70.辺境で、出来ること
ディアナはノートに、この辺境で出来ることを書き出した。
料理
乳しぼり
狩猟
釣り
刺繍
編み物
フラワーアレンジメント
今のところ、これくらいのものだろうか。
山小屋にて。
ソフィアはその文字列を眺め、腕組みをして唸る。
「私もおじ様も出来そうなことって、何かしら?」
「出来るかどうかは、どれもやってみないと分からないかもしれませんよ」
「確かに、そうね。釣りなら男性でも女性でも出来るかしら」
「狩猟よりはお手軽ですけど……ソフィア様、魚捌けます?」
「無理!」
とにかく、やってみることが肝心であろう。
マクガレン公爵の馬車に乗せてもらい、牛舎のレオンに声をかける。
「ねえ、今日トマスはいるかしら?」
「ああ、居ると思うよ。けど、何の用で行くんだ?」
「ソフィア様が釣りをしてみたいんですって。トマスに釣り竿を借りようかと思うの」
「は?釣り?一体どういう風の吹き回しだよ」
「とにかく川に行ってみるわね」
「はいはい。まあ、どうか気をつけてな」
丘を下る馬車の中で、ソフィアはずっと何か考え込んでいる。
「ソフィア様?」
「話しかけないで。今、おじ様を山にどう誘おうか考えてるから……」
ディアナはぽかんと口を開けた。が、じわじわと彼女の変化につられてこみ上げて来るものがあった。
ようやくソフィアは、夫と向き合おうとしている。
ディアナは車窓の流れる風景を眺めながら思った。
辺境の魔法。
かつては冗談でそんなことを言ったりしたが、今はあながち冗談でもないような気がしている。それは、確実にあるものだ。この何もなさそうな土地には、何かがある。今のところ、その正体は判然としないけれど。
一行はトマスのワイン工房に到着した。
工房から漂って来る芳醇なブドウの香りに酔いそうになりながら、二人は工房の戸を叩いた。
早速出て来たトマスに、ディアナは声をかける。
「あの……釣竿を二本、貸して欲しいんですけど」
トマスはディアナと背後の馬車を見比べながら、すぐにその足元を見る。
「いくらで?」
ディアナは親戚の驕りもあってすぐに貸してくれると思い込んでいた。そうだった、彼はこういう奴だったのだ。
「じゃあ、釣れたら魚をあげるわ。これでどう?」
「ふーん、今の時期なら鱒か。じゃあそれ、燻製にしてもらって来てよ」
「燻製?」
「川のもっと下流に燻製小屋があって、村人みんなで利用しているんだ。魚に限らず、肉やチーズ、卵なんかも燻製にすると美味しいぞ。桜のチップで炙るから、美味しくなるし独特の香りがつくし、保存期限も延びるしでいいことづくめなんだ」
ディアナの目が光る。全く知らない情報だった。
「分かった。釣った魚を燻製にして来るわね」
「燻製には時間がかかる。竿を返す際、釣果を報告してくれ。後で俺が取りに行こう」
「えー、全部取られちゃうの?」
「面倒臭い義妹だな。ディアナと、そこのお嬢さんの分は一匹ずつ残しておいてやる。あとは全部俺が貰う」
「ケチ。守銭奴」
「何か言ったか?別に貸さなくても構わないんだぞ、こっちは」
「……ぐっ」
「まあそういうわけだ。こっちだって従業員がいる。ケチケチしてやっとなんだ、気づけ」
釣り竿が渡された。
「あと、釣れるポイントを教えておく。川の蛇行する外側の淵、流れが滞り淀みのあるところだ。先客がいると思うから、場所はすぐに分かるだろう」
「ありがとう、トマス」
釣り竿を手に馬車に戻ったディアナは、御者に行き先を告げた。
先客のいるところ。ディアナには心当たりがあった。
いつもは馬に乗って通り過ぎていたところ。
おじさんのたまり場に、全く場違いな小娘が釣り竿を持って二人、降り立った。
釣り客はいきなりドレスの女が釣り竿を振り上げたので驚いている。ソフィアの水に針を振り落とす際の腰の入り方は、案外様になっていた。ソフィアが水面を見つめ、どかりと地面に座る。ディアナはその横にしゃがみ込んだ。
「……こうして、待つのですね?」
「おーいディアナ。その針、エサはついているのか?」
聞き覚えのある声に、ディアナとソフィアは振り返る。
ゲオルグが立っていた。
「ゲオルグ!どうしてあなたがここに」
「なぜって、釣りをしに来たからだが」
「……ディアナさん、知り合い?」
「はい。夫の兄です」
「まあ、そうでしたの。こんにちは、私はソフィアと言います」
「……またややこしいことに首を突っ込んでるのか、ディアナ」
すぐに事情を見抜いた義兄は、その辺の石をひょいと持ち上げた。
石の下には、色んな虫が蠢いている。
女たちの顔が凍った。
「早く取れ。針にこの虫を刺すんだ。すぐに鱒が食いついて来るだろう」
ソフィアは途端に青ざめた。
「む、無理です!虫を触ることはおろか、この虫を食べた鱒を食べるだなんて……!」
ゲオルグは馬鹿にしたようにため息を吐いた。
「先に言っておくが、今まであんたが食べた魚は多分、みんな結構な量の虫を食べているぞ」
「そ、そんな……!」
「……だから大丈夫だ」
「ゲオルグ。さすがにその論理は、公爵夫人には残酷過ぎるわ……」
首を振って嘆くディアナだったが、
「……確かにそうですわね」
ソフィアは意外にも納得している。
「では、お兄様。その虫を取って、この針に仕掛けて下さる?」
釣り竿を手元に戻し、ソフィアは針をゲオルグに差し出した。
ディアナは考える。ソフィアは理詰めで説得すると、よほどのことがない限り、何でもやってみる人のようだ。
ゲオルグは蠢く虫を針先に刺した。
ソフィアが再び水面にその釣り竿を振ると、しばらくして竿がしなった。
「!」
「早く竿を上げろ」
「は、はい!」
意外なチームワークを発揮し、立ち上がったソフィアは竿を引く。
「あんまり早く引くなよ。糸が切れる」
「はい」
「もう少し岸から遠ざかろう。引き寄せながら竿の角度を垂直に、後退」
「はい!」
「頑張れソフィア様!」
隣で成り行きを見守っていた老人が、そうっとタモを横から入れる。
ソフィアの頬が輝いた。
タモの中に、輝く大きな鱒が一匹、入っている。
「や……やったわ!」
「すごーいソフィア様!」
「みんな、本当にありがとう!」
釣果あり。
マクガレン公爵夫人は、こうして釣りのコツを掴んだ。




