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第七章.辺境の宿屋

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79.宿の算段

 次の日の早朝。


 ディアナが畑に水をくれていると、山小屋からカタリナがやって来た。


「おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」


 ディアナが問うと、カタリナはにっこりと笑う。


「はい。夫がベッドを譲ってくれましたので」


 ディアナは頷いた。これは女性を大切にしろと教育された男なら、基本的に譲ってくれるものらしい。シングルベッドは二人の関係を浮き彫りにする──


「朝食はいかがなさいますか?」

「そうね。乳を搾って、卵をいただいて、パンケーキにでもしようかと思って」

「あら、いいですね」

「それにしても、最高ね。この山の朝の空気!」


 少し靄がかかっている眼下の景色。足元の草花には、朝露がたわわに実っている。


「最近、市街地は工業化が進んで、空気が悪いじゃない?疎開も悪くないと思わせてくれるのは、この空気を吸っている時、つまり毎日よ。もう、都会には帰りたくないわ。ああ、ドレヴェスのお屋敷ごとここに引っ越してしまいたい」


 カタリナは偽りなくそう言ってのけ、満面の笑顔を見せた。


「パンケーキを作るなら、キイチゴのジャムも一緒にいかがですか?」

「あら、いいの?」

「ひと瓶銀貨三枚です」

「ありがとう。買い取らせていただくわ」


 カタリナはディアナの家の軒先でジャムを受け取ると、再び山小屋へと入って行った。


 ディアナは牛舎に向かい、産みたて卵を籠に入れながら考える。


 普通のホテルは、多分誰も欲していない。


(田舎ならではの暮らしが、みんなには必要なんだわ)


 そう、あの山小屋のような──


「そうだわ。宿って言ったって、そんなに大きな箱ものは必要ないはずじゃない」


 ひとりごちていると、牛舎にレオンがやって来た。


「おっ、どうしたディアナ。またご神託か?」

「レオン。色々と煮詰まって来たから、ちょっと話を聞いて欲しいの」

「ふーん。なら一旦家へ引き上げるか」


 野良着の二人は新築の家へと戻った。


 ディアナは白い紙に、辺境の地図を描き入れる。


「ここが裏山の斜面でしょ。ここに私たちの家があって、ここに山小屋ね」

「うんうん」

「ここが……石交じりの牧草地」

「村長がホテルを建てたいって言ってた場所か」

「でも、ここに宿がどすんと建ったらいつもの通り道を塞ぐし、邪魔でしょうがないわ」

「まあな」

「だから、考えたの。宿は全部、あの山小屋ぐらいの大きさにする」

「ほー」

「小屋なら簡単に管理出来るし、太陽だってどの小屋にも満遍なく当たるわ。食事はこちらで提供せず、中にキッチンをこさえて、みんなに作って貰えばいい。そして小屋の前面に、それぞれの畑を用意するの」

