85.命
ディアナは夢を見た。
周囲を燃え盛る炎に囲まれ、出られない。
酸素がなくなって、息が出来なくなるその瞬間──
「ディアナ」
聞き慣れた声がして、ディアナは振り返る。
光る腕だけがそこにある。
「……レオン?」
ディアナがその腕に手を伸ばすと、炎の中から光に包まれた人物が現れる。
ディアナは目を見張った。
そこにいたのは、黒ひげの男。
「……お父様!」
ディアナの父アウレールは炎の中、にこやかに笑っていた。
「お父様……今まで、どこに」
ディアナが震えながらアウレールに近づくと、彼は笑顔でこう言った。
「花は咲いたかい?」
ディアナは頷いた。
「ええ、咲いたわ。たくさん咲いたの、お父様」
「それは良かった」
気づけば炎は消え、周囲には花畑が広がっていた。
色とりどりの花が咲き、緑が萌え、煙だらけだった空には青空が戻っていた。
その時ディアナはようやく、自分がこの種を蒔いたのだということを思い出した。
「そうよ、お父様!この花の種は私が蒔いたのよ!」
アウレールは笑いながら、その色とりどりの花を摘む。
父の腕の中は、いつしか花でいっぱいになっていた。
「さすがは私の娘だ。ディアナなら、やってくれると信じていた」
「お父様……」
「カミラにも見せてやらないとな」
「ああ、そうだわ。お母様……」
花畑のずっと遠くに、緋色の髪を風になびかせ、カミラが微笑んでいる。
「久しぶりね、お母様。なかなか会いに来てくれなかったの」
「カミラは少し先に行ったからな……私も追いかけないと」
「そうね。ひとりではきっと、寂しいわ」
「もっと摘んで行こう。二人分だ」
アウレールはそう言って、両の手に花を持った。
花畑をずっと歩いて行くと、ふとディアナは泣き声がした気がして背後を振り返る。
花畑には風が凪ぐばかりで、誰もいなかった。
再び前を向くと、アウレールがカミラに寄り添っていた。
「お父様ったら、いつの間にあんな遠くに……」
花畑を更に歩いて行こうとすると、アウレールが叫んだ。
「おーいディアナ!こっちはいいから、そっちの泣き虫をどうにかしてやってくれ」
「……泣き虫?」
ディアナは再び振り返る。やはりそこには誰もいない。
「お父様、誰もいないわ」
「見えないだけだぞ、ディアナ!」
「そう?見えない人が、そこにいるの?」
「いるぞ。だから早く帰るんだ!」
「でも……」
「早く行ってやれ!その泣き虫は、私なんかより遥かにお前を愛してくれる」
その途端。
力強い泣き声が、ディアナの耳をつんざいた。
「凄い声だわ。早く泣き止ませなきゃ……」
「頑張れよ、ディアナ!」
「頑張ってねー!」
久々に聞いた両親の声を背中に、ディアナは花畑を舞い戻る。
「もう、泣き虫って誰よ……」
花畑を踏みしめ、ディアナは我に返る。
その刹那、両親の気配が消えたのだ。
彼女は全てを理解した。
「そっか──」
前を向いたままディアナは呟いた。
「ずっとそばにいてくれたのね……ありがとう」
まぶたに光を感じる──
ディアナが目を開けると、レオンと見知らぬ男がこちらを覗き込んでいた。
「……起きましたね」
「ディアナ!」
レオンがディアナを抱き締める。ディアナはそっと彼の背中に腕を回した。
「……ごめん、レオン」
「何で謝るんだよ」
「レオン、泣いてたんじゃないの?」
「?……別に泣いてないけど……」
見知らぬ男は白衣を着ていた。それでようやく、ディアナは彼が医者だと気づく。
「……私ならもう大丈夫ですわ、先生」
「念のため、診察をしましょう。ちょっと気になることがあるのですが……」
医師はノートを取り出すと、いきなりこんなことを問うた。
「最後に月のものが来たのは、いつですか?」
ディアナは目を丸くした。
「えーっと、いつだったかしら……戦乱の後、来たり来なかったりで」
「いつ頃から来てませんか?」
「!ええっと……ああ、そう言えばもう三か月も」
今度はレオンが目を丸くする番だった。
「!何でそんな大事なことを早く言わないんだよ!」
「だって、遅れるのは当たり前だったから……」
医師は簡単に頷いてこう言った。
「妊娠の可能性があります」
寝室が静寂で満たされた。
「何かあったら、また呼んで下さい」
医師はこともなげにそう言ってかばんを持ち上げる。
「えっと、あの……私はどうしたら」
「そうですね。嘔吐しそうになったら安静にして下さい。今言えるのはそんなところですね。もう少ししたら、聴診器で胎児の心音が聞けますから」
医師は忙しいらしく、軽く会釈をすると家を出て行った。
ディアナとレオンは顔を見合わせる。
「……ディアナの嘔吐は、王が来たショックで起こったわけじゃないのか……?」
ディアナは我に返って呟く。
「……王」
レオンはディアナの両頬を触ると、首を横に振って見せた。
「もう絶対、あいつをこの家に近づけさせない。ディアナに会わせない」
ディアナは眉を八の字にする。
「ディアナの体に障ったら困る。もうディアナは、ひとりの体じゃないんだから」
レオンはディアナを抱き寄せた。ディアナはレオンの肩に顔をうずめると、鼻をすする。
「私を愛してくれる、泣き虫の、見えない人、か……」
「……何だそれ」
「……何でもない」
ディアナはまだ見ぬ胎児と、消えた両親のことを思って泣いた。
(そうよ。きっとあの夢は、お父様が妊娠を教えに来てくれたんだわ)
そして──ディアナはもう二度と夢の中で、父には会えないような気がした。
レオンもディアナにつられて鼻をすする。
「あら?やっぱり泣き虫って、こっちの人だったのかしら……」
「何言って……嬉しいから、泣くだろそりゃ……」
ディアナはレオンの頬を拭うと、その震える唇にそっと口づける。
それでようやく、ディアナはレオンの子を身篭った実感が湧いたのだった。




