80.辺境に忍び寄る影
「なるほど……コテージ式のホテルか」
村長のロベルトがそう呟き、紅茶を口に含む。
「はい!田舎暮らしを満喫しつつ、経営リスクを分散させるナイスなアイデアだと思うんです!」
ディアナは村長に前のめりに直訴する。
ここはパブスト村中央部、村長の屋敷。
猫がうろうろと歩き回り、ロベルトの膝に降り立つ。
ロベルトは猫の背中を撫で回しながら言った。
「しかしながら……」
その接続詞に、ディアナの表情が曇る。
「リスクを分散させることが命題ではないのだよ。宿泊先の確保が先なんだ」
ディアナは頷く。
「お言葉ですが村長。戦乱が治まったらそのホテルは用無しになりますよ?」
「うむ。まあ、確かに……」
「コテージで別荘風にすれば、のちのち別荘として売り出せたり、貸別荘に出来ると思うんです!」
「ほー。そこまで考えているのか君は」
「はい!だって、戦乱のあとも生活は続きます。でしたらその後も使えるような建物がいいと思いませんか?」
「まあ、それはいいとして……問題は、その分散させたホテルを誰が管理するかだ」
「私、心当たりがあるんです。知り合いに声をかけてみますわ」
「……知り合い?」
「はい!ツテならたくさんございますので」
ロベルトは目を丸くしてから、ふっと笑う。
「おお、そうだった。君はハインツ商会のご令嬢。その人脈たるや、私の想像する範囲の比ではないのだろうな」
「うふふ。こちらとて土地を提供する身。口出しはさせていただきます」
「うむ……思った以上に、君は男勝りのようだ」
「男どころではありません。なんと、女です」
「はっはっは。これは一本取られたな。確かに、女は男よりよっぽど現実的で現金なものだ。戦乱に負けずに生活するのは、いつの時代だって女なのだ。戦乱に負けるのはいつも男ばかりで──」
ロベルトは面白そうに笑ってから、ふと思い出したように肩を落とす。ディアナは気になって尋ねた。
「……村長、どうかなさいましたか?」
「いや……この戦乱、いつまで続くのかと……最近気が滅入るんだよね」
「そうですね。ですから田舎暮らしに癒されると、貴族のみなさんはおっしゃいますわ」
「……我々田舎の民は、今のところ特に生活に変わりはない。だが、何かあると急激な変化にさらされるのはいつも田舎、下流の方からなのだ……君にも分かるかい?」
ディアナはぽかんと口を開ける。
「こっちの国が勝てばまだいい。問題は、負けた時だ。抑えきれない有象無象がこの辺境まで押し寄せて来ることだって考えておかねばならない」
「負ける……?」
「そうだ。こんなことは言うべきではないのかも知れんが……ハインツ商会が没落したのだって、戦争資金が王家から回収出来なかったと……そういうことなのだから」
ディアナはロベルトの言わんことを理解し、しょんぼりと頷いた。
「はい……」
「金貸しが資金を回収出来ない程度の国家が、この戦争に勝てると思うかい?現に、イシュタル商会は資金を回収できているから、あのように余裕があるのであって……」
「……」
「正直に言おう。きっとこの国は負ける。負けると下々に負担が来る」
「……」
「そういうわけでだな、ある意味君とレオンの住む辺境が最後の砦になる可能性が──」
それを聞き、ディアナは怪訝な顔を上げる。
やにわにロベルトは我に返り、何やら緊張の面持ちで額の汗を拭った。
「お、脅かして悪かった……まあ農民には食い扶持が必ずあるから、君はある意味この時期、農民の元へ嫁いでラッキーだったと言えよう。今、ラトギプ市街は飢えた人間でいっぱいらしいのだ」
「まあ、そうなんですね……」
「今の内に芋を蓄え、チーズを作り置きしろ。干し肉も作っておくといいだろう。秋が来ている。これからが正念場になるな」
「……本当に、そうですわね」
「ほかの貴族にもそう伝えておいてくれ。ああ、あと別荘を建てたい貴族が何人いるのか、あとで私に教えてくれよ。買い上げる土地の広さがどれくらいになるのか、計算せねばならないからね」
「はい!ではまた、話がまとまり次第こちらにうかがいますね?」
「ああ……待っているよ、ディアナ」
ディアナはロベルトの屋敷から出て行き、芦馬に飛び乗って村を去る。
ロベルトはその背中を窓から見送り、深いため息を吐いた。
それから彼は振り返ると、壁に向かって語りかける。
「……お聞きになりましたか?」
壁は何も言わない。
「あれが没落したハインツ商会の娘、ディアナです」
静かな室内。ロベルトは壁から何の反応もないと知ると、苛立ち紛れに声を張り上げた。
「親を殺され、戦火の中、どうにか逃げて来た!傷を負い、頭から血を流して……!」
ロベルトは青ざめて震えながら歩いて行き、壁を渾身の力で殴りつけた。
「何とか言ったらどうなんです!陛下!!」
壁から返事はない。
「王がのうのうと逃げてコソコソと田舎の家に引きこもり……挙句、恩人の娘に一言もなしですか!」
壁から返事はない。
「情けない……本当に、情けない……」
ロベルトは唇を噛み、憎々し気に歩いて行くと、執務室の椅子にふらっと座り込む。
壁から返事はない。




