この軍官は。


 そして聞き知った諸々の言説を、興に任せて、朗々と演じて見せたのねえ。


「色々と嫌なことばっか言って、すまなかったな。特に主計殿、仕事はおろか人間性をも貶める物言いだった」

「まったくですよ。僕が囃し立てなければ、頬を張られてましたね」

「あたしはそんなケチなことしないよ」

「おっと。それなら、私は何をされそうだったんだ?」

「赤獅子の手で暗殺。あんたの腕前は知らないけど、用は足すだろう?」


 おやおや、どうしたのかねえ。顔をひきつらせて。


「冗談さね。趣向を凝らして世間様の言い分を教えてくれたんだ。こっちもと思ったんだけれどねえ……つまらないこと」

「そ、そっか。それはすまなかったな……いや、本当にごめんなさい」


 神妙に頭を下げる、その背筋の真直ぐさ。


 少し、笑えた。笑わせてもらった。ザッカウ兵長すら笑ったんだから大したものさね。滑稽をやれるというのは、とてもとても素敵なことだよ。


「謝りついでに言っとくとさ、私は死ぬために来たんだよな」


 そうだねえ。あんたがそういう度胸をしているって、あたしにもわかったさ。


「不貞腐れを極めた悪友が、そろそろ死んだかと思ってたら、すんごい量の手紙を寄越してさ? 協力しろっていうから、ま、色々と便宜を図ってさ? 高い酒奢らせようと考えてたら、ヴァンパイアと戦争するなんて言い出すんだ。やれやれさ」


 この……ええと……なんたらパイン軍官は、あたしよりも前からここの人間だったってわけだ。ここの大仕事に関わっていたわけだ。なるほどねえ。


「どれだけ多くの魔物を倒してようが、何十骨とヴァンパイアを討ってようがさ。全部信じた上に期待を加えたって……やっぱ死ぬと思うんだよ。相手が悪すぎる」


 そうねえ。戦争をする相手としては、最悪の中の最悪よね。


「ヴァンパイアの使徒じゃなあ……『黄金』だっけ? 無理無理無理……」


 攻撃宣告状に記されていた、その恐るべき二つ名。


 かの『水底』すらも退かせたという、ヴァンパイアの使徒筆頭。


「で、もういっそのことと思って、砦でも命知らずな連中ばかりを選抜してきた。こんなふざけた世界に飽き飽きした連中をさ。私もそのひとり。むしろ主席だ」


 だから、と笑うのね。悪戯っ子そのものの笑い方だわ。


「希望、信じさせてみろよ。あるんだろ希望。いるんだろ人間の使徒が。勿体ぶらず会わせろって。それで、もし、心底から希望を抱いちゃったりしたらさ……」


 もう、居ても立っても居られないのねえ。堪らないのねえ。


「……そしたら、誰よりも勇ましく戦死してやるから。超笑顔で。人間万歳って」


 いい歳をした大人が、そろって、青臭い笑みなんて浮かべるこの祭務室から。


 こんな風にして、戦争が始まるのね。

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