「つまり、客に部屋を提供するのではなく、辺境の一角ごと提供する、と」

「そういうこと。今までの貴族たちを見るに、出来る人は出来る。やろうと思えば、みんなどんな家事だって出来るものよ」

「ふーむ。上手く行くかなぁ……」

「だから、私、こう考えたの。ここでホテルを経営してもいいという貴族が複数いると聞いたわ。だからそれぞれに、小屋を建てて経営して貰ったらどうかしら」

「おいおい、それこそ上手く行くか?」


 途端にレオンが難色を示す。


「それぞれに作らせたら、上手く行かない宿屋も出て来そうだ」

「そうね。でも、だからこそ、オーナーを分散させるべきじゃないかしら。大きな宿が失敗したら損失はそれだけ大きくなる。けれど規模が小さければ、やり直しがきくわ」

「あー、そういう考え方か……」

「幸い、うちにはこの山小屋があるし」

「あのオンボロで参戦するのかよ」

「あら、いまのところ大人気よ?」

「ジンクスの効能が尽きたら、あっという間に人気が下降するぞ」

「でも、持ち出しはゼロで済むわ」

「あ、そうか……ディアナは本当に根っからの商売人だな」


 レオンが椅子の背にもたれる。


「ま、アイデアとしてはアリだな。村長とすれば、宿不足を解消出来ればいいわけだから」

「でしょ?」

「問題は、その話に乗って来る貴族が何人いるか、だな」


 ディアナはきょとんとした。


「物事には流行り廃りがある。牧歌生活なんかいずれ飽きられるぞ。戦乱が収まれば宿は用無しになるんだし」

「だからこそ、オーナーを分散させ、経営させるのよ。うちは損しないから大丈夫。土地代を儲けられるってだけだから」

「……笑顔で結構怖いこと言うなぁ、ディアナお嬢様は」

「そうと決まれば、早速ロベルトに話を持って行きましょう。村長ならではの視点があるかもしれないわ」


 ディアナの頬が輝いている。レオンはしばし怪訝な顔を作っていたが、笑ってしまった。


「ディアナには敵わん……謎の説得力がある」


 ディアナもクスクス笑っていると、扉をどんどんと叩く音がした。


「はい、どなた……」

「パンケーキ作り過ぎちゃったの。良かったら、みんなで食べない?」


 扉の向こうでは、カタリナがパンケーキの積み重なった皿を手に微笑んでいる。


「あら、是非!」


 昨日から外に出したままの丸テーブルにつき、ディアナとレオンはドレヴェス公爵夫妻の間に入ってパンケーキをご馳走になる。


 紅茶を淹れ、朝靄の中優雅な朝食が始まった。


 カールはどこか疲れた様子で周辺をぐるりと見渡す。


「ふむ……ここは、朝がいいな」


 レオンが顔を上げる。


「朝、ですか?」

「そうだ。こういう朝は、貴族は余り味わえない。午前中はどうしても決まりきった仕事を片付けなければならないし、朝の支度は全部誰かにやってもらうからな」

「そうですね」

「こういうところに別荘でもあればな」


 ディアナは目を光らせた。


「別荘?」

「ああ。毎日住むにはキツいが、たまに二・三日泊りたくなる。そんな場所だなここは」

「公爵様。もしここに小屋がたくさんあって、好きな時に泊まれるとあればどうです?」

「いいんじゃないか。でも、部屋のレイアウトは自由にしたい。ダブルベッドなんかがあれば、もう少し快適に過ごせそうだ。食事なんかも正直、夜だけは誰かに作ってもらいたいな」

「ふむ……つまり、農業と家事を朝から晩まで続けるのは疲れる、と」

「そういうことだ。農業を体験するだけで、食事だけは別に作って貰いたいというのが正直なところだな」


 ディアナは考え込む。山で暮らすとひとことで言っても、皆違ったニーズを持っているのだ。がっつり農業をやりたい人から、そうでもない人まで。幅広い段階的ニーズがその間に横たわっている。


「……となると、あの山小屋はハードコースですわね」

「ディアナ、それは一体どういう意味だい?」

「……そうよね。色々なコンセプトの宿があって然るべきよね」

「おい、レオン。君の奥さんは一体どうしたっていうんだ?」

「ああ気にしないで下さい。妻はたまにああやって、何かが降臨している時があるんです」


 ディアナは何やらブツブツと呟きながら、はっと顔を上げる。


「そうよ、戦乱が収まれば、その宿は別荘として売り出せばいいんだわ!」

「なあ、君の奥さんは……」

「だから気にしたら負けですって……カール様」


 目の前の朝靄がさらさらと晴れて行く。


 ディアナの瞳に、きらきらと光が溢れた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 気になっていたのですが、何回か用いられた「ジンクス」は悪いことに使う用語であるところ、この小説ではそういった意味では用いられていないように読めます。実際に良い意味で使われるときもあり、…
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