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第一章.ふたり暮らし

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6.藤の花のシロップをどうぞ

 レオンはディアナに言われた通り、裏山から藤の花とレモンを摘んで来た。


「……こんなものをどうするんですか?食べられやしませんよ」

「大丈夫。食べられるように調理するわ」


 ディアナは藤の花に虫がついていないか慎重に眺めながら洗う。


 水と砂糖を鍋で煮詰めて、そこに藤の花とレモンの汁を投入する。


 次第に砂糖液が鮮やかな紫色に変わった。


 小屋の中に、藤の花の甘い香りが充満する。


 ことことと煮詰める様子を、レオンはディアナの肩口から不思議そうに見下ろした。


「へー、すごい」

「きれいでしょう?幼い頃、お父様がコックに命令して、これを作ってもらったことを思い出したの」

「……そのまま食べるんですか?」

「私がこれをいただいた時は、パンケーキに生クリームを乗せて、その上にかけたわ。淡い紫が、春の香りを乗せてくれてとっても素敵だった」


 二人はその鮮やかな紫をじっと眺めた。


 互いの脳裏によみがえったのは、ハインツ邸の美しい庭。


 一時期、馬小屋の裏に藤棚があったのだ。


 途中で枯れてしまったが……


 ディアナの隣で、レオンが瓶を煮沸消毒する。


 瓶の中に、なみなみと藤の花のシロップが満ちた。


 蓋をして、ディアナとレオンはほっと息をつく。


「さて。じゃあ明日、またあの温泉に行きましょう」


 レオンは困った顔をする。


「ディアナ。ちょっとは安静に」

「私、これ、売ろうと思うの」

「……はあ?」

「農村では、主に物々交換で食品や物資を手に入れると聞いたわ。特に今は戦時下だから、物々交換が捗ると思うの。貨幣も信用出来ない情勢だし」

「……ちょっと、何をおっしゃっているのかよく分からないのですが」


 ディアナはいたずらっぽく笑ってレオンに振り返る。


「ねえ、私もあなたも、もっといいものを食べるべきだわ」


 レオンは面食らっている。


「じゃがいもと干し肉しか手に入らないなんて、自分の可能性を閉ざすべきではないわ。少しでもいいものを食べて元気にならなくちゃ、私達」


 レオンは少し表情を緩めた。


「元気に……」

「そう、元気にならなくちゃ。その……ちょっと我々、色々ありすぎたし」

「はい」

「どんな人が何を持って温泉小屋に来てくれるのか、今から楽しみ」

「ディアナ……」

「戦時下だからこそ、気を強く持ちましょう」

「そうですね」

「あのー。だから、そろそろ敬語はやめて?」

「うーん。それ、一番難しい気が……」

「呼び捨てにして。命令してくれたっていいのよ」

「じゃあディアナ。ベッドに寝転がってじっとしていろ」

「……えへへ」


 レオンに命令されたという事実だけで、ディアナはひっそりと興奮していた。


 彼は夕方の台所に立って、再びじゃがいもと干し肉を煮込んでいる。


 隙間風が心地よく頬を凪ぎ、ディアナは自分のふわふわの髪に安心しながら船を漕ぐ。


 夕陽と、同じような色の自身の髪色が眩しい。


 ディアナは再びレオンに揺すり起こされるまで、充分に眠った。




 次の日。


 再びディアナはレオンと共にレギーナに乗り、石だらけのなだらかな灰色の丘を下っていた。


 ディアナは藤の花のシロップを抱えている。


 温泉小屋が見えて来た。ディアナが、ほっと笑顔を覗かせる。


 中年の女達が数人、湯上りのまま何やら話し込んでいた。


 レオンとディアナが馬を降りると、その燃える夕陽のような髪をした少女に皆釘付けになる。


 ディアナは勇気を出した。


「こ……こんにちは」


 女達はリラックスした様子で、こんにちはを返した。


「あれ?レオン。あんたどうしたのー?」


 女の中のひとりが問う。


「女の子なんか連れちゃって」

「どこの子よ」


 レオンはぎくりと顔をこわばらせる。


「あ、あんたもしかして──」


 女が言った。


「レオンのお嫁さん?」


 否定すると、あとが面倒になるとディアナは判断した。


「はい!」

「あらぁ、レオン良かったわね!」

「可愛いお嫁さんじゃない!」


 レオンは顔面蒼白になり、今にも崩れ落ちそうだ。ディアナはそっとレオンに囁いた。


「設定は、あとで考えましょう」


 彼女はシロップの瓶を抱え直した。レオンも頭痛をこらえるように自らの頭を支えつつ、ディアナについて行く。


 女性たちの前には、何やら色々と持ち出して来たものがある。ディアナの目が光った。


「奥様。そこにあるのは……」

「ああ、私達、今から物々交換しようかって話し合ってたのよ。貨幣が村まで回ってこなくなっちまったし。パンと石鹸と……小麦粉よ」


 ディアナは藤のシロップの瓶を差し出した。


「私も混ぜてもらっていいかしら。これ、藤のシロップなの」

「藤のシロップ!?初めて聞いたわ」

「水で薄めて飲むと、甘くて美味しいの」

「あら。砂糖なんて今やなかなか手に入らないんだから」

「湯上りにどうですか?」

「いいわねぇ」


 ディアナは事前に用意して来た空瓶に紫のシロップを垂らすと、冷たい井戸水を注いだ。


「どうぞ」

「あら、ありがとう。お礼に石鹸ひとつあげるわ」

「私にもちょうだい。パンふたつあげる」

「空瓶に小麦粉いれたげる」

「わあ。ありがとうございます!」


 かくして物々交換はあっさり成功する。


 ディアナとレオンは目配せして笑い合った。

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