66.山小屋への招待
それから一週間後。リップス村の宿にて。
「もしよろしければ皆さん、今から私の住む山小屋に遊びに来ませんか?」
ディアナの突然のお誘いに、ソフィア含む貴族の娘たちは、きょとんと互いの顔を見合わせた。
「え、いいの!?」
「はい。夫にも了承を得ました。それで、ちょっとみんなで手慰みに、野外で刺繍でもしようかと思っているのですが」
「あら、素敵ねぇ」
「お食事もしましょう。色々、ご用意がありますの」
「悪いわね。でも、随分急ではないですこと?」
「そうですね。まあ、善は急げと言いますし」
「行きましょう。どうせ宿で話してたって、話題はすぐに尽きてしまうもの」
貴族の子女のフットワークは軽く、ディアナの誘いにすぐさま食いついた。ディアナも、一日晴れそうな日を狙って声をかけたのだ。最近なかなか天候に恵まれなかったが、今日は目も覚めるような快晴。誘うにはうってつけの日だった。
なだらかな丘を上り、崩れ去ったバラ園を横目に山を目指す。
ディアナは馬に乗って先導しながら、遠くに目をこらした。
山小屋が見えて来る。
山際に着くと、そこには大きな丸テーブルが用意されていた。
ディアナは段取りを考える。
今日は、自分が思い描いている「お店」のデモンストレーションをするつもりなのだった。その旨は夫にも伝えてある。
野良着のレオンが小屋から出て来る。
「お、みなさんお揃いで」
貴族の娘三人は馬車を降りると、珍しそうに農民の生活と居住周辺を眺め渡した。
ひとりが輝く瞳で丘の下を指さす。
「あれがリップス村ね!」
皆で、眼下のすそ野に伸びる街並みを目に焼きつけた。
「とってもいい眺めだわ」
「馬車で上る時はなだらかな丘だと思ってたけど、こんなに標高が高かったのね」
「街がまるでミニチュアみたい……面白いわ」
ソフィアはもの言わず、好奇心旺盛にうろうろと歩き回っている。
ディアナはハンカチを数枚と、刺繍糸を奥から出して来た。
それを丸テーブルにどすんと乗せる。
それからサンプラーも。
イベントの予感に、貴族の子女たちが集まって来た。
「ハンカチに、イニシャルを縫おうと思っているんです。夏に出番が多いものでしょう?」
ディアナはハンスに頼んでかき集めて貰った刺繍糸とハンカチを広げた。彼女たちは好奇心の赴くままそれを手に取る。
ソフィアは刺繍のサンプラーを手に取った。
「これは……」
「アルファベットのサンプラーですわ。メリッサに譲ってもらったんです」
すると、ソフィアが目を大きく見開いてこちらを凝視した。
ソフィアはどうやら、夫の愛人と断定した、あの女の名前を知っているらしい。
「……メリッサに?」
「はい。メリッサは刺繍の名人ですの。クラウス様はソフィア様のために、メリッサに刺繍を頼んでいらっしゃったんですわ」
ソフィアはため息を吐いた。
「……そう」
安堵の吐息と言うよりは、誤解を招いた夫への怒りのような、憤懣やるかたないため息だった。
「ですから、ソフィア様。あなたが刺繍をお出来になったら、きっとクラウス様はメリッサのところへ行く必要はなくなります」
のどかな農村の丘が、急に張り詰めたように静かになる。他の子女も事情を知っているらしく、テーブルの隅で成り行きを見守っていた。
「まあ。私は別に……」
ソフィアがむくれるのを見て、貴族の子女たちは笑い合った。
「ソフィア、素直になりなさいよ。おじ様に女がいなかったと分かって、ちょっとほっとしている癖に」
ディアナは彼女たちを振り返る。
「……おじ様?」
子女たちは笑う。
