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第七章.辺境の宿屋

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77.初めてのお客様

 店舗オープンの初日。


 この日に合わせて、山小屋にとある貴族の宿泊があるのだ。


 ディアナはどきどきと胸を鳴らした。


 今まさに、新しいことが始まろうとしている──


「頑張れよ」


 レオンが背中を鼓舞するように叩いてくれる。


「うん」


 ディアナの頷きを確認すると、夫はフォークを担いで牛小屋へ消えて行った。


 馬車から、宿泊客が降りて来る。


 ドレヴェス公爵夫妻。


 妻のカタリナはまだ若々しいお嬢様だ。嫁入りから一年も経っていないらしい。癖の強い栗色の巻き髪をそのままに、そばかすの目立つ頬をしている。


 夫のカールはディアナと年の変わらない男である。黒髪の、どこか人に向ける視線が懐疑的で、目つきの悪い痩せた青年だった。

 

 二人のぎこちない空気に、ディアナは色々と察する。


「何だ、新しい宿泊先って。あの白い家か?」


 カールが憎々し気に妻に問う。カタリナは困り顔で答えた。


「いいえ、あの小さな山小屋ですわ」


 するとおんぼろの山小屋を見たカールが青ざめ、声の限りに叫んだ。


「冗談じゃないっ!」


 カタリナとディアナは同時に肩をすくめる。


「誰があんな汚い小屋に泊まれるか!仮にも俺は貴族だぞ!」


 うつむくカタリナを見て、ディアナが進み出た。


「ごきげんよう、ドレヴェス公爵様。カタリナ様から、詳しいお話はお聞きになりましたでしょうか?」


 農民の格好をしているが所作が明らかに上流のふるまいであるディアナに、カールは一瞬戸惑いを見せた。


「……詳しい話?」

「はい。この山小屋のコンセプトです」

「知らないな。そんな話、したっけな?」

「ここは農業体験場です。ホテルでは断じてありません。農民の暮らしを、疑似体験出来る施設でございます。宿泊をキャンセルされるのであれば半額返金となりますが、いかがなさいますか?」

「何だと、もう金を払い込んであるのか……」


 カールは考え込んだ。


「つまりカタリナは農業体験がしたかったんだな?」


 カタリナはこくこくと頷いている。


「……そのようでございますわね」

「どうせ暇を持て余していたから、まあいいか。俺たちは何をすればいいんだ?」

「そうですね……どこに何があるのかを、まずはご案内させていただきます。それから、やりたいことを決めていただければ」

「ふーん。ま、見てみるか」


 ディアナは事前に立てていた計画通り、二人を農場に案内した。まずは山小屋に入る。


「何と言う狭いベッド……」

「ですから、どちらかが床に寝ることになりますわ」

「……ここ、宿泊施設なんだよな?」

「はい。まあそこは譲り合いか、又は二人で寝るということで」

「信じられないな。カタリナ、君は何を考えてこんなところに泊りたいって言うんだい?」


 カタリナは答えず、そのままうつむいてしまった。


 彼女は女性たちの前では自由に振る舞っていたのに、夫の前ではこのように黙っているらしい。不思議に思いながら、ディアナは二人を引きつれ小屋を出た。


 牛舎へ行くと、夫が牛のふんを片付けていた。


「彼が私の夫のレオンです」


 レオンはフォークを置くと、汗を拭きながら目礼した。


「ああ、君がレオン?となると、あんたがディアナか!」

「左様ですわ、公爵様」

「思い出したぞ。ハインツ商会の令嬢が農民の元に嫁いだと、貴族の間でも当時かなり話題になった」

「あら、そうだったんですか……」

「あの美人姉妹の妹を嫁にするとは、どんな豪農の色男かと思ったが──」


 レオンは勝ち誇ったようにカールに笑いかける。


「うーん、まあ強そうではある……」

「あのう、本題は夫ではないのです。この牝牛です」


 ディアナは乳が出る方の牛の尻をぺちぺちと叩いた。


「こっちの、少し大きい方の牛が乳を出します」

「へー。これ、そのまま飲めるの?」

「はい。乳しぼりなさいますか?うちでは大体朝と夕方に絞っているのですが」

「やってみようかなぁ……」


 カールはカタリナを振り返った。


「カタリナもやるか?」


 カタリナはおずおずと頷いた。


 近くにあった小さな椅子を引き、カールは座る。乳をバケツに搾りながら、汗を拭う。


「……結構重労働だな。意外と乳も出ない」

「毎日やっていれば、慣れます」

「本当かよ。おい、言い出しっぺなんだからカタリナもやれよ」


 カタリナはドレスのまま座り、腰を据えると、乳をビュービューと上手に搾り出した。


「あら、お上手!手慣れてらっしゃるのね」

「……はい。父の領地では、よくやっていたんです」


 カールは何か言いたげに黙る。カタリナはあっという間に乳でバケツをいっぱいにした。


 次に外へ出ると、丘の下から新たな貴族の馬車が数台やって来る。


「あれは何だ?」

「あれはお昼前から開催する、お料理教室のお客様です」

「へー、料理……」

「畑から収穫をし、産みたて卵や乳しぼりをして、その材料で作ります。何もかもが朝に収穫出来るもので作りますので、とっても新鮮で美味しいんですよ」

「ほー。なるほど……新しい形のレストランだな」


 カールはここでようやくコンセプトを理解したようだった。


「俺もそれ、食べてみたいな」

「ではカール様も、お料理をなさいますか?」


 カールは呆然とする。


 ディアナはにっこりと微笑んだ。

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