「ああ、そうそう。ソフィアは親戚のおじさんと結婚させられたんです。でも結婚させられてからもずーっと、ソフィアったら今まで通り夫を〝おじ様〟って呼ぶんですもの。傍から見たらおかしいったら」
「ふん。おじ様はおじ様よ。今更呼称を変えるのもおかしいわ」
「夫をおじ様って呼んでる方がおかしいわよ!」
けらけら笑う彼女たちを眺め、ソフィアは暗い顔でうつむいてしまう。ディアナはソフィアの肩をそっと抱いた。
「クラウス様がそれでいいと言うなら、いいではありませんか」
ソフィアは困った顔でディアナを見つめる。
「さあ、刺繍を始めましょう。好きな糸で縫って、お土産にして行って構いません」
貴族の子女たちは喜んだ。
「いいの!?」
「お得意様へのサービスですわ」
ソフィアが、気を取り直すようにハンカチに視線を落とす。
「ソフィアのS……」
ソフィアはサンプラーから自らの頭文字を見つける。
「まず文字を線の通りにステッチして、それを包むようにアウトラインステッチをかけて行きます」
ディアナに言われた通り木枠をリネンハンカチにはめ込み、ソフィアはまるで呪いでもかけるようにひと針ひと針慎重に糸を縫い進めた。彼女自身が言う通り、確かにこの集中力は職人気質かもしれない。
レオンが気を利かせて、井戸水で薄めたバラのシロップジュースを持って来てくれる。
木のテーブルの上に透き通る紅色が光と影を落とし、針仕事の合間に四人の女たちは喉を潤した。
その間も、レオンは牛小屋を掃除したり、山に入ったりとせわしない。それを眺めながら、貴族の子女たちはうっとりと牧歌的な午前に酔いしれる。
「ああ、静かで涼しくて……いいところね」
「旦那さんはずっとああやって仕事をしているの?」
ディアナは頷いた。
「はい。毎日何だかんだ仕事はありますから」
子女たちは笑った。
「私の夫も毎日出てってくれないかしら」
「本当よね。毎日だらだらしてみっともないわ。せめて趣味でもあればいいのに、それもないのよ。自分の領地じゃ大威張りのくせに、ここでは借りて来た猫!」
ディアナは目をすがめる。
(また始まった……)
「それにさ」
貴族の子女がテーブル中央まで身を乗り出し、こそっと口元に手を当てて言う。
「面倒よね?夜」
直球の話題に、ディアナは顔を赤くする。
と。
ソフィアがばたん、と大仰な音を立てて刺繍用の木枠をテーブルに叩き置いた。
静けさが訪れる。
「やめてそんな話」
貴族の子女たちは半ば呆れたように顔を見合わせた。そして当てつけるようにこう言う。
「……そうね、マクガレン公爵が夫なら、きっとあなたに夜の面倒はかけないでしょうね」
しかも、嫌味と言うよりは、存外羨ましそうな口ぶりであった。
ディアナは慌てた。先日、クラウスが話していたことを思い出したのだ。
言い返されたソフィアは悔しそうに歯噛みし、震える手で再び木枠を手にした。
──若い男のような愛し方は出来ない。
その言葉が思い出され、ディアナは悲し気に眉を寄せたが、ふと前を向く。
「みなさん、まだハンカチがありますわ。もしよろしければ皆様、旦那様の分も刺して行かれませんか?」
子女らはひきつった笑いを浮かべ、戸惑い気味に目配せし合った。
「き……きっと喜ぶと思うんですが」
余りの反応の悪さにディアナはくじけそうになる。
だが、ふとハンカチの山にソフィアが手を伸ばした。
ディアナが見守る中、ソフィアがハンカチに〝K〟の字を描く。
(クラウスのKだわ)
皆の視線も意に介さず、ソフィアは平然と次のハンカチに刺繍糸を走らせる。貴族の子女たちはまるで敗北したかのように、呆然とその手技を眺めた。




